Vol. 2May 2026

Buku

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マクラウドフィオナ

コノール・マック・ネサの子コルマック、アイルランドの北の方ではコルマック・コンリナスという名で知られていたコルマックがアルトニヤ人の誓いのしるしの十人の人質の一人としてコネリイ・モルの許にあった時、彼はその力のため勇気のため又うつくしさのため男おんなに愛されていた。 彼は余の九人の仲間の最も丈たかい者よりも一寸ほど背が高かった、最も胸幅のひろいものよりなお二

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琴平

宮本百合子

琴平 宮本百合子 朝、めをさまして、もう雨戸がくられている表廊下から外を見て私はびっくりしたし、面白くもなった。私たちの泊った虎丸旅館というのは、琴平の大鳥居のほんとの根っこのところにあるのであった。廊下から眺める向い側の軒下は、ズラリと土産ものやである。いろんなものが、とりどりにまとまりなく、土産物やらしく並べたてられている。 私たちは、ゆうべ十二時すぎに

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琴のそら音

夏目漱石

琴のそら音 夏目漱石 「珍らしいね、久しく来なかったじゃないか」と津田君が出過ぎた洋灯の穂を細めながら尋ねた。 津田君がこう云った時、余ははち切れて膝頭の出そうなズボンの上で、相馬焼の茶碗の糸底を三本指でぐるぐる廻しながら考えた。なるほど珍らしいに相違ない、この正月に顔を合せたぎり、花盛りの今日まで津田君の下宿を訪問した事はない。 「来よう来ようと思いながら

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琴の音

樋口一葉

空に月日のかはる光りなく、春さく花のゝどけさは浮世万人おなじかるべきを、梢のあらし此処にばかり騒ぐか、あはれ罪なき身ひとつを枝葉ちりちりの不運に、むごや十四年が春秋を雨にうたれ風にふかれ、わづかに残る玉の緒の我れとくやしき境界にたゞよふ子あり。 母は此子が四つの歳、みづから家を出でゝ我れ一人苦をのがれんとにもあらねど、かたむきゆく家運のかへし難きを知る実家の

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琵琶湖の水

中谷宇吉郎

初めから汚い話で恐縮であるが、琵琶湖へ小便をしたら、水嵩はどれだけ変るかという問題がある。 これは一寸面白い問題であって、日本の政治家ならば、大抵の人は「どれだけかというくわしいことは技術者に計算させればすぐわかるが、とにかく極めて少量ではあるが、小便の分量だけは水嵩が増す」と答えるであろう。如何にもそのとおりのように聞える。しかしこれが一番の愚答なのである

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瑪瑙盤

林芙美子

瑪瑙盤 林芙美子 1 ミツシヱルは魚ばかり食べたがる女であつた。 魚屋の前を通ると、牡蛎籠の上に一列に並んでゐるレモンの粒々に、鼻をクンクンさせたり鮫の白い切り口を、何時までも指で押してみたりしては買へもせぬ癖に、何か口の中でブツブツものをいひながら、立ちつくしてゐることがあつた。 ミツシヱルは南フランスの生れで、髪は南国風に黒つぽい色をしてゐる。 「小さい

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環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄――

中島敦

寂しい島 寂しい島だ。 島の中央にタロ芋田が整然と作られ、その周圍を蛸樹やレモンや麺麭樹やウカル等の雜木の防風木が取卷いてゐる。その、もう一つ外側に椰子林が續き、さてそれからは、白い砂濱――海――珊瑚礁といつた順序になる。美しいけれども、寂しい島だ。 島民の家は西岸の椰子林の間に散らばつてゐる。人口は百七八十もあらうか。もつと小さい島を幾つも私は見て來た。全

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環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄――

中島敦

寂しい島 寂しい島だ。 島の中央にタロ芋田が整然と作られ、その周囲を蛸樹やレモンや麺麭樹やウカルなどの雑木の防風木が取巻いている。その、もう一つ外側に椰子林が続き、さてそれからは、白い砂浜――海――珊瑚礁といった順序になる。美しいけれども、寂しい島だ。 島民の家は西岸の椰子林の間に散らばっている。人口は百七、八十もあろうか。もっと小さい島を幾つも私は見て来た

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環魚洞風景

牧野信一

「まつたく、ひどい音響だね! あれは――もう僕は、大抵慣れたつもりなんだが、だがさつぱり駄目だよ。――これほど突拍子もないものになると、一日に何辺繰り反されても、その度にひどく驚かされるんだ、その余韻が消えるまでには、相当の時間を要するほどに――だ。……で、ね、もう起る時分だな、と、さう思つて、時にはね、いたづらな反抗心といふやつをもつてさ、つまり――何の、

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瓜子姫子

楠山正雄

瓜子姫子 楠山正雄 一 むかし、むかし、おじいさんとおばあさんがありました。ある日おじいさんは山へしば刈りに行きました。おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが川でぼちゃぼちゃ洗濯をしていますと、向こうから大きな瓜が一つ、ぽっかり、ぽっかり、流れて来ました。おばあさんはそれを見て、 「おやおや、まあ。めずらしい大きな瓜だこと、さぞおいしいでしょう。うち

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瓢作り

杉田久女

瓢作り 杉田久女 今年私は瓢作りを楽しみに、毎朝起きるとすぐ畠へ出てゆく。 まづ門傍のポプラの枝へはひ登つて、ぶらりと下がつてゐる大瓢が一つ。これはまるでくくりのない、丁度貧乏徳利みたいにそこ肥りのした奴。私がこないだ虚子先生にお目にかかりに別府迄行つてきて、汗の単帯をときすてるとすぐ見に行つたら、ほんの二日の間に見違へるほど快よくまつ青く太つてゐた。あんま

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甘口辛口

坂口安吾

甘口辛口 坂口安吾 日本文学の確立といふことは戦争半世紀以前から主要なる問題であつた。近代日本文学の混乱低迷は輸入文学の上に日本的なるものを確立するための苦闘の結果であるとも云へる。それは政治や経済がその領域で日本的性格を必要とし問題としたよりも遥かに深刻で、作家はそこに血肉を賭けてゐたと言ふことが出来る。近頃は文学以外の場所で日本的道義の確立といふことが頻

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甘話休題

古川緑波

もう僕の食談も、二十何回と続けたのに、ちっとも甘いものの話をしないものだから、菓子については話が無いのか、と訊いて来た人がある。僕は、酒飲みだから、甘いものの方は、まるでイケないんじゃないか、と思われたらしい。 ジョ、冗談言っちゃいけません。子供の時は、酒を飲まないから、菓子は大いに食ったし、酒を飲み出してからだって甘いものも大好き。つまり両刀使いって奴だ、

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甘い野辺

浜本浩

子供の頃、私は菓子を食べたことがなかった。家が貧しかったし、また私の郷里の土佐の国では、その頃まで勤倹質素を旨とする風習が残っていたので、菓子はぜいたくなもののように考えられていたからである。 菓子を禁じられた子供たちは、いろいろと代用になるものを探して食べた。それは私たちだけではなく、どこでも田舎の子供なら同じことかもしれない。 早春には、まず芝の地下茎を

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甘鯛の姿焼き

北大路魯山人

甘鯛の姿焼き 北大路魯山人 この料理は、東京に昔からあるものだが、大きいのでちょっと厄介である。金串を打つのにコツがあり、なにも知らずに、ただやたらに何本も串を打ってはいけない。 最初に金串を扇形になるように打つ。それからあとは何本打とうと、扇の要のところを中心にすれば適当に打ってよい。そうすると、手で持つのに便利であるし、焼けても扱うたびに身がこわれるとい

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たましいは生きている

小川未明

昔の人は、月日を流れる水にたとえましたが、まことに、ひとときもとどまることなく、いずくへか去ってしまうものです。そして、その間に人々は、喜んだり、悲しんだりするが、しんけんなのは、そのときだけであって、やがて、そのことも忘れてしまいます。 この話も、後になれば、迷信としか、考えられなくなるときがあるでしょう。 *   *   *   *   * わたしの兄は

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どこかに生きながら

小川未明

子ねこは、彼が生まれる前の、母ねこの生活を知ることはできなかったけれど、物心がつくと宿なしの身であって、方々を追われ、人間からいじめつづけられたのでした。母ねこは、子供をある家の破れた物置のすみへ産み落としました。ここで幾日か過ごすうちに、子ねこは、やっと目が見えるようになりました。そして、母親の帰りがおそいと、空き箱の中から、明るみのある方を向いて、しきり

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S・I生へ

牧野信一

本誌の二月号に、君が書いた、僕に関するスケツチ文は、稀に見る非常識な、失敬な文章である。 僕は、在学中適齢に達したが、猶予願ひすらせずに堂々と検査をうけたものだ。君は、どんなつもりで書いたのかも知れないが、縦令一言半句でも、僕の国民としての名誉を傷けるやうな文句を、疎かに使はれては迷惑千万だ。僕は、忠良なる日本国民である。僕は、君の云はれるやうな「ヱビス」の

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生あらば

豊島与志雄

生あらば 豊島与志雄 一 十一月から病床に横わった光子の容態は、三月になっても殆んど先の見当がつかなかった。三十九度内外の熱が少し静まると、胸の疼痛が来たり、または激しい咳に襲われたりした。咳が少しいいと思うとまた高い熱に悩まされた。また不眠の状態と嗜眠の状態とが交々彼女の単調な病床にやって来た。そしてそれらの変化の背後には、絶えざる食慾不振と衰弱とが在った

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生不動

橘外男

生不動 橘外男 一 北海道の留萌港……正確に言えば、天塩国留萌郡留萌町であろうが、もちろんこんな辺陬の一小港などが諸君の関心を惹いていようとも思われぬ。 札幌から宗谷本線稚内行に乗って三時間、深川という駅で乗り換えて更に一時間半、留萌本線の終端駅と言えばすこぶる体裁よく聞えるが、吹雪の哮え狂う北日本海の暗い怒濤の陰に怯えながら瞬いているような侘しい漁師町と思

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生きた人形

小川未明

ある町の呉服屋の店頭に立って一人の少女が、じっとそこに飾られた人形に見いっていました。人形は、美しい着物をきて、りっぱな帯をしめて、前を通る人たちを誇らしげにながめていたのです。 「私が、もしあのお人形であったら、どんなにしあわせだろう……。なんの苦労もなしに、ああして、平和に、毎日暮らしていくことができる。そして、前を通る男も、女も、みんな自分を振りかえっ

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生ける人形

寺田寅彦

生ける人形 寺田寅彦 四十年ほど昔の話である。郷里の田舎に亀さんという十歳ぐらいの男の子があった。それが生まれてはじめて芝居というものを見せられたあとで、だれかからその演劇の第一印象をきかれた時に亀さんはこう答えた。「妙なばんばが出て来て、妙なじんまをずいて、ずいてずきすえた」これを翻訳すると「変な老婆が登場して、変な老爺をしかり飛ばした」というのである。そ

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生体構成物質の動的状態

シェーンハイマールドルフ

ルードルフ・シェーンハイマーはベルリンに生まれそこで初期の教育および大学訓練を受けた。1922年にベルリン大学から医学の学位を受けた後でこの市のモアビット病院において1年のあいだ病理学レシデントの地位を得た。そこで彼はアテローム性動脈硬化の問題にひきつけられ、実験動物にコレステロールを与えて動脈硬化を起こすことについてこの時期に始まる最初の論文を出版した。生

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生前身後の事

中里介山

生前身後の事 中里介山 小生も本年数え年五十になった、少年時代には四十五十といえばもうとてもおじいさんのように思われたが、自分が経来って見るとその時分の子供心と大した変らない、ちっとも年をとった気にはなれない、故人の詩などを見ると四十五十になってそろそろ悲観しかけた調子が随分現われて来るけれども、余はちっとも自分では老いたりという気がしないのみならず、それか

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