華やかな罪過
平林初之輔
「貴方が人殺しをして、生々しい血糊で汚れた手を妾に見せておまけに『俺は盗みもしてきたんだよ、つい一分前まで、仲よく話していた友達を、いきなり絞め殺して、そいつの懐から、ほらこの通り蟇口をぬきとってきたんだ』なんて言いながら、ほんとうに血だらけな手でその蟇口を自慢そうに妾の眼の前へぶら下げてみせたとしたら、妾は貴方を憎めるでしょうか? 怖気をふるって貴方から逃
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平林初之輔
「貴方が人殺しをして、生々しい血糊で汚れた手を妾に見せておまけに『俺は盗みもしてきたんだよ、つい一分前まで、仲よく話していた友達を、いきなり絞め殺して、そいつの懐から、ほらこの通り蟇口をぬきとってきたんだ』なんて言いながら、ほんとうに血だらけな手でその蟇口を自慢そうに妾の眼の前へぶら下げてみせたとしたら、妾は貴方を憎めるでしょうか? 怖気をふるって貴方から逃
平林初之輔
短い作品で一つの問題を提出するといふやうなことは難しいことだ。況んや僕のやうな素人には小説のこつがわからないから、事件や主人公の性格やを一つの問題に向つてピントを合はせることができない、だからあの小説の場合では、普通の道徳からいへば、あゝいふ事情にある男がそも/\最初女に恋をしたのが正しくないだらうし、殊にあれくらゐのことで死んでしまつたりするのは猶更らよく
田中貢太郎
給仕女のお菊さんは今にもぶらりとやって来そうに思われる客の来るのを待っていた。電燈の蒼白く燃えだしたばかりの店には、二人の学生が来てそれが入口の右側になったテーブルに着いて、並んで背後の板壁に背を凭せるようにしてビールを飲んでいた。そこにはお菊さんの朋輩のお幸ちゃんがいて、赤い帯を花のように見せながら対手をしていた。 お菊さんは庖厨の出入口の前のテーブルにつ
久保田万太郎
おやくそくの萩の根、いつでも分けてさし上げます。おついでのせつ御来園まち上げます、と百花園の佐原平兵衛君からはがきが来た。四月のはじめのことである。……さういはれたからとて、右からひだり、おいそれとすぐ出かけて行けるいまの身の上ではない。……そのまゝ、返事も出さず打捨りッぱなしにしておいた。 と、その月のなかばすぎ、田圃さんこと沢村源之助さんが死んだ。たまに
堀辰雄
萩原朔太郎は明治十九年十一月一日*、上州赤城山の麓、利根川のほとりの小さき都會である前橋市に生れた。 * 彼はいつも自ら明治二十一年生れと記してゐたが、それは誤つてゐたのである。しかし、十一月一日に生れた長子であつたので、朔太郎といふ名をつけられたといふのは本當である。 父萩原密藏は、大坂の人で、明治十五年東京醫學校を出られると、ただちに前橋に來られて、醫を
中原中也
萩原氏の本はよく売れるさうである。ところで萩原氏は文学的苦労人である。氏に会つてゐると何か暖いものが感じられる。だから氏の本がよく売れることは、私としても喜びである。 氏は実に誠実な人で、いつ迄経つても若々しい。一見突慳貪にも見えるけれど、実は寧ろ気が弱い迄に見解の博い人である。然るに氏のエッセイはとみると、時にダダツ子みたいに感じられる時がある。蓋し淫酒の
堀辰雄
萩の花については、私は二三の小さな思ひ出しか持つてゐない。そのいづれもがみな輕井澤で出遇つたことばかりである。その花の咲く頃、私は大抵この村にゐるからであらう。 いつの夏の末だつたか、鶴屋旅館の離れで、芥川さんと室生さんが、同宿の或る夫人のために、女持ちの小さな扇子に發句を寄せ書きなさつたことがあつた。そのそばで少年の私は默つて見てゐたのである。芥川さんはな
立原道造
萱草に寄す 立原道造 SONATINE No.1 はじめてのものに ささやかな地異は そのかたみに 灰を降らした この村に ひとしきり 灰はかなしい追憶のやうに 音立てて 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた その夜 月は明かつたが 私はひとと 窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた) 部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と よくひびく笑ひ声が溢れてゐ
宮本百合子
落ちたままのネジ 宮本百合子 一 十月号の『文芸』に発表されている深田久彌氏の小説「強者連盟」には、様々の人物が輪舞的に登場しているが、なかに、高等学校の生徒で梅雄と云う青年が描かれている。 この小説で、作者はおそらく作品の小さくて破綻のない気分の磨き上げなどというところを目ざさず、大きくダイナミックに動いて作品として勇気のある不統一ならばそれが生じることを
新美南吉
落とした一銭銅貨 新美南吉 雀が一銭銅貨をひろいました。 雀はうれしくてうれしくてたまりません。 ほかの雀をみると、 「ぼくおかねをもってるよ。」 といって、くわえていた一銭銅貨を砂の上においてみせてやりました。 さて、日ぐれになりました。すこしくらくなってきました。 「や、遊びすぎちゃった。これはたいへんだ。」 と雀は、一銭銅貨をくわえて、おおいそぎで水車
久坂葉子
落ちてゆく世界 久坂葉子 ある日―― 足音をしのばせて私は玄関から自分の居間にはいり、いそいで洋服をきかえると父の寐ている部屋の襖をあけました。うすぐらいスタンドのあかりを枕許によせつけて、父はそこに喘いでおります。持病の喘息が、今日のような、じめじめした日には必ずおこるのです。秋になったというのに、今年はからりと晴れた日はまだ一日もなく、なんだか、あついよ
岸田国士
『落伍者の群』を聴け 岸田國士 新劇団「心」座が来る廿八日、廿九両日、邦楽座に於て、ルノルマンの、「落伍者の群」を上場するさうだ。「落伍者の群」原名は「Les Rats」――即ち「失意の人々」である。愛と芸術の悩みを悩むものは、均しく彼等の声に耳をかたむくべきである。 こゝで此の作が如何に感動に満ちたものであるかを云々する事はわざと差控へる。たゞわが国に於け
林芙美子
遠き古里の山川を 思ひ出す心地するなり 私は、和田堀の妙法寺の森の中の家から、堰のある落合川のそばの三輪の家に引越しをして来た時、はたきをつかいながら、此様なうたを思わずくちずさんだものであった。この堰の見える落合の窪地に越して来たのは、尾崎翠さんという非常にいい小説を書く女友達が、「ずっと前、私の居た家が空いているから来ませんか」と此様に誘ってくれた事に原
外村繁
私の妻は乳癌に罹り、築地の癌研附属病院で左胸部の切除手術を受けた。更にコバルトを照射するため、大塚の同病院の放射線科に移ることになった。私達の自動車が大塚の病院の構内に沿って左折した時、道路に面したその石垣の上に、いずれも夥しい花をつけた沈丁花が植込まれているのが、私の目に入った。一瞬、私は噎せ返るような、沈丁花の芳香を幻覚する。 妻の病室は三階の三十八号室
小山清
仄聞するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。僕はその話を聞いて、その人の孤独にふれる思いがした。きっと寂しい人に違いない。それでなくて、そんな長いあいだに渡って嘘の日記を書きつづけられるわけがない。僕の書くものなどは、もとよりとるに足りないものではあるが、それでもそれが僕にとって嘘の日記に相当すると云えないこと
ポーエドガー・アラン
Impia tortorum longos hic turba furores Sanguinis innocui, non satiata, aluit. Sospite nunc patria, fracto nunc funeris antro, Mors ubi dira fuit vita salusque patent. 「ここにかつて神を恐れざ
夏目漱石
落第 夏目漱石 其頃東京には中学と云うものが一つしか無かった。学校の名もよくは覚えて居ないが、今の高等商業の横辺りに在って、僕の入ったのは十二三の頃か知ら。何でも今の中学生などよりは余程小さかった様な気がする。学校は正則と変則とに別れて居て、正則の方は一般の普通学をやり、変則の方では英語を重にやった。其頃変則の方には今度京都の文科大学の学長になった狩野だの、
グルモンレミ・ドゥ
樹々に落葉のある如く、月日にも落葉がある。無邊のあなたから吹いて來る音無の風は歳月の樹々を震はせて、黄ばみ戰く月日をば順々に落してゆく。落ちてどこへ行くのだらう。黄ばみ戰く木の葉はどこへ行くのだらう。言ふまでも無く、それは自然が歳々の復活を營むあの大實驗室へ行くのだ。それがまた新に青くなつて、一樣になつて、歸り來る時、葉の裁方にまで變が無い、白楊の葉は心の臟
木村好子
落葉よ、落葉よ、 秋風に吹かれて、 お前がカラカラと鳴り乍ら 井戸端に水すすぐ私の手元へ、黄色く、 舞いこんでくると、 おお、私は胸ふたがれる! 何一つもたらすことなく、 過ぎ去った日の一日一日を ただ、えいえいと つづれつくろい、米かしぎ 凡ての希みも、よろこびも、 かなしみさえもおき去りにして 生涯をただ貧しく終えゆく無数の私らの生命のように、 ああ、お
岸田国士
東京の近郊―― 雑木林を背にしたヴイラのテラス 老婦人 収 アンリエツト 弘 秋の午後―― 長椅子が二つ、その一方に老婦人、もう一方に青年が倚りかかつてゐる。それが毎日の習慣になつてでもゐるらしく、二人とも、極めて自然に、ゆつたりとした落ちつきを見せて、静かに読書をしてゐる。 老婦人は、純日本式の不断着、ただ、肩から無造作に投げかけた毛皮の襟巻が、さほど不調
高浜虚子
私は今或る温泉に来て居る。此の温泉には二十年程前に一度来たことがある。其れは或る大病をした揚句であつて、其の時は医者から一度見放された位であつたのが幸いに快方に向つて、其の恢復期を此の温泉で過ごしたのであつた。二十年程前といふとまだ私は二十を沢山越してゐなかつたので、私は早婚ではあつたが、其の頃はまだ乳呑児が一人ある位のものであつた。 其の頃私はこゝの温泉に
根岸正吉
ヒ――ッ アレ――ッ 女の悲鳴驚愕の叫び 機械は停まった。集える人は垣をなす。 されど されど 死せる工女がなぜ生きよう。 髪をシャフトに巻かれて振り廻された。 若い工女の死骸こそ 目もあてられぬ惨憺さであった。 骨は砕け肉は崩れ皮は破れて血汐は飛ぶ。 飛んだ血汐があたりに散った。 彼女の機台に織られた毛布の上にも 異様の形をなした赤い血痕が残された。 ふと
武田麟太郎
落語家たち 武田麟太郎 金車亭が経営不振の果てに、浪花節に城を明け渡したといふ。市内の色物席が次から次へとつぶれて行くと聞く時、この浅草の古い席も時代の波に押されて同じ悲運に際会したのかと思へば、私個人ここに色んな記憶があるせゐも手伝つて何とも寂しい感じがする。 浪花節になつてから内部を改築したとのことであるが、腰かけにでもしたのだらう。あの話の聞きいい――
正岡容
冒頭から自分のことを云ひだして恐縮であるが、拙作のなかで先づ/\そこばくの評判を克ち得たものは「寄席」と「円朝」とだらうが、近世話術文化の花であり、最高峰だつた三遊亭円朝は、落語家のなかでの温泉好きで、その著作中、温泉に取材したものには「熱海土産温泉利書」と「敵討霞初島」とが熱海であり、「霧陰伊香保湯煙」と「後開榛名梅ヶ香」「安中草三郎」が伊香保、モーパッサ