月の東京湾
大町桂月
月の東京灣 大町桂月 明日は日本橋の魚市に上るらむ、魚類の運搬を主として、旅客を副とせる汽船の、三崎より來りて、松輪に寄航するを待ち合せて、艀より直ちに甲板に上る。夜の十時頃也。 船室の中には、七八人、みな横臥して、また餘地なし。室外に蓙を敷かせて坐る。七月の末つ方、陸上の人は炎熱に堪へざらむ。こゝは漫々たる蒼波、見るからに心地よく、清風陣々として、凉氣船に
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大町桂月
月の東京灣 大町桂月 明日は日本橋の魚市に上るらむ、魚類の運搬を主として、旅客を副とせる汽船の、三崎より來りて、松輪に寄航するを待ち合せて、艀より直ちに甲板に上る。夜の十時頃也。 船室の中には、七八人、みな横臥して、また餘地なし。室外に蓙を敷かせて坐る。七月の末つ方、陸上の人は炎熱に堪へざらむ。こゝは漫々たる蒼波、見るからに心地よく、清風陣々として、凉氣船に
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千川の櫻 大町桂月 小金井の山櫻の區域盡きて、境橋架れる處より、玉川上水分派し、練馬驛、東長崎驛を經て、板橋に入る。これを千川上水と稱す。大正四年、この上水べりに櫻と楓との若木を植ゑ付けたりと聞く。さても花の名所の増加すること哉。 大正五年四月十日、風強し。花の都變じて塵の都となる。庭の樹空に舞ひ、障子がた/\動きて止まず。裸男生來風が大嫌ひ也。このやうに風
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菅の堤の櫻 大町桂月 花に忙しき春哉。裸男ひとりにて、新宿追分より京王電車に乘りて、調布に下る。 南を指して行く。多摩右岸一帶の丘陵低く横はる。大山を左翼として、丹澤の連山その上に遙か也。十數町にして、多摩川に達す。前岸に櫻花の連なるを見る。これ近年櫻の名所となりたる菅の堤也。矢野口の渡に至れば、渡船あるかと思ひの外、土橋かゝりて、一錢五厘の橋錢を取る。上流
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新武藏野の櫻 大町桂月 相手は變れど、主は變らず。昨、夜光命の手にせし四合入の瓢箪、今日は十口坊の手に在り。裸男は例の三合入の瓢箪を手にして、新宿の追分より、京王電車に乘る。線路をはじめは甲州街道に沿ひしが、やがて舊玉川上水に沿ふ。沿ふより間もなく、天神橋の手前の右に近く可なり大なる銀杏あり。凡そ二抱へもあらむと思はるゝ一本の幹の、二三丈上よりは、數十百條と
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三里塚の櫻 大町桂月 夜光命の手には四合入の瓢箪、裸男の手には三合入の瓢箪、誰の目にも其れと知らるゝ花見と洒落たり。 大塚驛より日暮里驛までは電車、日暮里驛にて水戸行の汽車を待合はす。同じく電車を出でて、同じく待合はす一人の囚人、看守に引かれて、プラツトホームの一方に孤立す。誰も之に近づくを避く。中には、『泥棒々々』とさゝやく者もあり。夜光命は先年電車事件の
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一萬尺の山嶽 大町桂月 日本の高山は富士山第一、白山第二、立山第三とは、余が青年の頃まで、世間一般に傳へられたる所なりしが、その後、實地測量するに及びて、富士山は一萬二千四百六十七尺、白山は八千九百十七尺、立山は九千八百九十三尺と云ふことになりて、富士は依然として本島第一の高山なるが、第三とせられたる立山は、幾んど一萬尺に近けれども、なほ其れよりも高くして一
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遊羽雜感 大町桂月 一 古來、奧羽は、日本武尊を始めまつり、田村將軍、源頼義、義經など、英雄豪傑が武を以て王化に浴せしめたる處とのみ思ひしは、げに皮相の謬見なりき。われ山寺に遊びて、始めて知る、前九年の役に先だつこと凡そ二百年、早や已に絶代の聖僧慈覺大師が、徳を以て奧羽の人を救ひたりしことを。大師は、實に千年の前に立石寺を創めて、衆生を濟度したる聖人也。山寺
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明治神宮と松 大町桂月 明治神宮は、林の中にあり。その林には、ありとあらゆる樹木を網羅せるが、神門の内、拜殿を正面にして、廻廊に圍まれたる神庭には、唯十數株の喬松あるのみ也。吾人は、日本の國柄より見て、樹木の選擇其の宜しきを得たるを歡喜せずむばあらず。 日本は松の國也。先づ在來の所謂三景を見よ。松島は、其の名の如く、八百八島みな松の島也。天の橋立は、四十二町
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房州紀行 大町桂月 江山の姿、とこしなへに變ることなくして、人生の遭逢、竟に期すべからず。曾て房州に放浪して、菱花灣畔に、さゝやかなる家を借り、あびきする濱邊に出でて、溌剌たる鮮魚買ひ來りては、自から割き、自から煮て、いと心安き生活を送り、時には伴れだちて、城山の古城址に興亡の跡を訪ひ、延命寺の古墳に里見氏の昔を弔ひ、富山を攀ぢ、清澄山に上り、誕生寺を訪ひ、
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春の郊外 大町桂月 桃花の散らぬ程にと、越ヶ谷さして、兩國橋より、東武線の鐵道に乘る。この線は、本所を過ぎ、龜戸より左折して、鐘ヶ淵、北千住、草加、越ヶ谷、粕壁、久喜、鷲の宮、羽生を經て、利根川に接する川俣にとゞまる。やがて川をわたり、館林を經て、足利に達する筈也。向島の櫻雲を、ちらと汽車の窓より、緑樹のひま/\に眺め、北千住を過ぎては、東北郊に特有なる菜の
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川越夜行記 大町桂月 裸男以爲へらく、『文明ます/\進みて、人はます/\柔弱になり行く。都會の少年、殊に然り。遠足も晝間では平凡也。夜間はちと苦しかるべし。そのちと苦しい目にあはせて、心身の鍛錬を圖るも、亦一の功徳ならずや』とて、檄を天下に飛ばして、有志の士を募り、北郊巣鴨驛に相會し、午後七時半を以て、程に上る。同勢すべて百四人也。夜光命も十口坊も、此頃は懷
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粕壁夜行記 大町桂月 第三回の夜行を粕壁に爲すこととなりけるが、夜光命も來らず、十口坊も來ず、山神慨然として、『妾を伴ひ給へ』と乞ふ。似たもの夫婦と、人や云ふらむ。裸男承知して、將に家を出でむとすれば、伊藤薊山、上京したるばかりの足にて、來り訪ふ。裸男の行裝を見て、『何處へ行く』と問ふ。夜行の事を告ぐれば、『相變らず元氣なる事かな。われも共に行かむ』といふ。
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東京の近郊 大町桂月 日本橋より四方五六里内外、徒歩して往復の出來る範圍内の地を、こゝに東京の近郊と稱す。南は、品川灣也。東には、江戸川(小利根ともいふ)あり。西には多摩川あり。荒川(下流は隅田川、大川)その中央を流る。東京の近郊は、以上の三大川を有し、臺地と低地とに分る。東より北へかけては低地にして、西より北へかけては臺地也。この臺地が、いにしへの所謂武藏
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千葉夜行記 大町桂月 夜光命も、十口坊も、第一回の夜行に閉口したりけむ、千葉に向つて第二回の夜行を爲したる時は、來り會せざりき。 同勢五十有二人、本所江東橋畔なる第三中學校の門前に相會し、午後七時半を以て發足す。東京より千葉まで、十里と稱す。陽春四月、寒からず、暑からず、遠足には誂向の好時節、唯月は無かりき。 殿軍の幹部には、畫家の岡本一平氏加はりて、異彩を
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小利根川の櫻 大町桂月 一 東京の櫻 吉野山去年のしをりの路かへて まだ見ぬ方の花をたづねむ 心は花に浮き立つ陽春四月、路伴れもがなと思ふ矢先、『今日は』とにこ/\顏の夜光命。待つてましたと裸男もにこ/\。挨拶もそこ/\にして語り出づるやう、『やよ聞き給へ。花は櫻、櫻は日本、日本の中にても東京附近、げに/\花の都なる哉。さてその東京附近には、吉野櫻と稱するも
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國府臺 大町桂月 烟分二遠樹一幾層横。脚下刀河晩忽明。捲レ地風來枯葉走。伯勞吐レ氣一聲々。 苦吟漸く成る。何となく、うれし。ひとりにて飮む酒も、一種の味を生ず。詩は、よかれ、あしかれ、出來れば、うれしき也。苦しめば、苦しむほど、猶ほうれしき也。 余は、國府臺の上、掛茶屋に腰かけ、杯を手にして、夕べの景色を眺め入れる也。ふと思ふに、この詩は、四つの俳句を一つの
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川魚料理 大町桂月 一 五圓と十圓 裸男著述の爲に、南郊に籠城して、世間と絶縁すること、幾んど半年に及べり。其の間、何人にも面會せざりき。やつと脱稿して家に歸れば、誰よりも先きに、訪ひ來れるは、夜光命と十口坊と也。つもる話を歩きながらとて、打連れて池袋驛にいたる。『さて何處にか行かむ。池上方面にせむか』、二人答へず。『二子方面にせむか』、二人答へず。『八王子
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秋の筑波山 大町桂月 一 関城の趾 東京の人士、若し土曜日より泊りがけにて山に上らむとならば、余は先づ筑波登山を提出せむとする也。 上野より水戸線に由りて、土浦まで汽車にて二時間半、土浦より北条まで四里、馬車にて二時間、北条より筑波町まで一里、徒歩して一時間、都合六時間以内の行程、これ東京よりの順路なるが、上野発が午後二時二十分なれば、途中にて日が暮るべし。
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月譜 大町桂月 月の名所は桂浜といへる郷里のうた、たゞ記憶に存するのみにて、幼少の時より他郷に流寓して、未だ郷にかへりたることなければ、まことはその桂浜の月見しことなけれど、名たゝる海南絶勝の地の、危礁乱立する浜辺に、よりては砕くる浪の花しろく、九十九湾縹渺として烟にくるゝ夕雲をはらひはてし秋風を浜松の梢にのこして、長鯨潮を吹く浪路の末に、一輪の名月あらひ出
大阪圭吉
坑鬼 大阪圭吉 一 室生岬の尖端、荒れ果てた灰色の山の中に、かなり前から稼行を続けていた中越炭礦会社の滝口坑は、ここ二、三年来めきめき活況を見せて、五百尺の地底に繰り拡ろげられた黒い触手の先端は、もう海の底半哩の沖にまで達していた。埋蔵量六百万噸――会社の事業の大半はこの炭坑一本に賭けられて、人も機械も一緒くたに緊張の中に叩ッ込まれ、きびしい仮借のない活動が
大阪圭吉
石塀幽霊 大阪圭吉 一 秋森家というのは、吉田雄太郎君のいるN町のアパートのすぐ西隣にある相当に宏い南向きの屋敷であるが、それは随分と古めかしいもので処まんだらにウメノキゴケの生えた灰色の甍は、アパートのどの窓からも殆んど覗う事の出来ない程に鬱蒼たる櫟や赤樫の雑木林にむっちりと包まれ、そしてその古屋敷の周囲は、ここばかりは今年の冬に新しく改修されたたっぷり一
大阪圭吉
岸田直介が奇怪な死を遂げたとの急報に接した弁護士の大月対次は、恰度忙しい事務もひと息ついた形だったので、歳若いながらも仕事に掛けては実直な秘書の秋田を同伴して、取るものも不取敢大急ぎで両国駅から銚子行の列車に乗り込んだ。 岸田直介――と言うのは、最近東京に於て結成された瑪瑙座と言う新しい劇団の出資者で、大月と同じ大学を卒えた齢若い資産家であるが、不幸にして一
大阪圭吉
品川の駅で、すぐ前の席へ、その無遠慮なお客さんが乗り込んで来ると、クルミさんは、すっかり元気をなくしてしまった。 「今日は、日本晴れですから、国府津の叔母さんのお家からは、富士さんがとてもよく見られますよ」 お母さんからそう聞かされて、喜び勇んでお家を出たときの元気はどこへやら、座席の片隅へ小さくなったまま、すっかり悄げかえって、窓越しに、うしろへ飛び去って
大阪圭吉
カンカン虫殺人事件 大阪圭吉 K造船工場の第二号乾船渠に勤めている原田喜三郎と山田源之助の二人が行方不明になってから五日目の朝の事である。 失踪者の一人、原田喜三郎の惨殺屍体が、造船工場から程遠からぬ海上に浮び上ったと云う報告を受けて、青山喬介と私は、暖い外套を着込むと、大急ぎで工場までやって来た。 原田喜三郎と山田源之助は、二人共K造船所直属のカンカンムシ