悠々荘
芥川竜之介
悠々荘 芥川龍之介 十月のある午後、僕等三人は話し合いながら、松の中の小みちを歩いていた。小みちにはどこにも人かげはなかった。ただ時々松の梢に鵯の声のするだけだった。 「ゴオグの死骸を載せた玉突台だね、あの上では今でも玉を突いているがね。……」 西洋から帰って来たSさんはそんなことを話して聞かせたりした。 そのうちに僕等は薄苔のついた御影石の門の前へ通りかか
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芥川竜之介
悠々荘 芥川龍之介 十月のある午後、僕等三人は話し合いながら、松の中の小みちを歩いていた。小みちにはどこにも人かげはなかった。ただ時々松の梢に鵯の声のするだけだった。 「ゴオグの死骸を載せた玉突台だね、あの上では今でも玉を突いているがね。……」 西洋から帰って来たSさんはそんなことを話して聞かせたりした。 そのうちに僕等は薄苔のついた御影石の門の前へ通りかか
芥川竜之介
森の中。三人の盗人が宝を争っている。宝とは一飛びに千里飛ぶ長靴、着れば姿の隠れるマントル、鉄でもまっ二つに切れる剣――ただしいずれも見たところは、古道具らしい物ばかりである。 第一の盗人 そのマントルをこっちへよこせ。第二の盗人 余計な事を云うな。その剣こそこっちへよこせ。――おや、おれの長靴を盗んだな。第三の盗人 この長靴はおれの物じゃないか? 貴様こそお
芥川竜之介
三つの窓 芥川龍之介 1 鼠 一等戦闘艦××の横須賀軍港へはいったのは六月にはいったばかりだった。軍港を囲んだ山々はどれも皆雨のために煙っていた。元来軍艦は碇泊したが最後、鼠の殖えなかったと云うためしはない。――××もまた同じことだった。長雨の中に旗を垂らした二万噸の××の甲板の下にも鼠はいつか手箱だの衣嚢だのにもつきはじめた。 こう云う鼠を狩るために鼠を一
芥川竜之介
ファウストは神に仕えていた。従って林檎はこういう彼にはいつも「智慧の果」それ自身だった。彼は林檎を見る度に地上楽園を思い出したり、アダムやイヴを思い出したりしていた。 しかし或雪上りの午後、ファウストは林檎を見ているうちに一枚の油画を思い出した。それはどこかの大伽藍にあった、色彩の水々しい油画だった。従って林檎はこの時以来、彼には昔の「智慧の果」の外にも近代
芥川竜之介
女仙 芥川龍之介 昔、支那の或田舎に書生が一人住んでいました。何しろ支那のことですから、桃の花の咲いた窓の下に本ばかり読んでいたのでしょう。すると、この書生の家の隣に年の若い女が一人、――それも美しい女が一人、誰も使わずに住んでいました。書生はこの若い女を不思議に思っていたのはもちろんです。実際また彼女の身の上をはじめ、彼女が何をして暮らしているかは誰一人知
芥川竜之介
続西方の人 芥川龍之介 1 再びこの人を見よ クリストは「万人の鏡」である。「万人の鏡」と云ふ意味は万人のクリストに傚へと云ふのではない。たつた一人のクリストの中に万人の彼等自身を発見するからである。わたしはわたしのクリストを描き、雑誌の締め切日の迫つた為にペンを抛たなければならなかつた。今は多少の閑のある為にもう一度わたしのクリストを描き加へたいと思つてゐ
芥川竜之介
続文芸的な、余りに文芸的な 芥川龍之介 一 「死者生者」 「文章倶楽部」が大正時代の作品中、諸家の記憶に残つたものを尋ねた時、僕も返事をしようと思つてゐるうちについその機会を失つてしまつた。僕の記憶に残つてゐるものはまづ正宗白鳥氏の「死者生者」である。これは僕の「芋粥」と同じ月に発表された為、特に深い印象を残した。「芋粥」は「死者生者」ほど完成してゐない。唯
芥川竜之介
続芭蕉雑記 芥川龍之介 一 人 僕は芭蕉の漢語にも新しい命を吹き込んだと書いてゐる。「蟻は六本の足を持つ」と云ふ文章は或は正硬であるかも知れない。しかし芭蕉の俳諧は度たびこの翻訳に近い冒険に功を奏してゐるのである。日本の文芸では少くとも「光は常に西方から来てゐた。」芭蕉も亦やはりこの例に洩れない。芭蕉の俳諧は当代の人々には如何に所謂モダアンだつたであらう。
芥川竜之介
天主教徒の古暦の一枚、その上に見えるのはこう云う文字である。―― 御出生来千六百三十四年。せばすちあん記し奉る。 二月。小 二十六日。さんたまりやの御つげの日。 二十七日。どみいご。 三月。大 五日。どみいご、ふらんしすこ。 十二日。……………
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百合 芥川龍之介 良平はある雑誌社に校正の朱筆を握っている。しかしそれは本意ではない。彼は少しの暇さえあれば、翻訳のマルクスを耽読している。あるいは太い指の先に一本のバットを楽しみながら、薄暗いロシアを夢みている。百合の話もそう云う時にふと彼の心を掠めた、切れ切れな思い出の一片に過ぎない。 今年七歳の良平は生まれた家の台所に早い午飯を掻きこんでいた。すると隣
芥川竜之介
夢 芥川龍之介 わたしはすっかり疲れていた。肩や頸の凝るのは勿論、不眠症もかなり甚しかった。のみならず偶々眠ったと思うと、いろいろの夢を見勝ちだった。いつか誰かは「色彩のある夢は不健全な証拠だ」と話していた。が、わたしの見る夢は画家と云う職業も手伝うのか、大抵色彩のないことはなかった。わたしはある友だちと一しょにある場末のカッフェらしい硝子戸の中へはいって行
芥川竜之介
さまよえる猶太人 芥川龍之介 基督教国にはどこにでも、「さまよえる猶太人」の伝説が残っている。伊太利でも、仏蘭西でも、英吉利でも、独逸でも、墺太利でも、西班牙でも、この口碑が伝わっていない国は、ほとんど一つもない。従って、古来これを題材にした、芸術上の作品も、沢山ある。グスタヴ・ドオレの画は勿論、ユウジァン・スウもドクタア・クロリイも、これを小説にした。モン
芥川竜之介
妖婆 芥川龍之介 あなたは私の申し上げる事を御信じにならないかも知れません。いや、きっと嘘だと御思いなさるでしょう。昔なら知らず、これから私の申し上げる事は、大正の昭代にあった事なのです。しかも御同様住み慣れている、この東京にあった事なのです。外へ出れば電車や自働車が走っている。内へはいればしっきりなく電話のベルが鳴っている。新聞を見れば同盟罷工や婦人運動の
芥川竜之介
友だち 処でね、一つ承りたい事があるんだが。 世之助 何だい。馬鹿に改まつて。 友だち それがさ。今日はふだんとちがつて、君が近々に伊豆の何とか云ふ港から船を出して、女護ヶ島へ渡らうと云ふ、その名残りの酒宴だらう。 世之助 さうさ。 友だち だから、こんな事を云ひ出すのは、何だか一座の興を殺ぐやうな気がして、太夫の手前も、聊恐縮なんだがね。 世之助 そんなら
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保吉の手帳から 芥川龍之介 わん ある冬の日の暮、保吉は薄汚いレストランの二階に脂臭い焼パンを齧っていた。彼のテエブルの前にあるのは亀裂の入った白壁だった。そこにはまた斜かいに、「ホット(あたたかい)サンドウィッチもあります」と書いた、細長い紙が貼りつけてあった。(これを彼の同僚の一人は「ほっと暖いサンドウィッチ」と読み、真面目に不思議がったものである。)そ
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槍が岳に登った記 芥川龍之介 赤沢 雑木の暗い林を出ると案内者がここが赤沢ですと言った。暑さと疲れとで目のくらみかかった自分は今まで下ばかり見て歩いていた。じめじめした苔の間に鷺草のような小さな紫の花がさいていたのは知っている。熊笹の折りかさなった中に兎の糞の白くころがっていたのは知っている。けれどもいったい林の中を通ってるんだか、やぶの中をくぐっているんだ
芥川竜之介
千八百八十年五月何日かの日暮れ方である。二年ぶりにヤスナヤ・ポリヤナを訪れた Ivan Turgenyef は主の Tolstoi 伯爵と一しよに、ヴアロンカ川の向うの雑木林へ、山鴫を打ちに出かけて行つた。 鴫打ちの一行には、この二人の翁の外にも、まだ若々しさの失せないトルストイ夫人や、犬をつれた子供たちが加はつてゐた。 ヴアロンカ川へ出るまでの路は、大抵麦
芥川竜之介
さようでございます。あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝いつもの通り、裏山の杉を伐りに参りました。すると山陰の藪の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩せ杉の交った、人気のない所でございます。 死骸は縹の水干に、都風のさび烏帽子をかぶったまま
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芥川龍之介歌集 芥川龍之介 目次 紫天鵞絨/桐/薔薇/客中恋/若人/砂上遅日 紫天鵞絨 やはらかく深紫の天鵞絨をなづる心地か春の暮れゆく いそいそと燕もまへりあたゝかく郵便馬車をぬらす春雨 ほの赤く岐阜提灯もともりけり「二つ巴」の春の夕ぐれ(明治座三月狂言) 戯奴の紅き上衣に埃の香かすかにしみて春はくれにけり なやましく春は暮れゆく踊り子の金紗の裾に春は暮れ
芥川竜之介
魚河岸 芥川龍之介 去年の春の夜、――と云ってもまだ風の寒い、月の冴えた夜の九時ごろ、保吉は三人の友だちと、魚河岸の往来を歩いていた。三人の友だちとは、俳人の露柴、洋画家の風中、蒔画師の如丹、――三人とも本名は明さないが、その道では知られた腕っ扱きである。殊に露柴は年かさでもあり、新傾向の俳人としては、夙に名を馳せた男だった。 我々は皆酔っていた。もっとも風
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運 芥川龍之介 目のあらい簾が、入口にぶらさげてあるので、往来の容子は仕事場にいても、よく見えた。清水へ通う往来は、さっきから、人通りが絶えない。金鼓をかけた法師が通る。壺装束をした女が通る。その後からは、めずらしく、黄牛に曳かせた網代車が通った。それが皆、疎な蒲の簾の目を、右からも左からも、来たかと思うと、通りぬけてしまう。その中で変らないのは、午後の日が
芥川竜之介
……雨はまだ降りつづけていた。僕等は午飯をすませた後、敷島を何本も灰にしながら、東京の友だちの噂などした。 僕等のいるのは何もない庭へ葭簾の日除けを差しかけた六畳二間の離れだった。庭には何もないと言っても、この海辺に多い弘法麦だけは疎らに砂の上に穂を垂れていた。その穂は僕等の来た時にはまだすっかり出揃わなかった。出ているのもたいていはまっ青だった。が、今はい
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馬の脚 芥川龍之介 この話の主人公は忍野半三郎と言う男である。生憎大した男ではない。北京の三菱に勤めている三十前後の会社員である。半三郎は商科大学を卒業した後、二月目に北京へ来ることになった。同僚や上役の評判は格別善いと言うほどではない。しかしまた悪いと言うほどでもない。まず平々凡々たることは半三郎の風采の通りである。もう一つ次手につけ加えれば、半三郎の家庭
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忠義 芥川龍之介 一 前島林右衛門 板倉修理は、病後の疲労が稍恢復すると同時に、はげしい神経衰弱に襲われた。―― 肩がはる。頭痛がする。日頃好んでする書見にさえ、身がはいらない。廊下を通る人の足音とか、家中の者の話声とかが聞えただけで、すぐ注意が擾されてしまう。それがだんだん嵩じて来ると、今度は極些細な刺戟からも、絶えず神経を虐まれるような姿になった。 第一