Vol. 2May 2026

Buku

Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik

Menampilkan 10.368 dari 14.981 buku

火の鳥

太宰治

火の鳥 太宰治 序編には、女優高野幸代の女優に至る以前を記す。 昔の話である。須々木乙彦は古着屋へはひつて、君のところに黒の無地の羽織はないか、と言つた。 「セルなら、ございます。」昭和五年の十月二十日、東京の街路樹の葉は、風に散りかけてゐた。 「まだセルでも、をかしくないか。」 「もつともつとお寒くなりましてからでも、黒の無地なら、をかしいことはございませ

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ムーア灯

寺田寅彦

一個の電灯の長さ数十尺より二百尺に達すると聞いては誰しも驚かぬ人はあるまい。この驚くべく長い管で出来た電灯は、その発明者ディー・マクファーラン・ムーアの名に依ってムーア灯と名づけられている。始めてこの灯が世に出たのは既に十余年の昔であるが、その後だんだんに改良を加え、漸く実用に適するようになったのは昨今の事である。近頃英国で著名の某大旅館にこれを点じたため、

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おさなき灯台守

竹久夢二

おさなき燈台守 竹久夢二 この物語はさほど遠い昔のことでは無い。 北の海に添うたある岬に燈台があった。北海の常として秋口から春先へかけて、海は怒ったように暴狂い、波の静かな日は一日も無かった。とりわけこの岬のあたりは、暗礁の多いのと、潮流の急なのとで、海は湧立ちかえり、狂瀾怒濤がいまにも燈台を覆えすかと思われた。 しかし住馴れた親子三人の燈台守は、何の恐れる

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Cahaya Lentera

灯火

島崎藤村

飯島夫人――栄子は一切の事を放擲する思をした後で、子供を東京の家の方に残し、年をとつた女中のお鶴一人連れて、漸く目的とする療養地に着いた。箱根へ、熱海へと言つて夫や子供と一緒によく出掛けて行つた時には、唯無心に見て通り過ぎた相模の海岸にある小さな停車場、そこへ夫人はお鶴と二人ぎり汽車から降りた。 夫人はまだ若かつたが、子供は三人あつた。新橋を発つから汽車中言

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灯火節

片山広子

燈火節 片山廣子 先日読んだ話のなかに燈火節といふ字が出てゐた、二月の何日であつたか日が分らないまま読んでゐたのを、今日辞書で探してみると、燈火節二月二日、旧教にては、この日に蝋燭行列をなし、一年中に用ひる蝋燭を祓ひ清むる風習あるを以てこの名あり、とあつた。先日読んでゐたのは聖女ブリジツトの物語で、彼女は二月に生れた人で、古いゲエルの習慣では、聖ブリジツトの

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「灯火節」あとがき

片山広子

もう二十何年か前、昭和の初めごろ、私は急に自分の生活に疲れを感じて何もかもいやになつてしまつた。それまで少しは本も読み、文学夫人といふやうな奇妙なよび名もつけられてゐたけれど、そんな事ともすつかり縁をきつて、ぼんやりと庭の草取りなぞして日を暮すやうになつた。文筆の仕事ばかりでなく、外に出ることも面倒になり、やむを得ぬ義理で人を訪ねる時には、それまでのやうに銀

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灯籠

太宰治

燈籠 太宰治 言えば言うほど、人は私を信じて呉れません。逢うひと、逢うひと、みんな私を警戒いたします。ただ、なつかしく、顔を見たくて訪ねていっても、なにしに来たというような目つきでもって迎えて呉れます。たまらない思いでございます。 もう、どこへも行きたくなくなりました。すぐちかくのお湯屋へ行くのにも、きっと日暮をえらんでまいります。誰にも顔を見られたくないの

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ろまん灯籠

太宰治

ろまん燈籠 太宰治 その一 八年まえに亡くなった、あの有名な洋画の大家、入江新之助氏の遺家族は皆すこし変っているようである。いや、変調子というのではなく、案外そのような暮しかたのほうが正しいので、かえって私ども一般の家庭のほうこそ変調子になっているのかも知れないが、とにかく、入江の家の空気は、普通の家のそれとは少し違っているようである。この家庭の空気から暗示

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灰かぶり

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

あるお金持ちのうちで、そのうちのおくさんが病気になりました。おくさんは、もういよいよじぶんはだめだと感じましたので、ひとりむすめの小さい女の子をまくらもとによびよせて、こういいました。 「あのね、いつまでも神さまを信じて、すなおな心でいるんですよ。そうすれば、神さまは、いつもおまえのそばについていてくださるからね。おかあさんもおまえを天国から見まもっていて、

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アッシェンプッテル ―灰かぶり姫のものがたり―

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

だんなさんがお金もちの、ある女のひとがいました。その女のひとは、びょうきでねこんでいました。もうながくはない、と女のひとはおもって、じぶんのうんだ、たったひとりのむすめを、まくらもとによんで、こういいました。 「いつもおもいやりのある子でいるんですよ。わたしはおそらの上から、あなたのことを、ずっと見まもっていますからね。」 まもなく、女のひとはめをとじて、い

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灰だらけ姫 またの名 「ガラスの上ぐつ」

ペローシャルル

一 むかしむかし、あるところに、なに不自由なく、くらしている紳士がありました。ところが、その二どめにもらったおくさんというのは、それはそれは、ふたりとない、こうまんでわがままな、いばりやでした。まえのご主人とのなかに、ふたりもこどもがあって、つれ子をしておよめに来たのですが、そのむすめたちというのが、やはり、なにから、なにまでおかあさんにそっくりな、いけない

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灰燼十万巻 (丸善炎上の記)

内田魯庵

十二月十日、珍らしいポカ/\した散歩日和で、暢気に郊外でもきたくなる天気だったが、忌でも応でも約束した原稿期日が迫ってるので、朝飯も匆々に机に対った処へ、電報! 丸善から来た。朝っぱらから何の用事かと封を切って見ると、『ケサミセヤケタ。』 はて、解らん。何の事ッたろう。何度読直しても『今朝店焼けた』としか読めない。金城鉄壁ならざる丸善の店が焼けるに決して不思

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灰色の姉と桃色の妹

小川未明

あるところに、性質の異った姉妹がありました。同じ母の腹から産まれたとは、どうしても考えることができなかったほどであります。 妹は、つねに桃色の着物をきていました。きわめて快活な性質でありますが、姉は灰色の着物をきて、きわめて沈んだ、口数の少ない性質でありました。 二人は、ともに家を出ますけれど、すぐ門前から右と左に分かれてしまいます。そして、いつもいっしょに

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灰色の眼の女

神西清

埴生十吉が北海道の勤め口を一年たらずでやめて、ふたたび東京へ舞戻つてきたのは、192*と永いあひだ見馴れもし使ひなれもした字ならびが変つて、計算器の帯が二本いちどきに回転するときのやうに、下から二た桁目に新たな3の字がかちりと納つた年の、初夏のことであつた。遊んで暮してゆける身分でもないので、ロシヤ語を少々かじつてゐたのをたよりに、小石川にある或る東洋学関係

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お灸

長谷川時雨

お灸 長谷川時雨 お灸ずきの祖母が日に二三度づつお灸をすゑる。もの心覺えてから灸點の役が、いつかあたしの仕事になつてゐた。五百丁の巴もぐさをホグして、祖母の背中の方へると、小さい燭臺へ蝋燭をたて、その火をお線香にうつして、まづ第一のお灸を線香でつらぬき、口の中でブツブツ言つて、體中を手早く御祈祷するやうな手附きをした。いづれなんとか文句があつたのであらうが、

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災厄の日

原民喜

自分の部屋でもないその部屋を自分の部屋のやうに、古びた襖や朽ちかかつた柱や雨漏のあとをとどめた壁を、自分の心の内部か何かのやうに安らかな気持で僕は眺めてゐる。湿気と樹木の多い日蔭の露路にこの下宿屋の玄関はあつて、暗い階段をのぼつた突当りの六畳が僕の部屋なのだが、焼け残つたこの一角だけは今、焼跡に発生してゐるギラギラの世界に対して、静かに身を躱してゐるやうだ。

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災難雑考

寺田寅彦

災難雑考 寺田寅彦 大垣の女学校の生徒が修学旅行で箱根へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が渓流に架したつり橋の上に並んだ。すると、つり橋がぐらぐら揺れだしたのに驚いて生徒が騒ぎ立てたので、振動がますますはげしくなり、そのためにつり橋の鋼索が断たれて、橋は生徒を載せたまま渓流に墜落し、無残にもおおぜいの死傷

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炉辺

堀辰雄

数年まへの春、木曾へ旅したときのこと。落ちつく先は、奈良井にしようか、藪原にしようか、とちよつと気迷つたのち、――まづ、鳥居峠を越えて、藪原までいつてみた。いい旅籠でもあつたら、とおもひながら、お六櫛などをひさいでゐる老舗などのある、古い家並みの間をいいかげん歩いて、殆どもうその宿を出はづれようとしたとき、一軒、それを見るなり矢張あつたな、とおもつたやうな、

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炉辺

堀辰雄

數年まへの春、木曾へ旅したときのこと。落ちつく先は、奈良井にしようか、藪原にしようか、とちよつと氣迷つたのち、――まづ、鳥居峠を越えて、藪原までいつてみた。いい旅籠でもあつたら、とおもひながら、お六櫛などをひさいでゐる老舖などのある、古い家竝みの間をいいかげん歩いて、殆どもうその宿を出はづれようとしたとき、一軒、それを見るなり矢張あつたな、とおもつたやうな、

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炎天汗談

太宰治

暑いですね。ことしは特に暑いようですね。実に暑い。こんなに暑いのに、わざわざこんな田舎にまでおいで下さって、本当に恐縮に思うのですが、さて、私には何一つ話題が無い。上衣をお脱ぎになって下さい。どうぞ。こんな暑いのに外を歩くのはつらいものです。パラソルをさして歩くと、少したすかるかも知れませんが、男がパラソルをさして歩いている姿は、あまり見かけませんね。 本当

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炎暑

中谷宇吉郎

今年は世界的に非常に暑い年らしい。 例年の札幌の七月は、非常にいい時候であるが、今年は三十四度を越える日があって、避暑のつもりで來た内地の人たちを、大いに面喰らわせた。 東京の暑さももちろんであったが、シカゴへ來てみると、連日九十八度、百度(攝氏三十六・六度ないし三十八度)という日がつづくので、がっかりした。それでも八月半ば過ぎになってから、これでもまだ樂に

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炭取り

田中貢太郎

母親を無くした小供が、ある夜、ふと眼を覚ました。その室は二階で、傍には親父をはじめ二三人のものが寝ていた。 と、梯子段をみしみしと云わして、あがって来る者があったが、やがてそれが障子をすうと開けて入って来た。それは死んだ母親であった。小供はおっ母さんが来たなと思って見ていると、その女は、入口の火鉢や炭取をかたよせてある処を通って、小供の枕頭の方に来ようとした

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炭焼のむすめ

長塚節

低い樅の木に藤の花が垂れてる所から小徑を降りる。炭燒小屋がすぐ眞下に見える。狹い谷底一杯になつて見える。あたりは朗かである。トーントーンといふ音が遙に谷から響き渡つて聞える。谷底へついて見ると紐のちぎれさうな脚袢を穿いた若者が炭竈の側で樫の大きな榾へ楔を打ち込んで割つて居るのであつた。お秋さんが背負子といふもので榾を背負つて涸れた谷の窪みを降りて來た。拇指を

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