牧渓の書の妙諦
北大路魯山人
これは有名な大徳寺蔵の牧渓「竜虎」の双幅に見られるその題語款識である(但し「蜀僧法常識製」の分は「観音」の三幅対のもの)。 牧渓という人は、いわゆる大器大用の作家であった。決して小手の利いた人ではなかった。たくさん輸入された牧渓の画のうちで、大徳寺のこの双幅と、同じく「観音に鶴と猿」の図三幅対は、もっとも、その代表的な大作であるということであるが、偶然かどう
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北大路魯山人
これは有名な大徳寺蔵の牧渓「竜虎」の双幅に見られるその題語款識である(但し「蜀僧法常識製」の分は「観音」の三幅対のもの)。 牧渓という人は、いわゆる大器大用の作家であった。決して小手の利いた人ではなかった。たくさん輸入された牧渓の画のうちで、大徳寺のこの双幅と、同じく「観音に鶴と猿」の図三幅対は、もっとも、その代表的な大作であるということであるが、偶然かどう
上田敏
阜の上の森陰に直立ちて 牧羊の神パアン笙を吹く。 晝さがりの日暖かに、風も吹きやみぬ。 天青し、雲白し、野山影短き 音無の世に、たゞ笙の聲、 ちよう、りよう、ふりよう、 ひうやりやに、ひやるろ、 あら、よい、ふりよう、るり、 ひよう、ふりよう、 蘆笛の管の簧、 震ひ響きていづる音に、 神も昔をおもふらむ。 髯そゝげたる相好は、 翁さびたる咲まひがほ、 角さへ
中谷宇吉郎
今年の正月のある晩、『リーダース・ダイジェスト』の東京支社長マッキイヴォイ氏と同席した時に、牧野さんの話が出た。 マッキイヴォイ氏は、牧野さんのことを非常にほめていた。日本の代表的な知識人で、すぐれた民主的政治家である。そして八十九歳の老齢で、頭が少しも衰えていないと感心していた。しかし今病気だということだがどうなんだろうと心配していた。事実その時は既に牧野
牧野富太郎
土佐の国、高岡郡佐川町、この町は高知から西へ七里隔ったところにあり、その周囲は山で囲まれ、その間にずっと田が連り、春日川という川が流れている。この川の側にあるのが佐川町である。南は山を負った町になり、北は開いた田になっている。人口は五千位の小さい町である。この佐川からは色々な人物が輩出した。現代の人では田中光顕・土方寧・古沢滋(迂郎が元の名)・片岡利和・土居
牧野富太郎
何時までも生きて仕事にいそしまんまた生まれ来ぬこの世なりせば われらの大先輩に本草学、植物学に精進せられた博物学者の錦翁伊藤圭介先生があった。珍しくも九十九歳の長寿を保たれしはまず例の鮮ない芽出度い事である。しかるに先生の学問上研鑽がこの長寿と道連れにならずに、先生の歿年より遡りておよそ四十年程も前にそれがストップして、その後の先生は単に生きていられただけで
坂口安吾
牧野さんの死 坂口安吾 牧野さんの自殺の真相は彼の生涯の文章が最もよく語つてゐる。牧野さんの文学は自殺を約束したところの・自殺と一身同体の・文学だつた。 牧野さんは理窟の言へない人で、自分の血族と血族にあらざる者とを常にただ次のやうな言葉によつて区別してゐた。「あれはほんとの蒼ざめた悲しさの分る人だよ」牧野さんが僕の小説をほめる言葉「ねえ、ほんとに、なんとも
坂口安吾
牧野さんの祭典によせて 坂口安吾 私の考へ方が間違つてゐるのかも知れないが、私には牧野さんの死がちつとも暗く見えないし、まして悲痛にも見えない。却つて明るいのである。 牧野さんの人生は彼の夢で、彼は文学にそして夢に生きてゐた。夢が人生を殺したのである。殺した方が牧野さんで、殺された人生の方には却つて牧野さんがなかつた。牧野さんの自殺は牧野さんの文学の祭典だ。
楠山正雄
物のいわれ 楠山正雄 目次 物のいわれ(上) そばの根はなぜ赤いか 猿と蟹 狐と獅子 蛙とみみず すずめときつつき 物のいわれ(下) ふくろうと烏 蜜蜂 ひらめ ほととぎす 鳩 物のいわれ(上) そばの根はなぜ赤いか 一 あなたはおそばの木を知っていますか。あんなに真っ白な、雪のようなきれいな花が咲くくせに、一度畑に行って、よくその根をしらべてごらんなさい。
国枝史郎
バルビューさんの亡霊が市中へ出るという噂が、誰からともなく云い出された。 奇怪極まるこの評判が西班牙中に拡がった頃一人の勝れた心霊学者がマドリッド市長の依頼に依ってマドリッド市へ研究に来た。 市長、警視総監、新聞記者、刑事や巡査に案内されて心霊学者のフィリッポ氏が真先に訪問れた土地というのは「バルビューさんの幽霊」がまだ此浮世に生きていた頃そのお父さんのコッ
寺田寅彦
物売りの声 寺田寅彦 毎朝床の中でうとうとしながら聞く豆腐屋のラッパの音がこのごろ少し様子が変わったようである。もとは、「ポーピーポー」というふうに、中に一つ長三度くらい高い音をはさんで、それがどうかすると「起きろ、オーキーロー」と聞こえたものであるが、近ごろは単に「ププー、プープ」というふうに、ただひと色の音の系列になってしまった。豆腐屋が変わったのか笛が
種田山頭火
物を大切にする心 種田山頭火 物を大切にする心はいのちをはぐくみそだてる温床である。それはおのずから、神と偕にある世界、仏に融け入る境地へみちびく。 先年、四国霊場を行乞巡拝したとき、私はゆくりなくHという老遍路さんと道づれになった。彼はいわゆる苦労人で、職業遍路(信心遍路に対して斯く呼ばれる)としては身心共に卑しくなかった。いかなる動機でそういう境涯に落ち
中谷宇吉郎
この頃の一番大きい話題は、原子力である。原子爆弾の出現以来、世界中の人間が、原子力の恐怖病にかかった傾向があった。ところが一方最近になって、原子力の平和利用が賑やかに唱えられて来て、原子力時代というような言葉が、盛んに使われるようになった。 確かに、人類は、今新しい勢力の世界にはいりつつある。今日の文明は、一昔前、たとえば徳川時代などに較べると、まるで様相が
寺田寅彦
物理学圏外の物理的現象 寺田寅彦 物理学は元来自然界における物理的現象を取り扱う学問であるが、そうかと言って、あらゆる物理的現象がいつでも物理学者の研究の対象となるとは限らない。本来の意味では立派に物理的現象と見るべき現象でも、時代によって全く物理学の圏外に置かれたかのように見えることがありうるのである。 物理学というものはやはり一つの学問の体系であって、そ
寺田寅彦
理化学の進歩が国運の発展に緊要であるという事は永い間一部の識者によって唱えられていたが、時機の熟せなかったため一向に世間には顧みられなかった。欧洲の大戦が爆発して以来は却って世間一般特に実業者の側で痛切にこの必要を感ずるようになったと見え、公私各種の理化学的研究所が続々設立されるようになった。それと同時に文部省でも特に中等教育における理化学教授に重きをおかれ
寺田寅彦
物理学は基礎科学の一つであるからその応用の広いのは怪しむに足らぬ。生命とか精神とかいうものを除いたいわゆる物質を取扱って何事かしようという時にはすぐに物理学的の問題に逢着する。吾人が日常坐臥の間に行っている事でも細かに観察してみると、面白い物理学応用の実例はいくらでもある。ただそれらは習慣のためにほとんど常識的になっているので、それと気が付かないだけである。
寺田寅彦
物理学と感覚 寺田寅彦 人間がその周囲の自然界の事物に対する知識経験の基になる材料は、いずれも直接間接に吾人の五感を通じて供給されるものである。生まれつき盲目で視神経の能力を欠いた人間には色という言葉はなんらの意味を持たない、物体の性質から色という観念をぬき出して考える事がどうしてもできない。トルストイのおとぎ話に牛乳の白色という観念を盲者に理解させようとし
福沢諭吉
物理学の要用 福沢諭吉 物理学とは、天然の原則にもとづき、物の性質を明らかにし、その働を察し、これを採ってもって人事の用に供するの学にして、おのずから他の学問に異なるところのものあり。たとえば今、経済学といい、商売学といい、等しく学の名あれども、今日の有様にては、経済商売の如き、未だまったく天然の原則によるものに非ず。いかんとなれば、経済商売に、自由の主義あ
長岡半太郎
物理學革新の一つの尖端 長岡半太郎 二十世紀は物理學革命の時期を畫してゐる。ニゥトン以來二百餘年、多少の波瀾を交へて徐々に進歩して來た物理學は、前世紀の末ごろ大なる障碍に逢うて、遂にその針路を轉換せねばならぬやう餘儀なくされた。 分子や原子に關する研究は、在來の方法では始末に終へなくなつた。第一の暗礁は輻射に關する法則であつて、波長が短くなるに從つて、エネル
戸坂潤
私はカントから出発する。併しカントの空間論に用いられる概念の間の関係は決して明晰ではない。之を予め纏めて見たいと思う。第一批判の「空間概念の形而上学的吟味」によれば空間は経験的概念でもなく又「物一般の関係に就いての比量的な所謂一般概念」でもない。概念は表象の Menge をその下に unter sich 含むものとは表象されるが決してそれをその内に in s
中井正一
やや重い感じのする回転音、……フィルムは三フィート、五フィートと記録していく。胸につきあげてくるような緊まった感じ、ちょうど運転手が瞬時もまじろぐことのできないような瞬間に経験する、張った注意と果断、一コマ一コマの構図に眼は繰り入れられてはいるけれども、こころはより多くの関心をレンズのシボリと光線にくばっている。そして、そのなまのフィルムの一々の性格に向って
岸田国士
物言ふ術 岸田国士 「物言ふ術」とは、仏蘭西語の ART DE DIRE を訳したつもりである。 ART DE DIRE は、謂ふところの「話術」又は「雄弁術」ではない。既に「言はるべき言葉」が例へば文字として表示されてゐる、それを如何に「肉声化」するかといふことの工夫である。かういふとおかしくなるが、俳優の「白」に外ならない。 日本劇の伝統で「せりふまはし
岸田国士
われわれが昔からその実体をもたぬわけではないのに、それがひとつの概念として規定されず、従つて、それを指し示す共通の言葉が生れなかつた、といふ例は、枚挙にいとまがない。 西欧文明の移入が、そのことをはつきりわれわれに覚らせた。 芸術の領域に於ても、われわれはしばしば新造語の助けをかりて何事かを語らねばならぬが、それらの多くは西欧の言葉の翻訳であり、そのために、
岸田国士
さて、みなさん。 と、呼びかけてはみましたが、どなたがどんな顔をして聴いておいでになるか、さつぱり見当がつきません。 相手があつて、なきが如く、話す方はまことに調子が取りにくいのですが、 何処からともなく、声だけが聞えて来る。それが、何のなにがし作るところの物語であつたといふ。 この世の不思議も亦、昭和の春の夜の一興でせう。 見渡すところ、今、作者の周囲には
豊島与志雄
南洋のある半島の港です。太陽がてりつけて、暑い、けれどさはやかです。木がこんもりとしげり、椰子や棕櫚が、からかさのやうに葉をひろげて、いろんな花がさきほこつてゐます。 その港町の、公園の木かげに、みごとな白い髯をはやしたお爺さんが、ぢめんに毛布をひろげて、占の店をだしてゐます。まはりには、おほぜいの人があつまつてゐます。 このお爺さん、占といふのはつけたりで