Vol. 2May 2026

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14,981종 중 14,088종 표시

開運の鼓

国枝史郎

開運の鼓 国枝史郎 一 将軍家斉の時代であった。天保の初年から天候が不順で旱天と洪水とが交襲い夏寒く冬暑く日本全国の田や畑には実らない作物が枯れ腐って凶年の相を現わしたが、俄然大飢饉が見舞って来た。将軍家お膝元大江戸でさえ餓道に横たわり死骸から発する腥い匂いが空を立ち籠めるというありさまであった。 上野広小路に救い小屋を設けて、幕府では貧民を救助した。また浅

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閑人

原民喜

十二月になると小さな街も活気づいて、人の表情も忙しさうになった。家にゐても、街に出ても、彼は落着かなかったが、昼過ぎになると、やはり拾銭の珈琲代を握り締めて、ぶらりと外に出た。兄貴から譲られた古トンビと、扁平になってしまった下駄で、三十歳の閑人の悲しさうな表情を怺へて、のこのことアスファルトの上を歩いた。しかし、もう以前のやうな無邪気な友達も見あたらなかった

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閑人詩話

河上肇

閑人詩話 河上肇 佐藤春夫の車塵集を見ると、「杏花一孤村、流水数間屋、夕陽不見人、牛麦中宿」といふ五絶を、 杏咲くさびしき田舎 川添ひや家をちこち 入日さし人げもなくて 麦畑にねむる牛あり と訳してあるが、「家をちこち」はどうかと思ふ。原詩にいふ数間の屋は、三間か四間かの小さな一軒の家を指したものに相違なからう。古くは陶淵明の「園田の居に帰る」と題する詩に、

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閑山

坂口安吾

閑山 坂口安吾 昔、越後之国魚沼の僻地に、閑山寺の六袋和尚といつて近隣に徳望高い老僧があつた。 初冬の深更のこと、雪明りを愛づるまま写経に時を忘れてゐると、窓外から毛の生えた手を差しのべて顔をなでるものがあつた。和尚は朱筆に持ちかへて、その掌に花の字を書きつけ、あとは余念もなく再び写経に没頭した。 明方ちかく、窓外から、頻りに泣き叫ぶ声が起つた。やがて先ほど

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閑山

坂口安吾

昔、越後之国魚沼の僻地に、閑山寺の六袋和尚といって近隣に徳望高い老僧があった。 初冬の深更のこと、雪明りを愛ずるまま写経に時を忘れていると、窓外から毛の生えた手を差しのべて顔をなでるものがあった。和尚は朱筆に持ちかえて、その掌に花の字を書きつけ、あとは余念もなく再び写経に没頭した。 明方ちかく、窓外から、頻りに泣き叫ぶ声が起った。やがて先ほどの手を再び差しの

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閑日月

正宗白鳥

北も南も二階建の大きな家に遮られてゐるが、それでも隙間を漏れて、細い光が障子の隅にさしてゐる。小春日和にこの谷底のやうな部屋も温かくて、火鉢の炭火も消えかかつたまゝ忘れられてゐた。山地佐太郎は中古の括枕に長く髮の伸びた頭を乘せて仰向けに寢てゐること既に二三時間。目は開いてゐるが、心はとろ/\と眠りかけ、心臟の鼓動ものろい。壁一重隔てゝは、天氣のいゝせゐか豆腐

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ラヂオ閑話

成沢玲川

新聞社から放送局へ轉じて一番先に欲しくなつたのはラヂオ・セツトのいゝのである。持合せのペントード式のは東京しか聽けないので、米國製のスパートンといふ小型のポータブルを備へつけた。五球で中型の置時計ほどのサイズ目方も輕く革製のカバンがついてゐて旅行に携帶もできる。アースを取る必要もなく、二三間あるアンテナは糸卷のやうものに卷きつけてある。一寸そこへらへ引掛けれ

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閑談

田山花袋

私のこれまでに見て来たところでは、芸術をやるものは多くは無であるやうである。無為、無目的、無慾――従つて多くは虚無的傾向を持つてゐる。かれは金にも眼を呉れない。栄華にも心を奪はれない。社会の慣習にもさう多くの注意を払はない。従つて辞令に巧みでもなければ、情誼にも捉はれない。思ふことはドシドシ言つて了ふし、いやなことはいつでも正直にいやだと言つて了ふ。要するに

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間人考

喜田貞吉

我が古代の社会組織の上に「間人」という一階級があった。ハシヒト或いはマヒトと読ませている。この事については、自分がさきに「民族と歴史」を発行した当時、その第一巻第一号(大正八年一月)に、「駆使部と土師部」と題して簡単に説き及んでおいたことであったが、その後に阿波の田所市太君は、阿波における徳川時代の間人に関する棟附帳の抄録を、同誌五巻三号(大正十年三月)に報

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間居

田山花袋

労資問題も自他の問題である。細かい心の問題である。千古常に解決に苦しんでゐる問題である。そしてこれが物質的解決に近づいて行けば行くほど、問題は明快になつて行くけれども、同時に、自他の間を滑かに廻転させて行つてゐる熱のやうなものが次第に冷めたくなつて行く恐れがある。一体、労資に限らず、心の問題は細かいものである。矛盾に富んだものである。時には感情に、また時には

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間島パルチザンの歌

槙村浩

思ひ出はおれを故郷へ運ぶ 白頭の嶺を越え、落葉松の林を越え 蘆の根の黒く凍る沼のかなた 赭ちゃけた地肌に黝ずんだ小舎の続くところ 高麗雉子が谷に啼く咸鏡の村よ 雪溶けの小径を踏んで チゲを負ひ、枯葉を集めに 姉と登った裏山の楢林よ 山番に追はれて石ころ道を駆け下りるふたりの肩に 背負繩はいかにきびしく食ひ入ったか ひゞわれたふたりの足に 吹く風はいかに血ごり

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間木老人

北条民雄

この病院に入院してから三ヶ月程過ぎたある日、宇津は、この病院が実験用に飼育してゐる動物達の番人になつてはくれまいかと頼まれた。病院とはいへ、千五百名に近い患者を収容し、彼等同志の結婚すら許されてゐるここは、完全に一つの特殊部落で、院内には土方もゐるし、女工もゐるし、若芽のやうな子供達も飛び廻つてゐて、その子供達のためには、学校さへも設けられてあつた。患者達も

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間諜座事件

海野十三

間諜座事件 海野十三 1 これは或るスパイ事件だ。 ところで、これから述べてゆく其の物語の中には、日本人の名前ばかりが、ズラズラと出てくるのだが、読者諸君は、それ等を悉く真の日本人だと早合点されてはいけない。実はその間諜一味は××人なのである。本来ならば「丸木花作事本名張学霖は……」といった風に書くのが本当なのであるが、それを一々書くのが、煩しい程、××人が

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関東防空大演習を嗤う

桐生悠々

関東防空大演習を嗤う 桐生悠々 防空演習は、曾て大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AKを通して、全国に放送されたから、東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、若しもこれが実

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関牧塲創業記事

関寛

関牧塲創業記事 関寛 創業記事端書 世の中をわたりくらべて今ぞ知る 阿波の鳴門は浪風ぞ無き 予は第二の故郷として徳島に住する事殆んど四十年、為に数十回鳴門を渡りたるも、暴風激浪の為めに苦しめらるる事を記憶せざるなり。然るに今や八十一歳にして既往を回顧する時は、数十回の天災人害は、思い出すに於ても粟起するを覚うる事あり。然れども今日迄無事に生活し居るは、実に冥

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閣下

佐々木邦

私の家は両隣りとも陸軍大佐である。予備か後備か知らないが、盆栽を弄ったり謡曲を唸ったりして、先ず悠々自適というところだ。目黒もこの界隈は筍と共に軍人の古手が多い。丘麓の片側町三十何戸は半数まで陸軍将校の侘住いである。そうしてそれが大抵中佐か大佐の恩給取りだ。 東京市外の地価が未だ斯うほど騰貴しなかった頃、この辺一帯の持主が畑と孟宗藪を百坪乃至二百坪に区切って

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徳田秋声

その日も土井は町へ牡蠣雑炊を食べに行つた。京都へ来てから、思ひのほか日がたつてゐたので、彼はもうそろ/\帰り支度をしてゐた。六兵衛だとか、ゑり正だとか、そんな老舗へも立寄つて、少しばかりの土産物を買ひ調へてゐた。甥が西陣の織物屋を知つてゐるので、反物も少し心がけたりしてゐた。十二月も早や押し詰つて、余すところ幾日もなかつた。 彼は立寄つたついでに、もつと行つ

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闇と光と

中野鈴子

時間は流れていたのだ 囚われたまま 盲目となったままに 恐ろしい事実の成立 その日々 よみがえった自覚 日にさらされ 心を閉じ 身をさいなむ このように 絶対な 過失 捺印 日にいく度 生きがたい闇の淵に立つ しかもなお 胸に抱く 一つのかがり火 ひろがり照る 時代の暗雲に堪え 辛苦と犠牲を越えて 高く広く 新しき世界 新しき建設 困難とはげましと遠い長い里

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闇夜の梅

三遊亭円朝

エヽ講談の方の読物は、多く記録、其の他古書等、多少拠のあるものでござりますが、浄瑠璃や落語人情噺に至っては、作物が多いようでござります。段々種を探って見ると詰らぬもので、彼の浄瑠璃で名高いお染久松のごときも、実説では久松が十五、お染が三歳であったというから、何うしても浮気の出来よう道理がござりませぬ。久松が十五の時、主人の娘お染を桂川の辺で遊ばせて居る中に、

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闇への書

梶井基次郎

闇への書 梶井基次郎 第一話 私は昨日土堤の土に寢轉びながら何時間も空を見てゐた。日に照らされた雜木山の上には動かない巨きな雲があつた。それは底の方に藤紫色の陰翳を持つてゐた。その雲はその尨大な容積のために、それからまたその藤紫色の陰翳のために、茫漠とした悲哀を感じさせた。それは恰もその雲のおほひかぶさつてゐる地球の運命を反映してゐるやうに私には思へた。 雜

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闇の書

梶井基次郎

私は村の街道を若い母と歩いていた。この弟達の母は紫色の衣服を着ているので私には種々のちがった女性に見えるのだった。第一に彼女は私の娘であるような気を起こさせた。それは昔彼女の父が不幸のなかでどんなに酷く彼女を窘めたか、母はよくその話をするのであるが、すると私は穉い母の姿を空想しながら涙を流し、しまいには私がその昔の彼女の父であったかのような幻覚に陥ってしまう

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闇桜

樋口一葉

闇桜 樋口一葉 (上) 隔ては中垣の建仁寺にゆづりて汲かはす庭井の水の交はりの底きよく深く軒端に咲く梅一木に両家の春を見せて薫りも分ち合ふ中村園田と呼ぶ宿あり園田の主人は一昨年なくなりて相続は良之助廿二の若者何某学校の通学生とかや中村のかたには娘只一人男子もありたれど早世しての一粒ものとて寵愛はいとゞ手のうちの玉かざしの花に吹かぬ風まづいとひて願ふはあし田鶴

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