珍しい酒もり
小川未明
北の国の王さまは、なにか目をたのしませ、心を喜ばせるような、おもしろいことはないものかと思っていられました。毎日、毎日、同じような、単調な景色を見ることに怠屈されたのであります。 このとき、南の国へ使いにいった、家来が帰ってまいりました。なにかおもしろい話を持ってこないかと、さっそく、その家来にご面会になりました。 「ご苦労だった。無事にいってこられて、なに
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小川未明
北の国の王さまは、なにか目をたのしませ、心を喜ばせるような、おもしろいことはないものかと思っていられました。毎日、毎日、同じような、単調な景色を見ることに怠屈されたのであります。 このとき、南の国へ使いにいった、家来が帰ってまいりました。なにかおもしろい話を持ってこないかと、さっそく、その家来にご面会になりました。 「ご苦労だった。無事にいってこられて、なに
素木しづ
珠 素木しづ 丁度夏に向つてる、すべての新鮮な若葉とおなじやうに、多緒子の産んだ赤ん坊は生き/\と心よく康やかに育つた。そしてそれと同時に産後思はしくなかつた彼女の肉體も恢復して來ると、ながい間産前から産後、そしていまもなほ引つゞいてゐる、いろ/\涙ぐましい堪へがたいなやみも、忙しい雜事の爲めにとりまぎれて、思ひつめる事も少なくなつた。 多緒子は産後思はしく
牧野信一
奥深い芸術の殿堂であつた。 山門をくゞり、径道をのぼつて、堂のほとりに達すると、常緑樹の翠の香が煙りの如く漂ふてゐた。 薄暗い廻廊を幾曲りして、(おゝこれは何といふ手のこんだ誤り易い、困難な、そして厄介な廊下であることよ。訪者は、ムカツ肚をたてゝ引き返すことがある、疳癪の舌打ちをして引き返すことがある、道に迷つて逃げ出すことがある……)漸く主の房に達すると、
平林初之輔
探偵小説は、英米では、ポー、スティーブンソンにはじまり、コナン・ドイルによって、近代小説の一つのカテゴリーとして、その存在を確立した。 仏国では、ガボリオ、ボアコベらが十九世紀中葉に、既に純粋な探偵小説作家として一家をなし、ガストン・ルルー、モーリス・ルブランの現在に及んでいる。 その他、探偵小説の語義を拡大して、犯罪文学という風に解するならば、世界のすぐれ
小川未明
この度、日本国民童話協会が創立されまして衷心からお喜びの言葉を申し上げます。就きましては、この機会に聊か私見を述べ、またこれからさき出発せられる皆様に対して希望を申し上げ度いと思うのであります。 今迄童話をお話になる皆様は、各各所に於いて特色を発揮され、民衆の教化又子供の教化に当たられて来たのであります。そうしてそれぞれ立派な仕事をなされて来たのであります、
宮本百合子
現今の少女小説について 宮本百合子 今行われる少女小説について私は自分の荷にあまるほどいろいろの事を考えさせられるんです。 一寸行きずりに本屋の店をのぞいても飾ってある少女小説の数はほんとうに沢山でそれで又何故だか、「何子の涙」だとか、「何この歎」だのって云うのばかりですねえ。 少女小説って名のつくのは皆、涙だの、歎だのって云うんでなければいけないきまりが有
坂口安吾
現代とは? 坂口安吾 伝統の否定と一口に言うけれども、伝統は全て否定しなければならぬというものではなくて、すでに実質を失いながら虚妄の空位を保って信仰的な存在をつゞけていることが反省され否定されなければならぬというだけだ。実質あるものは否定の要なく、又、伝統に限らず、全て、実質を失いながら虚妄の権威を保つものは、反省され、否定される必要があるだけだ。 時代の
宮本百合子
現代の主題 宮本百合子 民主日本の出発ということがいわれてから一年が経過した。日本の旧い支配者たちがポツダム宣言を受諾しなければならなくなって、日本の民衆はこれまでの時々刻々、追い立てられていた不安な戦争の脅威から解放された。戦争が不条理に拡げられ、欺瞞がひどくなるにつれて、日本じゅうの理性を沈黙させ、それをないものにしていた治安維持法が撤廃された記念すべき
南部修太郎
忌憚なく云ふと、私は現在の芥川龍之介氏の芸術に対して何にも云ひたくはないのである。と云ふのは、私は三四年前からそれに対しては機会あるごとに思ふ処を述べて来た。そして、その思ふ処は現在に於ても何等の変化を持たないのである。で、今更に批判と云ひ、要求と云ふも、それは私にとつては要するに前言の反覆に過ぎないからである。また若しこの一文が芥川氏に読まれる事を本旨とす
岸田国士
現代劇のない日本 岸田國士 日本中の劇場で、これまで「現代劇」をやつたことがないと云へば、確かにそこ此処から異論が出るだらうと思ひますが、私は、それでも、「日本は現代劇なし」と明言します。 その理由はかうです。 先づ、これまで、「新劇」と呼ばれてゐた、歌舞伎でも新派でもない芝居――それは概して、西洋劇の翻訳と若干の創作劇を含むものですが――は、これを脚本とし
宮本百合子
こんどのアメリカ大統領選挙でトルーマンが勝利したことは、デューイをおどろかしたばかりでなく、日本の一部のジャーナリストをだいぶめんくらわせたらしかった。日本時間で十一月四日の午前、トルーマン当選確定となったあと、東京のあちこちの印刷屋に駈けつけてとりいそぎ目下進行中の新年号の雑誌の特輯の中から大統領ときめこんでとりあつかったデューイの、或はデューイ氏に関する
岸田国士
新しき「新派」――現代大衆劇――がなぜ起らないかといへば、その第一の理由は、さういふものが現在の日本に欠けてゐることを、劇壇の人々は嘗て問題にせず、大衆も亦さういふ演劇への要求を示さずにゐるからでせう。 実際、今日までの新劇は、一面、さういふ方向をとつて差支なかつたのですが、新劇の当事者は、常々殆ど西洋の「非大衆劇」――言ひ換へれば「前衛派」の運動を追つてゐ
宮本百合子
現代女性に就いて 宮本百合子 もとから女の生活には様々の困難な社会的事情があって、その困難性を自覚している婦人にはそれとしての、又自覚しない部分には自覚しないことから来ている沢山の困難がありました。この頃の社会の事情は女としての困難解決の方向を知っているひとでも目前に方法がつかないような特殊の苦痛がありますが、どうかその苦痛にまけたことを一つの自嘲的なポーズ
豊島与志雄
現代小説展望 豊島与志雄 小説の本質 ある科学者がこういうことをいった――「科学に没頭していると人生の煩わしさを……人生そのものをも……忘れてしまう。科学は人生なしに成立する。それが、初めは淋しい気もしたが、この頃では却って嬉しい。」 淋しいか嬉しいか、それは別問題として、実際、科学は人生なしに成立する。人生がなくても……人間がいなくても……二つの点を結びつ
宮本百合子
羽仁五郎氏は、この真心を傾けて執筆された独特な伝記を、有名なダヴィテの像に今日見ることの出来るミケルアンジェロの不滅の生命から語りはじめていられる。「ミケルアンジェロは、いま、生きている。うたがうひとは『ダヴィテ』を見よ。」という情熱のこもった声によって、この魅力ふかく学ぶところの多い一冊の本は始まっているのである。 この評伝の美しさ、漲る誠意と、その土台を
岸田国士
芝居といふものを強ひて大勢に見せるものだと考へる必要はない。 或ることを云ふために芝居を書くのではない。芝居を書くために或ることを云ふのだ。 所謂「劇的」でない劇があつてもいゝ。所謂「小説的」でない小説があるやうに。 音楽を聴きに行くやうに芝居を観に行く人々――さういふ人々のために戯曲を書きたい。 芝居を観に行くのがいやになつたぐらゐで、芝居を書くことを止め
宮本百合子
去年おしつまってから肉体派小説、中間小説の作者と一部の作家・批評家との間に、ちょっとしたやりとりがあって注目をひいた。 その討論に、三好十郎も出場して「小豚派作家論」という題をもつ彼一流の毒舌的な評論をかいた。肉体派、中間小説派の作者たちとその作品のそまつな戦後的商品性を、へど的にむき出してその安価さを排撃した。けれども、「小豚派作家論」と題してきり出された
島村抱月
日本の文章は今や急速の勢を以て變じつゝある。文に志すものは、此の動いてゐる事實を觀過してはならぬ。就中其の叙説法に於いて、在來の體は、漸く過去のものにならんとしてゐる。新代の人に取つては、もはや此等の文章が有してゐた背景は消え失せてしまつた。意味だけは無論通ずる、又口には成程熟してゐるだけによく滑る。しかし其の意味が率ゐ來たるところの情趣、風情といふものが薄
田山花袋
現代といふ言葉は永久にある言葉である。永久は現代の無限の連続である。一つづゝ離して見れば現代になり、つゞけて見れば永久になる。そしてこの現代が永久になつて行くところに、一種の転換とか輪廻とか言つたやうなものがある。その境は私はをりをり考へて見た。 その転換状態はちよつと烈しい潮流の中に巴渦を巻いてゐるやうな形である。ぐるぐると廻つてゐる中に、いつとなくその現
宮本百合子
「現代日本小説大系」刊行委員会への希望 宮本百合子 「現代日本小説大系」が刊行される意味は、ただ日本の近代文学をもう一遍よみかえし、検討し、将来の文学に寄与するという風な、すべてのこれまでの刊行会の挨拶の範囲では、使命が果されないと思う。これはまじめに日本の社会の推移を基礎にした精神史のみなおしという決心のもとにすすめられるべき仕事だと思う。目次のゲラをみる
岸田国士
一 封建的、鎖国的な旧日本の文化は、所謂「能」と「歌舞伎」とを今日に残した。この二つの珍奇な演劇種目は、それぞれ長い伝統の上に築かれた特殊の美を誇つてをり、一つは、貴族的、武士的な趣味を、一つは民衆的、市井的な趣味を代表し、現在に於ても、熱心な支持者をもつてゐる。 凡そ世界の舞台芸術を通じて、人間の創造的努力が、これほど犠牲的に、ある完成のために捧げられ、「
夏目漱石
はなはだお暑いことで、こう暑くては多人数お寄合いになって演説などお聴きになるのは定めしお苦しいだろうと思います。ことに承れば昨日も何か演説会があったそうで、そう同じ催しが続いてはいくらあたらない保証のあるものでも多少は流行過の気味で、お聴きになるのもよほど御困難だろうと御察し申します。が演説をやる方の身になって見てもそう楽ではありません。ことにただいま牧君の
佐藤春夫
現代は科学の時代であるという。それは已にその通りである。だから宗教などは不必要であるかの如く説く者があったら、大間違いであろう。科学には科学の領域があって、宗教は科学の支配する世界ではないからである。科学が兜を脱いだところから宗教がはじまるからである。科学は人間の生理と病理とを支配してはいるが霊魂は支配していないからである。心臓や神経の作用についてはよく説明
岸田国士
演劇に関する評論、感想、ノオトの類を集めてみたが、それらを系統的に配列する困難は、私が甚だ「学問的に」ものを言つてゐないといふこと、殊に、筆を執つた動機が殆ど常に外部からの註文に依つたといふことに原因がある。 しかし、一方で、これらの文章の何れにも、現代日本の演劇に向けられた不満と焦慮が含まれてをり、それぞれの研究、批判は、「わが演劇文化の向上」といふ空漠た