老嫗面
坂口安吾
老嫗面 坂口安吾 初夏のうららかなまひるであつた。安川はタツノの着物をつめこんだ行李を背負つて我家へむかつた。安川のうしろには、タツノが小さな手荷物をさげ、うはづつた眼付をしてぼんやり歩いてゐた。タツノのうしろには彼女の三人の朋輩が、一人はあくどい紫色の女持トランクをぶらさげ、あとの二人は異体の知れない大包のみそれぞれ一端をつるしあげながら、からみあつてねり
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坂口安吾
老嫗面 坂口安吾 初夏のうららかなまひるであつた。安川はタツノの着物をつめこんだ行李を背負つて我家へむかつた。安川のうしろには、タツノが小さな手荷物をさげ、うはづつた眼付をしてぼんやり歩いてゐた。タツノのうしろには彼女の三人の朋輩が、一人はあくどい紫色の女持トランクをぶらさげ、あとの二人は異体の知れない大包のみそれぞれ一端をつるしあげながら、からみあつてねり
桑原隲蔵
老子化胡經 桑原隲藏 一 如何なる宗教でも、他の國民の間に傳播して行く際には、その國民の有して居つた舊信仰と衝突するものである。佛教も支那に東漸してから、支那人固有の道教儒教と衝突した。殊に道教とは尤も長く尤も激しく衝突した。 佛教の支那に將來されたのは、普通に東漢の明帝の永平十年(西暦六七)の頃と認められ、『漢法本内傳』(唐の智昇の『續集古今佛道論衡』引く
今野大力
相当にぎやかな街の電柱の下のベンチに 素晴らしい将軍が休んでいる 私は写真を見てそう思った が、この老将軍は 前歴が何だかわからない ただぶくぶくした襟毛つきの厚っぽたい外套をきて 帽子はないが ない方がずっと素晴しい頭髪やヒゲを効果的に見せるし 眉毛でも普通の人間とは凡そ縁遠い 逞ましくゆかりあり気な一人の人物と見える だがこの老将軍は白系露字の新聞売であ
小川未明
崖からたれさがった木の枝に、日の光が照らして、若葉の面が流れるように、てらてらとしていました。さびしい傾斜面に生えた、草の穂先をかすめて、ようやく、この明るく、広い世界に出たとんぼが、すいすいと気ままに飛んでいるのも、なんとなく、あたりがひっそりとしているので、さびしく見られたのであります。 年とった工夫が、うつむきながら、線路に添うて歩いていました。若い時
萩原朔太郎
老いて生きるということは醜いことだ。自分は少年の時、二十七、八歳まで生きていて、三十歳になったら死のうと思った。だがいよいよ三十歳になったら、せめて四十歳までは生きたいと思った。それが既に四十歳を過ぎた今となっても、いまだ死なずにいる自分を見ると、我ながら浅ましい思いがすると、堀口大学君がその随筆集『季節と詩心』の中で書いているが、僕も全く同じことを考えなが
太宰治
所收――「兄たち」「愛と美について」「新樹の言葉」「老ハイデルベルヒ」「おしやれ童子」「八十八夜」「秋風記」「短篇集―ア、秋・女人訓戒・座興に非ず・デカダン抗議」「俗天使」「花燭」 昭和十四年五月に「愛と美について」さうして、昭和十五年四月には「皮膚と心」が共に竹村書房より出版せられ、おのおの初版二千部くらゐを市場に送り、間もなく品切れとなつた樣子であるが、
宮地嘉六
終戦と共に東京の空が急に平穏にかへつたときは誰もがホツとしたであらう。が、それから当分の間、あの遠くでならす朝夕のサイレンの声が空襲警報のやうに聞えて、いやだつた。鳴らすやつもさうした錯覚をねらつて、からかひ半分にやつてゐるやうにさへ思へたものだ――進駐軍が蜿蜒幾十台ものトラックで米大使館の周辺に乗りつけるやトラックから一斉に飛び降りた兵隊らが、いきなり道路
田中貢太郎
老犬の怪 田中貢太郎 漢の時、東華郡の陳司空が死んで葬っておくと、一年ばかりして不意に家へ帰ってきた。そして、家内の者に地獄の話をして聞かしたり、酒を飲んだり、肉を喫ったりして平生とすこしも変らなかった。ただ従来の陳司空と違っているところは、女をまどわすことであった。そのうえ、彼はよくあっちこっちと出歩いた。ある時外から帰ってきて、酒を飲んで寝た時に、家内の
田中貢太郎
老狐の怪 田中貢太郎 志玄という僧があったが、戒行の厳しい僧で、法衣も布以外の物は身に著けない。また旅行しても寺などに宿を借らないで、郭外の林の中に寝た。ある時縫州城の東十里の処へ往って墓場へ寝た。ところで、その晩は昼のような月夜で四辺がよく見えた。ふと見ると、木の下に一疋の狐がいて、それが人のするように、傍にある髑髏を頭の上に乗っけて首を振り、そして落ちた
佐藤垢石
老狸伝 佐藤垢石 一 大寒に入って間もない頃、越後国岩船郡村上町の友人から、野狸の肉と、月の輪熊の肉が届いた。久し振りの珍品到来に、家内一同大いに喜んだのである。 越後岩船郡は新潟県の東北にあり、越後山脈を中に挟んで、山形県と境を接している。友人からきた手紙によると、野狸の方は村上近在の農村へ、のこのこと遊びに出てきたのを、鉄砲で撃ち取ったのであるが、熊の方
牧野信一
「もう私は一切酒は飲まない。」 私の叔父にあたる岩城源造は余程神妙さうに繰返してゐた。 「それあ、結構ですね、一切飲まないといふことも無理でせうが、好い齢をしてカフエーに行くといふやうなことは……」 などといひかけてゐるうちに私は、吾ながら思はず恐縮して頭を掻いた。私が人に向つて斯んな類の意見を口にするなど凡そ途方もない出来事に違ひなく、おまけに相手が六十歳
岸田国士
内科の医者である私の友人Aは先日面白い話をきかせてくれた。 専門のことは私にはよくわからないが、Aはずつと以前から老齢期特有の病気に興味をもち、小児科に対して、老人科とでも称すべき医学の新分野を開拓しつゝある篤学の士である。 Aの研究によると、高齢者の肉体は常に衰耗の一路を辿るにしても、その程度はひとによつて違ふばかりでなく、同じひとりについて、部分的に遅速
徳田秋声
「ではお父さんは三ちやんと一緒に寝台自動車に乗つて行つて下さい。僕は電車で行きますから。」 「あら、さう。」 「病院までは僕も一緒に乗つて行きますから。」 「よし/\。」 「T老院長は患者に愛著をもつてゐます。どうしても癒さうとしてゐます。あの海岸の療養所にこの夏一杯もゐたら、づつと快くなるでせう。費用もかけさせないやうにと、心配してくれてゐるんです。あゝ云
中谷宇吉郎
国際雪氷委員会の前会長、チャーチ博士は、三十年以上も、ネバダ大学の教授をつとめ、昨年春引退した。同時に国際雪氷委員会の会長の地位も、スウェーデンのアールマン教授へ譲った。 チャーチ博士とは、実は十数年前から文通をしていて、一度も会ったことはなかったが、何だか非常に親しい間柄のような気がしていた。いつも親切な手紙をくれ、方々へ私の仕事の紹介をしてくれるので、大
木村荘八
ハイカラ考 木村荘八 「ハイカラ」という言葉があるが、今の若い人達には既にこの言葉はピンと来ないようで、今の人達にはこれよりも「モダン」であるとか「シック」という言葉がよく通じるようだ。 「モダン」なり「シック」についてはここには触れず、それは又別にいずれ考えて見たいと思っているが、「モダン」「シック」「ハイカラ」。元をただせば、これはいずれも同意語で、僕の
中谷宇吉郎
また夏がやって来て、新聞面には、時々水泳競技の話が出る。 そういう記事を見るたびに、一つ思い出す話がある。それは一九五二年のオリンピックの水泳である。その前に古橋がアメリカへ来て、日米競泳に勝ち、同時に世界記録をつくった。その時、日本では号外を出した新聞社もあったそうで、たいへんな騒ぎだった。 それで戦後晴れのオリンピックでは、日本を挙げて、水泳に力こぶを入
小川未明
人というものは、一つのことをじっと考えていると、ほかのことはわすれるものだし、また、どんな場合でも、考えることの自由を、もつものです。 ある日、清吉は、おじさんと町へ、いっしょにいきました。そして、おじさんが用たしをしている、しばらくの間、ひとり、そのあたりをさんぽして待つことにしました。一けんの店では、いろいろの運動器具をならべ、のきさきに写真などをかけて
浜田青陵
考古學教室の思ひ出話 濱田耕作 明治四十二年史學科の組織が略ぼ出來上つた次の年の九月に、私は講師として始めて本學へやつて來たのでありますから、創立の際に關する事は一向私には分りませんので、たゞ考古學教室に關することだけに就いて少しく申上げることに致します。 東京帝國大學には理學部に人類學の講座があり、坪井正五郎先生が其の教授として、傍ら考古學の講義をせられて
蒲松齢
予(聊斎志異の著者、蒲松齢)の姉の夫の祖父に宋公、諱をといった者があった。それは村の給費生であったが、ある日病気で寝ていると、役人が牒を持ち、額に白毛のある馬を牽いて来て、 「どうか試験にいってくださるように。」 といった。宋公は、 「まだ試験の時期じゃない。何の試験をするのだ。」 といって承知しなかった。役人はそれには返事をせずに、ただどうかいってくれとい
中野鈴子
人間には幸福と不幸がある それは何処からきているか みなもと深く学者はしらべた 人々は自分に照りあわせ 実際的に納得した けれども 目ざす彼岸は高く あまりに遠い ふしあわせは 片時もはなれずつきまとう 人という人はことごとく 本能 感情 意志を持つ 不幸は四六時中五感をつっさす みんなは生きる ふしあわせとの組み打ち ふしあわせは一様でない その千差万別を
徳永直
郷里の家に少しばかりの金を、送金したその受取りの返事を、今朝(工場の休みを)まだ寝床にいた私の枕許へ、台所にいた妻が持ってきた。 郷里を出て、モウまる三年というもの、私と郷里の消息は、いつも、この月々の僅かの仕送りの返事に附け足されたものに依って知ることが出来た。 その消息から推して、私は、私の幼い時分の故郷が、山と、田圃と、小さい町と、川とに彩られた、嘗て
喜田貞吉
京都あたりでは一種の浮浪民を、サンカまたはサンカモノと呼んでいる。東山や鴨川堤などに臨時の小屋を構えて住んでいるものは、そのやや土着的性状を具えて来たものと思われるが、それでもやはり戸籍帳外のものとしてしばしば警察官から追い立てを喰って他に浮浪せねばならぬ運命を免れない。その或るものは数年前から警察や役場のお世話になって、今は在来の或る「特殊部落」に接した地
北条民雄
何とて我は胎より死にて出でざりしや、 何とて胎より出でし時に気息たえざりしや、 如何なれば膝ありてわれをうけしや、 如何なれば乳房ありてわれを養ひしや、 ――ヨブ記―― 詩話会は夜の六時から始まることになつてゐた。それはこの病院の患者達によつて組織されてゐる一団で、毎月一回か二回くらゐ各自の詩作品を持ちよつて合評し合つたり、詩壇の動向に就いて論じ合つたりする
中原中也
主家で先刻から、父と母との小言らしい声がしてゐた。時々その声の間から、調子の高い耕二の声が聞えた。 それが聞えなくなつてから間もなくして、その時書斎で読書してゐた耕二の兄は、机の前の障子の中硝子から弟(一字不明)口笛を吹きながら仰向勝に耕二(五字不明)を、みた。 「何処に行くんだい。」 「野球の仕合さ。」 「さうか。」 兄は耕二が野球用の道具を何も持つてゐな