荷
金史良
荷 金史良 棒の両端に叺を吊して、ぶらんぶらん担ぎ廻る例の「皆喰爺」が、寮の裏で見える度に、私は尹書房を思い出すのだ。 尹さんは少しはましのチゲ(担具)労働者である。然し土壇場にまで突き込まれて、喜劇ならぬかわった意慾の生活を弄する点では、全く同じいだろう。 早朝起き上ると、尹さんは先ず自分の版図を検分し出すのだ。崩れかかった彼の小屋が、しょんぼり立つ低湿地
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金史良
荷 金史良 棒の両端に叺を吊して、ぶらんぶらん担ぎ廻る例の「皆喰爺」が、寮の裏で見える度に、私は尹書房を思い出すのだ。 尹さんは少しはましのチゲ(担具)労働者である。然し土壇場にまで突き込まれて、喜劇ならぬかわった意慾の生活を弄する点では、全く同じいだろう。 早朝起き上ると、尹さんは先ず自分の版図を検分し出すのだ。崩れかかった彼の小屋が、しょんぼり立つ低湿地
片山広子
よめいり荷物 片山廣子 今から四十年あるひは五十年ぐらゐ前の嫁入支度はたいてい千五百円から二千円ぐらゐの金で充分間に合つたのである。その二千円を今の金に計算してみるとかなりの物かも知れないが、とにかく娘が三人あつたとして、二千円づつ六千円ぐらゐならば、親たちもどうにか出すことが出来たらしい。 およめさんの荷物は、民間では、五荷の荷物がごく普通であつた。三荷で
田中貢太郎
荷花公主 田中貢太郎 南昌に彭徳孚という秀才があった。色の白い面長な顔をした男であったが、ある時、銭塘にいる友人を訪ねて行って、昭慶寺という寺へ下宿していた。 その彭は、ある日西湖の縁を歩いていた。それは夏の夕方のことで、水の中では葉を捲いていた蓮の葉に涼しい風が吹いて、ぎらぎらする夕陽の光も冷たくなっていた。聖因寺の前へ行ったところで、中から若い眼のさめる
佐藤春夫
荷風先生の晩年の生活を、一種偏執狂的なものと見るか、それとも哲人の姿と見るかは人それぞれの眼によるが、そのさびしいような華やかな生涯が、逝く春の一夜人知れぬうちに忽然と終って、警察の眼には一個の変死体扱いされたのは世間並の眼には悲惨なものと見えるだろうと思うが、我々、偏奇館主人荷風先生の文学精神を知る者にとっては、裏長屋の庶民を愛した先生の信念を徹底させてそ
永井荷風
晴れて風なし。またとはなき好き元旦なるべし。去年の暮町にて購ひ來りし暦を見て、久振に陰暦の日を知り得たり。今日は舊十一月廿八日なるが如し。世の噂によれば諸會社株配當金も去年六月以後皆無となりしのみならず、今年は個人の私有財産にも二割以上の税かゝると云。今日まで余の生活は株の配當金にて安全なりしが、今年よりは賣文にて餬口の道を求めざるべからず。去秋以後收入なき
伊庭心猿
遠みちも夜寒になりぬ川向う 「川向う」は隅田川東岸である。即ち、寺島町玉の井の遊里を指す。さうすると、この作は對岸淺草側からの吟でなければならぬ。但し「遠みち」が直ちにその淺草からの道のりを意味するものと解せば、句の趣は甚だ削減される。第一、つい川一跨ぎの墨東の散歩を遠路とするのは、少しばかり表現の的確を缺く。そこで、この句を理解するためには、どうしても初五
佐藤垢石
莢豌豆の虫 佐藤垢石 山女魚は貪食の魚で、昆虫とかその幼虫とか、魚類の卵、みみずなど、この魚の好んで食う餌は、殆ど数えることができないほど多い。けれど、この魚を釣るには、一方ならぬ苦労を重ねるのだ。 先年、利根川の支流、片品川の奥へ山女魚釣りに行ったことがあった。片品川の上流は、戸倉で鳩待峠の方から流れてくる笠科川を合わせるのだが、合流点から上流は両岸が切り
折口信夫
ことしの盂蘭盆には、思ひがけなく、ぎり/\と言ふところで、菊五郎が新仏となつた。こんな事を考へたところで、意味のないことだけれど、舞台の鼻まで踊りこんで来て、かつきりと踏み残すと言つた、鮮やかな彼の芸格に似たものが、こんなところにも現れてゐるやうで、寂しいが、ふつと笑ひに似たものが催して来た。 このかつきりした芸格は、同時代の役者の誰々の上にも見ることの出来
宮本百合子
菊人形 宮本百合子 田端の高台からずうっとおりて来て、うちのある本郷の高台へのぼるまでの間は、田圃だった。その田圃の、田端よりの方に一筋の小川が流れていた。関東の田圃を流れる小川らしく、流れのふちには幾株かの榛の木が生えていた。二間ばかりもあるかと思われるひろさで流れている水は澄んでいて流れの底に、流れにそってなびいている青い水草が生えているのや、白い瀬戸も
中原中也
私自身とは、詩に於けるたてまへも大分相違してゐるにも拘らず、私は此の詩集を、気持よく読んだことを告白しなければならない。先づ第一に、是等の詩を書いた人は豊富である。従つてセンチメンタリズムに堕することからあぶない所で脱かれてゐる。 此の事は強調すべき必要がある。何故なら詩性に乏しい現今は、兎角、あまりに貧弱なモチーフを取上げることから、多くの詩が妙な複雑に堕
片山広子
菊池寛さんが「忠直卿行状記」を書かれるより少し前だつたと思ふ、時事新報の文芸記者として、或る日私の大森の家にインタビューに来られた、ある日ではなく、或る夜だつた。アイルランド物の翻訳に私が夢中になつてゐる時分で、私の訳したものについて何か書いて下さるためだつた。電話もなく突然だつたので、ずゐぶんあわてた。ちやうど夕飯がすんだところで、その日はスキヤキをしたか
尾崎士郎
底冷えのする寒さで眼がさめた。夢からさめたあとの味気なさのせいでもあるが横の蒲団に枕をならべて眠っている妻と子供の顔が鈍い電灯の灯かげの中にたよりなくうきあがって見える。自分の力で支えきれないような不安がどっと胸にこみあげてきたのである。生活の重みに堪えられないというかんじではなくずるずるとすべり落ちた小市民的な感情の中で何時の間にかわれとわが運命の落ちつく
幸田露伴
五月といつても陽暦と陰暦とでは一月ほど差がある。しかし五月といへば、たとへそれが今のは昔のの四月に当るにしても、木の芽は張りきれ、土の膏はうるほひ溢れ、天の色はあたゝかみと輝きとを増して、万物に生長と活動とを促がし命ずるやうな勢を示してくる、爽快な季節である。 新緑の間に鯉幟のはためく、日の光に矢車のきらめく、何と心よいものではないか。檐の菖蒲こそ今は見えぬ
本庄陸男
お菜のない弁当 本庄陸男 誰でもその口実をはっきり知っていた。――それは五月十六日の朝からなのだ。その前の日は、犬養総理大臣が白昼公然と官邸で射殺された。でかでかと新聞に書かれたこの大事件によって、少しは景気の盛りかえす世の中が来るかも知れないと漠然と思い、そのことについて大いに談じ合う予算で工場に駈けつけたのだが、職工達は「おっとどっこい」――と許り門のと
小島烏水
菜の花 小島烏水 市街に住まっているものの不平は、郊外がドシドシ潰されて、人家や製造場などが建つことである、建つのは構わぬが、ユトリだとか、懐ろぎだとかいう気分が、亡くなって、堪まらないほど窮屈になる、たとえやにこくても、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると、時々気が詰まる、もし人家の傍に、一寸した畠でもあれば、それが如何に些細なものであっても、何だか緩和
長塚節
菜の花 長塚節 一 奈良や吉野とめぐつてもどつて見ると、僅か五六日の内に京は目切と淋しく成つて居た。奈良は晴天が持續した。それで此の地方に特有な白く乾燥した土と、一帶に平地を飾る菜の花とが、蒼い天を戴いた地勢と相俟つて見るから朗かで且つ快かつた。京も菜の花で郊外が彩色されて居る。然し周圍の緑が近い爲か陰鬱の氣が身に逼つて感ぜられるのである。余は直ぐに國へ歸ら
長谷川時雨
水油なくて寢る夜や窓の月(芭蕉) の句は、現代のものには、ちよつとわかりにくいほど、その時代、またその前々代の、古い人間生活と、菜の花との緊密なつながりを語つてゐる。いま、わたしたちが菜の花を愛するのもさうした祖先の感謝をもつて、心の底に暖かみを感じてゐるのかも知れない。日の光りと、月光と、薪の火と、魚油しかなかつた暗いころの、燈し油になるなたねの花は、どん
片岡鉄兵
巨大な高原だ。どこまでも拡がる裾は菜の花で、盛り上つて、三里北の野末に、日本海が霞んで見える。淡彩の青の中に、ポッチリ泛んだのが隠岐の島だ。 菜の花月夜の季節が来た。 「菜の花月夜ぢやけん、今に誰かが狐に騙されるぢやろ」 「助平が一番騙され易いさうぢや」 「一ぺん、別嬪の狐に出会うて見たいわい」 村の若い衆は農閑期の気安さに夜が更けるまで、さまよひ歩いた。
児玉花外
菜の花物語 児玉花外 大和めぐりとは畿内では名高い名所廻りなのだ。吉野の花の盛りの頃を人は説くが、私は黄な菜の花が殆んど広い大和国中を彩色する様な、落花後の期を愛するのである、で私が大和めぐりを為たのも丁度この菜の花の頃であった。 浄瑠璃に哀情のたっぷりある盲人沢一お里の、夢か浮世かの壺坂寺に詣でて、私はただひとり草鞋の紐のゆるんだのを気にしながら、四月の黄
長塚節
菠薐草 長塚節 余が村の一族の間には近代美人が輩出した。それが余の母まで續いて居る。母をうんだおばあさんといふのは七十四になるがまだ至つて達者な人である。おばあさんの眉は美しかつたらうといふと、唯おまへの母の眉よりはよかつたといつては何時でもおばあさんは微笑する。此おばあさんの又おばあさんに當つたといふのが美人のはじめである。四十の歳から太り出したといふので
幸田露伴
昭和二年七月の九日、午後一時過ぐるころ安成子の來車を受け、かねての約に從つて同乘して上野停車場へと向つた。日本八景の一と定められた華嚴の瀑布及びその附近景勝遊覽のためであつた。 二時五分の日光直行の汽車はわれ等二人を乘せてはしり出した。車窓の眺めは例によつて例の如しであるから退屈の餘りの時間を雜談に消すほかはなかつたが、安成子は職分に忠實なので、しきりに八景
槙村浩
華厳経と法華経は古来仏教の二大聖典として、併称された。両者は一世紀、家族奴隷の制度が頂点に達していた時代ヒンドスタンで生れ、中央アジアを経て北伝し、本国では半農奴制が爛熟期から崩壊期に向い封建的農奴制を徐々に準備している頃、すでに封建后数世紀を経た中国においては、題号通りの訳題で出版され、ほとんど中国的哲学文学の法典として、国営出版によって寺院の秘庫に流布さ
三遊亭円朝
華族のお医者 三遊亭円朝 エヽ当今の華族様とは違ひまして、今を去ること三十余年前、御一新頃の華族様故、まだ品格があつて、兎角下情の事にはお暗うござりますから、何事も御近習任せ。殿「コレ登々。登「ハツ/\お召でござりますか。殿「アヽ予は華族の家に生れたが、如何に太平の御代とは申せども、手を袖にして遊んで居つては済まぬ、え我先祖は千軍萬馬の中を往来いたし、君の御
久坂葉子
華々しき瞬間 久坂葉子 南原杉子。うまれは火星日である。地球に最も近い軍神マルスの影響をうけ、最も強烈に、そのエネルギーを放射。戦闘的性質を有し、目的に対して積極的なれど、多難な運命である。その上、人生の終局に於いて、複雑な交叉点に、信号を無視して立脚し、自ら禍をまねく。 一 南原杉子は、突然小さな社会、つまり二組の夫婦の上に出現した。彼女の年齢も歴史もわか