Vol. 2May 2026

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怪異暗闇祭

江見水蔭

怪異暗闇祭 江見水蔭 一 天保の頃、江戸に神影流の達人として勇名を轟かしていた長沼正兵衛、その門人に小机源八郎というのがあった。怪剣士として人から恐れられていた。 「小机源八郎のは剣法の正道ではない。邪道だ。故に免許にはいまだ致されぬが、しかし、一足二身三手四口五眼を逆に行って、彼の眼は天下無敵だ。闇夜の太刀の秘術を教えざるにすでに会得している。怪剣士という

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備前天一坊

江見水蔭

備前天一坊 江見水蔭 一 徳川八代の将軍吉宗の時代(享保十四年)その落胤と名乗って源氏坊天一が出た。世上過ってこれを大岡捌きの中に編入しているのは、素より取るに足らぬけれど、それよりもズッと前、七十余年も遡って万治三年の頃に備前の太守池田新太郎少将光政の落胤と名乗って、岡山の城下へ乗込んだ浪人の一組があった。この方が落胤騒動としては先口で、云って見れば天一坊

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悪因縁の怨

江見水蔭

悪因縁の怨 江見水蔭 一 天保銭の出来た時代と今と比べると、なんでも大変に相違しているが、地理でも非常に変化している。現代で羽田というと直ぐと稲荷を説き、蒲田から電車で六七分の間に行かれるけれど、天保時代にはとてもそう行かなかった。 第一、羽田稲荷なんて社は無かった。鈴木新田という土地が開けていなくって、潮の満干のある蘆の洲に過ぎなかった。 「ええ、羽田へ行

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壁の眼の怪

江見水蔭

壁の眼の怪 江見水蔭 一 寛政五年六月中旬の事であった。羽州米沢の典薬勝成裕が、御隠居上杉鷹山侯(治憲)の内意を受けて、一行十五人、深山幽谷に薬草を採りに分け入るという、その時代としては珍らしい計画が立てられた。 その最終の目的地点は東北の秘境、本朝の桃源にも比べられている三面谷であった。 三面谷は越後の村上領では有るのだけれど、又米沢からの支配をも受けてい

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怪異黒姫おろし

江見水蔭

怪異黒姫おろし 江見水蔭 一 熊! 熊! 荒熊。それが人に化けたような乱髪、髯面、毛むくじゃらの手、扮装は黒紋付の垢染みたのに裁付袴。背中から腋の下へ斜に、渋段々染の風呂敷包を結び負いにして、朱鞘の大小ぶっ込みの他に、鉄扇まで腰に差した。諸国武者修業の豪傑とは誰の眼にも見えるのが、大鼻の頭に汗の珠を浮べながら、力一杯片膝下に捻伏せているのは、娘とも見える色白

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死剣と生縄

江見水蔭

武士の魂。大小の二刀だけは腰に差して、手には何一つ持つ間もなく、草履突掛けるもそこそこに、磯貝竜次郎は裏庭へと立出た。 「如何ような事が有ろうとも、今日こそは思い切って出立致そう」 武者修行としても一種特別の願望を以て江戸を出たので有った。疾くに目的を達して今頃は江戸に帰り、喜ぶ恩師の顔を見て、一家相伝の極意秘伝を停滞なく受けていなければ成らぬのが、意外な支

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月世界跋渉記

江見水蔭

月世界跋渉記 江見水蔭 引力に因り月世界に墜落。探検者の気絶 「どうしよう。」 と思うまもなく、六人の月世界探検者を乗せた空中飛行船翔鷲号は非常な速力で突進して月に落ち、大地震でも揺ったような激しい衝動をうけたと思うと、一行は悉く気絶して終った。 そもそもこの探検隊は目下日本で有名な否世界中に誰知らぬ者もないほどに有名な桂田工学博士と、これもその道にかけては

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芳賀君を悼みて

上田万年

みそとせをふみのはやしにしをりしてともにすゝみつあはれきみはも きみゆかはわれいしふみをえらはむとちきりしきみはわれにそむきぬ かくとしらはすへてをおきてやすらかにくらしたまへととかさりしものを にしへにまれにいみるひとちかきよにたえてなきひとくにはうしなひぬ みはふりのうたよみをへておくれしとみあとおひけむひとそかなしき よもすからわれいねかてにあかしつる

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孔雀船

伊良子清白

阿古屋の珠は年古りて其うるみいよいよ深くその色ますます美はしといへり。わがうた詞拙く節おどろおどろしく、十年經て光失せ、二十年すぎて香去り、今はたその姿大方散りぼひたり。昔上田秋成は年頃いたづきける書深き井の底に沈めてかへり見ず、われはそれだに得せず。ことし六十あまり二つの老を重ねて白髮かき垂り齒脱けおち見るかげなし。ただ若き日の思出のみぞ花やげる。あはれ、

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「西周哲学著作集」序

井上哲次郎

西周氏は元と石州津和野の人である。けれども蚤に江戸に出で幕府に仕へ、幕府の命により和蘭ライデン大學に留學し、教授フツセリングに就いて主として法制の學を修めたのである。留學中已にカントの永遠平和の論を知り、又コントの實證哲學に興味を感じたやうである。而して歸來明治初年に至つて哲學に關する著譯を發行し、加藤弘之、西村茂樹等と共に我國哲學發生の源頭を成したのである

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サニンの態度

伊藤野枝

どんな性格の男に敬愛を捧げるかと云ふ問に対して理想を云へば、何れ鐘太鼓でさがしても、見つからぬやうなせひぜひ虫のいゝ事を並べても見られませうが、先づ手つ取り早く彼のやうな男がと云ふやうなのを云へば、これも実在の男ではありませんが、アルツバシエエフによつて描かれた、サニンが好きです。何物にも脅やかされず、どんな場合にも、大手を拡げて思ひのまゝに振舞ふ。一寸誰に

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妾の会つた男の人々(野依秀一、中村弧月印象録)

伊藤野枝

この人は、思つたよりも底の浅い人です。正直で小胆な処があります。子供らしい可愛さがあります。此人は何時でも予想外な突飛さで人をおどかして、その隙に飛び込んで来やうとする人のやうに思はれます。殊にその突飛さが非常に不自然なと云ふ範囲を何処までも出ないので、少し落ちついてあしらつてゐますと、馬鹿気きつた空々しい処があります。 思つたことを遠慮なく云ふことは気持の

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ウォーレン夫人とその娘

伊藤野枝

脚本を読んで見て私は殆んど手の出しやうのないのに驚いてしまつた。とても自分の貧弱な頭ではそれ/″\に立派な解釈をつけて批評して行くことは六ヶしい、と云つてやらないわけにも行かないし困つた/\と云ひ暮しても其日数もなくなつてしまつた。 「あんまり六ヶしく考へすぎるんだよ」といふ様な注意を傍らで聞くとなほイラ/\して来てどうしても纏めることが出来ない。もう〆切の

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妾の会つた男の人人

伊藤野枝

四年ばかりも前に鴈治郎が新富座で椀久を出した時に、私と哥津ちやんと保持さんが見にゆく約束をしました。さうして私と保持さんは始めから一緒に行つて、新富町についてから哥津ちやんに散々待ち呆けを喰されたあげく、這入つた時にはもう満員ですわる所がないやうな有様でした。しかし出方のあつかひで私達は二階の帳場に席をとりました。 其時の幕間にいきなり小母さんの座つてゐる前

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私が現在の立場

伊藤野枝

「もう少し、しつかりした、婦人運動が具体的に表はれなくてはならない。」と云ふやうなことをあちらこちらで私はこの頃聞かされる。これは、少しでも婦人の味方と自ら許す男子の大方の人にあきたりなく思はれる点があるからかもしれない。 凡ての事の効果を見なければ行動の如何を認めない群集に向つて、自分の同意を表する婦人達の行動が決して彼等の考へてゐるやうな不真面目なもので

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らいてう氏の『処女の真価値』を読みて

伊藤野枝

「青鞜」二月号に私は処女の価値については全然わからないと明言して置いた。実際私には何うしても処女そのものにそんなに重大な価値を見出すことは出来ないでゐた。そのくせ私自身は殆んど「本能的に」としか答へられないその処女を矢張りどうしても大事がらずにはゐられない。私はその矛盾について可なり考へさゝれた。併しそれは結局いくらいろ/\な理屈を考へて見ても自分の真の愛人

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らいてう氏に

伊藤野枝

らいてうさま、 お体の工合はどんなですか、私は一週間目から産褥をはなれて居ります、この辺は御大典奉祝の「ドンタク」で大変です、東京もさぞ大変でせう。 漸く帰京が出来るやうになりました。けれども子供の事では随分迷ひました。けれども結局矢張り同じ他手をかりるにしても自分の近くでないとどうしても安神が出来さうにもありませんので連れてかへることにしました。「里子にや

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嫁泥棒譚

伊藤野枝

『ね、お祖母さん、うちぢや、Aにも親類があるのでせう?』 私は、祖母から彼方此方の親戚との関係を聞かされた時、ふと思ひ出してかう尋ねました。 『ないよ、何故ね?』 祖母は妙な顔をしてさう答へました。 『だつて私のちひさい時分に、よくAの叔母さんつて人が俥に乗つて来た事を覚えてゐますもの』 『あゝさうかい、あれはお前の本当の伯母さんさ、よく覚えてるね。もう死ん

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編輯だより (一九一五年九月号)

伊藤野枝

□種々なうはさに幾分不安をお感じになつた方が読者の間にも多少あつたことゝ思ひます。けれども、どんなことがあつても永久に廃刊するなどいふことはしたくないと私自身は思つてゐます。少々位の困難はもとより覚悟の前ですから何でもないことです。□今月号から日月社の安藤枯山氏の御厚意で私の留守中丈け雑務をとつて下さることになりました。多事ながら面倒なことをお引きうけ下すつ

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編輯室より (一九一四年一月号)

伊藤野枝

□「武者小路氏に」 十二月号白樺の誌上で私が「世間知らず」を軽蔑してゐるさうだとのことをお書きになつたのを拝見して私は本当に意外に存じました。本当に心外に思ひます。 私は他人の作品に対して無暗とさう軽蔑したり悪く云つたりしたことは御座いません。何時でも私は自分で創作するときの気持や何かに思ひ合はせては他人のものを読んだり批評したりする時にはどんな小さなつまら

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編輯室より (一九一六年一月号)

伊藤野枝

□もう私が雑誌を譲り受けまして丁度一年になります。どうかしたい/\と思ひながら微力で思つた十分の一も実現することがなく無為に一年を過しました。今月号も新年号の事とてどうにかしたいと思つてゐましたが何しろ、私が帰京しましたのが十二月五日か六日だつたのにそれから一週間ばかりの間は咽喉をはらして食事をすることも話をすることも困難になつて何にも出来ませんでした為めに

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編輯室より (一九一六年二月号)

伊藤野枝

□今月は校正の出方が大変に後れました為めにおそくなりました。先月号は二ヶ月ばかり逓信局の納本がしてありませんでした為に郵便局に三四日留め置かれましたので地方へは大変に後れましたでせうと思ひます。何卒あしからず。□欧洲戦争の為めに洋紙の価が非常に高くなりまして此の頃では以前の倍高くなりましたので情ない私の経済状態では思ふやうな紙も使ひきれなくなりましたので今月

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編輯室より (一九一四年一二月号)

伊藤野枝

□先月は大変発行が後れましたから今月はと思つてゐましたけれど矢張り原稿の集め方がおそかつたのと手廻しよくゆかないためにまた後れました。来月は新年号のことでもありますからずつとはやく切り上げてしまはうと思つてゐます、何卒あしからずお許るし下さいまし。□平塚氏は十四日から廿日迄上京してゐられましたが、また御宿へ帰られました。氏の宿所は千葉県御宿村須賀、長尾浅吉方

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編輯室より (一九一四年一一月号)

伊藤野枝

□永い間不如意な経済の遣繰りや方々の書店との交渉やそれからまだ外の細々した面倒な仕事と雑誌の編輯で疲れきつたらいてう氏は十月十二日に千葉県の御宿村へ行つた。後に残された私はそれ等の仕事をすつかりしなければならなかつた。二ヶ月位はどんな苦しいことでも忍ぶ義務があるとらいてう氏は十一日に私が社に行つたときに笑ひ笑ひ云つた。私も苦しむでも仕方がないと思つた。□けれ

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