Vol. 2May 2026

Buku

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病院横町の殺人犯

ポーエドガー・アラン

千八百〇十〇年の春から夏に掛けてパリイに滞留してゐた時、己はオオギユスト・ドユパンと云ふ人と知合になつた。まだ年の若いこの男は良家の子である。その家柄は貴族と云つても好い程である。然るに度々不運な目に逢つて、ひどく貧乏になつた。その為めに意志が全く挫けてしまつて、自分で努力して生計の恢復を謀らうともしなくなつた。幸に債権者共が好意で父の遺産の一部を残して置い

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病院の窓

南部修太郎

病院の窓 南部修太郎 十七の五月だつた。私は重い膓チブスに罹つて、赤坂の或る病院へ入院した。 入院して十日餘りは私はまるで夢中だつた。何か怖ろしい物に追ひ掛けられてゐるやうな、遁げても遁げても遁げきれないやうな苦しさのする長い夢にあがいてゐた氣持――そんな氣持で、私はその十日餘りを過した。その間に腦症を起しかけて醫師が絶望を宣告した事、そして、家中の者が枕元

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病院風景

寺田寅彦

東京××大学医学部附属病院、整形外科病室第N号室。薄暗い廊下のドアを開けて、室へはいると世の中が明るい。南向きの高い四つの窓から、東京の空の光がいっぱいに流れ込む。やや煤けた白い壁。婦人雑誌の巻頭挿画らしい色刷の絵が一枚貼ってある。ベッドが八つ。それがいろいろ様式がちがう。窓の下に一列のスチームヒーター。色々の手拭やタオルの洗濯したのがその上に干し並べてある

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痍のあと

長塚節

痍のあと 長塚節 豆粒位な痍のあとがある。これは予が十八の秋はじめて長途の旅行をした時の形見であるが今でも深更まで眠れない時などには考へ出して恐ろしい感じのすることもある。予は其頃まで奧州の白河抔といふと唯遠い所と計り思つて居たのであつたが、ふと陸地測量部の地圖を披いて案外に近い所なのに驚いた。それからといふもの旅行がして見たくて堪らないので母に二週間ばかり

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痛みの効用

中谷宇吉郎

日本には昔から揉み療治というものがあって、Nの揉み療治などが特に有名である。骨折などの場合にも無闇と揉んで治してしまうという話であるが、現代の医学からみたら随分無茶な話であろう。それでもかなり多くの場合治るというのだから不思議である。友人が昔見たところでは、患者が痛がるのを無理に揉むので、ひどい時には大人が何人とか、かかって押えつけておいてごしごし揉むのだと

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〔せなうち痛み息熱く〕

宮沢賢治

せなうち痛み息熱く 待合室をわが得るや 白き羽せし淫れめの おごりてまなこうちつむり かなためぐれるベンチには かつて獅子とも虎とも呼ばれ いま歯を謝せし村長の 頬明き孫の学生を 侍童のさまに従へて 手袋の手をかさねつゝ いとつゝましく汽車待てる 外の面俥の往来して 雪もさびしくよごれたる 二月の末のくれちかみ 十貫二十五銭にて いかんぞ工場立たんなど その

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痩身記

牧野信一

この間うち、東京へ行つてゐた時、不図途上で、坪田譲治氏に出遇つた。坪田氏とは、会合などの時に二三度お目にかゝつたくらゐで、大森にゐたころ訪問を享けたこともあつたが、わたしがあちこちを転々としてゐるために、機会を得たいと思ひながら、その折を見出せなかつた。といふのは、わたしは坪田氏の作品は可成り久しい前から、主にその短篇を折に触れては愛読し、余程の親しみを感じ

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痴人の復讐

小酒井不木

痴人の復讐 小酒井不木 異常な怪奇と戦慄とを求めるために組織された「殺人倶楽部」の例会で、今夕は主として、「殺人方法」が話題となった。 会員は男子十三人。名は「殺人倶楽部」でも、殺人を実行するのではなくて、殺人に関する自分の経験(若しあれば)を話したり、センセーショナルな殺人事件に関する意見を交換したりするのが、この倶楽部の主なる目的である。 「絶対に処罰さ

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痴人と死と

ホーフマンスタールフーゴー・フォン

為事室。建築はアンピイル式。背景の右と左とに大いなる窓あり。真中に硝子の扉ありてバルコンに出づる口となりおる。バルコンよりは木の階段にて庭に降るるようなりおる。左には広き開き戸あり。右にも同じ戸ありて寝間に通じ、この分は緑の天鵞絨の垂布にて覆いあり。窓にそいて左の方に為事机あり。その手前に肱突の椅子あり。柱ある処には硝子の箱を据え付け、その中に骨董を陳列す。

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痴想

牧野信一

私は岡村純七郎の長男で純太郎といふ名前である。私の家の伝来の風習で長男には必ず「純」の字を通り名として用ひてゐるさうだ。――私が生れた時、私の名前に就いて父は少しは頭を悩ましたらうか、種々な名前を考へたらうか……いや、そんな筈はあるまい。至極単純な頭悩の所有者である彼は、愚かな伝統を尊重――と云ふより寧ろ単なる不用意な考察で――それで私の名前なるものが制定さ

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痴日

牧野信一

痴日 牧野信一 一 頭の惡いときには、むしろ極めて難解な文字ばかりが羅列された古典的な哲學書の上に眼を曝すに如くはない――隱岐はいつも左う胸一杯に力んで、決して自分の部屋から外へ現れなかつた。活字の細いレクラム本に吸ひつくやうに覆ひ被さつたまゝ、終日机から離れなかつた。だが、やがて運ばれる晩飯を下宿人のやうにひとりでぼそ/\としたゝめてから、何か吻つとしてラ

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痴酔記

牧野信一

J・K兄 「シプリア人と処女の話」の作者の名前は解らぬだらうか? そして、矢張りこの作が、吾々の悪魔を、作品のうちにとり入れた世界での最初の文芸作品であらうか? それから「シプリア人と処女の話」といふのが本来の題名なのか、それとも「アグリタスとジヤステイナ」が原名なのか、君の意見を訊きたい。アグリタスはジヤステイナを意に従へるために終に悪魔の助力を乞ふのであ

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瘠我慢の説 02 瘠我慢の説

福沢諭吉

立国は私なり、公に非ざるなり。地球面の人類、その数億のみならず、山海天然の境界に隔てられて、各処に群を成し各処に相分るるは止むを得ずといえども、各処におのおの衣食の富源あれば、これによりて生活を遂ぐべし。また或は各地の固有に有余不足あらんには互にこれを交易するも可なり。すなわち天与の恩恵にして、耕して食い、製造して用い、交易して便利を達す。人生の所望この外に

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瘠我慢の説 03 書簡

福沢諭吉

福沢先生の手簡 拝啓仕候。陳ば過日瘠我慢之説と題したる草稿一冊を呈し候。或は御一読も被成下候哉。其節申上候通り、何れ是は時節を見計、世に公にする積に候得共、尚熟考仕候に、書中或は事実の間違は有之間敷哉、又は立論之旨に付御意見は有之間敷哉、若しこれあらば無御伏臓被仰聞被下度、小生の本心は漫に他を攻撃して楽しむものにあらず、唯多年来心に釈然たらざるものを記して輿

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瘠我慢の説 05 福沢先生を憶う

木村芥舟

左の一篇は木村芥舟翁の稿に係り、時事新報に掲載したるものなり。その文中、瘠我慢の説に関係するものあるを以て、ここに附記す。 福沢先生を憶う 木村芥舟 明治三十四年一月廿五日、予、先生を三田の邸に訪いしは、午後一時頃なり。例の通り奥の一間にて先生及び夫人と鼎坐し、寒暄の挨拶了りて先生先ず口を開き、この間、十六歳の時咸臨丸にて御供したる人来りて夕方まで咄しました

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瘢痕

平出修

瘢痕 平出修 躍場が二つもある高い階段を軽くあがつて、十六ばかりの女給仕が社長室の扉をそつと叩いた。 「よろしい。」社長の松村初造はちよいと顔を蹙めたが、すぐ何気ない風になつて、給仕を呼入れた。 「あの、田代さんからお電話でございますが。」 「うむ。」 「只今からお伺ひいたしたいんでございますが……。」 「居ると云つたか。僕が、ここに。」松村はうるささうに中

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瘤とり

楠山正雄

瘤とり 楠山正雄 一 むかし、むかし、ある所に、一人のおじいさんがありました。右のほおにぶらぶら大きな瘤をぶら下げて、始終じゃまそうにしていました。 ある日、おじいさんは山へ木を切りに行きました。にわかにひどい大あらしになって、稲光がぴかぴか光って、ごろごろ雷が鳴り出しました。そのうち雨がざあざあ降ってきて、うちへ帰るにも帰れなくなりました。どうしようかと思

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S療養所点景

今野大力

療養所の看護婦はいつも 廊下をみがいている ドアーのハンドルをみがいている いくらみがいてもピカピカ光る程 この療養所の建物は新らしくない それでも毎日 看護婦は廊下をみがきハンドルをみがく 主任が真先に立ってやって見せるし 主任の命令がきびしいので 看護婦は今日もみがきやになってる 病室に入って 病室のうすきたなさはちっともきれいにされない 病室には 廊下

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癇癪批評

岸田国士

癇癪批評 岸田國士 僕のところの子供は、父親たる僕に話しかける時は、はじめから癇癪を起してゐる。常々、一度や二度呼んだぐらゐで、僕の注意を惹くことは困難だといふことを知つてゐるからだ。「ねえ、パパつたら……」といふ文句を、きまつて頭へつける子供の習癖を、僕は心の中で悲しんでゐる。相手が自分の云ふことに興味がなささうだと思ひ、しかも、それを云はずにをられぬ場合

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喜多村緑郎

人として一つの癖はあるものよ、吾れにはゆるせ敷島の道。……これはよく落語家が枕にふる言葉ですが、……無くて七癖、有つて四十八癖、といつて誰にもあるんでせうが、さうなるとわたしには、夜更をするのが癖の一つでした、……わたしの若い時分の時間でいふと十二時頃寝るのは罪悪のやうな気がしたもんです。それで居て朝寝坊は厭ひでしたから……恐らくまづ寝る間は三四時が関の山で

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ヂユパンの癖とヴァンスの癖

平林初之輔

デュパンという男は申すまでもなくポーの小説に出てくる探偵である。もっともこの探偵の出てくる小説は、「モルグ街の殺人」と「盗まれた書類」と「マリー・ロジェ奇談」とこの三つしかない。探偵小説には必ず探偵が必要であるというヴァン・ダインの筆法から言うと、ポーの探偵小説は三つしかないわけだ。 デュパンは、ホームズやルパンなどの紳士とは非常に変わった探偵である。パリの

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島木健作

癩 島木健作 1 新しく連れて來られたこの町の丘の上の刑務所に、太田は服役後はじめての眞夏を迎へたのであつた。暑さ寒さも肌に穩やかで町全體がどこか眠つてでも居るかの樣な、瀬戸内海に面したある小都市の刑務所から、何か役所の都合ででもあつたのであらう、慌ただしく只ひとりこちらへ送られて來たのは七月にはいると間もなくの事であつた。太田は柿色の囚衣を青い囚衣に着替へ

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島木健作

癩 島木健作 1 新しく連れて来られたこの町の丘の上の刑務所に、太田は服役後はじめての真夏を迎えたのであった。暑さ寒さも肌に穏やかで町全体がどこか眠ってでもいるかのような、瀬戸内海に面したある小都市の刑務所から、何か役所の都合ででもあったのであろう、慌ただしくただひとりこちらへ送られて来たのは七月にはいると間もなくのことであった。太田は柿色の囚衣を青い囚衣に

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癩病やみの話

シュウォッブマルセル

あたしの申上げる事を合点なさりたくば、まづ、ひとつかういふ事を御承知願ひたい。白の頭巾に頭を裹んで、堅い木札をかた、かた、いはせる奴めで御座るぞ。顔は今どんなだか知らぬ。手を見ると竦とする。鱗のある鉛色の生物のやうに、眼の前にそれが動いてゐる。噫、切つて了ひたい。此手の触つた所も忌はしい。紅い木の実を摘取ると、すぐそれが汚れて了ひ、ちよいと草木の根を穿つても

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