Vol. 2May 2026

Buku

Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik

Menampilkan 12.168 dari 14.981 buku

芝居と見物 売笑的舞台への攻撃

岸田国士

現代日本の文化は、いろいろの部門に於て、もつと厳密な批判が加へられなければならぬと思ふが、私は、社会的に観て、最も時代の空気を反映すると考へられる演劇の立場から、この現状の憂ふべき傾向を指摘してみようと思ふ。 先づ東京だけについて、主なる商業劇場の出し物を調べてみると、「近代の教養ある人々」を楽しませるやうな戯曲を上演してゐることは先づ例外といつてよろしく、

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芝の芽

土田耕平

芝の芽の萌えるころは ふるさとの丘を思ひだす ゆるやかにふわふわと雲の浮かんだ あの丘山を 犬ころが走り 凧があがり ぼくらは寝そべつてゐたつけが 「どこへ行かうかな」 「大きくなつたら」 「海へ――空へ――遠いところへ――」 誰やかれやみんな叫びあつた―― 芝の芽の萌えるころは ふるさとの丘を思ひだす ゆるやかにふわふわと雲の浮んだ あの丘山を ああ誰もか

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芝、麻布

小山内薫

『あばよ、芝よ、金杉よ。』 子供の頃、一緒に遊んでいた町の子達と別れる時、よく私達は歌のように節をつけて、こういった。 私は麹町の富士見町で育った。芝といえば――金杉といえば――大変遠いところのような気がした。 『あばよ、芝よ、金杉よ。』 今でも、この一句を口ずさむと、まだ電灯のなかった、薄暗い、寂しい、人通りの少ない、山の手の昔の夕暮が思い出される。 その

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芥川比呂志

加藤道夫

はやいもので、芥川比呂志との交友もそろそろ十五年になる。初めて逢つたのは慶應の豫科の頃だつたが、その頃彼は蒼白い顏をして詩を書いてゐた。中々いい詩で、今だに頭に殘つてゐるのもある。詩語の選擇が極めて綿密で、ヴィジオンも鮮かだつたし、何か非凡な洗練味があつた。アポリネェルやヴァレリィの詩の飜譯もうまいと思つた。それから間もなく紹介されて逢つた時、ペシミスチック

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芥川竜之介を哭す

佐藤春夫

最後まで理智を友としたやうに見える芥川龍之介を弔ふためには、故人もこれを厭ふたところの感傷の癖をさけて、評論の形を以てこれを爲すことを、僕の友人の良き靈は宥してくれるだらうと思ふ。 「爲す者のみひとりこれを解す」これはニイチエの言葉であるが、僕はまだ一ぺんも自分を殺したものではない。だからこの友人のこの特別な死の消息については到底了解出來ないのは云ふまでもな

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芥川竜之介を憶ふ

佐藤春夫

自分と芥川との交友関係は、江口渙を中間にして始つた。芥川は将に流行児として文壇の檜舞台へ上らうとしてゐる前後であつた。自分はその五六年以前から二三の同人雑誌などに今顧みるときまりが悪いやうな幾つかの詩歌や散文の習作などを活字にして貰つた事があつて芥川の方でも自分の名前位は知つてゐたらしい。自分はその頃文学上の自信をなくし方向を見失つてゐた。さうして斯ういふ状

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(芥川竜之介の書翰に就いて)

堀辰雄

僕はこの頃、芥川龍之介書翰集(全集第七卷)を讀みかへした。そしてちよつと氣のついたことがあるから、それを喋舌つて見たい。 芥川さんは brilliant な座談家だつたさうである。さういふどこか才氣煥發といつたやうな風貌は大正七、八年頃の書翰の中にうかがはれないことはない。しかし、さういふ芥川さんは僕のすこしも知らない芥川さんだ。 又、芥川さんは風流人だつた

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芥川竜之介の死

萩原朔太郎

七月二十五日、自分は湯ヶ島温泉の落合樓に滯在してゐた。朝飯の膳に向つた時、女中がさりげない風でたづねた。 「小説家の芥川といふ人を知つてゐますか?」 「うん、知つてる。それがどうした?」 「自殺しました。」 「なに?」 自分は吃驚して問ひかへした。自殺? 芥川龍之介が? あり得べからざることだ。だが不思議に、どこかこの報傳の根柢には、否定し得ない確實性がある

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芥川竜之介論 ――芸術家としての彼を論ず――

堀辰雄

芥川龍之介を論ずるのは僕にとつて困難であります。それは彼が僕の中に深く根を下ろしてゐるからであります。彼を冷靜に見るためには僕自身をも冷靜に見なければなりません。自分自身を冷靜に見ること――それは他のいかなるものを冷靜に見ることよりも困難であります。しかし、それと同時に、あらゆる文學上の批評の價値は、いかにその批評家が自分自身を冷靜に見ることが出來たか、と云

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芥川竜之介の追憶

萩原朔太郎

この頃になつて、僕は始めて芥川君の全集を通讀した。ずゐぶん僕は、生前に於て氏と議論をし、時には爭鬪的にまで、意見の相違を鬪はしたりした。だが實際のところを告白すると、僕はあまり多く彼の作品を讀んでゐなかつたのだ。そこで二言目には、芥川君から手きびしく反撃された。「君は僕の作品をちつとも讀んでゐないぢやないか。」「君がもし、いつか僕の全集をよんでくれたらなあ!

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芥川賞の人々

佐藤春夫

僕は第一回以来の芥川賞詮考委員である。あれはいつからであつたらうか。何しろ二十年もむかしの話で、おほかたは忘れてしまつてゐる。 さすがに第一回だけに、石川達三の当選の時のことだけは、おぼろげながらにも記憶にある。 会場は両国へんのどこかに、大川を見ながら詮考が進められたのは初夏か晩夏であつたのであらう。菊池と久米とが積極的に意見を交換してゐるほかは、誰もあま

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芭蕉

島崎藤村

芭蕉 島崎藤村 佛蘭西の旅に行く時、私は鞄の中に芭蕉全集を納れて持つて行つた。異郷の客舍にある間もよく取出して讀んで見た。『冬の日』、『春の日』から、『曠野』、『猿簑』を經て『炭俵』にまで到達した芭蕉の詩の境地を想像するのも樂しいことに思つた。 昔の人の書いたもので、それを讀んだ時はひどく感心したやうなものでも、歳月を經る間には自然と忘れてしまふものが多い。

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芭蕉と歯朶

徳田秋声

深い雑木林のなかに建てられたバンガロー風の其の別荘へ著いたのは午後の何時頃であつたらうか。彼はこの高原地へ来る途中、初めてそこを通る同行の姉娘と妹娘に、ウスヰ隧道の出来た時のことなどを語つて聞かせた。それは四十年足らずのむかし、彼が初めて東京へ出た時の思出話であつた。同じ文学を志した友人のK君と徒歩でこゝを通つたとき、隧道の難工事に従事してゐる労働者達の荒く

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窪田空穂

何んな花でもながく見ていれば好きになって来るものだという人がある。自然というものは親しむほど趣の加わって来るものであることを思うと、そうかも知れないという気がする。然し本当に好きになりうる花は、初め一と目見た時から好いたものである。又本当に好きなものがあると、その外の多くを求めようとしない心もある。その意味で私は多くの草花を並べようとは思わない。これだけで沢

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はちとばらの花

小川未明

はちは、人間の邪魔にならぬところに、また、あんまり子供たちから気づかれないようなところに、巣をつくりはじめました。 仲間たちといっしょに、朝は早く、まだ太陽の上らないうちから、晩方はまたおそく、まったく日の沈んでしまうころまで、せっせと働いたのであります。 彼らが、こうして働いているときに、この世の中では、いろいろなおもしろいことや、またおもしろくないことな

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いろいろな花

小川未明

さまざまの草が、いろいろな運命をもってこの世に生まれてきました。それは、ちょうど人間の身の上と変わりがなかったのです。 広い野原の中に、紫色のすみれの花が咲きかけましたときは、まだ山の端に雪が白くかかっていました。春といっても、ほんの名ばかりであって、どこを見ても冬枯れのままの景色でありました。 すみれは、小鳥があちらの林の中で、さびしそうにないているのをき

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しらくちの花

長塚節

しらくちの花 しらくちの花 長塚節 明治卅六年の秋のはじめに自分は三島から箱根の山越をしたことがある。箱根村に近づいて来た頃霧が自分の周囲を罩(こ)めた。霧は微細なる水球の状態をなして目前を流れる。冷かさが汗の肌にしみ/″\と感じた。段々行くと皿程の大さの白いものが其霧の中に浮んで居るやうに見えた。それが非常に近く自分の傍にあるやうに思はれた。軈(やが)て霧

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アカシヤの花

田山花袋

アカシヤの花 田山録弥 一 たしか長春ホテルであつたと思ふ。私はその女の話をBから聞いた。しかし、それはその女を主としての話ではなしに、その長春の事務所長をしてゐるS氏の話が出た時に、Bは画家らしいのんきな調子で、莞爾と笑ひながら言つたのであつた。「君、Sさんは、あゝいふ風に堅い顔をしてゐるけれどもね。あれで中々隅に置けないんですよ」 「さうかね?」かう言つ

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サフランの花

牧野信一

晴、午後に至りて風強し。頭あがらず。七時八時九時と時計を見入つて登校の思ひに急がれるばかりだがいよ/\もうブラッデイ氏の講義に間に合はぬとあきらめたら再び熟睡に落ちて十二時に醒めた。信一の夢を見ること切りなり。余は二度と故山の土を踏まざる考へを胸底深く秘め居れども子を思ふと決心も危ふし。彼既に四才なり。幸ひであれ。二日酔とは話には屡々聞きたるも斯程苦しきもの

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あしびの花

土田杏村

あしびの花 土田杏村 今はもう散つて了つたが、馬酔木の花は樹の花の中でも立派なものだ。梅のさく早春から藤の散る初夏頃まで咲き続き、挿花にでもしようものなら、一箇月の余もしほれないでゐる、生気の強い灌木だ。 馬酔木の花を見ると、大抵の人が少しさびし過ぎると考へるであらう。その色つやも大して立派だとは言ふまい。けれどもそれは馬酔木の古木が本当に咲き盛つてゐるとこ

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ひかげの花

永井荷風

二人の借りている二階の硝子窓の外はこの家の物干場になっている。その日もやがて正午ちかくであろう。どこからともなく鰯を焼く匂がして物干の上にはさっきから同じ二階の表座敷を借りている女が寐衣の裾をかかげて頻に物を干している影が磨硝子の面に動いている。 「ちょいと、今日は晦日だったわね。後であんた郵便局まで行ってきてくれない。」とまだ夜具の中で新聞を見ている男の方

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サクラの花びら

牧野信一

テオドル・ルーズベルトが、一九〇二年に大統領の覇権を獲得して、九年までの二期、その前後に於けるW・マツキンレイ及びW・H・タフト――彼等三者の数年間にわたる激しい争覇戦は、北米政戦史の花吹雪と謳はれて、今尚機会のあるごとに多くの人々に噂をのこしてゐるものであるが、――丁度その時代に恰もそれらの三代表の鼎立に伴れて、ワシントン、フイラデルヒア、ハーバードの三大

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らんの花

小川未明

(この話をした人は、べつに文章や、歌を作らないが、詩人でありました。) 支那人の出している小さい料理店へ、私は、たびたびいきました。そこの料理がうまかったためばかりでありません。また五目そばの量が多かったからでもありません。じつは、出してくれる支那茶の味が忘れられなかったからです。支那茶の味がいいってどんなによかったろうか。まず、その店で飲むよりほかに、私は

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