Vol. 2May 2026

Buku

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草双紙と講釈の世界

折口信夫

飜案物と言へば、少し茫漠とするが「書き直し物」で通つてゐる種類の脚本がある。歌舞妓根生ひにでなく、他の読み物・語り物・謡ひ物から題材の出てゐる狂言を言ふ語なのだが、歌舞妓の性質から、も一つ特殊な分類を示す語にもなつてゐる。曾我物・浅間物・伊達物などと言ふ風に、一つ題材の狂言をくり返してゐるものは、其主要な事件や、人物を据ゑ置いて、脚色を替へると言ふ方法が行は

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草みち 序

田山花袋

私は童話でも書くやうな、または刺繍でも見るやうな気持で、昔の恋愛の心の光景を眺め返して見たのでした。私は不思議な気がしました。それは再びその時分の心持に戻つたとは言へないまでにも、何だか非常に若い心を掘返したやうに思はれたのでした。若い人達の読物にしては或は熱に乏し過ぎるかも知れません。熟し過ぎたといふよりは、古くなつた果物といふ気がするかも知れません。しか

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草木塔

種田山頭火

庵のまわりには茶の木が多い。五歩にして一株、十歩にしてまた一株。 私は茶の木を愛する、その花をさらに愛する。私はここに移ってきてから、ながいこと忘れていた茶の花の趣致に心をひかれた。 捨てられるともなく捨てられている茶の木は『佗びつくしたる佗人』の観がある。その花は彼の芸術であろう。 茶の木は枝ぶりもおもしろいし、葉のかたちもよい。花のすがたは求むところなき

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草木塔

種田山頭火

大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。 松はみな枝垂れて南無観世音 松風に明け暮れの鐘撞いて ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる 大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。 分け入つても分け入つても青い山

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草の根元

宮本百合子

草の根元 宮本百合子 五時に近い日差しが、ガラス窓にうす黄色くまどろんで居る。 さっきまで、上を向いて見ると、眼の底から涙のにじみ出すほど隈なくはれ渡って、碧い色をして居た空にいつの間にかモヤモヤした煤の様な雲が一杯になってしまって居る。 桜が咲きかけて居るのに、晩秋の様な日光を見て居ると、何となくじめじめした沈んだ気になる。 暖かなので開け放した部屋が急に

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草津から伊香保まで

田山花袋

高原から下りた処には、両岸から絶壁が迫つて、綺麗な谷川が流れて居た。 朝から晴れたり曇つたりして居た。時には雨も来た。日影を受けながらサツと降つて通る気まぐれな雨、谷川の橋を渡る時には、私は蝙蝠傘をさして居たと記憶して居る。 胸を突くやうな坂、雨と霧とに滑る山路、雑草の中には大きな山百合が俛首れて咲いて居た。霧の間から見えて隠れる木立の幹はあたりを何処となく

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草津行

長塚節

われに一人の祖母あり。年耳順を越えて矍鑠たり。二佛を信ずること篤く、常に名刹に詣せん事を希ふ。然れども昔時行旅の便甚だ難きに馴れて、敢て獨りいづることをなさず。頻に之を共にするものあるを求む。今茲にわれ醫の勸によりて、暑を草津に避けむとす。草津はと上州の西端にありて、信州と前後一帶の山脈直ちに之により峙つ故を以て、長野の地と相離ること遠からず。是に於てかわれ

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草相撲の話

折口信夫

我々には、相撲と言へば、春場所・夏場所の感じだけしかなくなつたが、誹諧の季題では、これが秋の部に這入つて居る。宮廷の相撲の節会が、初秋の行事だつたからである。しかし、実際に諸国の村々では、今でもこれを秋に行つて居るところが多い。 宮廷では、早くに、すべての行事が整頓せられて、相撲節会なども出来たのであるが、これは、村々の行事がとり入れられたと見るよりも、宮廷

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草紅葉

永井荷風

○ 東葛飾の草深いあたりに仮住いしてから、風のたよりに時折東京の事を耳にすることもあるようになった。 わたくしの知っていた人たちの中で兵火のために命を失ったものは大抵浅草の町中に住み公園の興行ものに関与っていた人ばかりである。 大正十二年の震災にも焼けなかった観世音の御堂さえこの度はわけもなく灰になってしまったほどであるから、火勢の猛烈であったことは、三月九

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めくら草紙

太宰治

めくら草紙 太宰治 なんにも書くな。なんにも読むな。なんにも思うな。ただ、生きて在れ! 太古のすがた、そのままの蒼空。みんなも、この蒼空にだまされぬがいい。これほど人間に酷薄なすがたがないのだ。おまえは、私に一箇の銅貨をさえ与えたことがなかった。おれは死ぬるともおまえを拝まぬ。歯をみがき、洗顔し、そのつぎに縁側の籐椅子に寝て、家人の洗濯の様をだまって見ていた

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「草紙洗」を描いて

上村松園

「草紙洗」を描いて 上村松園 ○ わたくしの夢幻の国、思慕の華、それはつねにこの世の芸術の極致の境にひろがっている能楽です。わたくしは能楽をこそ人間界における芸術への一と筋辿るべき微妙な路だと思っています。 わたくしがこんどの文展に出品したのは能楽にある小町の“草紙洗”ですが、しかしこれは能楽そのものをそのままに取ったのではありません。小町の描出を普通の人物

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きのふけふの草花

南方熊楠

きのふけふの草花 南方熊楠 今年は気候不順でさきおくれた花が多く、又、秋開く花が初夏から盛りをるのもあるが、兎に角自分の家庭には石竹科の花がいと多く咲き乱れをる。その中で一番妙な伝説をもつのは眼皮だ。枕の草紙に、かにひ(異本にがむひ)の花とあるはこれらしいが、色は濃からねど藤の花にいとよくにて、春秋と二度さくいとをかしとは眼皮と違ふ。達磨大師九年面壁の時、眠

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草藪

鷹野つぎ

草藪 鷹野つぎ 附添婦と別れて一人のベッドに数日過した私は、一時多数病室に半月ほど過したのちまた転室した。今度は今までの南窓と対い合って眺められていた向う側の、平家建の二人詰の室のならんだ病棟だった。看護婦さんが寝台車を階段の下まで廻してくれ、それに見知りの附添婦さんなども来て手伝ってくれて、私の身のまわりの物を車に積んだ。最後に私は単衣に羽織を重ねて、片手

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草藪の中

田中貢太郎

夕月が射して虫が鳴いていた。益雄はその虫の声に耳を傾けながら跫音をささないようにと脚下に注意して歩いていた。そこには芒の穂があり櫟の枝があった。 それは静かな晩で潮の音もしなかった。その海岸に一週間ばかりいて好きな俳句を作り、飽いて来ると水彩画を画いていた益雄は、父親から呼ばれて明日の朝の汽車で東京へ帰ることになったので、静な居心地の好い海岸へ名残を惜むよう

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草と虫とそして

種田山頭火

草と虫とそして 種田山頭火 いつからともなく、どこからともなく、秋が来た。ことしは秋も早足で来たらしい。 昼はつくつくぼうし、夜はがちゃがちゃがうるさいほど鳴き立てていたが、それらもいつか遠ざかって、このごろはこおろぎの世界である。こおろぎの歌に松虫が調子をあわせる。百舌鳥の声、五位鷺の声、或る日は万歳万歳のさけびが聞える。夜になると、どこかのラジオがきれぎ

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「草衣集」はしがき

野上豊一郎

「草衣集」はしがき 野上豐一郎 『草衣集』は私の最初の隨筆集である。此の中に收められてあるやうな種類のものは、以前からかなりたくさん書いたものであるが、舊いものは後になつて見ると、自分の未成熟の昔の姿を見るやうで、たまに人に勸められてもまとめて本にするやうな氣にもなれず、自分の過ぎ去つた月日と共に、忘却の中へ過ぎ去らしてよいものだと思つてゐた。ところが物ずき

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草の親しみ 刈草の匂ひ 1

薄田泣菫

一雨夕立が来さうな空模様でした。砂ぼこりの起つ野道を急いでゐると、一人の農夫が気忙はしさうに刈草を掻き集めてゐるのに出会ひました。高い草の匂ひがぷんぷん四辺に散らばつてゐました。それを嗅ぐと私のあゆみは自然に遅くなりました。私は牡牛のやうに大きく鼻の孔を開けて、胸一杯に空気を吸ひ込みました。 言はうやうのないなつかしい草の匂ひ。その前に立つと、私は一瞬のうち

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草道

田山花袋

草道 田山録弥 一 「とてもあんなところには泊れやしないね、あんなところに泊らうもんなら何をされるかわかりやしない」かうBが言つたのは、その深い草道を半里ほどこつちに来てからであつた。かれ等は伴れて来た支那人の案内者をまぜて五人、今夜はその山の寺に泊るつもりでやつて行つたのであつたけれども、そのあたりの光景のわるく無気味なのと、そこらに馬賊が出没していつそれ

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草野心平詩集『母岩』

中原中也

草野心平君の第三詩集『母岩』が出た。 草野君の感覚は非常に正確なものである。そして草野君の仕事は何時も感覚第一になされてゐる。このことは、詩の道として、最も健全なことである。彼は、学問にも世間常識にも煩はされてはゐない。自分の感覚を通して這入つて来るものの中に安心立命してゐるのである。従つて、その作品はうまく行つた時もまづく行つた時も、決して読む者をして厭憎

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「草野心平詩集」解説

豊島与志雄

「草野心平詩集」解説 豊島与志雄 草野心平のことを、懇意な人々は心平さんと言う。親愛の気持ちをこめた呼称である。肉付き豊かな大きな顔に、ロイド眼鏡をかけ、口髭をたくわえ、そして蓬髪、とこう書けば、なんだか寄りつきにくい人のようにも見えるけれど、知人を認めるとすぐに、如何にも嬉しげな笑みを浮べ、なつかしげな眼色を漂わすところ、まさに心平さんなのである。その全体

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荒磯の興味

佐藤惣之助

荒磯の興味 佐藤惣之助 荒磯の春というものは、地上がまだ荒涼としている冬の内に、もうそろそろやって来ているのである。海草の芽は冬の内に生える。そしていよいよ陸上の春が来て、人間が春の磯遊びにゆく頃には海草もかなりのびて、新芽を喰いに来た魚族は更に深みへ移り、温い潮につれていろいろに移動する。 その結果、この頃での磯釣は冬の内に初まる。十二月から翌年の二月へか

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荒野の冬

中谷宇吉郎

北海道の奥地深く、荒野の冬の姿といえば、『カインの末裔』の描写を思い出す人が多いであろう。 鉛色の空が低くたれこめた下には、木も家も、吹きつけられた雪にただあだ白い凄気を帯びて静まりかえっている。そして一度吹雪が来ると、天地が白夜の晦冥とでもいうように、ただ一色に鼠色になる。そして人々は白堊の泥河の水底に沈んだように、深い雪の下で僅かに蠢きながら、辛うじての

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荒雄川のほとり

佐左木俊郎

私の郷里は(宮城県玉造郡一栗村上野目天王寺)――奥羽山脈と北上山脈との余波に追い狭められた谷間の村落である。谷間の幅は僅かに二十町ばかり。悉く水田地帯で、陸羽国境の山巒地方から山襞を辿って流れ出して来た荒雄川が、南方の丘陵に沿うて耕地を潤し去っている。 南方の丘陵は、昔、田村麻呂将軍が玉造柵を築いたところ。荒雄川の急流を隔てて北方の蝦夷に備えたのであろう。後

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