Vol. 2May 2026

Buku

Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik

Menampilkan 10.320 dari 14.981 buku

漫画と科学

寺田寅彦

漫画とは何かという問に対して明確なる定義を下す事は困難であろう。また漫画とそれ以外の絵画との間に截然たる区劃線を引く事も容易ではない。漫画家自身でもおそらく人によってこれに関する所見を異にするに相違ない。今ここで私がせっかく苦心して定義をこしらえても、それは結局甲某の定義にしかなりそうもない。それで以下に漫画として論ずるものも結局私の頭の中にある漫画というも

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漫罵

北村透谷

漫罵 北村透谷 一夕友と与に歩して銀街を過ぎ、木挽町に入らんとす、第二橋辺に至れば都城の繁熱漸く薄らぎ、家々の燭影水に落ちて、はじめて詩興生ず。われ橋上に立つて友を顧りみ、同に岸上の建家を品す。或は白堊を塗するあり、或は赤瓦を積むもあり、洋風あり、国風あり、或は半洋、或は局部に於て洋、或は全く洋風にして而して局部のみ国風を存するあり。更に路上の人を観るに、或

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漫言一則

北村透谷

漫言一則 北村透谷 われかつて徒然草を読みける時、撰みて持つべき友の中に病ひある人を数へたり。いかにも奥ゆかしき悟りきつたる言葉と思ひて友にも語りける事ありけり。然るに頃者米国の宣教師某を訪ひたる時、其卓上に日常の誡めを記せるを見る。其中に言へる事あり、病ある人を友として親しむ可からずと。 われ曾つて英人なる宣教師某と相携へて花を艶陽の中ばに観る。わが花を賞

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ラヂオ漫談

萩原朔太郎

ラヂオ漫談 萩原朔太郎 東京に移つてから間もなくの頃である。ある夜本郷の肴町を散歩してゐると、南天堂といふ本屋の隣店の前に、人が黒山のやうにたかつてゐる。へんな形をしたラツパの口から音がきれぎれにもれるのである。 「ははあ! これがラヂオだな。」 と私は直感的に感じた。しかし暫らくきいてゐると、どうしても蓄音機のやうである。しかもこはれた機械でキズだらけのレ

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漬物の味〔扉の言葉〕

種田山頭火

漬物の味〔扉の言葉〕 種田山頭火 私は長いあいだ漬物の味を知らなかった。ようやく近頃になって漬物はうまいなあとしみじみ味うている。 清新そのものともいいたい白菜の塩漬もうれしいが、鼈甲のような大根の味噌漬もわるくない。辛子菜の香味、茄子の色彩、胡瓜の快活、糸菜の優美、――しかし私はどちらかといえば、粕漬の濃厚よりも浅漬の淡白を好いている。 よい女房は亭主の膳

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「漱石のオセロ」はしがき

野上豊一郎

「漱石のオセロ」はしがき 野上豐一郎 はしがき これは故夏目金之助先生が明治三十八年九月から東京帝國大學文科大學英文學科の講義として讀まれた Othello の筆記である。先生の Shakespeare の講義は、今一つの文學史の講義と同樣に、一週三時間であつた。私は、明治四十年三月に先生が大學をやめられるまで、Othello の外に尚ほ The Tempe

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漱石さんのロンドンにおけるエピソード 夏目夫人にまゐらす

土井晩翠

夏目夫人、――「改造」の正月号を読んで私が此一文を書かずには居れぬ理由は自然に明かになると思ひます、どうぞ終まで虚心坦懐に御読み下さい。 漱石さんが東京帝国大学英文学の卒業生で私共の先輩であつたことは曰ふ迄もありません。『英国詩人の天地山川に対する観念』などを『哲学雑誌』で田舎書生が驚嘆の目に読んだのは三十余年の昔です。そして此渇仰の大家の風貌に初めて接した

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漱石と自分

狩野亨吉

漱石と自分 狩野亨吉 夏目君のことを又話せといふが、どんなことにしろ物事の眞相が誤まらずに傳へられることは稀であり、その上近來甚だ記憶が不確であるからあんまり話をしたくない。 夏目君に最初に會つたのは死んだ山川信次郎氏の紹介であつたと思ふ。尤もこれよりも前に自分が全然關係が無かつたといふわけでもない。日本で最初に中學校令の發布によつて出來た東京府第一中學に、

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潮干狩

原民喜

潮干狩 原民喜 前の晩、雄二は母と一緒に風呂桶につかつてゐると、白い湯気の立昇るお湯の面に、柱のランプの火影が揺れて、ふとK橋のことを思ひ出した。恰度、夜の橋の上から両岸の火影が水に映つてゐるのを眺めてゐるやうな気持だつた。明日は父に連れられて、皆で潮干狩に行くのだつた。雄二はまだ船で川を下つたことはなかつた。床に這入つてからも、なかなか睡れなかつた。寝床が

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潮風 ――「小悪魔の記録」――

豊島与志雄

棚の上に、支那の陶器の花瓶があった。いつも使われることがないので、俺はその中に綿をもちこんで、安楽な居場所を拵えておいた。その晩も、夜遅く、その中にはいってうとうとしていると、急に何か物音や人声がしたので、花瓶の口からのび上って、見ると、片野さんがとびこんできてるのだった。 片野さんは酔っていた。一つ所に立ってることが出来ず、それかって椅子に掛けるのも面倒く

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エハガキの激賞文

牧野信一

僕は一ト頃外国製のエハガキを集めたことがある、その頃は、集めた数々のものを酷く大切にして、夫々のアルバムを「科学篇」とか「歴史篇」とか「物語篇」とか「考古篇」とか「美術篇」とか「地理篇」とかといふ風に分類して悦に入つた。稍ともすれば、それらのコレクシヨンを人知れず取り出して、何時までゝも眺めて空想にふるへた、知る人は多いことだらうが、エハガキに寄せる興味は、

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濁酒を恋う

佐藤垢石

濁酒を恋う 佐藤垢石 遠からず酒の小売値段は、いままでの倍額となるらしい。つまり、一升三円であったものが六円ということになるのだろう。 だから、晩酌を二合ずつやった者は、一合にへらさなければ勘定が合わなくなる。私など、それで辛抱するよりほかに致し方がないと観念している。 ところが、私の友人にそんな簡単にあきらめられるものではない、と言うのがいる。自分は酒を飲

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濡れた葦

林芙美子

濡れた葦 林芙美子 1 女中にきいてみると、こゝでは朝御飯しか出せないと云ふことで、ふじ子はがつかりしてしまつた。子供たちは、いかにも心細さうにあたりをながめてゐる。ふじ子はひよいとしたら、丼物でもとつてもらへるかも知れないと、女中に、何か食べものを取りよせてもらへるかときいてみた。 「さうですねえ、お蕎麥か、親子丼ぐらゐのとこでしたら‥‥」 「ぢやア、親子

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濫僧考 河原者・坂の者・宿の者・非人法師

喜田貞吉

「民族と歴史」八巻五号所載「旃陀羅考」中にちょっと述べておいた濫僧の事を、今少し精しく考証してみる。「旃陀羅考」中にも引いておいた「延喜式」の臨時祭式の文に、 凡鴨御祖社南辺者、雖レ在二四至之外一濫僧・屠者等不レ得二居住一。 とある。その濫僧とは、そもそもいかなるものであろう。そして何故にそれが四至の外といえども鴨御祖社すなわち下鴨神社の南辺には住まわせなか

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濫僧考補遺

喜田貞吉

本誌三月号(九巻三号)に「濫僧考」と題して、社会の落伍者が沙門の姿に隠れて、賤職に従事しつつ世を渡ったことを述べ、それを鎌倉時代にはエタと同視していた次第を明らかにしておいた事であったが、その後さらに二三の資料の存在に気がついたから、いささか前文の不備を補っておく。 濫僧はもちろん沙門である。したがって法師と呼ばれてはいたが、実は三善清行によって「形は沙門に

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濹東綺譚

永井荷風

わたくしは殆ど活動写真を見に行ったことがない。 おぼろ気な記憶をたどれば、明治三十年頃でもあろう。神田錦町に在った貸席錦輝館で、サンフランシスコ市街の光景を写したものを見たことがあった。活動写真という言葉のできたのも恐らくはその時分からであろう。それから四十余年を過ぎた今日では、活動という語は既にすたれて他のものに代られているらしいが、初めて耳にしたものの方

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瀑布

林芙美子

瀑布 林芙美子 橋の上も、河添ひの道も、群集が犇めきあつてゐる。群集の後から覗いてみたが、澱んだ河の表面が、青黒く光つて見えるだけで、何も見えない。そのくせ群集は、折り重なるやうにして、水の上を覗いてゐる。何だらうと云ひあひながら、前の方へ押し出されたものは、見てしまつた安堵で、後から押される人間の力を振り切つて、犇めく人の間を、ぐんぐんと外側へ出て来てゐる

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瀕死の探偵

ドイルアーサー・コナン

ハドソン夫人――彼女はシャーロック・ホームズの家主であるが、辛抱強い女性である。二階の部屋には四六時中、おかしな、しかも大抵は歓迎できない連中が上がり込むばかりでなく、その居住者ときたら生活が突飛で不規則で、これにはさすがの彼女もあきれ顔だったろう。ホームズは信じられないほどだらしないし、とんでもない時間に楽器をかき鳴らす。室内での気まぐれな射撃訓練、時々異

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佐藤垢石

瀞 佐藤垢石 一 南紀の熊野川で、はじめて鮎の友釣りを試みたのは、昭和十五年の六月初旬であった。そのときは、死んだ釣友の佐藤惣之助と老俳優の上山草人と行を共にしたのである。 私らは、那智山に詣でた。那智の滝の上の東側の丸い山を掩う新緑は、眼ざめるばかり鮮やかであった。黄、淡緑、薄茶、金茶、青、薄紺など、さまざまの彩に芽を吹いた老木が香り合って、真昼の陽光に照

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瀬戸内の小魚たち

壺井栄

この一月の末に、足かけ四年ぶりに郷里の小豆島へ帰った。大して目的はなく、もしかしたら持病になりつつあるぜんそくが癒るかもしれないと聞かされての、急な思いつきだったのだが、帰ってみると顔を合せるほどの人がみんな聞く。 「どんなご用で。どうしに? いつまで?」 実はぜんそく云々ともいえず、墓参りに戻ってきたのですといっても、これまでがなにか用事にかこつけてしか帰

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瀬戸内海の浪の音

鈴木三重吉

私は瀬戸内海に臨んだ広島市猿楽町に生れた。丁度練兵場の入口になつてゐる町なのであるが、其所は兵隊の入る小さな飲食店、酒屋、餅屋、饅頭屋、それから兵隊の帽子や軍用雑貨を売る小さな店、さういふ店の前へ以て来て、幾通りとなく靴直しの群が列んで靴直しをやつてゐるやうな所である。 私の家は昔からさういつたなかにあつた。母は私の八つの時死んだ。それが長病ひをした後であつ

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瀬戸内海の潮と潮流

寺田寅彦

瀬戸内海の潮と潮流 寺田寅彦 瀬戸内海はその景色の美しいために旅行者の目を喜ばせ、詩人や画家の好い題目になるばかりではありません。また色々な方面の学者の眼から見ても面白い研究の種になるような事柄が沢山あります。一体、あのような込み入った面白い地形がどうして出来たかという事は地質学者の議論の種になっているのです。また瀬戸内海の沿岸では一体に雨が少なかったり、ま

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瀬戸・美濃瀬戸発掘雑感

北大路魯山人

倉橋さんから先日彩壺会の講演の依頼を受けました。所が私は倉橋さんみたいにうまくお話が出来ません。そこで講演は幾度かお断わりしましたが、私がかつて発見いたしました美濃の発掘品を並べて、一先ず簡単にご報告をしようということを約束しました。 古来日本では志野の焼物が大変喜ばれておる。ところがそれがどこで出来たか全くわかっておらなかった。瀬戸で志野某が注文して焼かせ

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