Vol. 2May 2026

Buku

Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik

Menampilkan 11.856 dari 14.981 buku

緑色の透視

左川ちか

一枚のアカシヤの葉の透視 五月 其処で衣服を捨てる天使ら 緑に汚された脚 私を追いかける微笑 思い出は白鳥の喉と なり彼女の前で輝く いま 真実はどこへ行った 夜露でかたまった鳥らの音楽 空の壁に印刷した樹らの絵 緑の風が静かに払いおとす 歓楽は死のあちら 地球のあちらから呼んでいる 例えば重くなった太陽が青い空の方へ落ちてゆくのを見る 走れ! 私の心臓 球

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緑の芽

佐左木俊郎

緑の芽 佐左木俊郎 一 弾力に富んだ春の活動は、いたるところに始まっていた。 太陽は燦爛と、野良の人々を、草木を、鳥獣を、すべてのものを祝福しているように、毎日やわらかに照り輝いた。農夫は、朝早くから飛び起きて、長い間の冬眠時代を、償おうとするかのように働いていた。 菊枝はまだ床の中で安らかな夢に守られているらしかった。父親は、朝飯前にと、近所へ出掛けたきり

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緑葉歎

堀辰雄

青葉頃になると、どうも僕の身體の具合が惡くなるのです。それにやられまいと思つて、隨分用心してゐるのですが、いつのまにかやられてゐます。こんどなども、ちよつと氣分が惡かつたので、二三日安靜にしてゐたら、それからずつと微熱が續いて、もう半月ばかりになるのに、いまだに寢込んでゐる始末です。それにどうしたのか、足がなやんでなりません。あの足首の、丁度靴下が一番先に穴

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緑衣人伝

田中貢太郎

緑衣人伝 田中貢太郎 趙源は家の前へ出て立った。路の上はうっすらと暮れかけていた。彼はその時刻になってその前を通って往く少女を待っているところであった。緑色の服装をして髪を双鬟にした十五六になる色の白い童女で、どこの家のものとも判らないし、また、口を利き合ったというでもないが、はじめて顔を合わした時から、その潤みのある眼元や口元に心を引きつけられていた。そし

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緑衣の女

松本泰

緑衣の女 松本泰 一 夏の夕暮であった。泉原は砂塵に塗れた重い靴を引きずりながら、長いC橋を渡って住馴れた下宿へ歩を運んでいた。テームス川の堤防に沿って一区劃をなしている忘れられたようなデンビ町に彼の下宿がある。泉原は煤けた薄暗い部屋の光景を思出して眉を顰めたが、そこへ帰るより他にゆくところはなかった。半歳近く病褥に就いたり、起きたりしてうつら/\日を送って

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緑衣の少女 聊斎志異 巻八「緑衣女」

蒲松齢

益都の生れの小宋という別名を持った于生という若者があった。彼は醴泉寺の僧房に学生として住んでいた。或る夜のこと、ちょうど彼が読書に耽っている時であった。突然、窓のそとに若い女性の声が聞えた。それは彼を讃める言葉であった「于さん、大そう御勉強でいらっしゃること。」彼はおどろいて跳び上った。そうしてその方を見た。それは、緑の衣を着て長い上衣を身にまとった比べるも

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緑の軍港

牧野信一

緑の軍港 牧野信一 いつの間にかわたしの部屋の壁には、いろいろな軍艦の寫眞が額になつて、あちこちに並び、本棚の上には「比叡」と「那智」の模型が飾られ、水雷型の筆立には巡洋艦「鈴谷」進水式紀念の軍艦旗とZ旗があつた。「比叡」と「那智」の模型は、それぞれわたしが拜乘の機會に浴した思ひ出の爲に材料を買ひ集めて組み立てたものである。近日中にエンヂンを取り付けて競技會

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緑の軍港

牧野信一

いつの間にかわたしの部屋の壁には、いろいろな軍艦の写真が額になつて、あちこちに並び、本棚の上には「比叡」と「那智」の模型が飾られ、水雷型の筆立には巡洋艦「鈴谷」進水式紀念の軍艦旗とZ旗があつた。「比叡」と「那智」の模型は、それぞれわたしが拝乗の機会に浴した思ひ出の為に材料を買ひ集めて組み立てたものである。近日中にエンヂンを取り付けて競技会へ出場させて見ようと

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緑雨と一葉

伊庭心猿

かの日都を落ちて船橋にやどり申候 きのふより市川町に戻りて百姓家を借りうけ、ともかくすごし居り候 今宵は松葉の土手と申すを下りて渡船にのりて月を觀候 なみ/\の旅ならねば落人の身の上いとゞ悲しく候 これは殘少き眞間のもみぢに候 處の名とは申ながら※ましく候 鬼共の都にて立騷ぎ候姿 目に見えておもひ候やうに眠られず候 この先いかゞ成行くべきかみづからも知らず候

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緒方氏を殺した者

太宰治

緒方氏を殺した者 太宰治 緒方氏の臨終は決して平和なものではなかったと聞いている。歯ぎしりして死んでいったと聞いている。私と緒方氏とは、ほんの二三度話合っただけの間柄ではあるが、よい小説家を、懸命に努力した人間を、よほどの不幸の場所に置いたまま、そのまま死なせてしまったという事実に就いて、かなりの苦痛を感じている。 追悼の文は、つくづく、むずかしいものである

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線香の火

中谷宇吉郎

昔、寺田(寅彦)先生が、よく「線香の火を消さないように」という言葉を使われた。 大学を新しく卒業して、地方の中学校即ち今の高等学校などへ赴任する学生が、先生のところへ暇乞いに行くと、先生はどういうところへ行っても、研究だけは続けなさいと諭された。「地方の学校へ行くと、研究の設備などは、もちろん少いだろう。研究費だってほとんどないだろうが、その気さえあれば、研

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線香花火

中谷宇吉郎

もう十年以上も前のことであるが、まだ私が大学の学生として寺田先生の指導の下に物理の卒業実験をしていた頃の話である。その頃先生はよく新しく卒業して地方の高等学校などへ奉職して行く人に、金や設備が無くても出来る実験というものがあるという話をして、そういう「仕事」を是非試みてみるようにと勧められていた。それ等の実例として挙げられた色々の題目の中には何時も決まって線

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〔編輯余話〕

牧野信一

私はこの七月から入社いたし皆様のために働くことゝなりました。私の心は悦しさに充ちて居ります。それは皆様といふ沢山なお友達を得ることが出来たからであります。庭の草花もほゝえむでゐるかのやうに見える程、私は爽かさを感じながら面白く仕事をして居ります。 しかし世の中のことがさう易々と運ばれるわけはありません。殊に巣を出たばかりの私のすることは定めし皆様方に御不満が

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編輯当番より

岸田国士

編輯当番より 岸田國士 少しは面倒な仕事、柄にない仕事でも、みんなが順番にやるといふことになると、私はなんとしても厭やとは云へない。順番に何かの役目が廻つて来るといふことは、誰にでも幾分か楽しいことではないかと思ふ。人間生活の自然な相を映してゐるやうでもあり、秩序の観念の理想的な表示ででもあるやうな気がするためであらうか。私は、さういふ楽しさを子供の時分から

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編輯後記(大正十五年九月号) 『青空』記事

梶井基次郎

同人の大部分が歸省中の編輯の任に當り、それを全うする積りであつたが、十七日に點呼があるので、殘務を中谷や外村や小林にあづけ十六日の朝東京を立つた。 全くこの夏は暑かつた。平常は無爲な私も事務に追はれて、アスフアルトが弛んでゐるやうな街を歩いた。少し健康は害してゐたが、日によつてはその暑熱が私を街へ誘惑することもあつた。松住町から湯島臺へ上つて行く左手のバラツ

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編輯後記(大正十五年四月号) 『青空』記事

梶井基次郎

忽那が三人寄せ書きの後記を書かうと云つて、よしとは云つたもののこれと云つて書く程のことも見付からない。然し一つ、この度第三種郵便物に加入することにしたので、その手續きに出掛けた、そのことだけは書いておき度い。積極的な用事もなく、居殘つてゐるのだが、内心では早く歸つていゝ作をして驚かしてやり度く思つてゐる。それだけ。

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編輯後記(昭和二年一月号) 『青空』記事

梶井基次郎

例月に比して小量のものしか載せ得なかつたことは、青空の經濟策に變動があつたことにもよるが、編輯の任にあたつた私が病態思ふやうに働らけなかつたためである。その點パートナーの三好を多々煩はしたことを感謝しなければならない。 青空も滿二年を經た。絶えざる成長が行はれたことは讀者も感じられることゝ思ふ。内部にはそれと共に新らしい進展のための用意が出來てゐる。それが今

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編輯雑感

喜田貞吉

自分がこの特別号の発行を思い付いたのは、本年二月下旬、東京築地本願寺で催された同情融和会の折であった。かくて爾来材料の蒐集に着手し、四月にその計画を発表して各地の有志家に材料の提供を依頼し、五月の本誌上に始めて予告を掲げた様な次第であったが、今やともかくもこれだけのものを発行せしむるに至ったのは、同情者各位とともに愉快に堪えぬところである。 自分は歴史家とし

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〔編輯雑記〕

牧野信一

△銀座通りで夜更迄話した、「雑誌をやらう」と、それでも足りないで家へ帰つて夜明しなどした。五年も前の話である、鈴木と二人で、春の夜だつた。感傷的な事を云ふやうだが、今度「金と銀」が四月に出る、沈丁花の香りを窓にしながら私はこれを書く、つまらない因念だが、それも自分の悦びの一つだ。 △あの頃なら自分は全部を投げて、雑誌の仕事に従事する事が出来た、今は、この他に

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編集者今昔

正宗白鳥

この頃は回顧談が流行してゐる。昔の有名人の噂などはことに雜誌の讀者に喜ばれてゐるらしくも思はれる。讀者の喜ぶか喜ばぬかは別として、筆者自身いい氣持で書いてゐるらしい。芥川に關する回顧談、回顧的作品など、私の目に觸れただけでも幾つあつたことか。芥川龍之介といふ大正期の作家が、どれほど傑かつたにしろ、どれほど人間的妙味に富んでゐたにしろ、その噂はもう澤山だと云つ

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練習曲

岸田国士

練習曲 岸田國士 ――おれはかうして雲を見てゐる。君はさうして新聞を読んでゐる。彼女は、こゝへ来て、どつちに先づ話しかけるだらう。――二五高女卒頗富愛嬌不幸無支度先方職不望温情有方至急。――あの下駄の音はあんまり落着いてるね。君は珈琲を飲むかい。――飲む。信用及商品持込家財其儘証人不要手軽月賦も可。――来たぞ、おい……。――長くお待ちになつて……?――ねえ、

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縁談

佐藤垢石

縁談 佐藤垢石 一 私のように、長い年月諸国へ釣りの旅をしていると、時々珍しい話を聞いたり、また自らも興味のある出来ごとに誘い込まれたりすることもあるものだ。これから書く話も、そのうちの一つである。 外房州の海は、夏がくると美しい風景が展開する。そして、磯からあまり遠くない沖で立派な鯛が釣れるのだ。私は、その清麗な眺めと爽快な鯛釣りに憧れて、毎年初夏の頃から

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ロマンスと縁談

佐々木邦

会社に勤めること三年余、僕も少し世の中が分って来たような心持がする。公私、いろ/\と教えられるところがあった。 公に於ては、上のものに認められなければ駄目だと悟った。出世の階段を自分の足で一段々々上って行くのだと思うと違う。自分の足もあるけれど、上のものが認めて引っ張り上げてくれるのである。それだから空々寂々では一生下積みを免れない。誠心誠意に努力するものが

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