文学好きの家庭から
芥川竜之介
文学好きの家庭から 芥川龍之介 私の家は代々お奥坊主だったのですが、父も母もはなはだ特徴のない平凡な人間です。父には一中節、囲碁、盆栽、俳句などの道楽がありますが、いずれもものになっていそうもありません。母は津藤の姪で、昔の話をたくさん知っています。そのほかに伯母が一人いて、それが特に私のめんどうをみてくれました。今でもみてくれています。家じゅうで顔がいちば
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芥川竜之介
文学好きの家庭から 芥川龍之介 私の家は代々お奥坊主だったのですが、父も母もはなはだ特徴のない平凡な人間です。父には一中節、囲碁、盆栽、俳句などの道楽がありますが、いずれもものになっていそうもありません。母は津藤の姪で、昔の話をたくさん知っています。そのほかに伯母が一人いて、それが特に私のめんどうをみてくれました。今でもみてくれています。家じゅうで顔がいちば
芥川竜之介
尾生の信 芥川龍之介 尾生は橋の下に佇んで、さっきから女の来るのを待っている。 見上げると、高い石の橋欄には、蔦蘿が半ば這いかかって、時々その間を通りすぎる往来の人の白衣の裾が、鮮かな入日に照らされながら、悠々と風に吹かれて行く。が、女は未だに来ない。 尾生はそっと口笛を鳴しながら、気軽く橋の下の洲を見渡した。 橋の下の黄泥の洲は、二坪ばかりの広さを剰して、
芥川竜之介
芭蕉雑記 芥川龍之介 一 著書 芭蕉は一巻の書も著はしたことはない。所謂芭蕉の七部集なるものも悉門人の著はしたものである。これは芭蕉自身の言葉によれば、名聞を好まぬ為だつたらしい。 「曲翠問、発句を取りあつめ、集作ると云へる、此道の執心なるべきや。翁曰、これ卑しき心より我上手なるを知られんと我を忘れたる名聞より出る事也。」 かう云つたのも一応は尤もである。し
芥川竜之介
羅生門の後に 芥川龍之介 この集にはいっている短篇は、「羅生門」「貉」「忠義」を除いて、大抵過去一年間――数え年にして、自分が廿五歳の時に書いたものである。そうして半は、自分たちが経営している雑誌「新思潮」に、一度掲載されたものである。 この期間の自分は、東京帝国文科大学の怠惰なる学生であった。講義は一週間に六七時間しか、聴きに行かない。試験は何時も、甚だ曖
芥川竜之介
1 浅草の仁王門の中に吊った、火のともらない大提灯。提灯は次第に上へあがり、雑沓した仲店を見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消え失せない。門の前に飛びかう無数の鳩。 2 雷門から縦に見た仲店。正面にはるかに仁王門が見える。樹木は皆枯れ木ばかり。 3 仲店の片側。外套を着た男が一人、十二三歳の少年と一しょにぶらぶら仲店を歩いている。少年は父親の手を離れ
芥川竜之介
或旧友へ送る手記 芥川龍之介 誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。尤も僕の自殺する動機は特に君に伝へずとも善い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の為に自殺するかを
芥川竜之介
或阿呆の一生 芥川龍之介 僕はこの原稿を発表する可否は勿論、発表する時や機関も君に一任したいと思つてゐる。 君はこの原稿の中に出て来る大抵の人物を知つてゐるだらう。しかし僕は発表するとしても、インデキスをつけずに貰ひたいと思つてゐる。 僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。唯僕の如き悪夫、悪子、悪親を持つたものたちを如何にも
芥川竜之介
闇中問答 芥川龍之介 一 或声 お前は俺の思惑とは全然違つた人間だつた。僕 それは僕の責任ではない。或声 しかしお前はその誤解にお前自身も協力してゐる。僕 僕は一度も協力したことはない。或声 しかしお前は風流を愛した、――或は愛したやうに装つたらう。僕 僕は風流を愛してゐる。或声 お前はどちらかを愛してゐる? 風流か? それとも一人の女か?僕 僕はどちらも愛
芥川竜之介
あの頃の自分の事 芥川龍之介 以下は小説と呼ぶ種類のものではないかも知れない。さうかと云つて、何と呼ぶべきかは自分も亦不案内である。自分は唯、四五年前の自分とその周囲とを、出来る丈こだはらずに、ありのまま書いて見た。従つて自分、或は自分たちの生活やその心もちに興味のない読者には、面白くあるまいと云ふ懸念もある。が、この懸念はそれを押しつめて行けば、結局どの小
芥川竜之介
秋 芥川龍之介 一 信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑はなかつた。中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さうは我儘を云はれない、複雑
芥川竜之介
アグニの神 芥川龍之介 一 支那の上海の或町です。昼でも薄暗い或家の二階に、人相の悪い印度人の婆さんが一人、商人らしい一人の亜米利加人と何か頻に話し合つてゐました。 「実は今度もお婆さんに、占ひを頼みに来たのだがね、――」 亜米利加人はさう言ひながら、新しい煙草へ火をつけました。 「占ひですか? 占ひは当分見ないことにしましたよ。」 婆さんは嘲るやうに、じろ
芥川竜之介
あばばばば 芥川龍之介 保吉はずつと以前からこの店の主人を見知つてゐる。 ずつと以前から、――或はあの海軍の学校へ赴任した当日だつたかも知れない。彼はふとこの店へマツチを一つ買ひにはひつた。店には小さい飾り窓があり、窓の中には大将旗を掲げた軍艦三笠の模型のまはりにキユラソオの壜だのココアの罐だの干し葡萄の箱だのが並べてある。が、軒先に「たばこ」と抜いた赤塗り
芥川竜之介
十本の針 芥川龍之介 一 ある人々 わたしはこの世の中にある人々のあることを知っている。それらの人々は何ごとも直覚するとともに解剖してしまう。つまり一本の薔薇の花はそれらの人々には美しいとともにひっきょう植物学の教科書中の薔薇科の植物に見えるのである。現にその薔薇の花を折っている時でも。…… ただ直覚する人々はそれらの人々よりも幸福である。真面目と呼ばれる美
尾形亀之助
早春雑記 尾形亀之助 毎日のやうに隣りの鶏が庭へ入つて来る。 鶏が書斎の前をいそいで通るので、いかにも跣足で歩いてゐるやうな恰好をする。羽や鳥冠が立派で、その上雄鶏などはすましてゐるやうな様子をしてゐるので可笑しい。 彼等の中に一匹奇妙な鳴声をする雌がゐる。 四五日前から地つづきに家主が家を建てゝゐる。今日は午後から曇つて、夕暮から雨になつた。 × 又春が来
尾形亀之助
机の前の裸は語る 尾形亀之助 私はこの九月末か十月初め頃までの間に、かびのついたするめのやうな昨年と今年との作品十数篇からなる表題未定の一本を四五十部印刷して、これを最後の集として年来親しくしてもらつた友人へ贈呈する。大正十三年に「色ガラスの街」――昭和四年に「雨になる朝」――そして、この表題未定の一本を最後とすることには何の意味もない。もうこれでたくさんだ
尾形亀之助
身辺雑記 尾形亀之助 九月、十月、それから十一月とはなつた。隣家の門にからんだ蔦が這つて来て庭の一間ほどの竹垣で海老茶に枯れてゐる。雨が降る度に天井と畳と障子がぬれる。引越すつもりであつたが、そのうちには引越すことになつてしまつた。何のことはないのである。 × こゝに一つの変な文章がある。或る描写論なのである。私はその一部分書き写して「左の一文を解釈せよ」と
尾形亀之助
さびしい人生興奮 尾形亀之助 詩集「雨になる朝」は去年の今頃出版する筈であつたのが一年ほど遅れた。これらの作品は一昨年のもので、去年は妙に困つたことばかりのあつた年で、詩は一つか二つしか書きつけなかつた。そして、今年は頭が重い。 × 私はこの詩集をいそいで読んでほしくないと思つてゐる。本箱のすみへでもほうり込んで置いて、思ひ出したら見るといふことにしてもらひ
尾形亀之助
跡 尾形亀之助 過ぎてしまつたことは、あきらめなければならないやうな心残りがあるとしてもどうにもしかたがないのだからしまつがいゝ。又、ざまあみろとばかりに、地の中へ込んでしまつたやうな「去年」に舌を出すのも一興であるかも知れない。私は今郷里へ帰つて火燵に入つてゐる。下半身は温いが背なかゞ寒い。 過ぎてしまつたその年がよい年であつたにしてもわるい年であつたにし
尾形亀之助
部屋の中 尾形亀之助 雨が降つてゐる。が啼いてゐる。 × 何時の間にか雨が止んでゐる。私は机の前に座つてゐる。朝、床の中で新聞を読んだ他何もしてゐない。氷のやうなものが食べたい。 × 淋みしい「人生興奮」。 ながいことかゝつて火鉢に炭をついでゐた。 僕は何か喜びにあひたい。このまゝ日が暮れてしまつては、口ひとつきくことが出来ない。 × 僕はいつものやうに寝床
尾形亀之助
私と詩 尾形亀之助 私の詩は短い。しかし短いのが自慢なのではない。自分としてはもう少し長い詩が書きたい。そして、もう少し私は詩の中に余裕をもちたい。「笑ひ」といふやうなものをゆつくり詩に書いてみたい。私の今の詩は詩集として一つに纒めて読んでもらうのが一番よいのだが、さう思ふやうに詩集は出せない。 私は又、思想にも詩作にも未だ固つたものを持つてゐない。このこと
尾形亀之助
障子のある家 尾形亀之助 あるひは(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい) 自序 何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。それからその次へ。 私がこゝに最近二ヶ年間の作品を随処に加筆し又二三は改題をしたりしてまとめたのは、作品として読んでもらうためにではない。私の二人の子がもし君の父はと問はれて、それに答へなければならないことしか知ら
尾形亀之助
雨になる朝 尾形亀之助 この集を過ぎ去りし頃の人々へおくる 序 二月・冬日 二月 子供が泣いてゐると思つたのが、眼がさめると鶏の声なのであつた。 とうに朝は過ぎて、しんとした太陽が青い空に出てゐた。少しばかりの風に檜葉がゆれてゐた。大きな猫が屋根のひさしを通つて行つた。 二度目に猫が通るとき私は寝ころんでゐた。 空気銃を持つた大人が垣のそとへ来て雀をうつた
尾形亀之助
詩集<色ガラスの街> 詩集<色ガラスの街> 尾形亀之助 此の一巻を父と母とに捧ぐ 序の一 りんてん機とアルコポン × りんてん機は印刷機械です × アルコポンはナルコポン(魔酔薬)の間違ひです 私はこの夏頃から詩集を出版したいと思つてゐました そして 十月の始めには出来上るやうにと思つてゐたので 逢う人毎に「秋には詩集を出す」と言つてゐました 十月になつてし
木内高音
水菓子屋の要吉 木内高音 一 要吉は、東京の山の手にある、ある盛り場の水菓子屋の小僧さんです。要吉は、半年ばかり前にいなかからでてきたのです。 要吉の仕事の第一は、毎朝、まっさきに起きて、表の重たい雨戸をくりあけると、年上の番頭さんを手伝って、店さきへもちだしたえんだいの上に、いろんなくだものを、きれいに、かざりたてることでした。それがすむと、番頭さんがはた