わるい花
グルモンレミ・ドゥ
花屋の前を通り過ぎた。威勢よく反身になつてゐる花もある、しよんぼりと絶え入つてゐる花もある、その花屋の前を通りすがると、妙に氣を搖る意地の惡い香がした、胸苦しいほど不思議の香がした。そこでなかへ入つて行つて尋いてみた。 「おかみさん、どうぞ、その花をお呉んなさい、その一つで三つの花、薔薇と鈴振花と茉莉花の三つの香がする薫の高い意地惡さうな花をさ。その變にほん
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グルモンレミ・ドゥ
花屋の前を通り過ぎた。威勢よく反身になつてゐる花もある、しよんぼりと絶え入つてゐる花もある、その花屋の前を通りすがると、妙に氣を搖る意地の惡い香がした、胸苦しいほど不思議の香がした。そこでなかへ入つて行つて尋いてみた。 「おかみさん、どうぞ、その花をお呉んなさい、その一つで三つの花、薔薇と鈴振花と茉莉花の三つの香がする薫の高い意地惡さうな花をさ。その變にほん
萩原朔太郎
皐月あやめさくころ。思ふどち二人三人かいつらねて、堀切の里にいきけり。「むさしや」といふ家のはなれを借りて根合せならねど、あやめの歌合といふを試みけり。 あやめは、池のこのもかのもに咲き誇れり。池には舟板橋を渡せり。人人袖ふりあひてゆきちがふ。一しきり風立ちて、えならぬ薫はおばしま近く通ひつ。 北の屋蔭の苔むしたる井筒に、新調の洋服涼しげなる若人二人、巴里形
樋口一葉
本郷の何處とやら、丸山か片町か、柳さくら垣根つゞきの物しづかなる處に、廣からねども清げに住なしたる宿あり、當主は瀬川與之助とて、こぞの秋山の手の去る法學校を卒業して、今は其處の出版部とやら編輯局とやらに、月給なにほど成るらん、靜かに青雲の曉をまつらしき身の上、五十を過ぎし母のお近と、お新と呼ぶ從妹の與之助には六歳おとりにて十八ばかりにや、おさなきに二タ親なく
豊島与志雄
花ふぶき 豊島与志雄 千代は少し白痴なのだ。高熱で病臥している折に、空襲で家を焼かれ、赤木の家に引き取られて、あぶなく脳膜炎になりかかった、そのためだと赤木は言うが、確かなことは分らない。口がゆがみ、眼尻がへんに下り、瞳が宙に据り、そして頬の肉にはしまりがなくて、今にもにやりと笑いそうだ。不自然なほど肌色が白い。外を出歩くのが好きで、そろりそろりと、重病人の
小川未明
母ちょうは子ちょうにむかって、 「日が山に入りかけたら、お家へ帰ってこなければいけません。」とおしえました。 子ちょうは、あちらの花畑へとんでいきました。赤い花や青い花や、白い、いい香いのする花がたくさん咲いていました。 「これはみごとだ、うれしいな。」といって、花から花へとびまわって、おいしいみつをすっていました。そのうちに日が山へはいりかけました。けれど
新美南吉
その遊びにどんな名がついているのか知らない。まだそんな遊びをいまの子どもたちがはたしてするのか、町を歩くとき私は注意してみるがこれまでみたためしがない。あのころつまり私たちがその遊びをしていた当時でさえ、他の子どもたちはそういう遊びを知っていたかどうかもあやしい。いちおう私と同年輩の人にたずねてみたいと思う。 なんだか私たちのあいだにだけあり、後にも先にもな
幸田露伴
花のいろ/\ 花のいろ/\ 幸田露伴 梅 梅は野にありても山にありても、小川のほとりにありても荒磯の隈にありても、たゞおのれの花の美しく香の清きのみならず、あたりのさまをさへ床しきかたに見さするものなり。崩れたる土塀、歪みたる衡門、あるいは掌のくぼほどの瘠畠、形ばかりなる小社などの、常は眼にいぶせく心にあかぬものも、それ近くにこの花の一ト木二タ木咲き出づるあ
小川未明
ある日たけおは、おとなりのおじさんと、釣りにいきました。おじさんは、釣りの名人でした。いつも、どこかの川でたくさん魚を釣ってこられました。 たけおは、こんどぜひいっしょにつれていってくださいとおねがいしたところ、ついに、そののぞみをたっしたのでした。 電車をおりて、すこし歩くと、さびしいいなか町に出ました。 それを通りぬけてから、道は、田んぼの方へとまがるの
田山花袋
花の咲きはじめるのを待つのも好いものだが、青葉になつてから、静かに上野の山あたりを歩くのもわるくない。桜の開落は少しあつけないが、その頃になると、椿だの、木瓜だの、山吹だの、躑躅だの、段々に咲いて行くので、二十四番の春を一つ一つ楽しんで行くことが出来るやうな気がした。 『春雨にやつれしさまを見せじとや晴るればやがて花のちるらん』これは松波遊山翁の歌だが、花の
片山広子
ばらの花五つ 片山廣子 むかし私はたいそう暇の多い人間だつた。どうしてそんなに暇があつたのかと考へてみると、しなければならないもろもろの仕事をしなかつたせゐだらうと思はれる。 さういふなまけものの人間が時たま忙しいことがあると、すぐ草臥れてしまつて、くたびれた時には散歩をした。 さて、ある時の散歩に私の家からあまり遠くない馬込の丘をのぼつたり降りたりして歩い
小川未明
真紅なアネモネが、花屋の店に並べられてありました。同じ土から生まれ出た、この花は、いわば兄弟ともいうようなものでありました。そして、大空からもれる春の日の光を受けていましたが、いつまでもひとところに、いっしょにいられる身の上ではなかったのです。 やがて、たがいにはなればなれになって、別れてしまわなければならなかった。そして、たがいの身の上を知ることもなく、永
小川未明
あるところに、おじいさんと、おばあさんとが住んでいました。その家は貧しく、子供がなかったから、さびしい生活を送っていました。 二人は、駄菓子や、荒物などを、その小さな店さきに並べて、それによって、その日、その日を暮らしていたのです。 あるとき、おじいさんは、どこからか、小さな常夏の芽をもらってきました。それを鉢に植えて水をやり、また、毎日、日あたりに出して生
神西清
ガルシンを語る人はかならずその印象ぶかい目のことをいう。それはまつげのながい、ぱっちりした、茶色のよく澄んだ目で、幼少のころから善良さと温順さと、そして一種の哀愁の色をたたえていたといわれる。それは彼が四歳のときある将軍から、「洗礼者ヨハネを思い出させる」とたたえられた目であり、また晩年には画家レーピンの名作『イヴァン雷帝とその皇子』において、父帝の手に倒れ
折口信夫
歌舞妓にからんだ問題は、これをまじめにあつかふと、人が笑ふくらゐになつてゐる。と言ふと誰でも、それは誇張だと思ふだらう。けれども、さう言ふ下から、誰でもまじめには考へてゐない。うつちやつておいたつて、どうなとなるだらうし、惜しいやうでもあるが、法隆寺だつて焼亡する世の中だから、それに比べては、大した悲しみでもない、と言はず語らぬ、さう言ふ簡単な見通しめいた気
太宰治
花吹雪 太宰治 一 花吹雪という言葉と同時に、思い出すのは勿来の関である。花吹雪を浴びて駒を進める八幡太郎義家の姿は、日本武士道の象徴かも知れない。けれども、この度の私の物語の主人公は、桜の花吹雪を浴びて闘うところだけは少し義家に似ているが、頗る弱い人物である。同一の志趣を抱懐しながら、人さまざま、日陰の道ばかり歩いて一生涯を費消する宿命もある。全く同じ方向
徳田秋声
花が咲く 徳田秋声 磯村は朝おきると、荒れた庭をぶら/\歩いて、すぐ机の前へ来て坐つた。 庭には白木蓮が一杯に咲いてゐた。空からの白さで明るく透けてゐるやうに思へた。花の咲く時分になつてから、陽気が又後戻りして来て、咲きさうにしてゐた花を暫し躊躇させてゐたが、一両日の生温い暖かさで、それが一時に咲きそろつた。そしてその下の方に茂つてゐる大株の山吹が、二分どほ
楠山正雄
花咲かじじい 花咲かじじい 楠山正雄 一 むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。 正直(しょうじき)な、人のいいおじいさんとおばあさんどうしでしたけれど、子どもがないので、飼犬(かいいぬ)の白(しろ)を、ほんとうの子どものようにかわいがっていました。白も、おじいさんとおばあさんに、それはよくなついていました。 すると、おとなりにも
小川未明
赤い牛乳屋の車が、ガラ、ガラと家の前を走っていきました。幸吉は、春の日の光を浴びた、その鮮やかな赤い色が、いま塗りたてたばかりのような気がしました。それから、もう一つ気のついたことは、この車がいってしまってからまもなく、カチ、カチという拍子木の音がきこえたことです。昨日もそうであったし、一昨日もそうであったような気がするのです。 「不思議だなあ、牛乳屋の車と
今野大力
俺は病室にいる 暗室のような部屋だ。 今俺はあの豚箱で受けた 白テロの傷がもとで 同志にまもられ 病室に送られたのだ 病室の血塗れた俺は 最后の日を覚悟している しかし、そこへ 一人の同志の持って来た ネムの木の花は おお 何と俺を家へ帰らせたがるだろう ねむの葉は眠っている しかし、俺は夜中になろうとねむれない ねむの葉は眠っても 花は 苦痛になやむ俺のほ
小川未明
この広い世界の上を、ところ定めずに、漂泊している人々がありました。それは、名も知られていない人々でした。その人々は、べつに有名な人間になりたいなどとは思いませんでした。彼らの中には、唄うたいがあり、宝石商があり、また、手品師などがありました。 ある晩のこと、港町の小さな宿屋に、それらの人々が泊まり合わせました。 「私などは、こうして幾年ということなく、旅から
田中貢太郎
花の咲く比 田中貢太郎 暖かな春の夜で、濃い月の光が霞のかかったように四辺の風物を照らしていた。江戸川縁に住む小身者の壮い侍は、本郷の親類の許まで往って、其処で酒を振舞われたので、好い気もちになって帰って来た。 夜はかなりに更けていたが、彼は独身者で、家には彼を待っている者もないので、急いで帰る必要もなかった。彼はゆっくりと歩きながら、たまに仲間に提灯を持た
坂口安吾
花咲ける石 坂口安吾 群馬県の上越国境にちかい山間地帯を利根郡という。つまり利根川の上流だ。また一方は尾瀬沼の湿地帯にも連っている。 この利根郡というところは幕末まであらゆる村に剣術の道場があった。村といっても当時は今の字、もしくは部落に当るのがそれだから、山間の小さな部落という部落に例外なく道場があって、村々の男という男がみんな剣を使ったのである。現今では
岸田国士
この一巻には、今までのどの作品集にもいれることのできなかつた、私としてはやゝ例外的な形式の短篇のみをあつめてみることにした。 従つて何れも試みの域に止まるものが多く、これを再び世に公けにすることは今では躊躇されるのであるが、春陽堂新支配人磯部節治君の強硬な勧誘を斥けることができず、その取捨を一任する約束で、同氏の好意に酬いるほかはなかつたのである。 たゞ、由
正宗白鳥
洗足池畔の私の家の向ひは、東京近郊の桜の名所である。私は、終戦の前年軽井沢に疎開して以来十数年間、毎月一度は必ず上京してゐたが、盛りの短い桜時には、一度も来合せたことはなかつた。この頃、こゝに居を定めることになつたので、久振りに花の盛りを朝夕たつぷり見ることが出来た。急速に温くなつたので、見る/\咲揃ふやうになつた。「細雪」のなかの或女性は、花のなかでは何が