谷崎潤一郎氏
芥川竜之介
僕は或初夏の午後、谷崎氏と神田をひやかしに出かけた。谷崎氏はその日も黒背広に赤い襟飾りを結んでゐた。僕はこの壮大なる襟飾りに、象徴せられたるロマンティシズムを感じた。尤もこれは僕ばかりではない。往来の人も男女を問はず、僕と同じ印象を受けたのであらう。すれ違ふ度に谷崎氏の顔をじろじろ見ないものは一人もなかつた。しかし谷崎氏は何と云つてもさう云ふ事実を認めなかつ
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芥川竜之介
僕は或初夏の午後、谷崎氏と神田をひやかしに出かけた。谷崎氏はその日も黒背広に赤い襟飾りを結んでゐた。僕はこの壮大なる襟飾りに、象徴せられたるロマンティシズムを感じた。尤もこれは僕ばかりではない。往来の人も男女を問はず、僕と同じ印象を受けたのであらう。すれ違ふ度に谷崎氏の顔をじろじろ見ないものは一人もなかつた。しかし谷崎氏は何と云つてもさう云ふ事実を認めなかつ
芥川竜之介
予等は芸術の士なるが故に、如実に万象を観ざる可らず。少くとも万人の眼光を借らず、予等の眼光を以て見ざる可らず。古来偉大なる芸術の士は皆この独自の眼光を有し、おのづから独自の表現を成せり。ゴッホの向日葵の写真版の今日もなほ愛翫せらるる、豈偶然の結果ならんや。(幸ひに GOGH をゴッホと呼ぶ発音の誤りを咎むること勿れ。予は ANDERSEN をアナアセンと呼ば
芥川竜之介
岩野泡鳴氏 芥川龍之介 何でも秋の夜更けだつた。 僕は岩野泡鳴氏と一しよに、巣鴨行の電車に乗つてゐた。泡鳴氏は昂然と洋傘の柄にマントの肘をかけて、例の如く声高に西洋草花の栽培法だの氏が自得の健胃法だのをいろいろ僕に話してくれた。 その内にどう云ふ拍子だつたか、話題が当時評判だつた或小説の売れ行きに落ちた。すると泡鳴氏は傍若無人に、 「しかし君、新進作家とか何
芥川竜之介
芸術その他 芥川龍之介 × 芸術家は何よりも作品の完成を期せねばならぬ。さもなければ、芸術に奉仕する事が無意味になつてしまふだらう。たとひ人道的感激にしても、それだけを求めるなら、単に説教を聞く事からも得られる筈だ。芸術に奉仕する以上、僕等の作品の与へるものは、何よりもまづ芸術的感激でなければならぬ。それには唯僕等が作品の完成を期するより外に途はないのだ。
芥川竜之介
三つの指環 芥川龍之介 昔々、バグダツドのマホメツト教のお寺の前に、一人の乞食が寝て居りました。丁度その時、説教がすんだので、人々はお寺からぞろぞろと出て来ましたが、誰一人としてこの乞食に、一銭もやる者はありませんでした。最後に一人の商人風の人が出て来ましたが、その乞食を見ると、ポケツトから金を出してやりました。すると乞食は急に起き上つて、「難有う御座います
芥川竜之介
或社会主義者 芥川龍之介 彼は若い社会主義者だつた。或小官吏だつた彼の父はそのためにかれを勘当しようとした。が、彼は屈しなかつた。それは彼の情熱が烈しかつたためでもあり、又一つには彼の友だちが彼を激励したためでもあつた。 彼等は或団体をつくり、十ペエジばかりのパンフレツトを出したり、演説会を開いたりしてゐた。彼も勿論彼等の会合へ絶えず顔を出した上、時々そのパ
芥川竜之介
鬼ごつこ 芥川龍之介 彼は或町の裏に年下の彼女と鬼ごつこをしてゐた。まだあたりは明るいものの、丁度町角の街燈には瓦斯のともる時分だつた。 「ここまで来い。」 彼は楽々と逃げながら、鬼になつて来る彼女を振りかへつた。彼女は彼を見つめたまま、一生懸命に追ひかけて来た。彼はその顔を眺めた時、妙に真剣な顔をしてゐるなと思つた。 その顔は可也長い間、彼の心に残つてゐた
芥川竜之介
槐 芥川龍之介 槐と云ふ樹の名前を覚えたのは「石の枕」と云ふ一中節の浄瑠璃を聞いた時だつたであらう。僕は勿論一中節などを稽古するほど通人ではない。唯親父だのお袋だのの稽古してゐるのを聞き覚えたのである。その文句は何でも観世音菩薩の「庭に年経し槐の梢」に現れるとか何とか云ふのだつた。 「石の枕」は一つ家の婆さんが石の枕に旅人を寝かせ、路用の金を奪ふ為に上から綱
芥川竜之介
O君の新秋 芥川龍之介 僕は膝を抱へながら、洋画家のO君と話してゐた。赤シヤツを着たO君は畳の上に腹這ひになり、のべつにバツトをふかしてゐた。その又O君の傍らには妙にものものしい義足が一つ、白足袋の足を仰向かせてゐた。 「まだ残暑と云ふ感じだね。」 O君は返事をする前にちよつと眉をひそめるやうにし、縁先の紫苑へ目をやつた。何本かの紫苑はいつの間にか細かい花を
芥川竜之介
囈語 芥川龍之介 一 僕の胃袋は鯨です。コロムブスの見かけたと云ふ鯨です。時々潮も吐きかねません。吼える声を聞くのには飽き飽きしました。 二 僕の舌や口腔は時々熱の出る度に羊歯類を一ぱいに生やすのです。 三 一体下痢をする度に大きい蘇鉄を思ひ出すのは僕一人に限つてゐるのかしら? 四 僕は腹鳴りを聞いてゐると、僕自身いつか鮫の卵を産み落してゐるやうに感じるので
芥川竜之介
二人の友 芥川龍之介 僕は一高へはひつた時、福間先生に独逸語を学んだ。福間先生は鴎外先生の「二人の友」の中のF君である。「二人の友」は当時はまだ活字になつてはいなかつたであらう。少くとも僕などのそんなことを全然知らなかつたのは確かである。 福間先生は常人よりも寧ろ背は低かつたであらう。何でも金縁の近眼鏡をかけ、可成長い口髭を蓄へてゐられたやうに覚えてゐる。
芥川竜之介
微笑 芥川龍之介 僕が大学を卒業した年の夏、久米正雄と一緒に上総の一ノ宮の海岸に遊びに行つた。それは遊びに行つたといつても、本を読んだり、原稿を書いたりしてゐたには違ひないが、まあ一日の大部分は海にはひつたり、散歩したりして暮してゐた。 或暮方、僕等は一ノ宮の町へ散歩に行き、もう人の顔も見えない頃、ぶらぶら宿の方へ帰つて来た。道は宿へ辿り着くためには、弘法麦
芥川竜之介
沙羅の花 芥川龍之介 沙羅木は植物園にもあるべし。わが見しは或人の庭なりけり。玉の如き花のにほへるもとには太湖石と呼べる石もありしを、今はた如何になりはてけむ、わが知れる人さへ風のたよりにただありとのみ聞えつつ。 また立ちかへる水無月の 歎きをたれにかたるべき。 沙羅のみづ枝に花さけば、 かなしき人の目ぞ見ゆる。 (大正十四年五月)
芥川竜之介
臘梅 芥川龍之介 わが裏庭の垣のほとりに一株の臘梅あり。ことしも亦筑波おろしの寒きに琥珀に似たる数朶の花をつづりぬ。こは本所なるわが家にありしを田端に移し植ゑつるなり。嘉永それの年に鐫られたる本所絵図をひらきたまはば、土屋佐渡守の屋敷の前に小さく「芥川」と記せるのを見たまふらむ。この「芥川」ぞわが家なりける。わが家も徳川家瓦解の後は多からぬ扶持さへ失ひければ
芥川竜之介
詩集 芥川龍之介 彼の詩集の本屋に出たのは三年ばかり前のことだつた。彼はその仮綴ぢの処女詩集に『夢みつつ』と言ふ名前をつけた。それは巻頭の抒情詩の名前を詩集の名前に用ひたものだった。 夢みつつ、夢みつつ、 日もすがら、夢みつつ…… 彼はこの詩の一節ごとにかう言ふリフレエンを用ひてゐた。 彼の詩集は何冊も本屋の店に並んでゐた。が、誰も買ふものはなかつた。誰も?
芥川竜之介
雪 芥川龍之介 或冬曇りの午後、わたしは中央線の汽車の窓に一列の山脈を眺めてゐた。山脈は勿論まつ白だつた。が、それは雪と言ふよりも山脈の皮膚に近い色をしてゐた。わたしはかう言ふ山脈を見ながら、ふと或小事件を思ひ出した。―― もう四五年以前になつた、やはり或冬曇りの午後、わたしは或友だちのアトリエに、――見すぼらしい鋳もののストオヴの前に彼やそのモデルと話して
芥川竜之介
鷺と鴛鴦 芥川龍之介 二三年前の夏である。僕は銀座を歩いてゐるうちに二人の女を発見した。それも唯の女ではない。はつと思ふほど後ろ姿の好い二人の女を発見したのである。 一人は鷺のやうにすらりとしてゐる。もう一人は――この説明はちよつと面倒である。古来姿の好いと云ふのは揚肥よりも趙痩を指したものらしい。が、もう一人は肥つてゐる。中肉以上に肥つてゐる。けれども体の
芥川竜之介
教訓談 芥川龍之介 あなたはこんな話を聞いたことがありますか? 人間が人間の肉を食つた話を。いえ、ロシヤの飢饉の話ではありません。日本の話、――ずつと昔の日本の話です。食つたのは爺さんですし、食はれたのは婆さんです。 どうして食つたと云ふのですか? それは狸の悪企みです。婆さんを殺した古狸はその婆さんに化けた上狸の肉を食はせる代りに婆さんの肉を食はせたのです
芥川竜之介
かちかち山 芥川龍之介 童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭の兎とは、舌切雀のかすかな羽音を聞きながら、しづかに老人の妻の死をなげいてゐる。とほくに懶い響を立ててゐるのは、鬼ヶ島へ通ふ夢の海の、永久にくづれる事のない波であらう。 老人の妻の屍骸を埋めた土の上には、花のない桜の木が、ほそい青銅の枝を、細く空にのばしてゐる。その木の上の空には、あけ方の半透
芥川竜之介
商賈聖母 芥川龍之介 天草の原の城の内曲輪。立ち昇る火焔。飛びちがふ矢玉。伏し重なつた男女の死骸。その中に手を負つた一人の老人。老人は石垣の上に懸けた麻利耶の画像を仰ぎながら、高声に「はれるや」を唱へてゐる。 忽ち又一発の銃弾。 老人はのけざまに仆れたぎり、二度と起き上る気色は見えない。白衣の聖母は石垣の上から、黙黙とその姿を見下してゐる。おごそかに、悠悠と
芥川竜之介
わが散文詩 芥川龍之介 秋夜 火鉢に炭を継がうとしたら、炭がもう二つしかなかつた。炭取の底には炭の粉の中に、何か木の葉が乾反つてゐる。何処の山から来た木の葉か?――今日の夕刊に出てゐたのでは、木曾のおん岳の初雪も例年よりずつと早かつたらしい。 「お父さん、お休みなさい。」 古い朱塗の机の上には室生犀星の詩集が一冊、仮綴の頁を開いてゐる。「われ筆とることを憂し
芥川竜之介
パステルの龍 芥川龍之介 これは上海滞在中、病間に訳したものである。シムボリズムからイマジズムに移つて行つた、英仏の詩の変遷は、この二人の女詩人の作にも、多少は窺ふ事が出来るかも知れない。名高いゴオテイエの娘さんは、カテユウル・マンデスと別れた後、Tin-tun-Ling と云ふ支那人に支那語を習つたさうである。が、李太白や杜少陵の訳詩を見ても、訳詩とはどう
芥川竜之介
動物園 芥川龍之介 象 象よ。キツプリングは昔お前の先祖が、鰐に鼻を啣へられたものだから、未だにお前まで長い鼻をぶら下げて歩いてゐると云つた。が、おれにはどうしても、あいつの云ふ事が信用出来ない。お前の先祖は仏陀御在世の時分、きつとガンヂス河の燈心草の中で、昼寝か何かしてゐたのだ。すると河の泥に隠れてゐた、途方もなく大きな蛭が、その頃はまだ短かつた、お前の先
芥川竜之介
寒山拾得 芥川龍之介 久しぶりに漱石先生の所へ行つたら、先生は書斎のまん中に坐つて、腕組みをしながら、何か考へてゐた。「先生、どうしました」と云ふと「今、護国寺の三門で、運慶が仁王を刻んでゐるのを見て来た所だよ」と云ふ返事があつた。この忙しい世の中に、運慶なんぞどうでも好いと思つたから、浮かない先生をつかまへて、トルストイとか、ドストエフスキイとか云ふ名前の