Vol. 2May 2026

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Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik

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くまと車掌

木内高音

くまと車掌 木内高音 わたしは尋常科の四年を卒業するまで、北海道におりました。その頃は、尋常科は四年までしかありませんでしたから、わたしは北海道で尋常小学を卒業したわけです。 今から、ざっと二十年前になります。今では小学校の読本は、日本中どこへいっても同じのを使っておりますが、その当時は、北海道用という特別のがあって、わたしたちは、それを習ったものです。茶色

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やんちゃオートバイ

木内高音

やんちゃオートバイ 木内高音 一 ポピイとピリイとは、あるお屋敷の車庫の中で長い間一しょに暮して来た、もう中古の自動車です。二人は、それぞれ御主人と奥さまとを乗せて、ちょうど、御主人夫婦と同じように、仲よく、りっぱに暮してまいりました。親切な、やさしい御主人にガソリンだの油だのを十分にいただき、行き届いた手入れをしていただき、何の不自由もありませんでした。

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奥間巡査

池宮城積宝

奥間巡査 池宮城積宝 琉球の那覇市の街端れに△△屋敷と云ふ特種部落がある。此処の住民は支那人の子孫だが、彼等の多くは、寧ろ全体と云ってもよいが、貧乏で賎業に従事して居る。アタピースグヤーと云って田圃に出て行って、蛙を捕って来て、その皮を剥いで、市場に持って行って売る。蛙は那覇、首里の人々には美味な副食物の一つに数へられて居るのだ。それから、ターイユトウヤー(

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春の槍から帰って

板倉勝宣

春の槍から帰って 板倉勝宣 白馬、常念、蝶の真白い山々を背負った穂高村にも春が一ぱいにやってきた。あんずの花が目覚めるように咲いた百姓屋の背景に、白馬岳の姿が薄雲の中に、高くそびえて、雪が日に輝いて谷の陰影が胸のすくほど気持ちよく拝める。 乾いた田圃には、鶏の一群が餌をあさっている。水車の音と籾をひく臼の音が春の空気に閉ざされて、平和な気分がいたるところに漲

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五色温泉スキー日記

板倉勝宣

五色温泉スキー日記 板倉勝宣 僕の腹の中にいつの頃からか変な虫が巣を喰っている。十一月頃からこの虫が腹の中で暴れて、雪が食いたい、雪が食いたいとがなりたてる。そうすると身体中の血がにえ返って、雪の天地が目の前にちらついて、いても立ってもいられなくなってくる。試験が終りに近づく時分には、いよいよ暴れ方が烈しくなって早く雪を食わせないと腹の中で何をされるかよほど

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春の上河内へ

板倉勝宣

春の上河内へ 板倉勝宣 大正八年三月二十一日。信濃鉄道にゆられながら、重いリュックサックを背負ったまま腰をかけて、顎の下にアルペンストックをかって、反対側の窓の中に刻々に移って行く真白な雪の山々を眺めていると、雪の山の不可抗な吸引力は、ジットしていられないほど強くなった。しかし夜行できた寝不足の身体は、今日山に入ることを拒んでいる。はやる心を抑えつつ穂高駅に

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山と雪の日記

板倉勝宣

山と雪の日記 板倉勝宣 夏の日記 大正池 峰々の谷に抱かれた雪の滴を集めて流れて、梓川は細長い上高地の平原を、焼岳の麓まできた時に、神の香炉から流れ出たラヴァはたちまちにその流れを阻んだ。岩に激してきた水は、焼岳の麓の熊笹をひたし、白樺の林をひたして対岸の霞沢岳の麓に及んだ。いままでゴーゴーと流れる谷川の水はここにきて、たちまち死んだようになみなみとたたえた

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涸沢の岩小屋のある夜のこと

大島亮吉

涸沢の岩小屋のある夜のこと 大島亮吉 自分たちの仲間では、この涸沢の岩小屋が大好きだった。こんなに高くて気持のいい場所は、あんまりほかにはないようだ。大きな上の平らな岩の下を少しばかり掘って、前に岩っかけを積み重ねて囲んだだけの岩穴で、それには少しもわざわざやったという細工の痕がないのがなにより自然で、岩小屋の名前とあっていて気持がいい。そのぐるりは、まあ日

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大阪の宿

水上滝太郎

夥しい煤煙の爲めに、年中どんよりした感じのする大阪の空も、初夏の頃は藍の色を濃くして、浮雲も白く光り始めた。 泥臭い水ではあるが、その空の色をありありと映す川は、水嵩も増して、躍るやうなさざ波を立てゝ流れて居る。 川岸の御旅館醉月の二階の縁側の籐椅子に腰かけて、三田は上り下りの舟を、見迎へ見送つて居た。目新しい景色は、何時迄見て居てもあきなかつた。此の宿に引

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お蝶夫人

三浦環

ドイツへ行ってリリー・レーマンについて歌の勉強をしようと思って三浦政太郎と一緒に横浜を出帆したのは、一九一四年(大正三年)五月二十日のことでした。 私は非常に船に弱いので船の中ではずっと寝通しでしたから、香港に着きました時はほっと致しました。それにイルミネーションが綺麗でしたので、余計に明るい気持ちになりましたが、ここでお船は一晩お休みしたのでやっと元気を取

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昭和遊撃隊

平田晋策

諸君、僕はわが海軍の軍機を洩すようで非常に心苦しいのだが、諸君にだけある重大な秘密をお告げしたい。 それは今、建造中の巡洋艦『最上』『三隈』『吉野』『千種』の四隻に関する秘密だ。 この四隻は同じ型の姉妹艦で、海軍省の発表によると、噸数は八千五百噸、武装は十五糎砲十五門、十二糎高角砲四門で、速力は三十三ノットだ。 この数字を見ただけでも、『最上』級が立派な世界

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Memoirs of an Old Haiku Poet

鳴雪自叙伝

内藤鳴雪

一 この自叙伝は、最初沼波瓊音氏の「俳味」に連載されしが、同誌の廃止後、織田枯山楼氏の「俳諧文学」にその「俳味」に載りしものと共に終結までを連載された所のもので、今般それを一冊子として岡村書店より発行せらるることとなったのである。二 誌の毎号の発行に当り、余は記憶に捜って話しつつ筆記してもらい、それをいささか修正したるものに過ぎぬから、遺漏も多く記憶違いも少

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地上 地に潜むもの

島田清次郎

大河平一郎が学校から遅く帰って来ると母のお光は留守でいなかった。二階の上り口の四畳の室の長火鉢の上にはいつも不在の時するように彼宛ての短い置手紙がしてあった。「今日は冬子ねえさんのところへ行きます。夕飯までには帰りますから、ひとりでごはんをたべて留守をしていて下さい。母」平一郎は彼の帰宅を待たないで独り行った母を少し不平に思ったが、何より腹が空いていた。彼は

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少年連盟

佐藤紅緑

少年連盟 佐藤紅緑 暴風雨 雲は海をあっし海は雲をける。ぼうぼうたる南太平洋の大海原に、もう月もなければ星もない。たけりくるう嵐にもまれて黒暗々たる波濤のなかを、さながら木の葉のごとくはしりゆく小船がある。時は三月の初旬、日本はまだ寒いが、南半球は九月のごとくあたたかい。 船は一上一下、奈落の底にしずむかと思えばまた九天にゆりあげられる、嵐はますますふきつの

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ああ玉杯に花うけて

佐藤紅緑

ああ玉杯に花うけて 佐藤紅緑 一 豆腐屋のチビ公はいまたんぼのあぜを伝ってつぎの町へ急ぎつつある。さわやかな春の朝日が森をはなれて黄金の光の雨を緑の麦畑に、黄色な菜畑に、げんげさくくれないの田に降らす、あぜの草は夜露からめざめて軽やかに頭を上げる、すみれは薄紫の扉を開き、たんぽぽはオレンジ色の冠をささげる。堰の水はちょろちょろ音立てて田へ落ちると、かえるはこ

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火の柱

木下尚江

是れより先き、平民社の諸友切りに「火の柱」の出版を慫慂せらる、而して余は之に従ふこと能はざりし也、 三月の下旬、余が記名して毎日新聞に掲げたる「軍国時代の言論」の一篇、端なくも検事の起訴する所となり、同じき三十日を以て東京地方裁判所に公判開廷せらるべきの通知到来するや、廿八日の夜、余は平民社の編輯室に幸徳、堺の両兄と卓を囲んで時事を談ぜり、両兄曰く君が裁判の

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雲仙岳

菊池幽芳

上海通いの急行船「郵船」の上海丸で神戸を立ったのが、七月二十二日の午前十一時。丁度来島海峡で日が暮れるので、暑さ知らずの涼風に吹かれながら、瀬戸内の最も島の多く美くしい部分を日の中に見られるから、夏の雲仙行としては郵船に越すものはない。長崎へ着いたのが翌朝の九時、阜頭へ着くと、迎えの自動車が待っており、すぐそれに乗込むと、一路島原半島を目指したのである。同行

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登山は冒険なり

河東碧梧桐

役小角とか、行基菩薩などいう時代の、今から一千有余年の昔のことはともかく、近々三十年前位までは、大体に登山ということは、一種の冒険を意味していた。完全なテントがあるわけでなく、天気予報が聞けるでもなく、案内者という者も、土地の百姓か猟師の片手間に過ぎなかった。 で、登山の興味は、やれ気宇を豁大するとか、塵気を一掃するとか、いろいろ理屈を並べるものの、その実、

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南予枇杷行

河東碧梧桐

南予枇杷行 河東碧梧桐 上り約三里もある犬寄峠を越えると、もう鼻柱を摩する山びやうぶの中だ。町の名も中山。 一つの山にさきさかつてゐる栗の花、成程、秋になるとよくこゝから栗を送つてくる。疾走する車の中でも、ある腋臭を思はせる鼻腔をそゝる臭ひがする。栗の花のにほひは、山中にあつてのジャズ臭、性慾象徴臭、などであらう。 南伊予には、武将の名を冠したお寺が多い。長

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ことばのうみのおくがき

大槻文彦

先人、嘗て、文彦らに、王父が誡語なりとて語られけるは、「およそ、事業は、みだりに興すことあるべからず、思ひさだめて興すことあらば、遂げずばやまじ、の精神なかるべからず。」と語られぬ、おのれ、不肖にはあれど、平生、この誡語を服膺す。本書、明治八年起稿してより、今年にいたりて、はじめて刊行の業を終へぬ、思へば十七年の星霜なり、こゝに、過去經歴の跡どもを、おほかた

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硯友社と文士劇

江見水蔭

演劇改良の声が漸く高まりかけた明治二十三年の正月、硯友社は、初めて文士劇を実演した。それまでに各所で素人芝居が開演されぬでは無かつたが、たとへそれは遊戯的に終つたとしても、兎に角文士が揃つて新作の脚本を上演したといふ事は、当時に於て一大驚異で有つたのだ。 『今の俳優には、役に就ての心理解剖が出来ない。我々は芸が下手でも、それが出来る。今に教育有る者が続々劇界

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丹那山の怪

江見水蔭

丹那山の怪 江見水蔭 一 東海道は三島の宿。本陣世古六太夫の離れ座敷に、今宵の宿を定めたのは、定火消御役酒井内蔵助(五千石)の家臣、織部純之進という若武士で、それは酒井家の領地巡検使という役目を初めて承わり、飛地の伊豆は田方郡の諸村を見廻りの初旅というわけで、江戸からは若党一人と中間二人とを供に連れて来たのだが、箱根風越の伊豆相模の国境まで来ると、早くも領分

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