Vol. 2May 2026

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孔雀

芥川竜之介

孔雀 芥川龍之介 これは異本「伊曾保の物語」の一章である。この本はまだ誰も知らない。 「或鴉おのれが人物を驕慢し、孔雀の羽根を見つけて此処かしこにまとひ、爾余の諸鳥をば大きに卑しめ、わが上はあるまじいと飛び廻れば、諸鳥安からず思ひ、『なんぢはまことの孔雀でもないに、なぜにわれらをおとしめるぞ』と、取りまはいてさんざんに打擲したれば、羽根は抜かれ脚は折られ、な

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翻訳小品

芥川竜之介

翻訳小品 芥川龍之介 一 アダムとイヴと 小さい男の子と小さい女の子とが、アダムとイヴとの画を眺めてゐた。 「どつちがアダムでどつちがイヴだらう?」 さう一人が言つた。 「分らないな。着物着てれば分るんだけれども。」 他の一人が言つた。(Butler) 二 牧歌 わたしは或南伊太利亜人を知つてゐる。昔の希臘人の血の通つた或南伊太利亜人である。彼の子供の時、彼

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身のまはり

芥川竜之介

身のまはり 芥川龍之介 一 机 僕は学校を出た年の秋「芋粥」といふ短篇を新小説に発表した。原稿料は一枚四十銭だつた。が、いかに当時にしても、それだけに衣食を求めるのは心細いことに違ひなかつた。僕はそのために口を探し、同じ年の十二月に海軍機関学校の教官になつた。夏目先生の死なれたのはこの十二月の九日だつた。僕は一月六十円の月俸を貰ひ、昼は英文和訳を教へ、夜はせ

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風変りな作品に就いて

芥川竜之介

風変りな作品に就いて 芥川龍之介 「貴君の作品の中で、愛着を持つてゐらつしやるものか、好きなものはありませんか」と云はれると、一寸困る。さういふ条件の小説を特別に選り出す事は出来ないし、又特別に取扱はなくてはならない小説があるとも思へない。第一、自分の小説といふものを考へた時に、その沢山な小説の行列の中から、特に、私が小説で御座ると名乗つて飛び出して来るもの

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病牀雑記

芥川竜之介

病牀雑記 芥川龍之介 一、病中閑なるを幸ひ、諸雑誌の小説を十五篇ばかり読む。滝井君の「ゲテモノ」同君の作中にても一頭地を抜ける出来栄えなり。親父にも、倅にも、風景にも、朴にして雅を破らざること、もろこしの餅の如き味はひありと言ふべし。その手際の鮮かなるは恐らくは九月小説中の第一ならん乎。 二、里見君の「蚊遣り」も亦十月小説中の白眉なり。唯聊か末段に至つて落筆

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才一巧亦不二

芥川竜之介

才一巧亦不二 芥川龍之介 ヴオルテエルが子供の時は神童だつた。 処が、或る人が、 「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば並の人、といふこともあるから、子供の時に悧巧でも大人になつて馬鹿にならないとは限らない。だから神童と云はれるのも考へものだ」と云つた。 すると、それを聞いたヴオルテエルが、その人の顔を眺めながら、 「おじさんは子供の時に、さぞ悧巧だつたでせう

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偽者二題

芥川竜之介

偽者二題 芥川龍之介 この夏僕のところへ、山形県から手紙が来た。手紙を出した人は、山崎操と云ふ人だつた。これが今迄、手紙を貰つたこともなければ逢つたこともない人だつた。 ところが、手紙をあけてみると、あなたに貸した百円の金を至急返してくれ、もし返してくれなければ告訴すると云ふのだから吃驚した。何でもその文面によると、僕が仙台の針久旅館とかに泊つてゐて、電報為

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変遷その他

芥川竜之介

変遷その他 芥川龍之介 変遷 万法の流転を信ずる僕と雖も、目前に世態の変遷を見ては多少の感慨なきを得ない。現にいつか垣の外に「茄子の苗や胡瓜の苗、……ヂギタリスの苗や高山植物の苗」と言ふ苗売りの声を聞いた時にはしみじみ時好の移つたことを感じた。が、更に驚いたのはこの頃ふと架上の書を縁側の日の光に曝した時である。僕は従来衣魚と言ふ虫は決して和本や唐本以外に食は

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日本の女

芥川竜之介

日本の女 芥川龍之介 一 ここに面白い本がある。本の名は「ジヤパン」で、発行されたのは一八五二年である。著者はチヤアレス・マツクフアレエンといひ、日本に来たことはないが、頗る日本に興味をもつた人である。少くとも、興味をもつたと称する人である。「ジヤパン」は、この人が、ラテン、ポルトガル、スペイン、イタリイ、フランス、オランダ、ドイツ、イギリス等の文献から、日

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念仁波念遠入礼帖

芥川竜之介

念仁波念遠入礼帖 芥川龍之介 燕雀生といふ人、「文芸春秋」三月号に泥古残念帖と言ふものを寄せたり。この帖を見るに我等の首肯し難き事二三あれば、左にその二三を記し、燕雀生の下問を仰がん。 (一)春台の語、老子に出でたりとは聞えたり。老子に「衆人熙々。如享太牢。如登春台」とあるは疑ひなし。然れども春台を「天子が侍姫に戯るる処」とするは何の出典に依るか。愚考によれ

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日本小説の支那訳

芥川竜之介

日本小説の支那訳 芥川龍之介 上海の商務印書館から世界叢書と云ふものが出てゐる。その一つが「現代日本小説集」である。これに輯めてあるのは国木田独歩、夏目漱石、森鴎外、鈴木三重吉、武者小路実篤、有島武郎、長与善郎、志賀直哉、千家元麿、江馬修、江口渙、菊池寛、佐藤春夫、加藤武雄、僕、この十五人、三十篇である。このうち、夏目漱石、森鴎外、有島武郎、江口渙、菊池寛の

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田端人

芥川竜之介

田端人 芥川龍之介 この度は田端の人々を書かん。こは必ずしも交友ならず。寧ろ僕の師友なりと言ふべし。 下島勲 下島先生はお医者なり。僕の一家は常に先生の御厄介になる。又空谷山人と号し、乞食俳人井月の句を集めたる井月句集の編者なり。僕とは親子ほど違ふ年なれども、老来トルストイでも何でも読み、論戦に勇なるは敬服すべし。僕の書画を愛する心は先生に負ふ所少からず。な

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学校友だち

芥川竜之介

学校友だち 芥川龍之介 これは学校友だちのことと言ふも、学校友だちの全部のことにあらず。只冬夜電燈のもとに原稿紙に向へる時、ふと心に浮かびたる学校友だちのことばかりなり。 上滝嵬 これは、小学以来の友だちなり。嵬はタカシと訓ず。細君の名は秋菜。秦豊吉、この夫婦を南画的夫婦と言ふ。東京の医科大学を出、今は厦門の何とか病院に在り。人生観上のリアリストなれども、実

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わが俳諧修業

芥川竜之介

わが俳諧修業 芥川龍之介 小学校時代。――尋常四年の時に始めて十七字を並べて見る。「落葉焚いて葉守りの神を見し夜かな」。鏡花の小説など読みゐたれば、その羅曼主義を学びたるなるべし。 中学時代。――「獺祭書屋俳話」や「子規随筆」などは読みたれど、句作は殆どしたることなし。 高等学校時代。――同級に久米正雄あり。三汀と号し、朱鞘派の俳人なり。三汀及びその仲間の仕

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娼婦美と冒険

芥川竜之介

娼婦美と冒険 芥川龍之介 貴問に曰、近来娼婦型の女人増加せるを如何思ふ乎と。然れども僕は娼婦型の女人の増加せる事実を信ずる能はず。尤も女人も家庭の外に呼吸する自由を捉へたれば、当代の女人の男子を見ること、猛獣の如くならざるは事実なるべし。こは勿論娼婦型の女人の増加せる結果と言ふこと能はず。又産児を免るべき科学的方法並びに道徳的論も略完全に具りたれば当代の女人

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蒐書

芥川竜之介

蒐書 芥川龍之介 元来僕は何ごとにも執着の乏しい性質である。就中蒐集と云ふことには小学校に通つてゐた頃、昆虫の標本を集めた以外に未嘗熱中したことはない。従つてマツチの商標は勿論、油壺でも、看板でも、乃至古今の名家の書画でも必死に集めてゐる諸君子には敬意に近いものを感じてゐる。時には多少の嫌悪を交へた驚嘆に近いものを感じてゐる。 書籍も亦例外ではない。僕も亦商

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リチャード・バートン訳「一千一夜物語」に就いて

芥川竜之介

リチヤアド・バアトン訳「一千一夜物語」に就いて 芥川龍之介 一 リチヤアド・バアトン(Richard Burton)の訳した「一千一夜物語」――アラビヤン・ナイツは、今日まで出てゐる英訳中で先づ一番完全に近いものであるとせられてゐる。勿論、バアトン以前に出た訳本も数あつて、一々挙げる遑も無い程であるが、先づ「一千一夜物語」を欧羅巴に紹介した最初の訳本は一七〇

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案頭の書

芥川竜之介

大阪の画工北の著はせる古今実物語と云ふ書あり。前後四巻、作者の筆に成れる画を交ふ。格別稀覯書にはあらざれども、聊か風変りの趣あれば、そのあらましを紹介すべし。 古今実物語は奇談二十一篇を収む。その又奇談は怪談めきたれども、実は少しも怪談ならず。たとへば「幽霊二月堂の牛王をおそるる事」を見よ。 「今西村に兵右衛門と云へる有徳なる百姓ありけるが、かの家にめし使ふ

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「仮面」の人々

芥川竜之介

「仮面」の人々 芥川龍之介 学生時代の僕は第三次並びに第四次「新思潮」の同人と最も親密に往来してゐた。元来作家志望でもなかつた僕のとうとう作家になつてしまつたのは全然彼等の悪影響である。全然?――尤も全然かどうかは疑問かも知れない。当時の僕は彼等以外にも早稲田の連中と交際してゐた。その連中もやはり清浄なる僕に悪影響を及ぼしたことは確かである。 その連中と云ふ

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正岡子規

芥川竜之介

正岡子規 芥川龍之介 × 北原さん。 「アルス新聞」に子規のことを書けと云ふ仰せは確に拝誦しました。子規のことは仰せを受けずとも書きたいと思つてゐるのですが、今は用の多い為に到底書いてゐる暇はありません。が、何でも書けと云はれるなら、子規に関する夏目先生や大塚先生の談片を紹介しませう。これは子規を愛する人人には間に合せの子規論を聞かせられるよりも興味のあるこ

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解嘲

芥川竜之介

解嘲 芥川龍之介 一 中村武羅夫君 これは君の「随筆流行の事」に対する答である。僕は暫く君と共に天下の文芸を論じなかつた為めか、君の文を読んだ時に一撃を加へたい欲望を感じた。乃ち一月ばかり遅れたものの、聊か君の論陣へ返し矢を飛ばせる所以である。どうかふだんの君のやうに、怒髪を天に朝せしめると同時に、内心は君の放つた矢は確かに手答へのあつたことを満足に思つてく

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鸚鵡 ――大震覚え書の一つ――

芥川竜之介

これは御覧の通り覚え書に過ぎない。覚え書を覚え書のまま発表するのは時間の余裕に乏しい為である。或は又その外にも気持の余裕に乏しい為である。しかし覚え書のまま発表することに多少は意味のない訣でもない。大正十二年九月十四日記。 本所横網町に住める一中節の師匠。名は鐘大夫。年は六十三歳。十七歳の孫娘と二人暮らしなり。 家は地震にも潰れざりしかど、忽ち近隣に出火あり

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大正十二年九月一日の大震に際して

芥川竜之介

大正十二年九月一日の大震に際して 芥川龍之介 一 大震雑記 一 大正十二年八月、僕は一游亭と鎌倉へ行き、平野屋別荘の客となつた。僕等の座敷の軒先はずつと藤棚になつてゐる。その又藤棚の葉の間にはちらほら紫の花が見えた。八月の藤の花は年代記ものである。そればかりではない。後架の窓から裏庭を見ると、八重の山吹も花をつけてゐる。 山吹を指すや日向の撞木杖    一游

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伊東から

芥川竜之介

伊東から 芥川龍之介 拝啓。小生は、元来新聞の編輯に無経験なるものに御座候へども文芸上の作品は文芸欄に載るものと心得居り候。然るに四月十三日の時事新報(静岡版)は文芸上の作品を文芸欄以外に掲げ居り候。それは「けふの自習課題」と申すものに之有候。 小学四年。さくらの花はどんなくみたてになつてゐますか? 小学五年。花崗岩はどんな鉱物から出来てゐますか? 小学六年

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