Vol. 2May 2026

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Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik

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落語・教祖列伝 01 神伝魚心流開祖

坂口安吾

カメは貧乏大工の一人息子であったが、やたらに寸法をまちがえるので、末の見込みがなかった。頭が足りなかったのである。そのくせ、大飯をくう。両親は末怖しくなって、人夫をさがしていた山の木コリにあずけた。木コリが試験してみると、鋸だけはうまくひく。器用なことはできない代りに、根気がよくて、バカ力があるので、木コリには向いている。しかし、まだ十の子供のことだから、

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落語・教祖列伝 02 兆青流開祖

坂口安吾

彼は子供の時から、ホラブンとよばれていた。ブンの下にはブン吉とかブン五とか、つくのだろうが、今では誰も知っている者がいない。ホラブンは子供の時から大きなことばかり言っていて、本当のことを喋ったことは一度もなかったそうである。 彼の生家は水呑百姓であったが、鶏やケダモノを食うので、村中から嫌われていた。彼の父は怠け者で大酒飲みであったが、冬になると、どこかへ稼

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落語・教祖列伝 03 花天狗流開祖

坂口安吾

「オラトコのアネサには困ったもんだて。オメサン助けてくんなれや」 と云って、馬吉のオカカが庄屋のところへ泣きこんだ。オラトコは我が家。お前の家はンナトコという。ンナはウヌ(汝)がウナに変じ、ンナとなったものらしい。日本海岸でンナという言葉をきくと語源を按ずるに苦しむが、奇妙なことに、私のすむ太平洋岸の伊東温泉地方では汝をウヌと云い、それを自然にウナと呼びなら

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落語・教祖列伝 04 飛燕流開祖

坂口安吾

目明の鼻介は十手の名人日本一だという大そうな気取りを持っていた。その証拠として彼があげる自慢の戦績を列挙すると、次のようなものである。 奴メが江戸で岡ッ引をしていた時の話。町道場の槍術師範、六尺豊かの豪傑が逆上して暴れだして道往く者を誰彼かまわず突き殺しはじめたことがある。腕自慢の若侍が数をたのんでとりかこんでも、またたくうちに突き伏せられてしまう始末で、同

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落語の濫觴

三遊亭円朝

落語の濫觴 三遊亭円朝 落語の濫觴は、昔時狂歌師が狂歌の開の時に、互に手を束ねてツクネンと考込んで居つては気が屈します、乃で其合間に世の中の雑談を互に語り合うて、一時の鬱を遣つたのが濫觴でござります。尚其前に溯つて申ますると、太閤殿下の御前にて、安楽庵策伝といふ人が、小さい桑の見台の上に、宇治拾遺物語やうなものを載せて、お話を仕たといふ。是は皆様も御案内のこ

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落雷のあと ――近代説話――

豊島与志雄

雷が近くに落ちたからといって、人の心は俄に変るものではありますまい。けれど、なにか心機一転のきっかけとなることはありましょう。そういうことが、立川一郎に起りました。 暑い日、というよりは寧ろ、乾燥した日でした。午後、流れ雲が空のあちこちに浮んでいたのが夕方になって、消え去ったり寄り集まったりしているうちに、更にその上方高く、入道雲が出てきまして、両方が重り合

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いちじくの葉

中原中也

夏の午前よ、いちじくの葉よ、 葉は、乾いてゐる、ねむげな色をして 風が吹くと揺れてゐる、 よわい枝をもつてゐる…… 僕は睡らうか…… 電線は空を走る その電線からのやうに遠く蝉は鳴いてゐる 葉は乾いてゐる、 風が吹いてくると揺れてゐる 葉は葉で揺れ、枝としても揺れてゐる 僕は睡らうか…… 空はしづかに音く、 陽は雲の中に這入つてゐる、 電線は打つづいてゐる

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いちょうの葉

小川未明

幸ちゃんと、清ちゃんは、二つちがいでしたが、毎日仲よく学校へゆきました。いつも幸ちゃんが迎えにきたのです。 「もう、幸ちゃんが、迎えにくる時分だから。」と、清ちゃんは、早くご飯を食べて、机の上の本や、筆入れをランドセルに入れました。すると、 「清ちゃん。」と、いって、はたして、幸ちゃんが、迎えにきました。 「いますぐ、待っていてね。」と、いうより早く、清ちゃ

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ゆづり葉

河井酔茗

子供たちよ。これは譲り葉の木です。この譲り葉は新しい葉が出来ると入れ代つてふるい葉が落ちてしまふのです。 こんなに厚い葉こんなに大きい葉でも新しい葉が出来ると無造作に落ちる新しい葉にいのちを譲つて――。 子供たちよ。お前たちは何を欲しがらないでも凡てのものがお前たちに譲られるのです。太陽の廻るかぎり譲られるものは絶えません。 輝ける大都会もそつくりお前たちが

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らっきょうと葉唐辛子

中谷宇吉郎

この前二年間アメリカへ來たときに、初めは食い物に不自由するかと思ったが、案外に日本の食い物が何でもあるので、驚きもし、かつ安心もした。 もっともアメリカ中どこでもというわけにはいかないので、サンフランシスコとか、ロスアンゼルスとか、シカゴとかいう街の話である。シカゴは戰前には日本人が五百人くらいしかいなかったが、戰後急に増えて二萬人近くになった。もちろん二世

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いちぢくの葉 〔夏の午前よ〕

中原中也

夏の午前よ、いちぢくの葉よ、 葉は、乾いてゐる、ねむげな色をして 風が吹くと揺れてゐる、 よはい枝をもつてゐる…… 僕は睡らうか…… 電線は空を走る その電線からのやうに遠く蝉は鳴いてゐる 葉は乾いてゐる、 風が吹いてくると揺れてゐる、 葉は葉で揺れ、枝としても揺れてゐる 僕は睡らうか…… 空はしづかに音く、 陽は雲の中に這入つてゐる、 電線は打つづいてゐる

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葉と幹

小川未明

ある山に一本のかえでの木がありました。もう長いことその山に生えていました。春になると、美しい若葉を出し、秋になるとみごとに紅葉しました。 町から山に遊びにゆくものは、その木をほめないものはなかったのであります。 「なんといういいかえでの木だろう。」と、子供も年寄りも、みなほめたのであります。 けれど、木はがけの辺に立っていましたので、みなは欲しいと思っても、

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葉桜日記

堀辰雄

――私は、中野重治の譯したハイネの手紙の寫しが以前から私の手許にあるので、それを私の雜誌に載せたいと思つてゐるが、二三個處意味不明のところがある。が、いま、中野には會ふことが出來ない。そこでその原文を一度見たく思つたが、それを所持してゐさうな友人がちよつと頭に浮ばない。やつと竹山道雄のことを思ひ出し、彼がいま其處でドイツ語を教へてゐる第一高等學校に、彼が所持

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葉桜と魔笛

太宰治

葉桜と魔笛 太宰治 桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。――と、その老夫人は物語る。――いまから三十五年まえ、父はその頃まだ存命中でございまして、私の一家、と言いましても、母はその七年まえ私が十三のときに、もう他界なされて、あとは、父と、私と妹と三人きりの家庭でございましたが、父は、私十八、妹十六のときに島根県の日本海に沿った

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ジーブルグ著「神はフランスにゐるか」

岸田国士

ジーブルグ著「神はフランスにゐるか」 岸田國士 フランスについて語られた書物のうち、これほど公平にフランスを観、批評したものは、これまでにも少くはないかと思ふ。しかもそれがドイツ人の手になつたものであるところが面白く、嘗てスタアル夫人が「ドイツについて」を書いた、あの態度よりも一層われわれには好ましいものに感じられる。一外国人としてフランスを愛し、しかも、容

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著者におくる

中野鈴子

今ここに君を見る 昔の姿そのままに 若き日に志したる 君が望み 君が年輪に添い磨き輝く 立派なる結実よ はじめて 君を見し時 君は人の家に我ならぬ日を送りてありき 君あまりに若く こころ失わんとし 立ち出でんとし 路分かたず われ君を祈り 祈ることを与えられしに 黒き手 十八の我を阻みぬ われは狂い 狂いたれども 我は君を離れたるなり 十数年の歳月去り 今こ

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著者小伝

直木三十五

著者小傳 直木三十五 私の略歴 本名――植村宗一 年齡――三十五、卯の一白 生地――大阪市南内安堂寺町 父 ――惣八、八十一才 母 ――靜、六十九才 族籍――平民 弟 ――清二、松山高等學校教授 妻 ――須磨子、四十七才 長男――昂生 長女――木の實 身長――五尺五寸六七分 體重――十二貫百位 筆名の由來――植村の植を二分して直木、この時、三十一才なりし故、

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葛根湯

橘外男

葛根湯 橘外男 日本へ来て貿易商館を開いてからまだ間もない瑞典人で、キャリソン・グスタフという六尺有余の大男がある。図体に似合わぬ、途方もない神経質な奴であった。ある朝、用事があって訪ねて行ってみるとこの動脈硬化症は手紙を書いていたが、人の顔を見るといきなり手を振って、 「静かに! 静かに! 小さな静かな声で話してくれ! 頭に響いてどうにも堪えられんから」

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葛のうら葉

清水紫琴

葛のうら葉 清水紫琴 その上 憎きもかの人、恋しきもかの人なりけり。我はなど憎きと恋しきと、氷炭相容れぬ二ツの情を、一人の人の上にやは注ぐなる。憎しといへばその人の、肉を食みても、なほあきたらぬほどなるを、恋しといへばその人の、今にもあれ我が前にその罪を悔ひ、その過ちを謝しなむには、いづれに脆き露の身を、同じくはその人の手に消えたしとは、何といふ心の迷ひぞや

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葛の葉狐

楠山正雄

葛の葉狐 楠山正雄 一 むかし、摂津国の阿倍野という所に、阿倍の保名という侍が住んでおりました。この人の何代か前の先祖は阿倍の仲麻呂という名高い学者で、シナへ渡って、向こうの学者たちの中に交ってもちっとも引けをとらなかった人です。それでシナの天子さまが日本へ還すことを惜しがって、むりやり引き止めたため、日本へ帰ることができないで、そのまま向こうで、一生暮らし

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葛飾土産

永井荷風

○ 菅野に移り住んでわたくしは早くも二度目の春に逢おうとしている。わたくしは今心待ちに梅の蕾の綻びるのを待っているのだ。 去年の春、初めて人家の庭、また農家の垣に梅花の咲いているのを見て喜んだのは、わたくしの身に取っては全く予想の外にあったが故である。戦災の後、東京からさして遠くもない市川の町の附近に、むかしの向嶋を思出させるような好風景の残っていたのを知っ

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葡萄棚

永井荷風

葡萄棚 永井荷風 浅草公園の矢場銘酒屋のたぐひ近頃に至りて大方取払はれし由聞きつたへて誰なりしか好事の人の仔細らしく言ひけるは、かかるいぶせき処のさまこそ忘れやらぬ中絵にも文にもなして写し置くべきなれ。後に至らば天明時代の蒟蒻本とも相並びて風俗研究家の好資料ともなるべきにと。この言あるいは然らん。かの唐人孫綮が『北里志』また崔令欽が『教坊記』の如きいづれか才

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葡萄水

宮沢賢治

葡萄水 宮沢賢治 (一) 耕平は髪も角刈りで、おとなのくせに、今日は朝から口笛などを吹いてゐます。 畑の方の手があいて、こゝ二三日は、西の野原へ、葡萄をとりに出られるやうになったからです。 そこで耕平は、うしろのまっ黒戸棚の中から、兵隊の上着を引っぱり出します。 一等卒の上着です。 いつでも野原へ出るときは、きっとこいつを着るのです。 空が光って青いとき、黄

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葡萄蔓の束

久生十蘭

北海道の春は、雪も消えないうちにセカセカとやって来る。なにもかもひと口に頬張ってしまおうとする子供のようだ。落葉松の林の中は固い雪でとじられているのに、その梢で鶫が鳴く。 低く垂れていた鈍重な雪雲の幕が一気にひきあけられ、そのうしろからいちめん浅みどりの空が顔をだす。 雪の表面が溶け、小さな流れをつくって大急ぎで沢のなかへ流れこみ、山襞や岩の腹についていた雪

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