政治に関する随想
伊丹万作
政治に関する随想 伊丹万作 私は生れてからこのかた、まだ一度も国民として選挙権を行使したことがない。 私はそれを自慢するのではない。むしろ一つの怠慢だと思つている。しかし、ここに私が怠慢というのは、私が国民としての義務を怠つたという理由からではなく、たんに芸術家として、与えられた観察の機会をむだにしたという理由からである。すなわち、いまだかつて投票場に近寄つ
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伊丹万作
政治に関する随想 伊丹万作 私は生れてからこのかた、まだ一度も国民として選挙権を行使したことがない。 私はそれを自慢するのではない。むしろ一つの怠慢だと思つている。しかし、ここに私が怠慢というのは、私が国民としての義務を怠つたという理由からではなく、たんに芸術家として、与えられた観察の機会をむだにしたという理由からである。すなわち、いまだかつて投票場に近寄つ
伊丹万作
雑文的雑文 伊丹万作 映画のことなら何でもよいから見計いで書けという命令であるが、私は天性頭脳朦朧、言語不明瞭、文章曖昧、挙動不審の人物であるからたちまちはたとばかりに当惑してしまう。 しかも命令の主は官営雑誌のごとき威厳を備えた『中央公論』である。断りでもしようものならたちまち懲役何カ月かをくいそうだし、引き受けたら最後八さん熊さんがホテルの大食堂に引き出
伊丹万作
寝台の上で、何を思いわずろうてみてもしようがないが、このたびの改革案が発表されたときは、やはり強くなぐられたような気がした。自分一個の不安もさることながら、それよりもまず、失業群としての、大勢の映画人の姿が、黒い集団となつてぐんと胸にきた。痛く、そしてせつない感情であつた。しかし寝ていてはどうしようもない。もつとも起きていても、たいしてしようはないかもしれぬ
伊丹万作
映画の普及力とは 伊丹万作 現在の映画はまるで植物のようだ。それは歩かない。こちらが出かけて行かねばならぬ。したがつて我々病人にはまつたく無関係のものだ。 何年かまえ松竹座を除いてはまだ京都中の映画館にも映画会社にもトーキーの再生装置がなかつたとき、本願寺の大谷さんのおやしきの一隅にはちやんとトーキーの映写室がありウェスタンの再生機がすわつていた。 本願寺は
伊丹万作
映画と民族性 伊丹万作 すでにある芸術を政治が利用して有効に役立てるということはいくらも例のあることであるが、政治の必要から新たにある種の芸術を生み出し、しかも短期間にそれを完成するというようなことはほとんど不可能なことで、いまだかつてそのようなことが芸術の歴史に記されたためしはない。 太平洋戦争が開始されて以来、外地向け映画の問題がやかましく論議せられ、各
伊丹万作
ルネ・クレール私見 伊丹万作 前書 ルネ・クレールに関する一文を求められたのであるが、由来クレールに関してはほとんどもう語り尽された観がある。しかし考えてみると私には別な見方がないでもない。それを書いて見ようというのであるが自分の仕事のことなどを考えると気恥ずかしくてクレール論などは書けないのがほんとうである。今日はひとつ批評家になつて書いてみようと思う。
伊丹万作
カメラに関する覚え書 伊丹万作 ある人が私の作品のあるカメラ・ポジションを批評して、必然性がないから正しくないといつた。 私の考えではカメラ・ポジションに必然性がないということはあたりまえのことで、もしも必然性などというものを認めなければならぬとしたら非常に不都合なことになるのである。 なぜならば一つのカットの撮り方は無数にあるわけで、その多くの可能性の中か
伊丹万作
カタカナニツイテ 伊丹万作 コノヨウナ題目ヲ掲ゲルト国語学者トマチガエラレルオソレガアルカラ一応断ツテオクガ、私ハ映画ノホウノ人間デ、数年臥床ヲ余儀ナクサレテイル病人デアル。ソノヨウナモノガナゼカタカナニツイテ論ジタリスルノカトイウ不審ガアルカモシレナイガ、コウイウフウニ自分ノ専門以外ノコトニ口出シヲシテ人ニ迷惑ヲカケルコトハ当今ノ流行デアツテ何モ私ノ創意ニ
伊丹万作
明治三十九年の秋だつたと思う。 当時七歳の私は父に連れられて神戸港新開地の掛小屋で活動写真に見いつていた。 天幕のすきまからはいつてくる風にあおられて波のようにうねる映写幕には日露戦争の実況(?)が写つていた。 我々は観客席(といつてもそこは材木と布でしきられた何坪かのじめじめした地面にすぎないのであるが)に立つて押しあいながら見ていた。もちろん私のような子
伊丹万作
わが妻の記 伊丹万作 素姓 中学時代の同窓にNという頭のいい男がいた。海軍少尉のとき、肺を病つて夭折したが、このNの妹のK子が私の妻となつた。 妻の父はトルストイにそつくりの老人で税務署長、村長などを勤め、晩年は晴耕雨読の境涯に入り、漢籍の素養が深かつた。 私の生れは四国のM市で、妻の生れは同じ市の郊外である。そして彼女の生家のある村は、同時に私の亡き母の実
伊丹万作
余裕のことなど 伊丹万作 近ごろの世相は私に精神的呼吸困難を感じさせることが多い。しかし、日本人がもしも本来の大和心というものを正しく身につけているならば、世の中が今のようにコチコチになつてしまうはずはないのである。 たとえば直情径行は大和心の美しい特質の一つであるが、近ごろの世の中のどこを見てもそのようなものはない。 直情径行といえばすぐに私は宇治川の先陣
伊丹万作
映画と音楽 伊丹万作 映画における音楽の位置をうんぬんするとき、だれしも口をそろえて重大だという。 なぜ重大なのか。どういうふうに重大なのか。だれもそれについて私に説明してくれた人はない。重大であるか否かはさておき、さらに一歩さかのぼつて音楽は映画にとつて必要であるか否かということさえまだ研究されてはいないのである。 音楽ははたして原則的に映画に必要なもので
伊丹万作
「ファン」について 伊丹万作 私は今日までファンについてあまり考えたことがない。なぜならば第一私はファンという言葉が好きになれないのだ。 ファンという言葉が私の頭の中に刻みつけている印象は、私にとつてあまり幸福なものではない。 私は本当のファンがどういうものかを知らない。ただ私が自分の目で見てきたファンというものは不幸にも喧騒にして教養なき群衆にすぎなかつた
伊丹万作
顔の美について 伊丹万作 人間が死ぬる前、与えられた寿命が終りに近づいたときは、その人間の分相応に完全な相貌に到達するのであろうと思う。 完全な相貌といつただけでは何のことかわからぬが、その意味は、要するにその人の顔に与えられた材料をもつてしては、これ以上立派な形は造れないという限界のことをいうのである。 私は時たま自分の顔を鏡に見て、そのあまりにまとまりの
伊丹万作
君の手紙と東京から帰った会社の人の報告で東京の惨状はほぼ想像がつく。要するに「空襲恐るるに足らず」といった粗大な指導方針が事をここに至らしめたのだろう。敵が頭の上に来たら日本の場合防空はあり得ない、防空とは敵を洋上に迎え撃つこと以外にはないとぼくは以前から信じていたがまちがっていなかった。しかるにいまだ空襲の被害を過少評価しようとする傾向があるのは嘆かわしい
伊丹万作
現在の日本は政治、軍事、生産ともに行き当りばったりであり、万事が無為無策の一語に尽きる。 我々国民は、政府が勝利に対する強力なる意志と、周到なる計画性とその実行力とを示してくれるならばいかなる困苦にも堪え得るものであるが、現実においてあらゆる事態がその無計画無能力を暴露しているにもかかわらずただ口頭のみにおいて空疎な強がりを宣伝し、不敗を呼号して国民を盲目的
伊丹万作
映画と癩の問題 伊丹万作 数年来、映画をまったく見ていない私は、作品としての映画を批評する資格を持たない。したがって私は、映画「小島の春」を批評することはできないが、癩というものが、あのような仕方で映画にされ、あのような方法で興行されたという事実に対してはいまだに深い疑問をいだいている。そしてこの疑問はいまだに疑問のままで心の隅にわだかまっており容易に解けよ
伊丹万作
映画界手近の問題 伊丹万作 だれかが私に映画界の七不思議を選定してみないかといったら、私は即座に四社連盟をあげる。そしてあとの六つはだれか他の人に考えてもらう。 四社連盟というものの不可思議性については以下私が申し述べるところによっておのずと会得されるだろうと思うが、とりあえず私は自分の知っている範囲で四社連盟とはいかなるものかという具体的な説明から始めよう
伊丹万作
演技指導論草案 伊丹万作 ○演技指導という言葉はわずかにこの仕事の一面を表出したにすぎない。この仕事の真相は指導でもなく、監督でもなく、化育でもなく、叱正でもない。最も感じの似通った言葉をさがせば啓発であろうが、これではまだ少し冷たい。 仕事中我々は意識して俳優に何かをつけ加えることもあるが、この仕事の本質的な部分はつけ加えることではなく、抽き出すために費さ
石原莞爾
昨年の末感ずるところあり、京都で御世話になった方々及び部下の希望者に「戦争史大観」を説明したい気持になり、年末年始の休みに要旨を書くつもりであったが果さなかった。正月に入って主として出張先の宿屋で書きつづけ二月十二日辛うじて脱稿した。 二月末高木清寿氏来訪、原稿をお貸ししたところ、執拗に出版を強要せられ遂に屈伏してしまった。そこで読み直して見ると前後重複する
石原莞爾
一、人類歴史は統制主義の時代にある フランス革命は專制主義から自由主義えの轉換を決定した典型的自由主義革命であり、日本の明治維新もこの見地からすれば、自由主義革命に属する。自由主義は專制主義よりも遙かに能率高き指導精神であつた。しかるに第一次大戰以後、敗戰國もしくは後進國において、敗戰から立上り、或は先進國に追いつくため、自由主義よりも更に能率高き統制主義が
石原莞爾
第一節 決戦戦争と持久戦争 戦争は武力をも直接使用して国家の国策を遂行する行為であります。今アメリカは、ほとんど全艦隊をハワイに集中して日本を脅迫しております。どうも日本は米が足りない、物が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば日支問題も日本側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというのでハワイに大艦隊を集中しているのであります。つまりア
石田孫太郎
猫と色の嗜好 石田孫太郎 聞く所によれば野蛮人は赤色を愛すると云うが、我輩文明人にしても尚野蛮の域に居る所の子供は赤色を好み、段々と大きくなるに従って、色の浅いものを好むようになる、而して純白色のものを以て最も高尚なものとするのは、我輩文明人の常である、左れば染色上の嗜好より人の文野を別てば、白色若しくは水色等を愛する者は最も文化したるもので、青色だの紅色だ
生田春月
滅びよ、滅びよ、いとしき我が身、 急げよ、たのしき地獄の門へ。 すべてのものゝ存在せざる 其処にこそ我が失ひし楽園はあれ。 ●図書カード