白塔の歌 ――近代伝説――
豊島与志雄
方福山といえば北京でも有数な富者でありました。彼が所有してる店舗のなかで、自慢なものが二つありました。一つは毛皮店で、虎や豹や狐や川獺などをはじめ各種のものが、一階と二階の広間に陳列されていまして、北京名物の一つとして見物に来る旅行者もあるとのことでした。他の一つは茶店でありまして、昔は帝室の茶の御用を務めていたという由緒が伝えられていました。 この方福山が
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豊島与志雄
方福山といえば北京でも有数な富者でありました。彼が所有してる店舗のなかで、自慢なものが二つありました。一つは毛皮店で、虎や豹や狐や川獺などをはじめ各種のものが、一階と二階の広間に陳列されていまして、北京名物の一つとして見物に来る旅行者もあるとのことでした。他の一つは茶店でありまして、昔は帝室の茶の御用を務めていたという由緒が伝えられていました。 この方福山が
本庄陸男
白い壁 本庄陸男 一 とうとう癇癪をおこしてしまった母親は、削りかけのコルクをいきなり畳に投げつけて「野郎ぉ……」と喚くのであった。 「いめいめしいこの餓鬼やあ、何たら学校学校だ。この雨が見えねえか! 今日は休め!」 「あたいは学校い行くんだ」 富次は狭い台所ににげこんでそう口答えをした。しばらく彼はそこでごとごといわせていたが、やがて破れ障子の間からするり
小川未明
私は、学校にいるとき、いまごろ、お母さんは、なにをなさっていらっしゃるだろうか、またおばあさんは、どうしておいでになるだろうか、と考えます。すると、おうちのようすが、ありありと、目にうつります。 「ああ、お母さんは、おせんたくをなさって、もう、おわったころだ。」 「いまごろ、おばあさんは、いつもの場所にすわって、眼鏡をかけ、お仕事をなさっているだろう。」と、
田中貢太郎
某夜、某運転手が護国寺の墓地を通っていると、白い小犬を抱いた女が来て車を停めた。そこで運転手は女の云うままに逢初橋まで往くと、女が、 「ちょっと待っててね」 と云って、犬を抱いたままおりて、傍の立派な門構の家へ入って往ったが、一時間近くなって出て来ないので、運転手はしかたなしにその家へ往った。すると一人の老婦人が出て、 「私の家には、女の子はいないのですが」
小島烏水
白峰山脈縦断記 小島烏水 緒言 前年雨のために失敗した白峰山登りを、再びするために、今年(四十一年)は七月下旬高頭式、田村政七両氏と共に鰍沢へ入った、宿屋は粉屋であった、夕飯の終るころ、向い合った室から、一人の青年が入って来た、私たちが、先刻から頻に白峰、白峰と話すのを聞いて、もしやそれかと思って、宿帳で、姓名を見てそれと知った、というので同行を申し込まれた
北原白秋
白帝城 北原白秋 「ほら、あれがお城だよ。」 私は振り返つた。私の後ろからは円い麦稈帽に金と黒とのリボンをひらひらさして、白茶の背広は濃い花色のネクタイを結んだ、やつと五歳と四ヶ月の幼年紳士がとても潔よく口をへの字に引き緊めて、しかもゆたりゆたりと歩いてゐた。地蔵眉の眼が大きく、汗がぢりぢりとその両の頬に輝いてゐる。 名鉄の電車を乗り捨てて、差しかかつた白い
小川未明
夏の日のことでありました。汽車の運転手は、広い野原の中にさしかかりますと、白い着物を着た男が、のそりのそりと線路の中を歩いているのを認めました。 このあたりには人家もまれであって、右を見ても左を見ても、草の葉がきらきらと、さながらぬれてでもいるように、日の光に照らされて光っていました。また、遠近にこんもりとした林や森などが、緑色のまりを転がしたようにおちつい
豊島与志雄
白日夢 豊島与志雄 晩春の頃だった。 私達――私と妻と男の児と女中との四人――は新らしい住居へ移転した。まだ道具もそう多くはなかったので、五六日で家の中は一通り片付いて、私はほっとした気持で、縁側に腰掛けて煙草を吹かしながら、庭の面をぼんやり眺めてみた。庭と云っても僅かに六七坪のものだったが、二三本の植込の木下に、鮮かな緑の雑草が、ぽつりぽつりと萠え出してい
牧野信一
医院を開いてゐた隆造の叔父が発狂して、それも他所目にはさうとも見られる程でもなかつたが職業柄もあつたし、家内の者達への狂暴は募るばかりで「酒癖が悪い」位ゐでは包み終せなくなつて、漸くのこと、三月ばかり前にS癲狂院へ入院させて以来――毎晩のやうに同じやうな叔母の愚痴話の相手になつて、隆造は夜を更さなければならなかつた。 「だけどね、隆さん。」と、叔母は炭をつぎ
中谷宇吉郎
ハワイ島の高峰マウナ・ロアは、一万三千七百フィートの山頂を中心にして、神奈川県よりも一周り広い全地域が、黒い熔岩で蔽われている。木も草も、昆虫も鳥も、生命のあるものは、なに一つこの土地では生きて行かれない。この黒い月の世界のことは、前に書いた。 ところが、ちょうどこれと対照する白い月の世界も、この地球上にある。それはグリーンランドの氷冠(アイス・キャップ)の
豊島与志雄
芝田さんの家の門は、ちょっと風変りです。その辺は屋敷町で、コンクリートの塀や、鉄格子の門扉や、御影石の門柱などが多く、至って近代的なのですが、そのなかに、道路より少しひっこんで、高さ一間半ほど、太さ二抱えほどの丸木が、二本立ち並び、木の格子がとりつけてあります。それが芝田さんの家の門です。丸木の門柱の方は、郊外の植木屋さんにでもありそうなもので、古く朽ちかけ
豊島与志雄
白木蓮 豊島与志雄 桃代の肉体は、布団の中に融けこんでいるようだった。厚ぼったい敷布を二枚、上に夜着と羽根布団、それらの柔かな綿の中に、すっぽりとはいっているので、どこに胴体があるのか四肢があるのか、見当がつかない。実は、体躯はそこにあるに違いないが、それも既に、死の冷却と硬直と分解に委ねられているだろう。それは彼女の肉体ではない。――肉体の喪失を、私はそこ
田中貢太郎
務は電車の踏切を離れて丘の方へ歩いた。彼は一度ならず二度三度疾走して来る電車を覘っていたが、そのつど邪魔が入って目的を達することができなかった。彼は混乱している頭で他に死場所を探さなければならなかった。彼はいらいらした気もちで歩いていた。 電車線路のこっちに一幅の耕地を持って高まった丘は、電車が開通するとともに文化住宅地になって、昼間電車の中から見ると丘の樹
仲村渠
白昼だから 秋だから 原つぱは白かつた 白昼だから 秋だから 空も白かつた 原つぱのまんなかでひとり 戸山学校の生徒が喇叭を吹いてゐた 赤いズボンはいて喇叭を吹いてゐた 白昼だから 秋だから 原つぱは廻つてゐた 白昼だから 秋だから 空も廻つてゐた 赤い心が澄んで廻つてゐた 喇叭を吹いて廻つてゐた ●図書カード
長塚節
白瓜と青瓜 長塚節 庄次は小作人の子でありました。彼の家は土着の百姓であります。勿論百姓といふものが一旦落ちついた自分の土地を離れて彷徨ふといふことはよく/\の事情が起らない限りは決してないことであります。自分に土地を所有する力の無いものは他の土地を借りて作物を仕付ます。そして相應に定められた金錢や又は米や麥の收獲の一部を地主へ納めるのであります。此が小作料
長塚節
白甜瓜 長塚節 石の卷を出て大きな街道を行くと暫くして松林へかゝる。海邊であるが松は孰れもすく/\と立つて然かも鬱蒼と掩ひかぶさつて居る。街道は恰も此の松林を穿つて通じてあるやうである。暑い日光をうけた白い砂利が松と相映射して居る。此の日は朝から無理な歩きやうをした爲か足がだん/\に痛み出して居たので松の木蔭の草村へ※を敷いて休んだ。兩掛の荷物を卸すと身體が
北条民雄
親父は大酒飲みで、ろくすつぽ仕事もせず毎日酔つぱらつては大道に寝転び、村長でも誰でも口から出まかせに悪口雑言を吐き散らすのが無上の趣味で、母親は毎日めそめそ泣いて、困るんでござります困るんでござりますと愚痴つてばかりゐる意気地なしなのである。その又子供がろくでなしの揃ひで、長男は薄馬鹿以上の白痴で、二十六にもなるのに近所の子供に阿呆阿呆と言はれて、それが自分
坂口安吾
白痴 坂口安吾 その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、まったく、住む建物も各々の食物も殆ど変っていやしない。物置のようなひん曲った建物があって、階下には主人夫婦、天井裏には母と娘が間借りしていて、この娘は相手の分らぬ子供を孕んでいる。 伊沢の借りている一室は母屋から分離した小屋で、ここは昔この家の肺病の息子がねていたそうだが、肺病の豚にも贅沢すぎる
小酒井不木
塚原俊夫君が、魚釣りを好むことは、これまでまだ一度も皆さんに紹介しませんでしたが、俊夫君は、かつて動物学を修めたとき、ことに魚類の解剖と生理とに興味を持ちまして、それと同時に魚釣りも大好きになったのであります。 近頃では、むずかしい事件を依頼されると、わざわざ魚釣りに出かけて考えをまとめることもありましたが、多くの場合は、半日か一日を面白く遊んで頭脳を休める
北原白秋
詩は芸術の精華である。この詩の道を行ふ外に、私は生れて何一つ与へられてゐなかつた。これが為めに、私はただ一すぢに詩に仕へて来た。詩に生き、詩に痩せ、詩に苦しみ通して来た。人間としてのかうがうしい歓びも、人間の果知れぬ寂しさも、私はたゞ詩に依つてのみ現す事が、ただ私の取るべき道であつた。 私は歌つた。歌はねばならなくなつて、私はただ歌つた。かうして私の詩が流れ
北原白秋
一、本巻には東京景物詩「雪と花火」以後の所作を輯める事にした。而して新らしい作から前に組むだ。既に公刊した集はなるべく原形の儘にした。なほ多少削除した分もある。一、「青燈集」の諸作は主として大正五年より八年に至る、葛飾、動阪、小田原時代のものである。尤も「童と母」「麻布山」の二篇はその以前の作である。此集は可なり詩風の違つたものが混淆してゐる。が、作品が少い
北原白秋
一、本巻には処女詩集「邪宗門」、抒情小曲集「思ひ出」、及び少年期の長篇数種を収めた「朱泥の馬」、それに補遺の数篇とを輯める事にした。本巻に於ても亦公刊した集はなるべく原形の儘にした。一、「邪宗門」は明治四十二年三月の初版である。同三十九年の四月から四十一年の臘月に至る約三年間の所作を収めたもので、私の初期の象徴詩その他を代表した集であつた。本集は危うく絶版の
立原道造
突然が僕を驚かす。僕はそのとき、發見したのだ。ひとりの少女は、埃りにまざつて電車にのつてゐた。朝の空氣が僕たちの間を流れる。僕たちは、眼と眼で、そつとうなづきあふ。ちようど知らない人間同士がするやうに。それから、僕は、何でもない數字を計算する。しかし、僕は自分の苦痛からはみ出さうとするこのたくらみに失敗する。すると僕は、動けなくなる。ぼんやり窓のところを見つ
薄田泣菫
わがゆくかたは、月明りさし入るなべに、 さはら木は腕だるげに伏し沈み、 赤目柏はしのび音に葉ぞ泣きそぼち、 石楠花は息づく深山、――『寂靜』と、 『沈默』のあぐむ森ならじ。 わがゆくかたは、野胡桃の實は笑みこぼれ、 黄金なす柑子は枝にたわわなる 新墾小野のあらき畑、草くだものの 釀酒は小甕にかをる、――『休息』と、 『うまし宴會』の塲ならじ。 わがゆくかたは