渋民村より
石川啄木
杜陵を北へ僅かに五里のこの里、人は一日の間に往復致し候へど、春の歩みは年々一週が程を要し候。御地は早や南の枝に大和心綻ろび初め候ふの由、満城桜雲の日も近かるべくと羨やみ上げ候。こゝは梅桜の蕾未だ我瞳よりも小さく候へど、さすがに春風の小車道を忘れず廻り来て、春告鳥、雲雀などの讃歌、野に山に流れ、微風にうるほふ小菫の紫も路の辺に萌え出で候。今宵は芝蘭の鉢の香りゆ
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石川啄木
杜陵を北へ僅かに五里のこの里、人は一日の間に往復致し候へど、春の歩みは年々一週が程を要し候。御地は早や南の枝に大和心綻ろび初め候ふの由、満城桜雲の日も近かるべくと羨やみ上げ候。こゝは梅桜の蕾未だ我瞳よりも小さく候へど、さすがに春風の小車道を忘れず廻り来て、春告鳥、雲雀などの讃歌、野に山に流れ、微風にうるほふ小菫の紫も路の辺に萌え出で候。今宵は芝蘭の鉢の香りゆ
石川啄木
(「閑天地」は実に閑天地なり。野の※雲に舞ひ、黄牛の草に眠るが如し。又春光野に流れて鳥初めて歌ひ、暮風清蔭に湧いて蜩の声を作すが如し。未だ許さず、生きんが為めにのみ生き、行かんがためにのみ行くが如き人の、この悠々の世界に入るを。啄木、永く都塵に埋もれて、旦暮身世の怱忙に追はれ、意ならずして故郷の風色にそむくうちに、身は塵臭に染み、吟心また労をおぼえぬ。乃ち茲
石川啄木
◎本年四月十四日、北海道小樽で逢つたのが、野口君と予との最後の会合となつた。其時野口君は、明日小樽を引払つて札幌に行き、月の末頃には必ず帰京の途に就くとの事で、大分元気がよかつた。恰度予も同じ決心をしてゐた時だから、成るべくは函館で待合して、相携へて津軽海峡を渡らうと約束して別れた。不幸にして其約束は約束だけに止まり、予は同月の二十五日、一人函館を去つて海路
石川啄木
道 石川啄木 ○○郡教育会東部会の第四回実地授業批評会は、十月八日の土曜日にT――村の第二尋常小学校で開かれる事になつた。選択科目は尋常科修身の一学年から四学年までの合級授業で、謄写版に刷つた其の教案は一週間前に近村の各学校へ教師の数だけ配布された。 隣村のS――村からも、本校分校合せて五人の教師が揃つて出懸ける事になつた。其の中には赴任して一月と経たぬ女教
石川啄木
刑余の叔父 石川啄木 一 一年三百六十五日、投網打の帰途に岩鼻の崖から川中へ転げ落ちて、したたか腰骨を痛めて三日寝た、その三日だけは、流石に、盃を手にしなかつたさうなと不審がられた程の大酒呑、酒の次には博奕が所好で、血醒い噂に其名の出ぬ事はない。何日誰が言つたともなく、高田源作は村一番の乱暴者と指されてゐた。それが、私の唯一人の叔父。 我々姉弟は、「源作叔父
石川啄木
トルストイ翁論文 石川啄木 レオ・トルストイ翁のこの驚嘆すべき論文は、千九百四年(明治三十七年)六月二十七日を以てロンドン・タイムス紙上に發表されたものである。その日即ち日本皇帝が旅順港襲撃の功勞に對する勅語を東郷聯合艦隊司令長官に賜はつた翌日、滿洲に於ける日本陸軍が分水嶺の占領に成功した日であつた。當時極東の海陸に起つてゐた悲しむべき出來事の電報は、日一日
石川啄木
無題 石川啄木 幸徳等所謂無政府共産主義者の公判開始は近く四五日の後に迫り來れり。事件が事件なるだけに、思慮ある國民の多數は、皆特別の意味を以て此公判の結果に注目し居ることなるべし。予も其の一人なり、而して予は未だ此の事件の内容を詳細に聞知するの機會を有せざりしと雖も、檢事の嘗て發表したる所及び巷間の風説にして誤りなくんば、其企畫や啻に全く辯護の餘地なきのみ
石川啄木
田園の思慕 石川啄木 獨逸の或小説家がその小説の中に、田園を棄てて相率ゐて煤煙と塵埃とに濁つた都會の空氣の中に紛れ込んで行く人達の運命を批評してゐるさうである。さうした悲しい移住者は、思ひきりよく故郷と縁を絶つては來たものの、一足都會の土を踏むともう直ぐその古びた、然しながら安らかであつた親讓りの家を思ひ出さずにはゐられない。どんな神經の鈍い田舍者にでも、多
石川啄木
第十八號室より 石川啄木 一 いつとなく腹が膨れ出した。たゞそれだけの事であつた。初めは腹に力がたまつたやうで、歩くに氣持が可かつた。やがてそろ/\膨れが目に付くやうになつた時は、かうして俺も肥えるのかと思つた。寢たり起きたりする時だけは、臍のあたりの筋肉が少し堅くなり過ぎるやうだつたが、それも肥滿した人の起居の敏活でないのは、矢つぱりかうした譯だらう位に思
石川啄木
大硯君足下 石川啄木 大硯君足下。 近頃或人が第二十七議會に對する希望を叙べた文章の中に、嘗て日清及び日露の兩戰役に當つて、滿場一人の異議もなく政府の計畫を翼贊して、以て擧國一致の範を國民に示した外に、日本の議會には今まで何の功績も無いと笑つてゐた。私のこの手紙も其處から出立する。私はこの或人の物凄い笑ひがまだ/\笑ひ足りないと思ふ。かう言へば足下には直ぐ私
石川啄木
女郎買の歌 石川啄木 『惡少年を誇稱す 糜爛せる文明の子』 諸君試みに次に抄録する一節を讀んで見たまへ。 ○ しばらくは若い人達の笑聲が室の中にみちて、室の中は蒸すやうになつた。その中に頼んだ壽司とサイダーが運ばれたので、みんな舊の席へかへつた。舊の席に就いて、それから壽司とサイダーを飮み乍らまた談話が開始された。それからそれへといろ/\おもしろい話の花が咲
石川啄木
硝子窓 石川啄木 ○ 『何か面白い事は無いかねえ。』といふ言葉は不吉な言葉だ。此二三年來、文學の事にたづさはつてゐる若い人達から、私は何囘この不吉な言葉を聞かされたか知れない。無論自分でも言つた。――或時は、人の顏さへ見れば、さう言はずにゐられない樣な氣がする事もあつた。 『何か面白い事は無いかねえ。』 『無いねえ。』 『無いねえ。』 さう言つて了つて口を噤
石川啄木
歌のいろ/\ 石川啄木 (一) ○日毎に集つて來る投書の歌を讀んでゐて、ひよいと妙な事を考へさせられることがある。――此處に作者その人に差障りを及ぼさない範圍に於て一二の例を擧げて見るならば、此頃になつて漸く手を着けた十月中到着の分の中に、神田の某君といふ人の半紙二つ折へ横に二十首の歌を書いて、『我目下の境遇』と題を付けたのがあつた。 ○讀んでゐて私は不思議
石川啄木
二三日前の事である。途で渇を覺えてとあるビイヤホオルに入ると、窓側の小さい卓を圍んで語つてゐる三人連の紳士が有つた。私が入つて行くと三人は等しく口を噤んで顏を上げた。見知らぬ人達で有る。私は私の勝手な場所を見付けて、煙草に火を點け、口を濕し、そして新聞を取上げた。外に相客といふものは無かつた。 やがて彼等は復語り出した。それは「今度の事」に就いてゞ有つた。今
石川啄木
郁雨君足下。 函館日々新聞及び君が予の一歌集に向つて與へられた深大の厚意は、予の今茲に改めて滿腔の感謝を捧ぐる所である。自分の受けた好意を自分で批評するも妙な譯ではあるが、實際あれ丈の好意を其著述に對して表された者は、誰しも先づ其の眞實の感謝を言ひ現はすに當つて、自己の有する語彙の貧しさを嘆かずにはゐられまい。函館は予の北海放浪の最初の記念の土地であつた。さ
石川啄木
隨分長らく御無沙汰致し候ものかな、御許し下され度候、貴兄には相變らず御清適『白虹』のため御盡力の由奉賀候、さて御申越の課題については小生別に意見と云ふ程のものも無し、有つたところで小生如きの意見は何にもなるまじくと存じ候、但し文藝の事は本來中央も地方も無之てよい筈、そんな事は眼中におかずに、東京の雜誌と拮抗する樣な立派な雜誌が、今の世にせめて一つ位は地方にあ
石川啄木
自分も作家の一人である場合、他人の作を讀んで滿足の出來ないことが、却つて一種の滿足である事がある。又時として、人が一生懸命やつた仕事にその人と同じ位の興味を打込むことの出來ないのを、その人の爲とも自分の爲ともなく淋しく思ふ事もある――人と人との間の超え難き隔たりに就いての悲しみと言はうか、或は又人間の努力の空しさに對する豫感とでも言はうか。 吉井勇君の歌集『
石川啄木
この頃の短い小説には、よく、若い人達の自由な集會――文學者とか、新聞雜誌の記者とか、會社員とか、畫家とか、乃至は貧乏華族の息子とか、芝居好の金持の若旦那とか――各自新しい時代の空氣を人先に吸つてゐると思ふ種々の人が、時々日を期して寄つて、勝手な話をする會の事を書いたのがある。さういふのを讀む毎に、私は「ああ、此處にも我々のやうな情ない仲間がゐる。」と思はずに
石川啄木
我が田に水を引くといふことがある。當人は至極眞面目なのだらうが、傍から見ると、隨分片腹痛い場合がある。氣の毒でもあり、笑止でもある。新聞の論説や政治家の談話などといふものは、毎日のやうにそれを繰返してゐる。然しそれらには恕してやつて可い理由がいくらもある。學者とか教育家とか謂はれる連中の沒分曉な我田引水論となると、私は其奴等の面を引叩いてやりたく思ふことが度
石川啄木
其日も、私は朝から例の氣持に襲はれた。何も彼も興味が失せて、少しの間も靜かにしてゐられないやうに氣が苛々してゐた。新聞を見ても少し長い記事になると、もう五六行讀んだ許りで、終末まで讀み通すのがもどかしくなつて、大字の標題だけを急がしく漁つた。續き物の小説などは猶更讀む氣がしなかつた。 さうして、莨に火をつけて何本も何本も喫つてゐると、私の心は隅から隅まで暗く
石川啄木
我が最近の興味 石川啄木 ヴオルガ河岸のサラトフといふ處で、汽船アレクサンダア二世號が出帆しようとしてゐた時の事だ。客は恐ろしく込んでゐた。一二等の切符はすつかり賣切れて了つて、三等室にも林檎一つ落とす程の隙が無く、客は皆重なり合ふやうにして坐つた。汽笛の鳴つてからであつたが、船の副長があわたゞしく三等客の中を推し分けて來て、今しがた金を盜まれたと言つて訴へ
石川啄木
外は海老色の模造革、パチンと開けば、内には溝状に橄欖色の天鵞絨の貼つてある、葉卷形のサツクの中の檢温器! 37 といふ字だけを赤く、三十五度から四十二度までの度をこまかに刻んだ、白々と光る薄い錫の板と、透せば仄かに縁に見える、細い眞空管との入つた、丈四寸にも足らぬ小さな獨逸製の檢温器! 私はこの小さな檢温器がいとしくて仕方がない。美しいでもなく、歌をうたふで
石川啄木
近頃農村の經營といふ事に關する著書が月に一册か二册は缺かさず出版されてゐる。新聞や雜誌にも同じ問題がちよい/\繰返されてゐる。かういふ傾向は、不知不識の間に爲政者の商工偏重の政策と對照して、我々批評家の地位に立つ者に一種の興味を與へる現象である。産業時代と謂はるゝ歐洲の近代文明は、既に隨處に農業の不振、農村の疲弊を馴馳した。同じ弊害は今や漸く我邦にも現はれて
石川啄木
人間の悲哀とは、自己の範圍を知ることである。生れ落ちた時、私は何も知らなかつた。その時何の悲しみがあつたらう。經驗と教育とは日一日と私の、自己及自己以外の事物に關する知識を廣くし、深くした。――私は日一日と、自己の範圍といふものを一劃々々知つてゆく樣になつた。 何の自由、何の領土が人間にある? 自己の範圍といふものは、知れば知る程小さくなつてゆく、動きのとれ