紀行文家の群れ ――田山花袋氏――
小島烏水
明治文壇には、紀行文家と称せられる一群の顔ぶれがあった。根岸派では、饗庭篁村が先達で、八文字舎風の軽妙洒脱な紀行文を書き『東京朝日』の続きものとして明日を楽しませた。幸田露伴にも『枕頭山水』の名作があり、キビキビした筆致で、自然でも、人間でも、片っぱしからきめつけるような犀利な文章を書いている。しかしこのご両人は、あまりに老大家であって、「一群」からは、かけ
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小島烏水
明治文壇には、紀行文家と称せられる一群の顔ぶれがあった。根岸派では、饗庭篁村が先達で、八文字舎風の軽妙洒脱な紀行文を書き『東京朝日』の続きものとして明日を楽しませた。幸田露伴にも『枕頭山水』の名作があり、キビキビした筆致で、自然でも、人間でも、片っぱしからきめつけるような犀利な文章を書いている。しかしこのご両人は、あまりに老大家であって、「一群」からは、かけ
マクラウドフィオナ
モイルの荒々しい水に洗われているアルバンの南方の王であったケリルが寂しい土地にたった一疋の猟犬をつれて一人で猟している時のことであった、ケリルはその時、同じ生命を持っている二人の生命は互に触れて一つになることがあるという事を見出した。 ケリルは羊歯のなかで牝鹿の足跡らしいのを見つけて身を屈めてそれを見ようとしたが、その時、猟犬はいきなり飛び退いてもと来た路を
小川未明
ある日のこと、こまどりが枝に止まって、いい声で鳴いていました。すると、一羽のすずめが、その音色を慕ってどこからか飛んできました。 「いったい、こんなような、いい鳴き声をするのが、俺たちの仲間にあるのだろうか。」と、すずめは不思議に思ったのです。 すずめは、すぐ、こまどりがとまって鳴いているそばの枝に下りてとまりました。そして、鳴いている鳥をつくづく見ると、姿
小栗虫太郎
紅毛傾城 小栗虫太郎 序 ベーリング黄金郷の所在を知ること ならびに千島ラショワ島の海賊砦のこと 四月このかた、薬餌から離れられず、そうでなくてさえも、夏には人一倍弱いのであるが、この夏私は、暑気が募るにしたがって、折りふし奇怪な感覚に悩まされることが多くなった。 ちょうどそれは、私の心臓のなかで、脈打ちの律動が絶えず変化していくように、波打つ暑気の峰と谷と
国枝史郎
紅白縮緬組 国枝史郎 一 「元禄の政は延喜に勝れり」と、北村季吟は書いているが、いかにも表面から見る時は、文物典章燦然と輝き、まさに文化の極地ではあったが、しかし一度裏へはいって見ると、案外諸所に暗黒面があって、蛆の湧いているようなところがある。 南町奉行配下の与力鹿間紋十郎と云う人物が、ある夜同心を二人連れて、市中をこっそり見廻っていた。 丑満時であったか
小酒井不木
これから皆さんに少年科学探偵塚原俊夫君を紹介します。俊夫君は今年十二ですけれど、大人も及ばぬ賢い子です。六歳の時、三角形の内角の和が二直角になるということを自分で発見して、お父さんをびっくりさせました。尋常一年のとき、 菜の花や股のぞきする土手の児ら という俳句を作って、学校の先生をアッと言わせました。尋常二年の頃にはもう、中学卒業程度の学識がありました。
ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ
「畏くも天の下しろしめす皇帝、ピョートル一世陛下の御名代として、余は本癲狂院の査閲を宣す!」 甲高い、耳がびんびんするような大音声で、そんな文句が述べ立てられた。インクの汚点だらけの机に向かって、ぼろぼろの大きな帳簿にその患者の名を書き込んでいた病院の書記は、思わず微笑を浮かべてしまった。だが患者を護送して来た二人の若者は、にこりともしなかった。二昼夜という
宮本百合子
紅葉山人と一葉女史 宮本百合子 今まで、紅葉山人の全集をすっかり読んだ事がなかった。 こないだ叔父の処へ行って二冊ばかり借りて来て、初めて、四つ五つとつづけて読んで居る内にフト気づいた事がある。 それは、一葉全集をよんで感じたと同じ事である。 いかにも立派な筆を持って居られた、と云う事は両方を見て等しく感じる事である。 筆をつけて居る時の苦心の名残は、つゆほ
田山花袋
随分もう昔だ。その頃のことを繰返して見ると、いつの間にか月日が経つたといふことが染々と考へられる。尾崎紅葉と書いた返事が来た時、自分は何んなに喜んだか知れなかつたが、其喜びももう想像が出来ない位薄い印象を残してゐるに過ぎない。 明治二十三四年頃の紅葉山人の名声はそれは隆々たるものであつた。紅葉、露伴と名を並べて言はれてゐたが、何方かと謂へば、矢張紅葉の方が評
黒島伝治
「紋」 「紋」 黒島伝治 古い木綿布で眼隠しをした猫を手籠から出すとばあさんは、 「紋よ、われゃ、どこぞで飯を貰うて食うて行け」と子供に云いきかせるように云った。 猫は、後へじり/\這いながら悲しそうにないた。 「性悪るせずに、人さんの余った物でも貰うて食えエ……ここらにゃ魚も有るわいや。」 猫は頻りにないて、道と田との間の溝(どぶ)に後足を踏み込みそうにな
豊島与志雄
「紋章」の「私」 豊島与志雄 横光利一氏の「紋章」のなかには、「私」という言葉で現わされてる一人の文学者が出てくる。彼は、主要な人物たる雁金八郎と山下久内とに、共に交誼があり、山下敦子や綾部初子や杉生善作とは顔見知りであり、雁金の発明実験所や山下家の茶会や其他いろいろのところに、出入する。そしていろいろの事物やいろいろの説明が、彼によって述べられる。が彼は作
小川未明
ナロードニーキ社会主義運動の精神を、私達は、今に於てなつかしまざるを得ない。真実を至上とし、行動を良心の上に置いたからである。彼等は、正義のため、全く自己を犠牲にして惜しまなかった。 私達は、この精神に即してのみ社会運動の意義を見出さんと欲する。そして、この情熱に於てのみ、不断の感激をそゝられるのである。 主観的信念より、客観的組織に就くことは自然として、何
萩原朔太郎
萩原の今ゐる二階家から本郷動坂あたりの町家の屋根が見え、木立を透いて赤い色の三角形の支那風な旗が、いつも行くごとに閃めいて見えた。このごろ木立の若葉が茂り合つたので風でも吹いて樹や莖が動かないとその赤色の旗が見られなかつた。 「惜しいことをしたね。」 しかし萩原はわたしのこの言葉にも例によつて無關心な顏貌をした。 或る朝、萩原は一帖の原稿紙をわたしに見せてく
萩原恭次郎
萩原朔太郎! 少年時からの懷かしさで、今では兄のやうに思へる。氏と語る時には、常に寡默な輕い憂鬱さを知る。秀でた人のもつ善良の味だ。私は實にその偏奇な高潔さが好きだ。卓を挾んで拳鬪家のやうに語り合ふ事は、極めて尠い。が、語る! 怒り、淋しい頽廢の怒り、閃く、自棄的な時、どこにも快活な、何物へも得意さと云ふものが現はれない日、病的な程堪へ難い日がある。また晴天
佐藤垢石
純情狸 佐藤垢石 私に董仲舒ほどの学があれば、名偈の一句でも吐いて、しゃもじ奴に挑戦してみるのであったが、凡庸の悲しさ、ただ自失して遁走するの芸当しか知らなかったのは、返す返すも残念である。 さて、昔の若き友人は老友となって、私の病床を慰めながら語るに、僕の村の一青年が、数日前の夜、この村に用事があって夜半まで話し込み、星明かりをたよりに、野路を東箱田の方へ
太宰治
純真 太宰治 「純真」なんて概念は、ひょっとしたら、アメリカ生活あたりにそのお手本があったのかも知れない。たとえば、何々学院の何々女史とでもいったような者が「子供の純真性は尊い」などと甚だあいまい模糊たる事を憂い顔で言って歎息して、それを女史のお弟子の婦人がそのまま信奉して自分の亭主に訴える。亭主はあまく、いいとしをして口髭なんかを生やしていながら「うむ、子
太宰治
純真 太宰治 「純真」なんて概念は、ひよつとしたら、アメリカ生活あたりにそのお手本があつたのかも知れない。たとへば、何々学院の何々女史とでもいつたやうな者が「子供の純真性は尊い」などと甚だあいまい模糊たる事を憂ひ顔で言つて歎息して、それを女史のお弟子の婦人がそのまま信奉して自分の亭主に訴へる。亭主はあまく、いいとしをして口髭なんかを生やしてゐながら「うむ、子
宮本百合子
純粋な動機なら好い 宮本百合子 一、芸術批評を本気な仕事とせず、おっつけで、仕来りになったから「月評」と云うものの権威は薄くなったのではありませんか。 二、純粋な動機で批評すれば、或る月には、或る作品について多く書かれ、又、或る月は、沈黙であると云うことが、存在の可否などを論じさせない自然な、本当の状態であると思います。 〔一九二二年一月〕
宮城道雄
純粋の声 宮城道雄 私が上野の音楽学校に奉職することになった時、色々話があるからというので、或る日学校に呼ばれて行ったことがある。いよいよ講師としての辞令を渡された時、乗杉校長が、この学校は官立であるから、官吏という立場において体面を汚さぬようなことは、どんなことをしてもよいが商事会社の重役になってはいけぬと言った。 私も長年弟子を教えてはいたが、学校の先生
谷崎潤一郎
正直に云つて、晩年の鏡花先生は時代に取り残されたと云ふ感がないではなかつた。先生の如く過去に極めて輝かしい業績を成し遂げた人は、いかなる場合にも心の何処かに晏如たるものがあるから、あまり淋しさうにはしてをられなかつたけれども、老後の先生が久しく文壇の主流から置き去りにされてゐたことは否むべくもない。が、その人が既に故人となつた今、その著作には新たに歴史的な意
萩原朔太郎
みよわが賽は空にあり、 空は透青、 白鳥はこてえぢのまどべに泳ぎ、 卓は一列、 同志の瞳は愛にもゆ。 みよわが賽は空にあり、 賽は純銀、 はあとの「A」は指にはじかれ、 緑卓のうへ、 同志の瞳は愛にもゆ。 みよわが光は空にあり、 空は白金、 ふきあげのみづちりこぼれて、 わが賽は魚となり、 卓上の手はみどりをくむ。 ああいまも想をこらすわれのうへ、 またえれ
小熊秀雄
紙幣よ、 貴様のためにこの私の詩人が 歌ふのを光栄と思へ、 だが貴様はいふだらう、 ――何を生意気な貧乏詩人め、 イノシシとは一体 十円札か百円札か知つてゐるか さういはれてみると一寸胴忘れした 然しそんなことが何の恥辱だらう、 紙幣の図柄をゆつくり 見て居る暇もない程に 貴様はいつも私の右から入つて左へ抜ける まるで駈足だ。 もし私がブルジョアならば、 お
斎藤茂吉
ある晩カフェに行くと、一隅の卓に倚ったひとりの娘が、墺太利の千円紙幣でしきりに鶴を折っている。ひとりの娘というても、僕は二度三度その娘と話したことがあった。僕の友と一しょに夕餐をしたこともあった。世の人々は、この娘の素性などをいろいろ穿鑿せぬ方が賢いとおもう。娘の前を通りしなに、僕はちょっと娘と会話をした。 「こんばんは。何している」 「こんばんは。どうです
桑原隲蔵
紙の歴史 桑原隲藏 (一)先秦時代の書寫の材料 (二)紙の發明 (三)マホメット教國に於ける紙の傳播(上) (四)マホメット教國に於ける紙の傳播(下) (五)オーストリーのライネル太公爵の古紙蒐集 (六)西本願寺所藏の古文書 一 紙の發明は世界の文化に多大の貢獻をした。人智の開發と文化の促進とに大關係ある印刷術が發明されても、紙の發明が之