Vol. 2May 2026

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ベートーヴェンの生涯 07 ベートーヴェンの『手記』より(訳者抄)

ベートーヴェンルートヴィヒ・ヴァン

『田園交響曲』は絵画的な描写ではない。田園での喜びが人の心に惹き起こすいろいろな感じの表現であり、それに付随して田園生活の幾つかの感情が描かれている。(一八〇八年) * 東は朝。――西は夕べ。――南は真昼。――北は真夜中。(一八一三年) * 現在のような日常生活をもうこれ以上つづけないことだ! 芸術もまたこの犠牲を要求しているのだ。気ばらしによって休息するの

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ベートーヴェンの生涯 09 訳者解説

片山敏彦

ロマン・ロラン(Romain Rolland)にとってはその少年時代以来、ベートーヴェンは最大の魂の師であった。「生の虚無感を通過した危機に、私の内部に無限の生の火を点してくれたのはベートーヴェンの音楽であった」とロランは『幼き日の思い出』の中に書いている。二十三歳のときパリの母校高等師範学校の留学生としてローマに行き、当時七十歳をこえていたドイツの老婦人マ

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生滅の心理

田山花袋

生と滅との相聯関してゐる形は到る処にそれを発見することが出来る。生の究竟に滅あり、滅の究竟に生あり、又これを実際の心理に照して見ても、滅を背景に持つた生は、持たない生よりも力強く、生を背景に持つた滅は、決して滅ではないといふことが考へられる。捨てたものほど強いものはない。かう昔から言はれてゐるが、捨てなければ、滅しなければ、または滅をしつかりとその根柢に所有

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生き烏賊白味噌漬け

北大路魯山人

東京で西京漬けと呼んでいるのは、京都産の白味噌に魚類を漬け込んだものを言う。白味噌は京都が本場で、京都以外でできているものもないではないが、品が落ちる――となっている。白味噌は辛味噌からみると、大豆と糀とがかっていて塩が少ないために、甘酒ほどではないが、甘味のかった味噌である。これに漬け込む魚類は大体決まっていて、まながつお、あまだい、太刀魚が最適である。さ

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生爪を剥ぐ

葉山嘉樹

生爪を剥ぐ 葉山嘉樹 夏の夜の、払暁に間もない三時頃であった。星は空一杯で輝いていた。 寝苦しい、麹室のようなムンムンする、プロレタリアの群居街でも、すっかりシーンと眠っていた。 その時刻には、誰だって眠っていなければならない筈であった。若し、そんな時分に眠っていない者があるなら、それは決して健康な者ではない。又、健康なものでも、健康を失うに違いない。 だが

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生産文学の問題 文学に求められているもの

宮本百合子

文学とは何であろうか。そういう問いは私たちの日常生活の裡で、極めて変化の多い形や感情をとってあらわれて来ていると思う。問いが原形のままに感じられることもあり、現在ある文学作品に対する肯定、否定の態度でそれが示されることもあり、時には作家と読者との微妙な組み合わせの姿で、一般が或る作品から他の或る作品へと何か満たされぬ心をもってさがし求めている有様として、文学

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生産を目標とする科学 ――再三「科学と技術」とについて――

戸坂潤

科学(特に自然科学)と技術(第一に物的生産技術)との関係は、今日ではすでに陳腐な問題のように響く。少なくとも二つの間に密接な又直接な連絡のあることは万人の常識である。にも拘らず私には、ここにはまだ匿された疑問がひそんでいるように思われる。 まず第一に、最近、科学的精神が提唱されること甚だ旺んであるが、勿論これは日本の現下生産技術の向上を促進する必要があるから

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生きている看板

小川未明

町から、村へつづいている往来の片側に、一軒の小さなペンキ屋がありました。主人というのは、三十二、三の男であったが、毎日なにもせずに、ぶらぶらと日を送っていました。このあたりの商店は、一度、かけた看板は汚れて、よくわからなくなるまで、懸けておくのが例であって、めったに、新しくするということはなく、また、新しい店が、そうたくさんできて、看板を頼みにくるということ

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生きている空間 ――映画空間論への序曲

中井正一

ヘーゲルの弁証法が生れる周囲には、その頃の青年ドイツ派ロマン的皮肉があると考える人々がある。ロマン的皮肉とは、ヘーゲルの友人のゾルゲルで代表されるところの一つの表現、自分達の凡ての行いや言葉のすぐそばに、「黙ってジッと自分を見つめている眼なざし」があると云う一つの不安と怖れである。自分の反省の中にある、限りない圧迫感である。自分の中に、いつでも自分をすべりぬ

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さまざまな生い立ち

小川未明

日にまし、あたたかになって、いままで、霜柱が白く、堅く結んでいた、庭の黒土が柔らかにほぐれて、下から、いろいろの草が芽を出してきました。 「お父さん、すずらんの芽が、だんだん伸びてきましたよ。」と、庭に出て、遊んでいた少年が、奥の方に向かっていいました。 へやで、お父さんは、本を読んでいられた。 「兄さん、どこに、すずらんが芽を出したか、僕に見せておくれよ。

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生い立ちの記

小山清

私は数え年の二つのとき、父母に伴われて大阪へ行った。大正の始であった。 その頃、私の父は摂津大掾の弟子で、文楽座に出ていた。父は二つのとき失明した。脳膜炎を患ったためだという。父は十三四の頃初めて大阪へ行き、はじめ五世野沢吉兵衛の手解をうけ、その後当時越路太夫と云った摂津大掾のもとに弟子入りをした。祖父の姉で出戻の身を家に寄食していた人が、父に附添って行った

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生者と死者

堀辰雄

或る夏、一つのさるすべりの木が私を魅してゐた。ホテルの二階の窓から、私は最初その木を認めた。其處からは、丁度物置かなんぞらしい板屋根ごしにその梢だけが少し見えてゐたので、私はそれをホテルの木だとばかり思つて、ときどき何といふこともなしにそれへ空虚な目をやつてゐただけだつた。……或る日、ホテルの裏の水車の道の方へ散歩に行つて歸つてきた私はいつものやうに裏木戸か

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生きつつある自意識

宮本百合子

生きつつある自意識 宮本百合子 ロジェ・マルタン・デュガールの長篇小説「チボー家の人々」は太平洋戦争がはじまる前に、その第七巻までが訳された。山内義雄氏の翻訳で、どっさりの人に愛読されていたものであったが、ドイツのナチズムとイタリーのファシズムの真似一点ばりだった当時の日本の政府は、敵性の文学であるという理由で、それから益々興味ふかくなる第八巻からあとの出版

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生ける銃架 ――満洲駐屯軍兵卒に――

槙村浩

高粱の畠を分けて銃架の影はけふも続いて行く銃架よ、お前はおれの心臓に異様な戦慄を与へる――血のやうな夕日を浴びてお前が黙々と進むときお前の影は人間の形を失ひ、お前の姿は背嚢に隠れお前は思想を持たぬたゞ一箇の生ける銃架だきのふもけふもおれは進んで行く銃架を見た列の先頭に立つ日章旗、揚々として肥馬に跨る将軍たち、色蒼ざめ疲れ果てた兵士の群―おゝこの集団が姿を現は

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生きているコタンの銅像 ――アイヌの慈父・高橋房次――

知里真志保

白老のシュバイツァーとして、すでに貴重な存在になっている高橋房次氏が、今度白老町の住民一同から銅像をおくられることになったという。町民がこぞって醵金に応じ、町役場前の広場に銅像をたてるということは、誠に意義の深いことだと思われる。 大正11年3月に、旧土人保護法施設として完備された道立白老病院の院長とし、高橋氏が赴任されてからも37年になる。その間、土人部落

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生霊

小泉八雲

昔、江戸霊岸島に喜兵衞と云う金持ちの瀬戸物店があった。喜兵衞は六兵衞と云う番頭を長く使っていた。六兵衞の力で店は繁昌した、――余り盛大になって来たので、番頭独りでは管理して行かれなくなった。そこで、経験のある手代を雇う事を願って許された、それから自分の甥を一人よびよせた――以前大阪で瀬戸物商売を習った事のある、二十二ばかりの若者であった。 この甥は甚だ役に立

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生霊

久生十蘭

松久三十郎は人も知る春陽会の驥足である。 脚絆に草鞋がけという実誼な装で一年の半分は山旅ばかりしているので、画壇では「股旅の三十郎」という綽名をつけている。 飛騨の唐谷の奥に、谷にのぞんだ大きな栃の木があって、満開のころになると幾千とも数えきれない淡紅色の花をつけ、それに朝日の光がさしかかると、この世のものとも思われないほど美しいという。それを見るために出か

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「テーブルよ、ごはんの用意」と、金貨をうむロバと、「こん棒、ふくろから」

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

むかしむかし、ひとりの仕立屋さんがおりました。仕立屋さんは三人のむすこと、それから、ただ一ぴきのヤギをもっていました。 ところでこのヤギは、そのお乳でみんなをやしなっていたのですから、よいえさをもらわなければなりません。それで、まい日草原へつれだしてもらいました。むすこたちも、じゅんじゅんにこの役めをやっていました。 あるとき、いちばん上のむすこが、それはそ

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用捨なき観客

岸田国士

用捨なき観客 岸田國士 今日我が新劇の観客といへばどういふ人達であるか――。いづれも多くは「現在までの新劇」を標準にして「まあこれ位ならば……」といふ見当をつけて見に行く人々である。結局、今迄のものより悪くなければ、勿論我慢をしてくれ、その中からさへも、何かしら「今までのもの」より以上のものを見落すまいとしてくれる人々である。 然し、これは我が新劇の為に、存

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用言の発展

折口信夫

用言の発展 折口信夫 われ/\は常につくろふとかたゝかふとかいふ所謂延言の一種を使うて居つて何の疑をもおこさぬ。今日の発音ではつくろふもたゝかふも、みな終止形はおの韻をもつたら行長音なりか行長音なりになつてしまふのであるから疑のおこらぬのも尤である。けれども仮字づかひについて考を及してみるとどうもをかしい。なぜつくろふの ro は rofu でかたらふの r

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田七郎

蒲松齢

武承休は遼陽の人であった。交際が好きでともに交際をしている者は皆知名の士であった。ある夜、夢に人が来ていった。 「おまえは交游天下に遍しというありさまだが、皆濫交だ。ただ一人患難を共にする人があるのに、かえって知らないのだ。」 武はそこで訊いた。 「それは何という人でしょうか。」 その人はいった。 「田七郎じゃないか。」 武は夢が醒めて不思議に思い、朝になっ

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田中君に就いて ――田中英光著『オリムポスの果実』序

太宰治

田中君の作品に就いてよりも、まづ田中君の人間に就いてお知らせして置いたはうが、いまは、必要なやうに思ひますから、そのはうだけを、少し書きます。 この創作集の末尾に、田中君が跋文を書き添へてゐるやうですが、それに據れば、「俺の過去は醜惡で複雜、まともに語れるものではない。この醜くさは、顏が赧くなつて脇の下から冷汗ものだ、などといふ體裁の好いものではなかつた筈だ

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田丸先生の追憶

寺田寅彦

田丸先生の追憶 寺田寅彦 なくなってまもない人の追憶を書くのはいろいろの意味で困難なものである。第一には、時のパースペクティヴとでもいうのか、近いほうの事がらの印象が遠い以前のそれを掩散したがる傾向がある。第二には、近いほうの事を書こうとすると自然現在の環境の中でのいろいろの当たりさわりが生じやすい。第三には、いったいそういうものを書こうというような気持ちに

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田原氏の犯罪

豊島与志雄

重夫は母のしげ子とよく父のことを話し合った。それは、しげ子にとっては寧ろどうでもいい問題であったが、重夫にとっては何かしら気遣わしい、話さないではおれない問題であった。 実際、重夫の父田原弘平は凡てに於て観照家でそして余りに寛大であった。然しそれはいいことであったかも知れない。ただ重夫が気遣わしく思ったのは、物にぶつかってゆく力を欠いだ父のそうした生活態度を

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