炭焼長者譚 系図の仮托と民族の改良
喜田貞吉
東京朝日新聞の初刷に客員柳田國男君の炭焼長者譚という面白い読物の第一回が出ていた。奥羽地方に伝わっている炭焼藤太の出世物語で、津軽領の者は今の津軽伯爵家の四代目の君がすなわちこの人であると謂っているそうである。津軽の殿様の御舎弟の書かれた可足筆記によると、津軽家はもと田原藤太の末で、その先祖の武運にあやかる様にと藤太と名づけられたのであったが、幼少の時にその
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喜田貞吉
東京朝日新聞の初刷に客員柳田國男君の炭焼長者譚という面白い読物の第一回が出ていた。奥羽地方に伝わっている炭焼藤太の出世物語で、津軽領の者は今の津軽伯爵家の四代目の君がすなわちこの人であると謂っているそうである。津軽の殿様の御舎弟の書かれた可足筆記によると、津軽家はもと田原藤太の末で、その先祖の武運にあやかる様にと藤太と名づけられたのであったが、幼少の時にその
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
ある村に、ひとりのまずしいおばあさんが住んでいました。おばあさんは豆をひとさらあつめて、煮ようと思いました。そこで、おばあさんはかまどに火をおこす用意をしました。そして、火がはやくもえつくように、ひとつかみのわらに火をつけました。 おばあさんが豆をおなべにあけるとき、知らないまに、ひとつぶだけおばあさんの手からすべりおちました。その豆は、床の上のわらのそばに
小川未明
その頃この町の端に一つの教会堂があった。堂の周囲には紅い蔦が絡み付いていた。夕日が淋しき町を照す時に、等しくこの教会堂の紅い蔦の葉に鮮かに射して匂うたのである。堂は、西洋風の尖った高い屋根であって、白壁には大分罅が入っていた。 日曜になっても余り信徒も沢山出入しなかった。 その教会に計算翁と渾名された翁が棲んでいた。 計算翁は牧師である。肩幅の広い、ガッシリ
夏目漱石
点頭録 夏目漱石 一 また正月が来た。振り返ると過去が丸で夢のやうに見える。何時の間に斯う年齢を取つたものか不思議な位である。 此感じをもう少し強めると、過去は夢としてさへ存在しなくなる。全くの無になつてしまふ。実際近頃の私は時々たゞの無として自分の過去を観ずる事がしば/\ある。いつぞや上野へ展覧会を見に行つた時、公園の森の下を歩きながら、自分は或目的をもつ
内田魯庵
為文学者経 三文字屋金平 棚から落ちる牡丹餅を待つ者よ、唐様に巧みなる三代目よ、浮木をさがす盲目の亀よ、人参呑んで首縊くらんとする白痴漢よ、鰯の頭を信心するお怜悧連よ、雲に登るを願ふ蚯蚓みずの輩よ、水に影る月を奪はんとする山猿よ、無芸無能食もたれ総身に智恵の廻りかぬる男よ、木に縁て魚を求め草を打て蛇に驚く狼狽者よ、白粉に咽せて成仏せん事を願ふ艶治郎よ、鏡と睨
高田保
烈婦 高田保 「世界情勢吟」と題して川柳一句をお取次ぎする。 国境を知らぬ草の実こぼれ合い なんと立派なものではないか。ピリッとしたものが十七字の中に結晶している。ところでこれがなんと、八十三歳のお婆さんのお作なのだ、驚いていただきたい。 井上信子、とだけではわかるまい。が井上剣花坊の未亡人だといったら、なるほどと合点なさるだろう。「婦人朝日」誌上で紹介され
宮沢賢治
烏の北斗七星 宮沢賢治 つめたいいぢの悪い雲が、地べたにすれすれに垂れましたので、野はらは雪のあかりだか、日のあかりだか判らないやうになりました。 烏の義勇艦隊は、その雲に圧しつけられて、しかたなくちよつとの間、亜鉛の板をひろげたやうな雪の田圃のうへに横にならんで仮泊といふことをやりました。 どの艦もすこしも動きません。 まつ黒くなめらかな烏の大尉、若い艦隊
宮沢賢治
烏の北斗七星 宮沢賢治 つめたいいじの悪い雲が、地べたにすれすれに垂れましたので、野はらは雪のあかりだか、日のあかりだか判らないようになりました。 烏の義勇艦隊は、その雲に圧しつけられて、しかたなくちょっとの間、亜鉛の板をひろげたような雪の田圃のうえに横にならんで仮泊ということをやりました。 どの艦もすこしも動きません。 まっ黒くなめらかな烏の大尉、若い艦隊
島崎藤村
烏帽子山麓の牧場 島崎藤村 水彩畫家B君は歐米を漫遊して歸つた後、故郷の根津村に畫室を新築した。以前、私達の學校へは同じ水彩畫家のM君が教へに來て呉れて居たが、M君は澤山信州の風景を描いて、一年ばかりで東京の方へ歸つて行つた。今ではB君がその後をうけて生徒に畫學を教へて居る。B君は製作の餘暇に、毎週根津村から小諸まで通つて來る。 土曜日に、私は斯の畫家を訪ね
窪田空穂
眼が覚めると一しょに、私はテントから這い出した。着ものは夜も昼も一つものである。着がえといえば、靴下を脱いで、甲掛足袋と草鞋とを穿くだけであった。 昨日、朝から夕方まで、殆ど四つ這いになり通してこの烏帽子岳の乗越まで登った、その疲れはほぼぬけてしまっていた。寝しなには、「眠れるか知ら……」とあやぶんだが、気を落ちつかせていると、いつか寒さを忘れて眠ってしまっ
佐藤垢石
烏惠壽毛 佐藤垢石 いよいよ、私は食いつめた。 昔、故郷の前橋中学へ通うころ、学校の近くに食詰横町というのがあった。五十戸ばかり、零落の身の僅かに雨露をしのぐに足るだけの、哀れなる長屋である。 住人は、窮してくると、天井から雨戸障子まで焚いてしまう類であったから、一間しかない座敷のなかの、貧しい一家団欒の様がむきだしだ。そこで、現在の戦災後の壕舎生活と、この
寺田寅彦
烏瓜の花と蛾 寺田寅彦 今年は庭の烏瓜がずいぶん勢いよく繁殖した。中庭の四ツ目垣の薔薇にからみ、それから更に蔓を延ばして手近なさんごの樹を侵略し、いつの間にかとうとう樹冠の全部を占領した。それでも飽き足らずに今度は垣の反対側の楓樹までも触手をのばしてわたりを付けた。そうしてその蔓の端は茂った楓の大小の枝の間から糸のように長く垂れさがって、もう少しでその下の紅
宮沢賢治
雪のたんぼのあぜみちを ぞろぞろあるく烏なり 雪のたんぼに身を折りて 二声鳴けるからすなり 雪のたんぼに首を垂れ 雪をついばむ烏なり 雪のたんぼに首をあげ あたり見まはす烏なり 雪のたんぼの雪の上 よちよちあるくからすなり 雪のたんぼを行きつくし 雪をついばむからすなり たんぼの雪の高みにて 口をひらきしからすなり たんぼの雪にくちばしを じつとうづめしから
北条民雄
右腕の神経痛が始まつたので、私はここ数日床の中で朝夕を送り迎へてゐる。神経痛といつても私のはごく軽微なものであるが、それでも夜間など、一睡も出来ないまま夜を明かすこともある。これは気温の高低に非常に敏感で、そのため夜になつてあたりの温度が下つて来ると激しい痛みが襲つて来るのである。丁度筋肉と骨の間に、煮滾つた熱湯を流し込まれるやうな感じで、ひどい時には痛む腕
原民喜
雪が溶けて、しぶきが虹になった。麦畑の麦が舌を出した。泥濘にぺちゃぺちゃ靴が鳴る。をかしい。また春がやって来る。一年目だ。今度こそしくじったら台なしだ。だけど三百六十五日て、やっぱし、ぐるりと廻るのだな。イエス・クリストよ。ヨルダンの河てどんな河なのかしら。 たった二三時間、二三枚の紙に書いた、書き方が下手くそだったので、一年間遅れるんだよ、僕は。それが負け
野村胡堂
温かい、香ばしい芙蓉の花弁が、そっと頬に触れた――。 そう感じて深井少年は眼を開きました。 多分今まで気を喪なって居たのでしょう、四方を見ると、全く見も知らぬ華麗な室の、南寄の窓の下に据えた、素晴らしい長椅子の上にそっと、寝かされて居るのでした。 「気がおつきになって? まあよかった」 紅芙蓉の花弁と思ったのは、額口へ近々と寄った、この女の唇だったかも知れま
末吉安持
気も遠く世も消え/\や 丑三つの森の奥の 白檀ほのにくゆり 木薩地しづき頃ほひ。 魑魅が気夢にふれて 孵りし我かの心地。 皐月闇霊気ばしる 夜半の戸に額を垂れて あゝ堪へ難き胸の狂火。 雛よばふ焼野の雉子の 闇睨む眼か きらに 燃え飛ぶ野火の遠火の 青火魂――あなやの刹那。 魄霊ゆらに揺ぎつ 讃歌咽喉をあふれて 狂ひ心地、小手招き、 いと深き闇のをちに 認め
原民喜
焚いてしまふ 原民喜 紀元節に学校の式を休んで、翌日もまた学校を休んだ。すると、その晩から熱が出て、風邪の気味になった。私は二階の一室に一人で早くから蒲団を被って寝た。ふと、目が覚めると畳の上に白紙のやうなものが落ちてゐる。それは雨戸の節穴から月の光が洩れて来てゐるのであった。私はわざと腕を伸してその光を掬ってみた。それから窓を開けた。もう夜明けらしく、月は
中井正一
「焚書時代」の出現 中井正一 立法部門が自分で立法機関をもつということ、この当り前のことが、今までなかったということが、実は不思議だといえば不思議だったわけである。 しかしこの当り前のことが行なわれるために、今まで、数千年の歴史が無駄というか、たいへんないばらの路を歩みつづけてきたことを思うとき、感慨無量たらざるをえない。 中国の歴史『資治通鑑』を読んでいる
中井正一
これまで書店と図書館は、あたかも商売仇のような感じをお互いにもっていたときもあった。 それは図書館が個々に孤立して、その数の少ないときはその意味もあった。 今ここに図書館法が通過してみると、五ヵ年後は、一万五百の図書館が、半分の国庫補助を得て、その体系をととのえることとなったのである。 図書協会も、単一の組織体として、緊密な連絡を保って、近代図書館の装いを調
薄田泣菫
無学なお月様 薄田泣菫 野尻精一氏は奈良女子高等師範の校長である。東京にゐる頃にはさうも思はなかつたが、住むでみると奈良は景色がよく、景色がよくないところには定つて古蹟があつて、遊ぶには恰好な土地だなと野尻氏は思つた。それにつけて、かういふ結構な土地に来て、鹿のやうに柔和で、鹿のやうに尻つ尾の短い女学生を預つてゐる自分の身の幸福さを思ふらしかつた。 野尻氏は
平野零児
二月という月は、私にとって生れ月で、元来ならばまず目出たい月というのだが、今年の二月は相次いで、私の最も親しい人々が数人もあの世へ行ったので、厄月になってしまった。 そのうちでも、村松梢風氏と下中弥三郎翁の死は、わけても傷心なことであった。 梢風さんとは四十年近い交遊であった。知り合ったのは、私がまだ東京に遊学していた大正初年のころで、故馬場孤蝶先生の市ヶ谷
黒岩涙香
無惨 黒岩涙香 無惨序 日本探偵小説の嚆矢とは此無惨を云うなり無惨とは面白し如何なること柄を書しものを無惨と云うか是れは此れ当時都新聞の主筆者涙香小史君が得意の怪筆を染め去年築地河岸海軍原に於て人殺のありしことを作り設け之れに探偵の事項を附会して著作せし小説なり予本書を読むに始めに探偵談を設けて夫より犯罪の事柄に移りお紺と云う一婦人を捜索して証拠人に宛て之れ
久生十蘭
上野、厩橋(前橋)で十五万石、酒井の殿さま、十代雅楽頭忠恭は、四年前の延享二年、譜代の小大名どもが、夢にまであくがれる老中の列にすすみ、御用部屋入りとなって幕閣に立ち、五十万石百万石の大諸侯を、 その方が、 と頭ごなしにやりつける身分になったが、ひっこみ思案のところへ、苦労性ときているので、権勢の重石におしひしがれ、失策ばかり恐れて、ほとほとに憔れてしまった