錯覚数題
寺田寅彦
錯覚数題 寺田寅彦 一 ハイディンガー・ブラッシ 目は物を見るためのものである。目がなければ外界の物は見えない。しかし目が二つあれば目で見えるはずのものがなんでも見えるかと言うと、そうは行かない。眼前の物体の光学的影像がちゃんと網膜に映じていてもその物の存在を認めないことはある。これはだれでも普通に経験することである。たとえば机の上にある紙切りが見えないであ
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寺田寅彦
錯覚数題 寺田寅彦 一 ハイディンガー・ブラッシ 目は物を見るためのものである。目がなければ外界の物は見えない。しかし目が二つあれば目で見えるはずのものがなんでも見えるかと言うと、そうは行かない。眼前の物体の光学的影像がちゃんと網膜に映じていてもその物の存在を認めないことはある。これはだれでも普通に経験することである。たとえば机の上にある紙切りが見えないであ
辻潤
錯覚自我説 辻潤 1 現代においてはすべて形而上的な一切の思想は季節外れである。芸術(特に文学)においても幻想的な、主観的な、浪漫的なものはすでに過去の遺物ででもあるかの如く蔑視されている。 時代の潮流と共に歩調し得ないあらゆる思想や芸術はほろび去るがいい! 来るべき天国への鍵は新興プロレタリアートのみで把握しているのだ。自余のブルジョア的、小ブルジョア的、
豊島与志雄
録音集 豊島与志雄 八月の中旬、立秋後、朝夕の微風にかすかな凉味が乗り初める頃、夜の明け方に、よく雨が降る。夜の間、大気が重く汗ばんで、のろく渦を巻いたり淀んだりしているなかに、どこからともなく軽い冷気が流れだして、木の葉がさらさらと揺れだすと、もう間もなく、東の空が白んで、地平線から、熔鉱炉のなかの鉱石のように真赤な太陽が、しずかにせり上ってくる。然しそれ
中谷宇吉郎
蒙古の方へ行くと、緬羊の肉をさかんに食べる。茫々たる蒙古の草原の中で、暗夜星をいただいて、野外で緬羊の肉を、大きい鐵鍋の上でやきながら食べる。煙がもうもうと上るので、野外で食べるのに、ふさわしい料理である。 この料理は、ジンギスカン鍋と呼ばれるもので、東京などにも、二三食べさせる店がある。しかし日本でジンギスカン鍋を食おうと思ったら、札幌へ行くに限る。前から
田中貢太郎
鍛冶の母 田中貢太郎 一 土佐の国の東端、阿波の国境に近い処に野根山と云う大きな山があって、昔は土佐から阿波に往く街道になっていた。承久の乱後土佐へ遷御せられた後土御門上皇も、この山中で大雪に苦しまれたと云うことが「承久記」の中にも見えている。旧幕の比は土佐藩で岩佐の関と云う関所を置いてあった。これは土阿の国境に聳立った剣山や魚梁瀬山の脈続きで、山の中の高い
黒島伝治
鍬と鎌の五月 黒島傳治 農民の五月祭を書けという話である。 ところが、僕は、まだ、それを見たことがない。昨年、山陰地方で行われたという、××君の手紙である。それが、どういう風だったか、僕はよく知らない。 そこで困った。 全然知らんことや、無かったことは、書くにも書きようがない。 本当らしく、空想で、でっち上げたところで、そんなものには三文の値打ちも有りゃしな
直木三十五
鍵屋の辻 鍵屋の辻 直木三十五 一 張扇から叩きだすと、「伊賀の水月、三十六番斬り」荒木又右衛門源義村(みなもとのよしむら)――琢磨兵林(たくまひょうりん)による、秀国、本当は保和、諱(なのり)だけでも一寸(ちょっと)これ位ちがっているが――三池伝太光世(みつよ)の一刀をもって「バタバタ」と旗本の附人共三十六人を斬って落すが、記録で行くとこの附人なる者がただ
海野十三
鍵から抜け出した女 海野十三 黄風島にて 今夜こそ、かねて計画していたとおり、僕はこの恐ろしい精神病院を脱走しようと決心した。―― そもそも僕は、どうしてこの島の精神病院などに入れられるようなことになったのか、その訳を知らなかった。第一僕は、こんな島なんかに来たくなかったのだ。母親のお鳥に連れられ、内地をおさらばしてこの北国の黄風島に移住してきたのだが、なぜ
芳賀矢一
七里が浜のいそ伝い 稲村が崎 名将の 剣投ぜし古戦場 極楽寺坂越え行けば 長谷観音の堂近く 露坐の大仏おわします 由比の浜べを右に見て 雪の下村過ぎ行けば 八幡宮の御社 上るや石のきざはしの 左に高き大銀杏 問わばや 遠き世々の跡 若宮堂の舞の袖 しずのおだまきくりかえし かえせし人をしのびつつ 鎌倉宮にもうでては 尽きせぬ親王のみうらみに 悲憤の涙わきぬべ
正岡子規
鎌倉一見の記 正岡子規 面白き朧月のゆふべ柴の戸を立ち出でゝそゞろにありけばまぼろしかと見ゆる往來のさまもなつかしながら都の街をはなれたるけしきのみ思ひやられて新橋までいそぎぬ。終りの列車なるにはや乘れといふにわれおくれじとこみ入れば春の夜の夢を載せて走る汽車二十里は煙草の煙のくゆる間にぞありける。 蛙鳴く水田の底の底あかり 藤澤の旅籠屋を敲いて一夜の旅枕と
原勝郎
鎌倉時代の布教と當時の交通 原勝郎 佛教が始めて我國に渡來してから、六百餘年を經て所謂鎌倉時代に入り、淨土宗、日蓮宗、淨土眞宗、時宗、それに教外別傳の禪宗を加へて、總計五ツの新宗派が前後六七十年の間に引續いて起つたのは、我國宗教史上の偉觀とすべきものであつて、予は之を本邦の宗教改革として、西洋の耶蘇紀元十六世紀に於ける宗教改革に對比するに足るものと考へる、其
宮本百合子
「鎌と鎚」工場の文学研究会 宮本百合子 自分に与えられたほんとの課題は、ソヴェト生産拡張五箇年計画と芸術との関係について、ちょっと簡単に書いて貰えますまいか、というのだった。 ところが、自分はそのことについて、この頃『ナップ』へ毎号つづけて書いている。また、近く内外社から出る綜合プロレタリア芸術講座の中にも、本気で、書いた。 この問題は、同時に、そうちょいと
種田山頭火
△春と共に白楊社が生れた。あのポプラ若葉のようにすくすくと伸びゆけよと祈る。△会名の『白楊社』は可い。(たしか二三年前に東京郊外在住の画家連中が同名の会合を組織していたと思う。今では解散したらしい)『四十女の恋』は本集の内容にふさわしくない。次号からはもっと適切な名をつけて欲しい。△勝手な文句は並べるものの、私は不泣君の労に対しては最大級の感謝を捧げます。△
寺田寅彦
鎖骨 寺田寅彦 子供が階段から落ちてけがをした。右の眉骨を打ったと見えて眼瞼がまんじゅうのようにふくれ上がった。それだけかと思っていたが吐きけのあるのが気になった。医者が来て見ると、どうも右肩の鎖骨が折れているらしいというので驚いて整形外科のT博士に診てもらうとやはり鎖骨がみごとに折れている。しかしそのほうはたいした事ではない。それよりも右耳の後上部の頭蓋骨
牧野信一
五人力と称ばれてゐる無頼漢の大川九郎が今日はまた大酒を呑んで、店で暴れてゐる――と悲しさうな顔で居酒屋の娘が、私の家に逃げて来た夕暮時に、恰度私の家では土用干の品々を片附けてゐたところで、そして私は戯れに鎧を着、鉄の兜を被つて、ふざけてゐたところだつた。私は、喧嘩や力業には毛程の自信もなかつたが、 「怪しからん奴だ!」と呟いて、そのまゝ居酒屋へ赴いた。 「妙
楠山正雄
鎮西八郎 楠山正雄 一 八幡太郎義家から三代めの源氏の大将を六条判官為義といいました。為義はたいそうな子福者で、男の子供だけでも十四五人もありました。そのうちで一番上のにいさんの義朝は、頼朝や義経のおとうさんに当たる人で、なかなか強い大将でしたけれど、それよりももっと強い、それこそ先祖の八幡太郎に負けないほどの強い大将というのは、八男の鎮西八郎為朝でした。
堀辰雄
ハイネのロマンツェロなどは、數ヶ月の間に病苦と鬪ひながらも一氣に書き上げて、それをはじめから一卷として世に問うたものらしい。ああいふ慟哭的な詩などは一篇々々引きちぎつて讀まされるよりも、一卷として讀みとほすことによつて、我々の感動は別して強まるのである。その他、ヴェルレェンの「叡智」と云ひ、リルケの「時祷書」と云ひ、又コクトオの「プラン・シャン」と云ひ、さう
原民喜
鎮魂歌 原民喜 美しい言葉や念想が殆ど絶え間なく流れてゆく。深い空の雲のきれ目から湧いて出てこちらに飛込んでゆく。僕はもう何年間眠らなかつたのかしら。僕の眼は突張つて僕の唇は乾いてゐる。息をするのもひだるいやうな、このふらふらの空間は、ここもたしかに宇宙のなかなのだらうか。かすかに僕のなかには宇宙に存在するものなら大概ありさうな気がしてくる。だから僕が何年間
原民喜
鎮魂歌 原民喜 美しい言葉や念想が殆ど絶え間なく流れてゆく。深い空の雲のきれ目から湧いて出てこちらに飛込んでゆく。僕はもう何年間眠らなかったのかしら。僕の眼は突張って僕の唇は乾いている。息をするのもひだるいような、このふらふらの空間は、ここもたしかに宇宙のなかなのだろうか。かすかに僕のなかには宇宙に存在するものなら大概ありそうな気がしてくる。だから僕が何年間
木村荘八
鏑木さん雑感 木村荘八 一 ぼくは鏑木さんに面と向ふと「先生」と呼ぶ。かげで人との噂や取沙汰に呼ぶ時は、「鏑木さん」または「矢来町」である。かういふ相手方のひとのいつとなく互ひの中で出来る呼び名は、その音や言葉にいひ知れぬ実感のこもつた面白いものであるが、鏑木さんはぼくを「木村サン」といつて下さる。またぼくには鏑木さんを目の前では鏑木さんとは決して呼べないの
小川未明
後になってから、烏帽子岳という名がついたけれど、むかしは、ただ三角形の山としか、知られていませんでした。山がはじめて、地上に生まれたとき、あたりは、荒涼として、なにも、目にとまるものがなかったのです。 そのとき、はるか北の方に、紫色の光る海が見えました。 「あれは、なんだろう。」と、山は思いました。この大自然について、なにも知らなかった山は、日が出て、やがて
宮本百合子
鏡の中の月 宮本百合子 二十畳あまりの教室に、並べられた裁縫板に向って女生徒たちが一心に針を運んでいた。 あけ放された窓々から真夏の蝉の声が精力的に溺らすように流れ入った。校庭をとりまく大きい樫の樹の梢は二三日前植木屋の手ですかされたばかりなので、俄かにカランと八月空が広く現れ、一層明るくまた物珍しい淋しさを瀧子の心に感じさせる。 生徒たちに向って自分もやは
長谷川時雨
鏡二題 長谷川時雨 暗い鏡 鏡といふものをちやんと見るやうになつたのは、十八――九の年頃だつたと思ひます。その前だとて見ましたが、鏡にうつる自分を――まだそのころだとて顏だけですが――見たといへませう。十七位の時分は寧ろ姿全體にうつるもの――姿見鏡でなくつても、硝子戸なんぞでも氣まりが惡かつたので見ないふりをして、その癖誰も見るものがないとしげしげと見詰めた
牧野信一
「この一年半ほどのあひだ……」 せめても彼は、時をそれほどの間に限りたかつた。別段何の思慮もなく、何となく切ツ端詰つた頭から、ふつとそんな言葉が滑り出たのであるが、そして如何程藤井に追求されたにしろ、何の続ける言葉も見当らなかつたのではあるが、思はずさう云つた時に漠然と――せめても時を、それほどの間に――そんなことを思つたのである。一年半、といふのは、父の死