地唄
折口信夫
地唄とは、ろおかるの唄と言ふこと。上方の人々が、江戸の唄に対して、土地の唄と言ふ意味でさう名付けた。江戸から言へば、上方唄と言ふことになる。 上方では、長唄・清元・常磐津など、それにもつと古く這入つた唄や、江戸浄瑠璃の類を括めて、江戸唄と言つてゐた。其等は、法師が弾いてうたふと、差別なく、皆一つものになつて了つた。明治以後、東京から次第に其道の人々が、上方へ
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折口信夫
地唄とは、ろおかるの唄と言ふこと。上方の人々が、江戸の唄に対して、土地の唄と言ふ意味でさう名付けた。江戸から言へば、上方唄と言ふことになる。 上方では、長唄・清元・常磐津など、それにもつと古く這入つた唄や、江戸浄瑠璃の類を括めて、江戸唄と言つてゐた。其等は、法師が弾いてうたふと、差別なく、皆一つものになつて了つた。明治以後、東京から次第に其道の人々が、上方へ
折口信夫
東海道の奥から、信州伊那谷へ通じてゐる道が、大体三通りあります。其中、一筋は遠州から這入るもの、他の二筋は三河から越える道です。その真中にあたる道が、丁度花祭りの行はれる三州北設楽の村々を通つてゐるので、極僅かな傾斜を登ると、すぐ信州領になつてゐます。所謂新野峠が其境目で、此から半里も下ると、旦開村新野の町になるのです。而もこゝは、西へも北へも、或は東へも、
折口信夫
能楽の獅子舞には、本式に、赤頭に獅子口の面をつけて出る石橋と、望月や内外詣のやうに、仮面の代りに扇をかづき、赤頭をつけるのとがある。現実の獅子として出て来るのが石橋で、獅子芸で世を渡る芸能者の役を勤める場合、扇をつけて出る訣なのである。小沢刑部・伊勢の神主などは、望まれて世間の獅子芸能を舞ふのである。 江戸時代の歌舞妓所作事の獅子舞で、石橋うつしでありながら
折口信夫
天皇は 神にしますぞ。天皇の勅としいはゞ、畏みまつれ 天の下清くはらひて、上古の御まつりごとに復る よろこべ 橘ノ曙覧が、越前福井三橋の志濃夫廼舎で、五十七年の生涯を終へたのは、慶応四年八月二十八日であつた。 「此日、早旦自ら起たざるを知り、一二、後事を遺命し、且つ、如キレ斯クノ古来未曾有の大御代に遭ひながら、眼前、復古の盛儀大典を見奉るに至らず、況や、かね
折口信夫
熟語構成法から観察した語根論の断簡 折口信夫 私が単語の組織を分解するのは、単語の研究が実の処、日本の詞章の本質を突きとめて行くことになると思つてゐるからである。語根の屈折に就いて考へるには、先づ熟語に就いて見るのが一つの方法である。其には、語根と熟語の主部と言ふものを考へて見なければならない。茲に山と言ふ言葉があると、其を修飾する言葉がついて熟語が出来る。
折口信夫
唱導文芸序説 折口信夫 唱導といふのは、元、寺家の用語である。私の此方面に関心を持ち出したのも、実はさうした側の、殊に近代に倚つての、布教者の漂遊を主題としてゐた。だが、最近さうした方法が、寺家及びその末流――主として、此等の人々の自由運動に属する者が多いが――の採用することになるよりも前の形の方が、もつと大切な事の様に考へられて来た。即日本における、特殊な
折口信夫
酩酊船 さてわれらこの日より星を注ぎて乳汁色の 海原の詩に浴しつゝ緑なす瑠璃を啖ひ行けば こゝ吃水線は恍惚として蒼ぐもり 折から水死人のたゞ一人想ひに沈み降り行く 見よその蒼色忽然として色を染め 金紅色の日の下にわれを忘れし揺蕩は 酒精よりもなほ強く汝が立琴も歌ひえぬ 愛執の苦き赤痣を醸すなり アルチュル・ランボオ 小林秀雄 この援用文は、幸福な美しい引例と
折口信夫
唱導文学といふ語は、単なる「唱導」の「文学」と言ふ事でなく、多少熟語としての偏傾を持つて居るのである。事実において、唱導文学は、説経文学を意味しなければならぬのであるが、わが国民族文学の上には、特に説経と称するものがあり、又其が唱導文学の最大なる部分にもなつてゐる。だが、その語自身、あまり特殊な宗教――仏教――的主題を含んでゐる為、其便利な用語例を避けて、わ
折口信夫
現代かなづかひがきまつたのはともかくめでたいことと思ふ。ただ、それについて大きな用意があるのかといふことだけをききたい。歴史かなづかひといふものは、われわれ国民、年寄りから低いところは国民学校の子供に至るまで、これを以てほこりとしてゐる最低の古典なのだから、これに代るべきものが用意せられてゐるか、或は何か与へなければならぬといふことを考へたかどうか問ひたい。
折口信夫
古代中世言語論 折口信夫 一 我国の歴史は、やがて三千年に亘らうとして居る。其間に起つた数多くの文学が、今日の我々にも、大体は訣るといふこと、殊に奈良朝以前の文学などが訣るといふことは、どういふことであらうかと、さういふ懐疑の念を、恐らく、多くの人々は持たれた事があるに違ひない。奈良朝以前のものが、之だけ時代を経た今日の我々に、とにかくに大体に於いてでも訣る
折口信夫
叙景詩の発生 折口信夫 一 私の此短い論文は、日本人の自然美観の発生から、ある固定を示す時期までを、とり扱ふのであるから、自然同行の諸前輩の文章の序説とも、概論ともなる順序である。其等大方の中には、全く私と考へ方を異にしてゐられる向きもあることは、書かない前から知れて居る。其だけ、此話は私に即して居る。私一人でまだ他人の異見を聴いてもない考へなのである。が、
折口信夫
呪詞及び祝詞 折口信夫 延喜式の祝詞を、世間では、非常に古いものだと考へて居る。或は、高天原から持ち来されたものゝやうにも云うてゐるが、さうでは無く、自分は悉、平安朝の息がかゝつてゐると思ふ。かう言ふのは、祝詞の性質として為方の無い事で、第一、祝詞が我々に訣るといふのは、それが新しいからである。併し全部が、平安朝時代の新作だといふのでは無く、大体平安朝の初め
折口信夫
一 おもしろき野をば 勿焼きそ。旧草に 新草まじり 生ひば生ふるかに(万葉集巻十四) 此歌は、訣つた事にして来てゐるが、よく考へれば、訣らない。第一、どの点に、民謡としての興味を繋ぐことが出来たのか。其が見当もつかない。「ふる草に新草まじり」といふ句は、喜ばれさうだが、昔の人にもさうであつたらうか。上田秋成などは「高円の野べ見に来れば、ふる草に新草まじり、鶯
折口信夫
銘酊船 さてわれらこの日より星を注ぎて乳汁色の海原の詩に浴しつゝ緑なす瑠璃を啖ひ行けばこゝ吃水線は恍惚として蒼ぐもり折から水死人のたゞ一人想ひに沈み降り行く 見よその蒼色忽然として色を染め金紅色の日の下にわれを忘れし揺蕩は酒精よりもなほ強く汝が立琴も歌ひえぬ愛執の苦き赤痣を醸すなり アルチュル・ランボオ 小林秀雄 この援用文は、幸福な美しい引例として、短い私
折口信夫
三郷巷談 折口信夫 一 もおずしやうじん 泉北郡百舌鳥村大字百舌鳥では、色々よそ村と違つた風習を伝へてゐた。其が今では、だん/\平凡化して来た。此処にいふもおずしやうじんの如きは、殊に名高いものになつて居た。 此村には万代八幡宮といふ、堺大阪あたりに聞えた宮がある。其氏子は、正月三个日は、たとひどんな事があつても、肉食をせないで、物忌みにこもつた様に、慎んで
折口信夫
桟敷の古い形 折口信夫 此字は、室町の頃から見え出したと思ふが、語がずつと大昔からあつたことは、記紀の註釈書の全部が、挙つて可決した処である。言ふまでもなく、八俣遠呂知対治の条に、記・紀二つながら、音仮名で、さずきと記してゐる。それより後の部分にも、神功の継子の二皇子、菟餓野に祈狩して、各仮にゐると、赤猪が仮に登つて、麑坂ノ王を咋ひ殺した(神功紀)ことがある
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死者の書 戊寅、天子東狃二于沢中一。逢二寒疾一。天子舎二于沢中一。盛姫告レ病。天子憐レ之。□沢曰二寒氏一。盛姫求レ飲。天子命レ人取レ漿而給。是曰二壺※一。天子西至二于重壁之台一。盛姫告二病一。□天子哀レ之。是曰二哀次一。天子乃殯三盛姫二于轂丘之廟一。□壬寅、天子命レ哭。(略)……癸卯、大哭。殤祀而載。甲辰、天子南、葬二盛姫於楽池之南一。天子乃命二盛姫□之喪一
折口信夫
最古日本の女性生活の根柢 折口信夫 一 万葉びと――琉球人 古代の歴史は、事実の記憶から編み出されたものではない。神人に神憑りした神の、物語つた叙事詩から生れて来たのである。謂はゞ夢語りとも言ふべき部分の多い伝への、世を経て後、筆録せられたものに過ぎない。日本の歴史は、語部と言はれた、村々国々の神の物語を伝誦する職業団体の人々の口頭に、久しく保存せられて居た
折口信夫
神道の史的価値 折口信夫 長い旅から戻つて顧ると、随分、色んな人に逢うた。殊に為事の係りあひから、神職の方々の助勢を、煩すことが多かつた。中にはまだ、昔懐しい長袖らしい気持ちを革めぬ向きもあつたが、概して、世間の事情に通暁した人々の数の方が、どらかと言へば沢山であつたのには、実際思ひがけぬ驚きをした。此ならば「神職が世事に疎い。頑冥固陋で困る」など言ひたがる
折口信夫
死者の書 折口信夫 一 彼の人の眠りは、徐かに覺めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。 した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。 膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覺をとり戻して來るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――
折口信夫
死者の書 釋迢空 一 彼の人の眠りは、徐かに覺めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。 した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。 膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覺をとり戻して來るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。
折口信夫
今日の演題に定めた「神道に現れた民族論理」と云ふ題は、不熟でもあり、亦、抽象的で、私の言はうとする内容を尽してゐないかも知れぬが、私としては、神道の根本に於て、如何なる特異な物の考へ方をしてるかを、検討して見たいと思ふのである。一体、神道の研究については、まだ、一貫した組織が立つてゐない。現に、私の考へ方なども、所謂国学院的で、一般学者の神道観とは、大分肌違
折口信夫
ごろつきの話 折口信夫 一 ごろつきの意味 無頼漢などゝいへば、社会の瘤のやうなものとしか考へて居られぬ。だが、嘗て、日本では此無頼漢が、社会の大なる要素をなした時代がある。のみならず、芸術の上の運動には、殊に大きな力を致したと見られるのである。 ごろつきの意味に就ては、二様に考へられてゐる。雷がごろ/\鳴るやうに威嚇して歩くからだともいふが、事実はさうでな
折口信夫
信太妻の話 折口信夫 一 今から二十年も前、特に青年らしい感傷に耽りがちであつた当時、私の通つて居た学校が、靖国神社の近くにあつた。それで招魂祭にはよく、時間の間を見ては、行き/\したものだ。今もあるやうに、其頃からあの馬場の北側には、猿芝居がかゝつてゐた。ある時這入つて見ると「葛の葉の子別れ」といふのをしてゐる。猿廻しが大した節廻しもなく、さうした場面の抒