Vol. 2May 2026

Buku

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花燭

太宰治

一 祝言の夜ふけ、新郎と新婦が将来のことを語り合っていたら、部屋の襖のそとでさらさら音がした。ぎょっとして、それから二人こわごわ這い出し、襖をそっとあけてみると、祝い物の島台に飾られてある伊勢海老が、まだ生きていて、大きな髭をゆるくうごかしていたのである。物音の正体を見とどけて、二人は顔を見合せ、それからほのぼの笑った。こんないい思い出を持ったこの夫婦は、末

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花物語

寺田寅彦

花物語 寺田寅彦 一 昼顔 いくつぐらいの時であったかたしかには覚えぬが、自分が小さい時の事である。宅の前を流れている濁った堀川に沿うて半町ぐらい上ると川は左に折れて旧城のすその茂みに分け入る。その城に向こうたこちらの岸に広いあき地があった。維新前には藩の調練場であったのが、そのころは県庁の所属になったままで荒れ地になっていた。一面の砂地に雑草が所まだらにお

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花田清輝論

坂口安吾

花田清輝論 坂口安吾 花田清輝の名は読者は知らないに相違ない。なぜなら、新人発掘が商売の編輯者諸君の大部分が知らなかつたからである。知らないのは無理がないので、花田清輝が物を書いてゐた頃は彼等はみんな戦争に行つてゐたのだから。 私は雑誌はめつたに読まない性分だから、新人などに就て何も知らず差出口のできないのが当然なのだが、戦争中「現代文学」といふ同人雑誌に加

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花田清輝論

坂口安吾

花田清輝の名は読者は知らないに相違ない。なぜなら、新人発掘が商売の編輯者諸君の大部分が知らなかったからである。知らないのは無理がないので、花田清輝が物を書いていた頃は彼等はみんな戦争に行っていたのだから。 私は雑誌はめったに読まない性分だから、新人などに就て何も知らず差出口のできないのが当然なのだが、戦争中「現代文学」という同人雑誌に加わっていたので、平野謙

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「花」の確立

坂口安吾

「花」の確立 坂口安吾 文学も勿論さうだが、生活も、元来が平時のものである。戦争は特殊な過渡期で、いはゆる非常時だから、戦場に文学はないし、また生活もないと思ふ。 戦勝後の国力の増大、また個人生活の増大、文化も文学も、本来そこに結びついてゐるものだ。 戦前の日本は、なんといつても生活程度が低かつた。日本人は最も素質ある国民で、観念生活は豊富であるにも拘らず、

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花筐と岩倉村

上村松園

花筐と岩倉村 上村松園 「花がたみ」は第九回文展出品作で、大正四年の制作である。 この絵は、わたくしの数多くの作品中でも、いろんな意味において大作の部にはいるべきもので、制作に当たっては、数々の思い出が残っているが、なかでも、狂人の研究には、今おもい出しても妙な気持ちに誘われるものがある。 この絵も、「草紙洗小町」や、「砧」などと同じく謡曲の中から取材したも

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からすうりの花と蛾

寺田寅彦

からすうりの花と蛾 寺田寅彦 ことしは庭のからすうりがずいぶん勢いよく繁殖した。中庭の四つ目垣のばらにからみ、それからさらにつるを延ばして手近なさんごの木を侵略し、いつのまにかとうとう樹冠の全部を占領した。それでも飽き足らずに今度は垣の反対側のかえでまでも触手をのばしてわたりをつけた。そうしてそのつるの端は茂ったかえでの大小の枝の間から糸のように長くたれさが

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花の話

折口信夫

花の話 折口信夫 一 茲には主として、神事に使はれた花の事を概括して、話して見たいと思ふ。 平安朝中頃の歌の主題になつて居た歌枕の中に、特に、非常な興味を持たれたものは、東国の歌枕である。 東国のものは、異国趣味を附帯して、特別に歌人等の歓迎を受けた。其が未だに吾々の間に勢力を持つて居る。譬へば関東には「迯げ水」の実在が信ぜられて居た。それは、先へ行けば行く

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花に送られる

今野大力

小金井の桜の堤はどこまでもどこまでもつづく もうあと三四日という蕾の巨きな桜のまわりは きれいに掃除され、葭簀張りののれんにぎやかな臨時の店店は 花見客を待ちこがれているよう 私の寝台自動車はその堤に添うて走る 春めく四月、花の四月 私は生死をかけて、むしろ死を覚悟して療養所へゆく すでに重症の患者となった私は これから先の判断を持たない 恐らく絶望であろう

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花より雨に

永井荷風

しづかな山の手の古庭に、春の花は支那の詩人が春風二十四番と數へたやう、梅、連翹、桃、木蘭、藤、山吹、牡丹、芍藥と順々に咲いては散つて行つた。 明い日の光の中に燃えては消えて行くさま/″\な色彩の變轉は、默つて淋しく打眺める自分の胸に悲しい戀物語の極めて美しい一章々々を讀み行くやうな軟かい悲哀を傳へる。 われの悲しむは過ぎ行く今年の春の爲めではない、又來べき翌

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花より雨に

永井荷風

しづかな山の手の古庭に、春の花は支那の詩人が春風二十四番と数へたやう、梅、連翹、桃、木蘭、藤、山吹、牡丹、芍薬と順々に咲いては散つて行つた。 明い日の光の中に燃えては消えて行くさま/″\な色彩の変転は、黙つて淋しく打眺める自分の胸に悲しい恋物語の極めて美しい一章々々を読み行くやうな軟かい悲哀を伝へる。 われの悲しむは過ぎ行く今年の春の為めではない、又来べき翌

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ファティアの花鬘

牧野信一

私は卓子の上に飛びあがると、コップを持つた腕を勢ひ好く振りあげた――酒は天井にはねあがつた。 そして私は、 「花鬘酒の栓を抜け!」 と叫んだ。――「踊子達よ、一斉に盃をとつて、あの舞踏酒の歓喜に酔へ。俺は、ピピヤスの傍らへ走つて、あの花籠を買つて来る、あれらの花が凋まぬ間にあの壺をあけて、ストーロナ産の花を盛らなければならない。飲め/\/\、そしてイダーリア

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芳川鎌子

長谷川時雨

芳川鎌子 長谷川時雨 一 大正六年三月九日朝の都下の新聞紙は筆を揃えて、芳川鎌子事件と呼ばれたことの真相を、いち早く報道し、精細をきわめた記事が各新聞の社会面を埋めつくした。その日は他にも、平日ならば読者の目を驚かせる社会記事が多かった。たとえば我国の飛行界の第一人者として、また飛行将校のなかで、一般の国民に愛され、人気の高かった天才沢田中尉が、仏国から帰朝

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芳年写生帖

野村胡堂

霖雨と硝煙のうちに、上野の森は暮急ぐ風情でした。その日ばかりは時の鐘も鳴らず、昼頃から燃え始めた寛永寺の七堂伽藍、大方は猛火に舐め尽された頃までも、落武者を狩る官兵の鬨の声が、遠くから、近くから、全山に木精を返しました。 「今の奴、何処へ逃げた」 「味方を四五人騙し討ちに斬って居るぞ。逃してはならぬ奴だ」 「まだ遠くへは行くまい」 「見付かったら、朋輩の敵、

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芳賀先生と日本主義

高橋竜雄

國學院大學の學長として母校の爲にいひ知れぬ恩惠を與へられたことは、定めて他の院友諸兄が書かれることであらうとおもふので、私は博士が國學院にまだ御關係のなかつた時代、即ち「日本主義」時代のことを述べて、博士の高徳を追慕したいのです。 「日本主義」といふ言葉は、實に「日本主義」といふ雜誌が出てからのことだ。この雜誌は明治三十年五月に開發社(湯本武比古先生社長)か

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芳賀博士

佐佐木信綱

龜原の木立のひまに夕日しづみ悲しくも君をはふりつるはや これは、芳賀博士を音羽護國寺なる墓地に埋葬した日、遺族及び多くの知己門下の人々のかげに立つて、まむかひの雜司が谷龜原の冬木立の間に沈みはてた夕日を眺めつつ、心のうちに湧きおこつた感懷をさながらのべたのである。 廬山にあつて廬山を見ずといふ如く、多年親しく博士に接してをつた爲に、却つてその傑出した點を感じ

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芸の壮大さ

折口信夫

日本の大貴族であつた人が、東京劇場の先代萩政岡忠義の段を見てをられた。その真うしろの席に偶然見物してゐたのが私だ。七日のことだつた。山城少掾が語り、文五郎が政岡まゝたきの人形を使つてゐる。大貴族なるが故に、今までほしいまゝにすることの許されなかつた、芸の喜びにふけつてゐる人の心が、時々私の胸に触れて来た。この国の歴史には、さして高くない民たちが、権勢の擁護も

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芸の有為転変相

折口信夫

「……花を惜しめど花よりも惜しむ子を棄て武士を捨て、住みどころさへ定めなき有為転変の世の中や……。」幼年時代から何十遍見聞きした熊谷陣屋幕切れの渡りぜりふである。竟に一度何の感傷も覚えなかつた文句である。其が今度といふ今度、真に思ひがけなく不意討ちのやうに鼻の心を辛くさせられた。 世間も個人も皆痛切に、此段切れの文句に身をつまされる有為転変を、実感してゐるの

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芸美革新

北大路魯山人

今後に望まれる工芸作陶界は、まずそれに相応しい可能の許す限りの高き教養を基礎に、自由思想を育成し、真の自由人と思想家の出現に努め、この作陶人をして思い切った自由を作陶の上に振舞わしめざるを得ない。切羽詰っての恵まれた時代がやって来たようである。それには、この際を期して、斯界に一大革新運動を起こしてかかる要が必死の間題であろうと私は思っている。 わが国現在の美

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芸能民習

折口信夫

あまり世の中が変り過ぎて、ため息一つついたことのなかつた我々も、時々ほうとすることがある。鳥が粟を拾ふやうにと言ふが、ほんたうに零細な知識を積んで来た私どもの学問も、どうかかうか、若い人たちが継承して行つてくれるに任せるほかはない。そんな妙な方法で、学問と言へるのか、変な学問もあつたものだと言はれ/\して来た私たちの研究も、おのづから中絶する日が、そこに見え

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芸術ぎらい

太宰治

魯迅の随筆に、「以前、私は情熱を傾けて支那の社会を攻撃した文章を書いた事がありましたけれども、それも、実は、やっぱりつまらないものでした。支那の社会は、私がそんなに躍起となって攻撃している事を、ちっとも知りやしなかったのです。ばかばかしい。」というような文章があって、私はそれを読んでひとりで声を出して笑ってしまった事があるけれども、私が映画に就いて語る場合も

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芸術三昧即信仰 生きることに悶えた四十代

上村松園

人は苦しまなければいけない、苦しんでこそ初めて生まれるものが有る。わたしはひと頃異常に生きていることに疑問を感じたことがあった。何のために生きているのだろう。画を描くことによって画名を揚げてさて何になるのだろう。むしろ死んだ方がいいのじゃないかと悶えたことがあった。四十歳前後のことで、考えてみればはや二十年ばかりも前のことである。 そんな時分にはよくわたしは

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