『行く春』を読む
蒲原有明
薄田泣菫氏の才華はすでに第一の詩集『暮笛集』に於て、わが新詩壇上いちじるしき誉れとなりしを、こたびの集『ゆく春』の出づるに及びて、また新たに、詩人繍腸の清婉は日ごろ塵に染みたる俗心の底にもひびきぬ。ことしもうら寂しく暮れゆかむとする詩天のかなたに、世は夕づつのかげの明かに輝くを見ておどろく。 集中絶句「遣愁」の一篇を誦すれば、瘠せたる詩風に泣くの語あれど、泣
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蒲原有明
薄田泣菫氏の才華はすでに第一の詩集『暮笛集』に於て、わが新詩壇上いちじるしき誉れとなりしを、こたびの集『ゆく春』の出づるに及びて、また新たに、詩人繍腸の清婉は日ごろ塵に染みたる俗心の底にもひびきぬ。ことしもうら寂しく暮れゆかむとする詩天のかなたに、世は夕づつのかげの明かに輝くを見ておどろく。 集中絶句「遣愁」の一篇を誦すれば、瘠せたる詩風に泣くの語あれど、泣
蒲原有明
詩はこれを譬ふれば山野の明暗、海波の起伏なり。新しき歌の巻を読むは、また更にわが身に近くして、さながら胸の鼓動を聴くここちす。今『二十五絃』を繙いて、泣菫子が和魂の帰依に想ひ到れば、この荒びし世をつつむは黄金の靄、白がねの霧――幻夢ちに湧きのぼれり。 四季の移りかはりばかりをかしきはあらじ。しかはあれ泣菫子が為めには、こもまた徒なる花の開落にあらずして、人生
蒲原有明
一、この小册子に蒐めたる詩稿は曾て「太陽」「明星」其他二三の雜誌に載せて公にしたるものなり、ここに或は數句或は數節改刪して出せり。 一、諸篇中「小鳥」「星眸」等の如きは最も舊く、其他多くは一昨年の秋このかたの作なり。ただ「靈鳥の歌」のみ未だ公にせざりしものこれを最近の作となす。 一、詩形に就ては多少の考慮を費せり、されどこれを以て故らに異を樹てむとするにはあ
蒲原有明
この集には前集『獨絃哀歌』に續ぎて、三十六年の夏より今年に至るまでの諸作を載せたり。 『夏まつり』は最も舊くして、『五月靄』は最近の作なり。 『斧』にはこたび引説數行を添へて表面の筋を略敍したり。われはこれを公にしたる當時、世人の看て以て頗る解し難しと爲したるを意外に感じき。引説の如きは蛇足のみ。またこの引説は文字以外の義に及ぼさず、自讃に陷らむとするを憂ふ
蒲原有明
歡樂ふかくもえいづる 香を慕ふにも草嫩 細き葉がくれ身をよせて 羞ぢてひそめる花の影 羞ぢてかくるるさまながら 花はほがひのよそほひや 空には夢のたはぶれの 紅こそ淡くかかるなれ 唇を解く歌の君 春のたくみの手は高く 夕にはまた彩を織る 光は雲にながれけり
蒲原有明
ジヨオジ・ムウア 蒲原有明 わたくしはこのごろジヨオジ・ムウアの書いたものを讀んでゐる。それについての話を少しして見よう。別にムウアの書物が珍らしいといふのではない。今まであまり人の口にかゝらなかつたと云ふまでゝあるが、むかふでも多少評判になつてきてゐるやうである。なかなか變つたことを書いてゐる。そのまた文章が素敵におもしろい。ムウアはもう六十四五歳にもなる
蒲原有明
緑蔭叢書創刊期 蒲原有明 藤村君のこれまでの文壇的生涯を時代わけにして、みんなが分擔して書きたいことを書きとめておくのもよい企である。わたくしには「若菜集」の出るやうになつた頃のことを書かぬかどうかといふ相談があつた。しかし藤村君とのつきあひは「夏草」出版直後からであるから、若菜集時代、即ち文學界末期頃とは全く無關係であつた。さういふわけから、それでは大久保
蒲原有明
朝から蒸暑かつた。とろんとした乳白の雲が低く淀んでゐて、空氣がじとじとして、生汗をかいてゐるやうな日である。 少し頭をぼつとさせて、外出先から家に歸りつくと間もなく、有島壬生馬さんの令弟のY君が見えた。これから一緒に「滯歐記念展覽會」を見にゆかないかと云ふことである。この畫の會は、南薫造さんと有島さんとが長い期間の外遊中に制作してためておいた畫幀を、歸朝後は
蒲原有明
詩の將來について 蒲原有明 こゝに掲げた標題が私に課せられた難問である。私は答案に窮するより外はない。 近頃は社會萬般に亙つて何事も見透しがつきかねるといふ噂さである。詩も多分さうであらうことは、この出題によつても推測されるとほりに、私にも少しばかり思當りがないでもない。囘顧すれば自由詩が舊詩壇に取つて代つてから既に三十年にもなる。その上たとへ物々しい理論の
蒲原有明
劇壇の新機運 蒲原有明 わたくしは劇壇の新しい運動が自由劇場の試演とまで漕ぎつけたことに就ては、勿論贊意を表し且つその成功を祈つてゐた。それと同時にかういふ運動は我邦に於て全く破天荒のことではあるし、第一囘の試演が蓋を開けるまではこの運動の効果に對し多少の疑懼を擁かないでもなかつた。即ち成功とは云はれぬにしても、劇壇の沈滯に對する刺戟ともなり、新藝術のために
蒲原有明
小山内謝豹 蒲原有明 小山内君は一時謝豹といふ雅號を用ゐてゐました。それをおぼえてゐる人は恐らく稀でせう。もう十五六年も前のことになります。そのころ生田葵君のやつてゐた「活文壇」といふ雜誌に、知與子とか謝豹とか署名して、ちよくちよくシエレエの詩の飜譯が出たものです。「わが靈は魔に醉ふ舟か、夢を見る鵠の如」とか、「山、柯(こむら)、ま淵の間を」とか、さういふ詩
蒲原有明
「あひびき」に就て 蒲原有明 わたくしが長谷川二葉亭氏の名を知りはじめたのは「國民之友」に出た「あひびき」からである。明治二十一年の夏のころであつたが、わたくしは未だ中學の初年級であり、文學に對する鑑賞力も頗る幼稚で、その頃世間にもてはやされてゐた「佳人の奇遇」などを高誦してゐたぐらゐであるから、露西亞の小説家ツルゲーネフの短篇の飜譯といふさへ不思議に思はれ
蒲原有明
新しき聲 蒲原有明 (一) 同時代に生れ出た詩集の、一は盛へ他は忘れ去られた。「若菜集」と「抒情詩」。「若菜集」は忽ちにして版を重ねたが、「抒情詩」は花の如く開いて音もなく落ちて了つた。 島崎氏の「若菜集」がいかに若々しい姿のうちに烈しい情※をこめてゐたかは、今更ここに言ふを須ゐないことではあるが、その撓み易き句法、素直に自由な格調、從つてこれは今迄に類のな
蒲原有明
龍土會の記 蒲原有明 龍土會といつても誰も知る人のないぐらゐに、いつしか影も形もひそめてしまつてゐる。そのやうに會はたとへ消滅したものであるにしても、會員であつた人々は殘つてゐなくてはならないが、さて自分が會員であつたと名のりを揚げる特志者はまづ無いといつてよいだらう。然しどうやら會合のやうなものが存在して、そこへ最初から出席した二三のものには、今日でもなほ
蒲原有明
智慧の相者は我を見て今日し語らく、 汝が眉目ぞこは兆惡しく日曇る、 心弱くも人を戀ふおもひの空の 雲、疾風、襲はぬさきに遁れよと。 噫遁れよと、嫋やげる君がほとりを、 緑牧、草野の原のうねりより なほ柔かき黒髮の綰の波を、―― こを如何に君は聞き判きたまふらむ。 眼をし閉れば打續く沙のはてを 黄昏に頸垂れてゆくもののかげ、 飢ゑてさまよふ獸かととがめたまはめ
蒲原有明
虚妄と眞實 蒲原有明 「食後」の作者に ――君。僕は僕の近來の生活と思想の斷片を君に書いておくらうと思ふ。然し實を云へば何も書く材料はないのである。默してゐて濟むことである。君と僕との交誼が深ければ深いほど、默してゐた方が順當なのであらう。舊い家を去つて新しい家に移つた僕は、この靜かな郊外の田園で、懶惰に費す日の多くなつたのをよろこぶぐらゐなものである。僕に
蒲原有明
長谷川二葉亭 蒲原有明 長谷川二葉亭氏にはつい此あひだ上野精養軒で開かれた送別會の席上で、はじめてその風に接したぐらゐであるから、わたくしには氏に對して別に纏つた感想などのありやうもない。だが、質素な身なりと、碎けた物言ひぶりと、眉根に籠つた深く暗い顰みと、幅のある正しい肩つきと、これだけがわたくしの二葉亭氏から最初に受けた消し難き印象である。この印象のうち
蒲原有明
狂言綺語 蒲原有明 諸君子のひそみに倣つて爆彈のやうな詩を書いて見ようと思はぬでもない。も少し穩かなところで、民衆詩あたりでも惡くはなからうと思はぬでもない。さうは思ふが、さてどうにもならない。 格にはまつた詩も、格にはづれた詩も、いづれにしても、わたくしには今作れない。わたくしは言葉の探究に夢中になつてゐて、詩の作れぬわけをそれに託けてゐる。とは云へ、その
蒲原有明
わたくしはいつもの瞑想をはじめる。――否、瞑想ではない、幻像の奇怪なる饗宴だ。雜然たる印象の凝集と發散との間に感ずる夢の一類だ。さうしてゐるうちに突然とわたくしの腦裡に、仙人掌と花火といふ記號的な概念が浮んでくる。その概念が内容を摸索する。人間の日常生活には、さして交渉を保たないこの二つのものが、漸次に一つの情調の中に人工的な色と形のアレンジメントを創造する
蒲原有明
明治三十八年に「春鳥集」を出したときには、多少の自信もあり自負もあつた。わたくしのやうな氣弱なものも詩作上思ひきつて因襲に反撥を試みたのである。あの稚拙な自序を卷頭に置いたのもその爲で、少しきおつたところが見えて落ちつかぬが、それも致しかたない。 さて象徴詩がどういふ筋道を通つてわが詩壇に導かれたかは、今こゝに述べにくい。それは別に研究を要すべきことである。
蒲原有明
二月も末のことである。春が近づいたとはいいながらまだ寒いには寒い。老年になった鶴見には寒さは何よりも体にこたえる。湘南の地と呼ばれているものの、静岡で戦災に遭って、辛い思いをして、去年の秋やっとこの鎌倉へ移って来たばかりか、静岡地方と比べれば気温の差の著るしい最初の冬をいきなり越すことが危ぶまれて、それを苦労にして、耐乏生活を続けながら、どうやら今日まで故障
蒲原有明
「黄櫨成レ列隴※間 南望平々是海湾 未レ至二栄城一三五駅忽従リ二林※一得タリ二温山ヲ一。」 とはこれ頼山陽が「見温仙岳」の絶句――この詩を誦し去りて、われらは先づ肥前の国に入る。「温泉はちまき、多良頭巾」といふこと、これをその国のある地方にて聴く、専ら雲の状を示せるもの、おもしろき俚諺ならずや。温泉岳と、多良岳と、かれに焦熱の地獄あれば、これに慈悲の精舎あり
浜田青陵
私は『博物館』といふ題で書くことになりましたが、何分博物館といつても、美術考古博物館もあり、科學博物館もあり、そのほかいろ/\の博物館があるので、それを一々説明すれば百科の學を講釋することになり、それは私には出來ない藝當であるのみならず、一册の本にはとうてい收め切れません。しかし幸ひ美術や自然科學のお話は、別に諸先生が筆を執られてゐることゝ思ひますから、私は
久坂葉子
私は、いろんなものを持っている。 そのいろんなものは、私を苦しめるために活躍した。私の眼は、世間や自然をみて、私をかなしませた。私の手足も徒労にすぎないことばかりを行って、私をがっかりさせた。考えるという働きも、私を恐怖の淵につれてゆき、さかんに燃えたり、或いは、静寂になったりする感情も、私をつかれさせただけである。 しかし、その中でたった一つ、私は忘却とい