葦笛(一幕)
宮本百合子
葦笛(一幕) 宮本百合子 人物 精霊 三人 シリンクス ダイアナ神ニ侍リ美くしい又とない様な精女 ペーン マアキュリの長子林の司 こんもりしげった森の中遠くに小川がリボンの様に見える所。 春の花は一ぱいに咲き満ちてしずかな日光はこまっかい木々の葉の間から模様の様になって地面をてらして居る。あまったるい香りがただよって居るおだやかな景色。 三人の精霊
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宮本百合子
葦笛(一幕) 宮本百合子 人物 精霊 三人 シリンクス ダイアナ神ニ侍リ美くしい又とない様な精女 ペーン マアキュリの長子林の司 こんもりしげった森の中遠くに小川がリボンの様に見える所。 春の花は一ぱいに咲き満ちてしずかな日光はこまっかい木々の葉の間から模様の様になって地面をてらして居る。あまったるい香りがただよって居るおだやかな景色。 三人の精霊
田中貢太郎
葬式の行列 田中貢太郎 鶴岡の城下に大場宇兵衛という武士があった。其の大場は同儕の寄合があったので、それに往っていて夜半比に帰って来た。北国でなくても淋しい屋敷町。其の淋しい屋敷町を通っていると、前方から葬式の行列が来た。夕方なら唯もかく深夜の葬式はあまり例のない事であった。大場は行列の先頭が自分の前へ来ると聞いてみた。 「何方のお葬式でござる」 対手は躊躇
小泉八雲
むかし丹波の国に稻村屋源助という金持ちの商人が住んでいた。この人にお園という一人の娘があった。お園は非常に怜悧で、また美人であったので、源助は田舎の先生の教育だけで育てる事を遺憾に思い、信用のある従者をつけて娘を京都にやり、都の婦人達の受ける上品な芸事を修業させるようにした。こうして教育を受けて後、お園は父の一族の知人――ながらやと云う商人に嫁けられ、ほとん
野村胡堂
「どうなさいました、貴方」 若い美しい夫人の貴美子は、夫棚橋讃之助の後を追って帝劇の廊下に出ました。フランスから来た某という名洋琴家の演奏が、今始まったばかりと云う時です。 「とても我慢が出来ない、あの曲は俺に取ってはヒドク不吉なんだ」 「マア――」 ショパンの「葬送行進曲ソナタ」を第一楽章だけ聴いて飛出すのは、随分乱暴な態度だとは思いましたが、美しい夫人は
佐藤垢石
葵原夫人は、素晴らしい意気込みである。頬に紅潮が漂って来た。 「では、いけませんか?」 と、念を押す。 「いけない、と言うことはありませんが、一体に婦人は舟に弱いものですからね」 「いえ、それでしたら御心配いりませんわ。私、もう五、六年も毎年葵原と一緒にヨットの練習をやっているんですもの――一度だって、眩ったこと御座いませんの――」 「それなら、いいですが」
兼常清佐
レコード蒐集 兼常清佐 何だかレコード会社のまわし者のいいそうな事をいうようですが、しかしレコードがこんなに沢山売れて、社会一般に普及したことを私は非常に結構な事だと思います。 レコードは蒐集慾の対象物としてはなはだ都合のいいものです。お金のある人はそれでかなり蒐集慾を満足する事が出来ます。その点でレコードは音楽会のプログラムを集めるよりもよほど価値がありま
萩原朔太郎
蒲原有明に帰れ 萩原朔太郎 僕、先月末出京しました。東京は我があこがれの都。雪のふる夜も青猫の屋根を這ふ大都会。いまは工場と工場との露地の間、職工の群がつてゐる煤煙の街に住んでゐます。黒い煤煙と煉瓦の家の並んでゐる或る貧乏なまづしい長屋に、僕等親子四人が悲しい生活をしてゐます。どうにかしてパンの食へる間だけは、乞食をしても東京を離れたくない。いつまでもこのプ
萩原朔太郎
日本の詩壇は、過去に於て凡そ三期の峠を越して來てゐる。第一期は所謂新體詩時代であつて、その完成者は島崎藤村氏等である。第二期は新體詩から自由詩へ、浪漫派から象徴派に移つた過渡期であつて、その目ざましき完成者は蒲原有明氏であつた。最後に第三期は文章語自由詩の黄金時代で、之れは北原白秋氏と三木露風氏とで代表されてる。 この以上三期の中、我々にとつて最も記念の深い
橘外男
怨霊というものがあるかないかそんな机上の空論などを、いまさら筆者は諸君と論判したいとは少しも思わない。ただここに掲げる一篇の事実を提げて、いっさいを諸君の批判の下に委ねんと思うのみである。科学がこの世の中のことすべてを割り切っているかどうか、それも筆者は諸君と議論したいとは少しも願わない。が、一言贅言を挟ませて下さるならば、読者も御承知のとおり浄土宗の総本山
田山花袋
小石川の切支丹坂から極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとして渠は考えた。「これで自分と彼女との関係は一段落を告げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿々々しくなる。けれど……けれど……本当にこれが事実だろうか。あれだけの愛情を自身に注いだのは単に愛情としてのみで、恋ではなかったろうか」 数多い感情ずくめの手紙――二人の関
田山花袋
『何うして、あんな「蒲団」のやうな作が歓迎されたでせうな?』かうある人が言つたが、作者自身でも、何うしてあんな作が今でも売れてゐるかと思はれるほどである。少くともあの作は四五万は売れた。 しかし、あの時分のことを思ひ出すのは愉快だ。あの時分のことを思ふと、国木田君の顔と一緒に渋谷のさびしい別荘のやうな家が浮び出して来る。小諸から『破戒』の未成稿を抱いて出京し
桑原隲蔵
蒲壽庚の事蹟 桑原隲藏 本論 一 大食人の通商 西暦八世紀の初頃から、十五世紀の末に、ヨーロッパ人が東洋に來航する頃まで、約八百年の間は、アラブ人が世界の通商貿易の舞臺に立つて、尤も活躍した時代で、殊に西暦八世紀の後半に、Abbs 王朝が縛達 Baghdd に都を奠めて以來、彼等は海上から印度や支那方面の通商に尤も力を注いだ。 アラブ人はペルシア灣から印度洋
寺田寅彦
蒸発皿 寺田寅彦 一 亀井戸まで 久しぶりで上京した友人と東京会館で晩餐をとりながら愉快な一夕を過ごした。向こうの食卓には、どうやら見合いらしい老若男女の一団がいた。きょうは日がよいと見える。近ごろの見合いでは、たいてい婿殿のほうがかえって少しきまりが悪そうで、嫁様のほうが堂々としている。卓上の花瓶に生けた紫色のスウィートピーが美しく見えた。 会館前で友人と
宮沢賢治
〔蒼冷と純黒〕 宮沢賢治 〔冒頭欠〕 たいエゴイストだ。たゞ神のみ名によるエゴイストだと、君はもう一遍、云って呉れ。さうでなくてさへ、俺の胸は裂けやうとする。 純黒 俺の胸も裂けやうとする。おゝ。町はづれのたそがれの家で、顔のまっ赤な女が、一人で、せわしく飯をかき込んだ。それから、水色の汽車の窓の所で、瘠せた旅人が、青白い苹果にパクと噛みついた。俺は一人にな
ドイルアーサー・コナン
友人シャーロック・ホームズのもとを、私はクリスマスの二日後に訪れた。時候の挨拶をしようと思ったのだ。ホームズは紫の化粧着姿で、ソファにくつろいでいた。右手の届くところにパイプ置きがあり、今読んでいるところなのだろう、手元にはぐちゃりと朝刊の山が積まれている。ソファのそばには木の椅子があり、背の角にちょうど、趣味の悪い堅めのフェルト帽がひっかけられていた。ずい
徳田秋声
蒼白い月 徳田秋声 ある晩私は桂三郎といっしょに、その海岸の山の手の方を少し散歩してみた。 そこは大阪と神戸とのあいだにある美しい海岸の別荘地で、白砂青松といった明るい新開の別荘地であった。私はしばらく大阪の町の煤煙を浴びつつ、落ち着きのない日を送っていたが、京都を初めとして附近の名勝で、かねがね行ってみたいと思っていた場所を三四箇所見舞って、どこでも期待し
梶井基次郎
ある晩春の午後、私は村の街道に沿った土堤の上で日を浴びていた。空にはながらく動かないでいる巨きな雲があった。その雲はその地球に面した側に藤紫色をした陰翳を持っていた。そしてその尨大な容積やその藤紫色をした陰翳はなにかしら茫漠とした悲哀をその雲に感じさせた。 私の坐っているところはこの村でも一番広いとされている平地の縁に当っていた。山と溪とがその大方の眺めであ
坂口安吾
冬の明方のことだつた。夜はまだ明けない。然し夜明けが近づかうとしてゐるのだ。夜の不気味な妖しさが衰へて、巨大な虚しい悲しさが闇の全てに漲りはじめてゐる。草吉はそのとき自然に目を覚した。 室内も窓の彼方も一色の深い暗闇ではあつたが、重量の加はりはじめた寒気と、胸苦しい悲しみの気配によつて、もはや夜明けに近いことを推定することができた。四時半前後であらうと思つた
辻潤
芙美子さん―― しばらく留守にしてゐたので返事が遅れてすみません。帰つてから十日余りになるのです。身体はさしてわるいと云ふわけではないが、頭が痲痺してゐるやうなのです 序文は勿論喜んで書きます。しかし別段改まつて書く事もありません。 あなたが先づニセ物の詩人でないと云ふことがなにより先きに感じられるのです。 あなたは詩をからだ全体で書いてゐます。かう云つたら
林芙美子
自序 あゝ二十五の女心の痛みかな! 細々と海の色透きて見ゆる 黍畑に立ちたり二十五の女は 玉蜀黍よ玉蜀黍! かくばかり胸の痛むかな 廿五の女は海を眺めて 只呆然となり果てぬ。 一ツ二ツ三ツ四ツ 玉蜀黍の粒々は二十五の女の 侘しくも物ほしげなる片言なり 蒼い海風も 黄いろなる黍畑の風も 黒い土の吐息も 二十五の女心を濡らすかな。 海ぞひの黍畑に 何の願ひぞも
中井正一
蓄音器の針 中井正一 何の針をとって見てもヴィクターのソフトはヴィクターのソフトだ。針は現にひとつひとつ違っているんだがやはりヴィクターのソフトだ。どのひとつひとつもが一つの「型」にしかすぎない。 「型」の出現は一応販売あるいは組織から要求されてきたことである。 今人間もようやく政策あるいは就職の形式をもって、道具化商品化しつつある。すなわち「型」可能形の中
寺田寅彦
蓄音機 寺田寅彦 エジソンの蓄音機の発明が登録されたのは一八七七年でちょうど西南戦争の年であった。太平洋を隔てて起こったこの二つの出来事にはなんの関係もないようなものの、わが国の文化発達の歴史を西洋のと引き合わせてみる時の一つの目標にはなる。のみならず少なくとも私にはこの偶然の合致が何事かを暗示する象徴のようにも思われる。 エジソンの最初の蓄音機は、音のため
寺田寅彦
蓑田先生 寺田寅彦 明治二十七八年の頃K市の県立中学校に新しい英語の先生が赴任して来た。此の先生が当時の他の先生達に比較してあらゆる点で異彩を放つて居た。第一に年が若くて生徒等の兄さん位に見えた。さうして年取つて黒く萎びた先生や、堂々とした鬚を立てた先生等の中に交つた此の白面無鬚の公子の服装も著しくスマートなものであつた。ズボンの折目がいつでもキチンと際立つ
豊島与志雄
蓮 豊島与志雄 私は蓮が好きである。泥池の中から真直に一茎を伸して、その頂に一つ葉や花や実をつける、あの独特な風情もよい。また、単に花からばかりでなく、葉や実や根などからまでも、仄かに漂い出してくる、あの清い素純な香もよい。その形、その香、そして泥土と水、凡てに原始的な幽玄な趣きがある。 田舎の子供達は、真白な蓮の根をぽきりと折って、中に通ってる八つの穴に何