Vol. 2May 2026

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Menampilkan 10.464 dari 14.981 buku

熊狩名人

佐藤垢石

熊狩名人 佐藤垢石 一 先日、長野県下水内郡水内村森宮の原の雪野原で行なわれたラジオ映画社の「人食い熊」の野外撮影を見物に行ったとき、飯山線の森宮の原駅の旅館で、この地方きっての熊撃ちの名人に会った。そして僕は、この名人と一杯やりながら、吹雪の夜を語りあかした。 この名人は、同県上高井郡仁礼村字米子の住人で、上原武知君と呼び、本年未だ四十五歳の壮者である。こ

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熊と猪

沖野岩三郎

熊と猪 沖野岩三郎 一 紀州の山奥に、佐次兵衛といふ炭焼がありました。五十の時、妻さんに死なれたので、たつた一人子の京内を伴れて、山の奥の奥に行つて、毎日々々木を伐つて、それを炭に焼いてゐました。或日の事京内は此んな事を言ひ出したのです。 「お父さん、俺アもう此んな山奥に居るのは嫌だ。今日から里へ帰る。」 「そんな馬鹿を言ふものぢやあ無い。お前が里へ出て行つ

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熊 笑劇 一幕

チェーホフアントン

ポポー(大喪の服をきて、一葉の肖像写真から眼をはなさない)とルカー ルカー 困りますなあ、奥さま。……それじゃ御自分の身を、じりじり滅ぼしておいでになるだけですよ。小間使も、おさんどんも、イチゴを採りに行きましたし、およそ息のあるものは、結構みんな楽しんでおりますよ。現にあの小猫でさえ、慰みごとはちゃんと心得ていて、庭をほつきまわっては、小鳥をとらまえていま

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熊さんの笛

小川未明

熊さんは、砂浜の上にすわって、ぼんやりと海の方をながめていました。 「熊さん、なにか、あちらに見えるかい。」と、いっしょに遊んでいた子供がたずねると、 「ああ、あちらは、極楽なんだよ。いつもお天気で、あたたかで、花がさいて、鳥が鳴いているところだ。」といいました。 「どうして、そこへはゆけるの……。」と、子供は聞くと、 「ちょっとゆけないけれど、俺には、あり

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熊の足跡

徳冨蘆花

熊の足跡 徳冨蘆花 勿來 連日の風雨でとまつた東北線が開通したと聞いて、明治四十三年九月七日の朝、上野から海岸線の汽車に乘つた。三時過ぎ關本驛で下り、車で平潟へ。 平潟は名だたる漁場である。灣の南方を、町から當面の出島をかけて、蝦蛄の這ふ樣にずらり足杭を見せた棧橋が見ものだ。雨あがりの漁場、唯もう腥い、腥い。靜海亭に荷物を下ろすと、宿の下駄傘を借り、車で勿來

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熟語本位英和中辞典 25 Y

斎藤秀三郎

Y(ワイ)口蓋音子音字の一。また母音としては概して“i”と音を同じうし、また二重母音(ay,ey,oy,wy)を作る。Yacht(yot ――ヨット)【名】遊船、快遊船、競争船(概して小型の快走帆船、また汽船あり)。(-s'man)同上操縦者。【自動】快遊船を操縦する、巡航する、競走する。-'ing【名】同上すること。Ya'ger(ユェーィガ~)【名】[独逸

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グースベリーの熟れる頃

宮本百合子

グースベリーの熟れる頃 宮本百合子 小村をかこんだ山々の高い峯は夕日のさす毎に絵で見る様な美くしい色になりすぐその下の池は白い藻の花が夏のはじめから秋の来るまで咲きつづける東北には珍らしいほどかるい、色の美くしい景色の小さい村に仙二は住んで居た。 十八で日に焼けた頬はうす黒いけれ共自然のまんまに育った純な心持をのこりなく表して居る、両方の眼は澄んで大きな瞳を

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熱情の人

久保栄

熱情の人 久保栄 小山内先生は、大学の卒業論文が英国の詩篇の研究であったばかりでなく、文壇へのデビユも「小野のわかれ」「夢見草」に収録された詩作であった。したがって身を劇界に投ぜられて後も、この詩人的なテンペラメントが、常に先生の行動を支配したということができよう。先生は冷静な演劇理論の遂行者というよりも、熱狂的な演劇の殉教徒であられたと思う。明治、大正、昭

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熱意

北村透谷

熱意 北村透谷 真贄の隣に熱意なる者あり。人性の中に若し「熱意」なる原素を取去らば、詩人といふ職業は今日の栄誉を荷ふこと能はざるべし。すべての情感の底に「熱意」あり。すべての事業の底に熱意あり。凡ての愛情の底に熱意あり。若しヒユーマニチーの中に「熱意」なるもの無かりせば、恐らく人間は歴史なき他の四足動物の如くなりしなるべし。 労働と休眠は物質的人間の大法なり

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熱海へ

牧野信一

彼は徳利を倒にして、細君の顔を見返つた。 「未だ!」周子はわざとらしく眼を丸くした。 「早く! それでもうお終ひだ。」特別な事情がある為に、それで余計に飲むのだ、と察しられたりしてはつらかつたので、彼は殊更に放胆らしく「馬鹿に今晩は寒いな。さつぱり暖まらないや。」と附け足した。だが事実はもう余程酔つてゐたので、嘘でもそんな言葉を吐いて見ると、心もそれに伴れて

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熱海線私語

牧野信一

熱海線私語 牧野信一 一 一九三四年、秋――伊豆、丹那トンネルが開通して、それまでの「熱海線」といふ名称が抹殺された。そして「富士」「つばめ」「さくら」などの特急列車が快速力をあげて、私達の思ひ出を、同時に抹殺した。帝国鉄道全図の上から見るならば、僅々十哩? 程度の距離であるが、生れて四十年、東京と小田原、小田原と熱海の他は滅多に汽車の旅を知らぬ蛙のやうな私

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熱い砂の上

牧野信一

駆け出した、とても歩いたりしてはをられなかつたから――砂が猛々しく焦けてゐて誰にも到底素足では踏み堪へられなかつた。 「熱い/\!」 「素晴しい暑さだ!」 「競争! 競争! 波打ちぎはまで――」 三人の若者と二人の娘が脱衣場から飛び出て、砂を踏んで見ると、熱さに吃驚して、ピヨン/\と跳ねあがりながら夢中で波打ちぎはを目がけて駆けて行つた。 「厭々々! 誰か―

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熱き茶色

宮本百合子

熱き茶色 宮本百合子 もし私が肖像画家であったら、徳田球一氏を描くときどの点に一番苦心するだろうかと思う。例えば、徳田さんの眼は、独特である。南方風な瞼のきれ工合に特徴があるばかりでなく、その眼の動き、眼光が、ひとくちに云えば極めて精悍であるが、この人の男らしいユーモアが何かの折、その眼の中に愛嬌となって閃めくとき、内奥にある温かさの全幅が実に真率に表現され

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熱い風

牧野信一

強ひては生活のかたちに何んな類ひの理想をも持たない、止め度もなく愚かに唯心的な私であつた。――いつも、いつも、たゞ胸一杯に茫漠と、そして切なく、幻の花輪車がくるくる廻つてゐるのを持てあましてゐるだけの私であつた。廻つて、廻つて、稍ともすると凄まじい煙幕に魂を掻き消された。 私は、そんな自分を擬阿片喫煙者と称んでゐたが、私の阿片は、屡々陶酔の埒を飛び越えて、力

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燃える電車

片山広子

昭和二十六年四月二十四日、午後一時四十分ごろ、京浜線桜木町ゆき電車が桜木町駅ホームに正に入らうとする直前、最前車の屋根から火花を発して忽ちの間に一番目の車は火の海となり、あわてて急停車したが、二番目の車にも火が移つて、最前車は全焼、二番目は半焼し、この二台の車にいつぱい乗つてゐた乗客たちは火の中から脱け出さうとしても、ドアが開かず、百何十人かの男女、子供も赤

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燃ゆる頬

堀辰雄

燃ゆる頬 堀辰雄 私は十七になった。そして中学校から高等学校へはいったばかりの時分であった。 私の両親は、私が彼等の許であんまり神経質に育つことを恐れて、私をそこの寄宿舎に入れた。そういう環境の変化は、私の性格にいちじるしい影響を与えずにはおかなかった。それによって、私の少年時からの脱皮は、気味悪いまでに促されつつあった。 寄宿舎は、あたかも蜂の巣のように、

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燃ゆる頬

堀辰雄

私は十七になつた。そして中學校から高等學校へはひつたばかりの時分であつた。 私の兩親は、私が彼等の許であんまり神經質に育つことを恐れて、私をそこの寄宿舍に入れた。さういふ環境の變化は、私の性格にいちじるしい影響を與へずにはおかなかつた。それによつて、私の少年時からの脱皮は、氣味惡いまでに促されつつあつた。 寄宿舍は、あたかも蜂の巣のやうに、いくつもの小さい部

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燕尾服着初めの記

徳冨蘆花

燕尾服着初の記 徳富盧花 (一) 此れは逗子の浦曲に住む漁師にて候、吾れいまだ天長節外務大臣の夜会てふものを見ず候ほどに、――と能がゝりの足どり怪しく明治卅二年十一月三日の夕方のそり/\新橋停車場の改札口を出で来れるは、斯く申す小生なり。 懐中には外務大臣子爵青木周蔵、子爵夫人エリサベツトの名を署したる一葉の夜会招待券を後生大事と風呂敷に包みて入れたり。そも

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燕枝芸談

談洲楼燕枝二代

燕枝芸談 談洲楼燕枝(二代) ○ 本年三月十一日、私は寄席を引退するといふことを日本橋倶楽部で披露いたしました。その事は既に新聞でも御承知の通りでありますが、抑々私が噺家にならうといふ心持を持つたのはどういふ動機からであるか、先づそれからお話を初めたいと思ひます。 どだい私は芸人の家に生れたものでは無く親は三縁山増上寺の法衣の御用を足して居りまして、代々芝の

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牧野信一

寒い晩だつた。密閉した室で、赫々と火を起した火鉢に凭つて、彼は坐つて居た。未だ宵のうちなのに周囲には、寂として声がなかつた。 彼は二三日前から病気と称して引籠つて居た。別に、どこがどう、といふのではなかつたが、それからそれへ眠り続けた勢か、頭は恰でボール箱の如くに空漠として、その上重苦しい酒の酔が錆び付いてるやうで、起きる決心が付かなかつたのである。焦れぬい

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金子ふみ子

父 金子ふみ子 私の記憶は私の四歳頃のことまでさかのぼることができる。その頃私は、私の生みの親たちと一緒に横浜の寿町に住んでいた。 父が何をしていたのか、むろん私は知らなかった。あとできいたところによると、父はその頃、寿警察署の刑事かなんかを勤めていたようである。 私の思出からは、この頃のほんの少しの間だけが私の天国であったように思う。なぜなら、私は父に非常

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太宰治

父 太宰治 イサク、父アブラハムに語りて、 父よ、と曰ふ。 彼、答へて、 子よ、われ此にあり、 といひければ、 ――創世記二十二ノ七 義のために、わが子を犠牲にするという事は、人類がはじまって、すぐその直後に起った。信仰の祖といわれているアブラハムが、その信仰の義のために、わが子を殺そうとした事は、旧約の創世記に録されていて有名である。 ヱホバ、アブラハムを

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よみがへる父

原民喜

父の十七回忌に帰って、その時彼の縁談が成立したのだから、これも仏の手びきだらうと母は云ふ。その法会の時、彼は長いこと正坐してゐたため、足が棒のやうになったが、焼香に立上って、仏壇を見ると、何かほのぼのと暗い空気の奥に光る、かなしく、なつかしい夢のやうなものを感じた。 彼は奈良に立寄って、大仏を見た。その時、かたはらに妻がゐると云ふことがもう古代からのことのや

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