Vol. 2May 2026

Buku

Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik

Menampilkan 12.048 dari 14.981 buku

胸に手を当てて

今野大力

かつて私は 悪事をやった立場に立たされた時 こう憎々しげに吐きつけられたものだ、 「胸に手を当てて、よっく考えて見ろ!」 私は今、胸に手を当てて 静かに激しく想っている。 私は悪事をやった為だろうか。 いや、私は悪事をやったのではない 悪事は彼等がやったのだ。 彼等は悪事を犯していながら 私をつかまえて手足を縛しておいて 「お前は悪人だ、 お前等は悪事の張本

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クロオデルの「能」

堀辰雄

クロオデルの「能」 堀辰雄 ポオル・クロオデルが日本に滯在中に書いた「日のもとの黒鳥」(L'Oiseau Noir dans le Soleil Levant)といふ本も、ときどき取り出して見てゐる本の一つである。この本の題名に使はれてゐる何か象徴的な感じの黒鳥といふのは、實はクロオデルの洒落なのださうだが、そんなところもなかなか好ましい。いろいろ好い論文や

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能の彫刻美

高村光太郎

能の彫刻美 高村光太郎 能はいはゆる綜合芸術の一つであるから、あらゆる芸術の分子がその舞台の上で融合し展開せられる。その融合の微妙さとその展開の為方の緊密にしてしかも回転自在な構成の美しさとに観る者は打たれる。しかし私のやうな彫刻家が能を観るたびにとりわけ感ずるのはその彫刻美である。他の舞台芸術に絶えてないほど能には彫刻的分子が多い。能は彫刻の延長であるもの

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能楽に於ける「わき」の意義 「翁の発生」の終篇

折口信夫

一 二つの問題 日本の民俗芸術を観察するにあたつて、我々は二つの大きな問題に、注意を向けなければならぬ。平安朝の末から、鎌倉・室町時代にかけて、とび/\に、其中心がある事を考へて見ることが、其一つ。江戸に接近しては、歴史家の所謂桃山時代が、やはりさうなのであるが、ともかくも、さうした衒耀な時代が、とび/\に山をなして、民俗芸術興隆の中心となり、其が連結して、

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能楽論

野口米次郎

能楽論 野口米次郎 『あなたが橋掛りで慎しやかな白い拍節を踏むと、 あなたの体は精細な五官以上の官能で震へると思ふ…… それは涙と笑の心置きない抱合から滲みでるもの、 祈祷で浄化された現実の一表情だ、 あなたは感覚の影の世界を歩く……暗いが澄み切つた、冷かで而かも懐しい。 ああ、如何なる天才があなたを刻んだか、 彼はあらゆる官能の体験を蒸留し、蒸留し、 最後

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“能筆ジム”

坂口安吾

“能筆ジム” 坂口安吾 雑誌「日本小説」に「不連続殺人事件」を連載し、探偵小説の鬼江戸川乱歩先生から過分なる賞讃をいたゞいて以来、僕は文壇随一の探偵小説通と自他ともに許す存在にまつりあげられてしまった。しかしまあ、余り通などとまつり上げられない方がいゝ。僕はおかげで「小説新潮」に「安吾捕物」まで書かされ、はてはA・クリスティの探偵小説を飜訳してくれないかなぞ

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能舞台の解説

折口信夫

此会の此役は久しく、先輩山崎楽堂さんが続けられてゐましたが、今度は私が代つて申すことになりました。謂はゞ翁の替りに、風流が出て来た様なものです。とは申せ、私にはお能の解説などゝ謂つた処で、全くの門外漢でございます。約束の多い舞台について、完全な解説などは出来さうもありません。唯、何処か一点づゝでも、皆さんの御参考になる処があれば、それで結構だと思うて出た次第

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能の見はじめ

中勘助

なにか書かないかといつて「能楽思潮」を贈られたが私はずゐぶん古い能楽愛好者ではあるけれども能楽を研究したこともなければその暇もなかつたし、そのうへ学校を出てからは気分的に、或は住居その他の関係からも久しく観能を中絶しなければならなかつた。今この雑誌を見ると必要なこと、面白いことはほかの人たちがみんな書いてゐるし、次つぎの号にも書くだらう。今さら私が蛇足をそへ

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能面と松園さんの絵

金剛巌

能面と松園さんの絵 金剛巌 二十年! もっと以前になりますか、私が松園さんを御稽古していたのは。近頃私は素人には稽古をしないので、松園さんの直接の御稽古は門中の廣田が行っています。近頃の謡もよく存じてますが、素質の良い方ではあるし、熱心で、なかなか上手です。私が松園さんを御稽古したり、又その方面から観まして感じた事は、ああいう風に今日画壇で女性として第一流の

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能面の秘密

坂口安吾

能面の秘密 坂口安吾 オツネはメクラのアンマだ。チビで不美人だが朗らかな気質でお喋り好きでアンマの腕も確かだから旅館なぞもヒイキにしてくれる。その日は朝のうちから予約があってかねてこれもオトクイの乃田家から夜の九時ごろ来るようにと話があった。 乃田家へよばれるのは奥さまの御用の時とお客さまの御用の時があって、お客さまは大川さんの場合が多い。この日も大川さん。

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ダンセニーの脚本及短篇

片山広子

ダンセニイの「アラビヤ人の天幕」が先日明治座で新劇座の人々に依って上演され、今月になって友田恭助水谷八重子諸氏の手で同じ脚本及び「光の門」「旅宿の一夜」の三種が鉄道協会で試演されるということである。今まで学校の英語会余興にばかし使われていたダンセニイ劇の為には悦ばしい事に違いない。 私が今まで多少ダンセニイのものを訳して来た関係上、何かダンセニイについて云い

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脚本難

岸田国士

脚本難 岸田國士 僕は嘗て本欄(時事新報)で、『上演目録』と題し、新劇団体存立の主要条件として、上演脚本選定に払ふべき注意の、忽せにすべからざるを説いたが、そして、「芸術的に」といふ信条以外に、「寛いだ興味」によつて、好意ある見物を惹き之を囚へる工夫をしなければならないことに言及して置いた。「寛いだ興味」――これは、決して、芸術と相容れないものではない。営利

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脱出と回帰

中井正一

日本の伝説の中で、光の美しさを描いているものでは、何といっても、手力男の命が、あの巌壁を開く時、さしはじめる光の、あの強烈な感じの右に出るものはあるまい。あの伝説、暗さへの没入、それからの回復、この構成の中に注意すべき二つの要素があると思われる。第一は、その光の源である脱出の女神が、巌壁の中でその孤独と、寂寥に堪えがたい時、金鵄の命はそれを慰めんとして、弓五

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脱却の工夫

田山花袋

O事件に対するB同人の批評は多くは普通道徳を照尺にしたやうなものであつたが、中でK・Y女史の談話は、自己の実際を背景にしたものだけに一番面白いと思つた。この中には、男女問題の空気がかなりに細かく理解されてあつた。単に第三者の想像以上にある確実なものをつかんでゐる。そこが面白いと私は思つた、それから、その帰着点を子供と母親といふ点に持つて行つたところも女らしく

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脱帽

斎藤茂吉

もうそろそろ体に汗のにじみ出るころであつたから、五月を過ぎてゐたとおもふ。途中で買つた医学の古書をば重々と両脇にかかへて、維也納のシユテフアン寺のなかに入つて行つた。それは疲れた体を休め、汗をも収めるつもりであつたのだが、両脇に書物の包をかかへてゐるために、向うの祷卓のところまで行つて、それから帽子を脱がうとおもひ、寺の中のうすぐらい陰気な石の床上を歩いて行

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脱殻

水野仙子

脱殼 水野仙子 時は移つて行く。今日の私はもう昨日の私ではない。脱殻をとゞめることは成長の喜びである。 その脱殻の一つを、今私はその頃の私に捧げようと思ふ。 いつの頃からともなしに私はさうなつて来た。どうした訳でなのかもわからない。寧ろわかることを避けて居る。面倒くさがつて居る。私はたゞ、此頃私はかうなんだと思つてみて居る。 「なんて腐つたやうな生活なんだ!

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さしあげた腕

グルモンレミ・ドゥ

見渡すかぎり、一面に頭の海である。高くさし上げた腕の森が、波に半身を露はす浮標のやうに突出てゐる。跪いて祈る一大民衆だ。 さし上げた腕の間から皆めいめいに上向の頭がみえる。海藻や地衣がこの浮標に垂下がつてゐる。東から吹く風に、この髮の毛がふくらんで、おのづと拍子をとつて波動してゐる。それが、また、ひとつの祈にみえる。 民衆は跪いてゐる。恐と望とに狂ひ歡ぶ無數

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臨時急行列車の紛失

ドイルアーサー・コナン

死刑を宣告されて今マルセイユ監獄に繋がれているヘルバルト・ドゥ・レルナークの告白は、私の信ずるところでは、どこの国の犯罪史を繙いてみても、絶対的に先例が無かっただろう‥‥‥と思われるような、あの異常な事件の上にようやく一道の光明を投げあたえた。官辺では、この事件を論ずることを明らかに避けているけれど、そして新聞もそれに調子を合せてほとんど沈黙を守っているけれ

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臨終まで

梶井久

臨終まで 梶井久 彼は永年病魔と闘いました。何とかしてその病魔を征服しようと努力しました。私も又彼を助けて、共にその病魔を斃そうと勉めましたが、遂に最後の止めを刺されたのであります。 本年二月二十六日の事です。何だか身体の具合が平常と違ってきて熱の出る時間も変り、痰も出ず、その上何処となく息苦しいと言いますから、早速かかりつけの医師を迎えました。その時、医師

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臨終の田中正造

木下尚江

臨終の田中正造 木下尚江 直訴の日 君よ。 僕が聴いて欲しいのは、直訴後の田中正造翁だ。直訴後の翁を語らうとすれば、直訴当日の記憶が、さながらに目に浮ぶ。 明治三十四年十二月十日。この日、僕が毎日新聞の編輯室に居ると、一人の若い記者が顔色を変へて飛び込んで来た。 『今、田中正造が日比谷で直訴をした』 居合はせた人々から、異口同音に質問が突発した。 『田中はド

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自他の融合

田山花袋

自他の融合と言ふことに就いて、文壇には猶ほ深く考へなければならないことが多いと思ふ。自己の心理をいかに他に発見し、又他の心理をいかに自己に発見するかといふことは、芸術の標準を上げる上に於て、最も必要なことである。一度自分で体感したものを、もう一度他にひつくりかへして見るといふこと、自己の経験を他の中に発見するといふこと、またこれを大きくひろめて言へば、自然と

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自伝

三島霜川

自傳 三島霜川 幼い時から、小説類を讀むことが好きで、十二三の頃から古いものでは水滸傳だとか三國志だとか、新らしいものでは涙香の飜譯物や、南翠の作を好んで讀んだ。無論、其時分は文學なるものゝ意味が分つて讀んだのでもなければ、又、文學者にならうと思つたのでもない。唯、譯も分らず好きで面白くて無茶苦茶に讀んだのである。 其中に十七八の頃、國民之友の附録かなんかで

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自伝

黒島伝治

自伝 黒島傳治 明治三十一年十二月十二日、香川県小豆郡苗羽村に生れた。父を兼吉、母をキクという。今なお健在している。家は、半農半漁で生活をたてゝいた。祖父は、江戸通いの船乗りであった。幼時、主として祖母に育てられた。祖母に方々へつれて行って貰った。晩にねる時には、いつも祖母の「昔話」「おとぎばなし」をきゝながら、いつのまにかねむってしまった。生れた時は、もう

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てのひら自伝 ――わが略歴――

坂口安吾

私は私の意志によって生れてきたわけではないので、父を選ぶことも、母を選ぶこともできなかった。 そういう限定は人間の一生につきまとっていることで、人間は仕方なしに何か一つずつ選ぶけれども、生活の地盤というものは人間の意志とは関係がない。 人間は生れた時から人のふったサイコロで出てきた天来のかけの子供なのだから、我々の文化が自由意志などと大声シッタしてみても砂上

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