癩を病む青年達
北条民雄
他の慢性病もやはりさうであらうが、癩といへども、罹つたが最後全治不可能とはいへ、忽ちのうちに病み重るといふことはなく、波のやうに一進一退の長い月日を過しつつ、しかし満ちて来る潮のやうに、波の穂先は進んでは退き進んでは退きしつつやがて白い砂地を波の下にしてしまふ。さういふ風に病勢が進行を始めると患者達は「病気が騒ぎ出した」と云ひ、停止すると「落着いた」と云ふ。
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北条民雄
他の慢性病もやはりさうであらうが、癩といへども、罹つたが最後全治不可能とはいへ、忽ちのうちに病み重るといふことはなく、波のやうに一進一退の長い月日を過しつつ、しかし満ちて来る潮のやうに、波の穂先は進んでは退き進んでは退きしつつやがて白い砂地を波の下にしてしまふ。さういふ風に病勢が進行を始めると患者達は「病気が騒ぎ出した」と云ひ、停止すると「落着いた」と云ふ。
北条民雄
それを見たとたん、秋津栄三はがつくりと膝を折つてそのまま地べたへつき坐つてしまひさうになつた。ここまで彼の体を支へて来た足は、俄に力が抜けて関節が外れてしまつたやうであつた。 車道には電車がきしり、自動車が辷つて流れてゐる。彼の横を、彼の気持とは全然かかはりのない人々が打ち続いて通つて行く。彼は絶望的な眼をそれらに投げ、力の抜けた足を引きずりながらのろのろと
北条民雄
入院すると、子供を除いて他は誰でも一週間乃至二週間ぐらゐを収容病室で暮さなければならない。そこで病歴が調べられたり、余病の有無などを検査されたりした後、初めて普通の病舎に移り住むのであるが、この収容病室の日々が、入院後最も暗鬱な退屈な時であらう。舎へ移つてしまふと、いよいよこれから病院生活が始まるのだといふ意識に、或る落着きと覚悟とが自ずと出来、心の置きどこ
富永太郎
夕暮の癲狂院は寂寞として 苔ばんだ石塀を囲らしてゐます。 中には誰も生きてはゐないのかもしれません。 看護人の白服が一つ 暗い玄関に吸ひ込まれました。 むかふの丘の櫟林の上に 赤い月が義理で上りました (ごくありきたりの仕掛です)。 青い肩掛のお嬢さんが一人 坂をあがつて来ます。 ほの白いあごを襟にうづめて 脣の片端が思ひ出し笑ひに捩ぢれてゐます。 ――お嬢
坂口安吾
発掘した美女 坂口安吾 恋わずらい 梅玉堂は東京で古くから名のある菓子店である。その当主はよくふとっていたが、神経衰弱気味であった。見合をしたのが発病の元であった。 むろん初婚ではない。梅玉堂は五十三だ。死んだ先妻には大学生の倅をはじめ三人の子供が残されていた。 見合をした女の人も初婚ではなかった。初音サンという人だ。先夫が病死して、子がなかったから、生家に
北条民雄
いつたいに慢性病はどの病気でも春先から梅雨期へかけて最も悪化する傾向がある。結核などはその著しい例であらうと思ふが、癩もやはりさうで、この頃になるとそれまで抜けなかつた頭髪が急に抜け始めたり、視力が弱つて眼がだんだんかすんだり充血したりする。私もこの春突然充血した眼が、いまだに良くならないでゐる。勿論その頃に較べるとずつと良くなつたし、それに秋がもう始まつて
北条民雄
胸までつかる深い湯の中で腕を組んで、私は長い間陶然としてゐた。ひどく良い気持だつた。外は凩が吹いて寒い夜だつたが、私は温かい湯に全身を包まれてゐるので、のびのびとした心持であつた。私は結婚したばかりのまだ十八にしかならない妻のことを考へてゐたのである。春になつたら、田植時までの暇な時期を選んで彼女を東京へ連れて行つてやらう、なんにも知らない田舎娘の彼女はどん
式場隆三郎
夏目漱石は家人のすすめで、やむなく電話を買ったが、うるさいからといってしばらく受話器をはずさせておいたという。自分の方からはかけるが、人からの呼出しには応じないわけである。これは漱石の神経症状のみられたころの奇行として、重大な意味をもたせてよいものか、反対にユーモラスな悪戯として笑ってすませるべきだろうか。それとも単なるゴシップで、事実無根であったろうか。
高浜虚子
発行所の庭木 高浜虚子 発行所の庭には先づ一本の棕梠の木がある。春になつて粟粒を固めた袋のやうな花の簇出したのを見て驚いたのは、もう五六年も前の事である。それ迄棕梠の花といふものは、私は見た事がなかつたのである。見た事はあつても心に留まらなかつたのである。それがこの家に移り住むやうになつて新しく毎日見る棕梠の梢から、黄いろい若干の袋が日に増し大きくなつて来る
羽仁もと子
おさなごは、子宝のなかのさらに貴い宝です。この生きた宝物を新しい心でながめていると、あらゆる喜びとあらゆる望みが、つぎつぎとそのなかに発見されて、じっとしてはいられない気になります。 まず第一に、いま生まれたみどりごが、お産婆の手よりも何よりも、自分で生きる力をあたえられているのだということを、たしかに自覚している母親は幾人あるでしょう。都会の新式の家にすむ
牧野富太郎
ムジナモ発見物語り 牧野富太郎 じつとしていて静かに往時を追懐してみると、次から次に、あの事この事と、いろいろ過去の事件が思い出される、何を言え九十余年の長い歳月のことであれば、そうあるべきである筈なのである。 しかし、ふつうのありふれた事柄は、たとえ実践してきた自身のみには、多少の趣きはあるとしても、他人には別にさほどの興味も与えまいから、そこで私はその思
新美南吉
一年一回の学芸会が近づいて来た。小さい村の二百に充たない小さい魂は二月も前から小鳥が春を待つやうに待つてゐた。この頃になると少年少女達の眼は急に注意深くなつて先生のどんな小さな表情、どんな微かな挙動をも見のがさない。特に成績がよくて学芸会に出ることを約束されてゐる児童達がさうだつた。 遂々或る日先生が口をきつた。それは唱歌の時間が終りかけたときだつた。その時
辻村伊助
登山の朝 辻村伊助 八月一日はブンデスタークだ、スウィス開国の記念日である。 二階の寝室で目ざましがチリチリ鳴り出した、腕時計の針はちょうど午前一時を示している、いぎたなく寝込んでしまった近藤君をたたき起こして、隣の室に出ると、上からガイドの連中が降りて来た。外は、山稜にたち切られた空に星が冷たくまたたいて、風はないが非常に寒い。入口の水たまりは、むろん、厚
木暮理太郎
八月二十日於霧ヶ峰「山の会」講演大意、後補筆 昔からお談義を聞かせるのは大抵老人と極っているようで「またお談義か、うんざりするな」というようなことは、日常見聞する所であります。事実、相手の好むと好まざるとを問わず、聞かせたがるのが老人のお談義でありますから、私の話題を「登山談義」ときめた石原さんは、誠に気の利いた題を選んで呉れたものと感心したのでありますが、
正宗白鳥
日本は四面海に囲まれていながら、海洋の文学が乏しい。海上生活を描いた傑れた文章が無い。しかし、山岳に関する文章は、明治以後にも可成り現れているようである。 私は山を好む。それは山の空気は下界とは異り、爽やかであるためである。山を好むと云っても、身体羸弱であるため、実際、高山へ登ったことは殆んど無いのだ。最もよく登った山は故郷の後ろの山で、年少の頃から老年の今
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
いまからずっと、むかしのこと、あるところにひとりの王さまが住んでおりました。その王さまのかしこいことは、国じゅうに知れわたっていました。とにかく、王さまの知らないことは、なにひとつないのです。どんなにないしょのことでも、空をつたわって、王さまのもとに知れるのではないかと思われるほどだったのです。 ところで、王さまにはかわった習慣がひとつありました。それは、ま
小川未明
そこは、熱い国でありました。日の光が強く、青々としている木立や、丘の上を照らしていました。 この国の動物園には、熱帯地方に産するいろいろな動物が、他の国の動物園には、とうてい見られないほどたくさんありましたが、寒い国にすんでいる動物は、なかなかよく育たないものとみえて、あまり、数多くはありません。その中に、一ぴきの白いくまが、みんなから珍しがられ、またかわい
桜間中庸
港の風の吹いて來る 海岸通りの白ホテル 異人の子供がつきました テリヤもおともでつきました ホテルのポーチのボウイさん 英語で案内いたします グツドモーニング マイデア グツドモーニング マイデア ●図書カード
坂口安吾
白井明先生に捧ぐる言葉 坂口安吾 先ごろの本欄に僕の「風報」にかいた「天皇陛下に捧ぐる言葉」を評して俗うけを狙った媚態露出だとのことであるが、白井明先生の鑑賞眼は浅薄低俗と申さなければならない。 あの文章にこもる祖国へよせる僕の愛情や、あれを書かずにいられなかった情熱を読みとることができないとは、白井先生が頃日書く意味もない駄文ばかり書いてるせいなのである。
沼田一雅
白い光と上野の鐘 沼田一雅 私は『白い光り』と『上野の鐘』の二題に就いて、ざっと荒筋丈けをお話しようと思う、真に凄い怖いというようなところは、人々の想像に一任するより外は無い。それに何うもこの怪談というやつは再聞のことが多い。その中でもまだあまり人に話したことのない比較的最も深い印象を与えられたものというと、突嗟の場合先ずこの二題を推す。 美術学校創立当時の
今野大力
明るい北国の十二月終日雪は降っていた一尺、二尺、それは容易な大空の変化のページェント又軽やかに香う土へのプレゼント *或日その前夜を名残に、吹雪は綺麗に止んでいた、そして北国のヌタプカムシペ連峯と上川平野の野原とにそれは雪国の特有な白光を輝かせて天への一大讃歌をあげていた ●図書カード
北原白秋
白南風は送梅の風なり。白光にして雲霧昂騰し、時によりて些か小雨を雜ゆ。欝すれども而も既に輝き、陰濕漸くに霽れて、愈に孟夏の青空を望む。その薫蒸するところ暑く、その蕩搖するところ、日に新にして流る。かの白榮と言ひ、白映と作すところのもの是也。蓋し又、此の白映の候に中りて、茲に我が歌興の煙霞と籠るところ多きを以て、採つて題名とす。もとより本集の歌品秋冬に尠く、春
北原白秋
白南風は送梅の風なり。白光にして雲霧昂騰し、時によりて些か小雨を雑ゆ。鬱すれども而も既に輝き、陰湿漸くに霽れて、愈に孟夏の青空を望む。その薫蒸するところ暑く、その蕩揺するところ、日に新にして流る。かの白栄と言ひ、白映と作すところのもの是也。蓋し又、此の白映の候に中りて、茲に我が歌興の煙霞と籠るところ多きを以て、採つて題名とす。もとより本集の歌品秋冬に尠く、春
原民喜
おでん屋の隅で、ビヤー・ホールの卓上で、或ひは喫茶店のボックスで屡々繰り返される極くありふれた会話の一形式がある。 どうも時代が代ってしまひましたな。今の若い連中なんか何だかまるで僕達には見当がつかない。それにつけても僕達が若い頃は何と云っても恵まれてましたね。――さう云って、四十代の男が二人盃で友情を温めながら夜を更かしてゐる。 どうも僕達だけが悩み通した