はなしの話
岡本綺堂
はなしの話 岡本綺堂 七月四日、アメリカ合衆国の独立記念日、それとは何の関係もなしに、左の上の奥歯二枚が俄に痛み出した。歯の悪いのは年来のことであるが、今度もかなりに痛む。おまけに六日は三十四度という大暑、それやこれやに悩まされて、ひどく弱った。 九日は帝国芸術院会員が初度の顔合せというので、私も文相からの案内を受けて、一旦は出席の返事を出しておきながら、更
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はなしの話 岡本綺堂 七月四日、アメリカ合衆国の独立記念日、それとは何の関係もなしに、左の上の奥歯二枚が俄に痛み出した。歯の悪いのは年来のことであるが、今度もかなりに痛む。おまけに六日は三十四度という大暑、それやこれやに悩まされて、ひどく弱った。 九日は帝国芸術院会員が初度の顔合せというので、私も文相からの案内を受けて、一旦は出席の返事を出しておきながら、更
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春の修善寺 岡本綺堂 十年ぶりで三島駅から大仁行の汽車に乗換えたのは、午後四時をすこし過ぎた頃であった。大場駅附近を過ぎると、ここらももう院線の工事に着手しているらしく、路ばたの空地に投げ出された鉄材や木材が凍ったような色をして、春のゆう日にうす白く染められている。村里のところどころに寒そうに顫えている小さい竹藪は、折からの強い西風にふき煽られて、今にも折れ
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目次 小序守田勘弥 新富座の大岡政談――元園町の草原――長唄と常磐津の挟み撃ち――外国人の引幕――風月堂の西洋菓子 新富座見物 左団次の渥美五郎――劇場の福草履――島原の芝居――劇場外の散歩――「勧進帳」 市川団十郎 団十郎の部屋――芝居の改良はこれから――芝居の飲食物――外国人の書面――後代の面目 似顔絵と双六 「霜夜鐘十字辻筮」――芝居の草双紙――絵双紙
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勘平の死 岡本綺堂 登場人物 初演配役 和泉屋与兵衛 (団右衛門) 女房 おさき (菊三郎) 倅 角太郎 娘 おてる (福之丞) 仲働き お冬 (栄三郎) 番頭 伝兵衛 同じく 弥助 同じく 和吉 (男女蔵) 大和屋十右衛門 (彦三郎) 三河町の半七 (菊五郎) その妹 おくめ (竹三郎) 常磐津 文字清 (鬼丸) 半七の子分亀吉
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江戸の化物 岡本綺堂 池袋の女 江戸の代表的怪談といえば、まず第一に池袋の女というものを挙げなければなりません。 今日の池袋の人からは抗議が出るかもしれませんが、どういうものか、この池袋の女を女中などに使いますと、きっと何か異変があると言い伝えられて、武家屋敷などでは絶対に池袋の女を使わないことにしていたということです。また、町家などでも池袋の女を使うことを
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小坂部伝説 岡本綺堂 わたしは帝劇のために「小坂部姫」をかいた。それを書くことに就いて参考のために、小坂部のことをいろいろ調べてみたが、どうも確かなことが判らない。伝説の方でも播州姫路の小坂部といえば誰も知っている。芝居の方でも小坂部といえば、尾上家に取っては家の芸として知られている。それほど有名でありながら、伝説の方でも芝居の方でもそれがはっきりしていない
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「物申う、案内申う。あるじの御坊おわすか。」 うす物の被衣の上に檜木笠を深くした上ふうの若い女が草ぶかい庵の前にたたずんで、低い優しい声で案内を求めた。南朝の暦応三年も秋ふけて、女の笠の褄をすべる夕日のうすい影が、かれの長い袂にまつわる芒の白い穂を冷たそうに照らしていた。 一度呼んでも、内では答えがなかった。二度、三度、かれは呼びつづけながら竹の戸をほとほと
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怪談劇 岡本綺堂 江戸時代の怪談劇は、大抵六、七、八の三月のあいだを択んで上場されたようである。つまり夏狂言とか盆替りとか云う場合に、怪談物を選択したらしい。暑い時節に怪談をみせて、夏なお寒きを覚えしめるという趣向かも知れない。 勿論、怪談の狂言に時代物もあるが、怪談として凄味の多いのは世話物である。その意味から云って、世話物は舞台の装置も人物の扮装もアッサ
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蟹満寺縁起 岡本綺堂 登場人物 漆間の翁 嫗 娘 里の青年 (坂東三吉) 蟹 蛇 蛙 里のわらべなど (一) 時代は昔、時候は夏、場所は山城国。久世郡のさびしき村里。舞台の後方はすべて蓮池にて、花もひらき、葉も重なれり。池のほとりには柳の立木あり。 (男女の童三は唄い連れていず。) 唄蛙釣ろうか、蟹釣ろか、蓮をかぶった蛙を釣ろか、はさみを持った蟹釣ろか。 (
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これは亡父の物語。頃は去る明治二十三年の春三月、父は拠ろなき所用あって信州軽井沢へ赴いて、凡そ半月ばかりも此の駅に逗留していた。東京では新暦の雛の節句、梅も大方は散尽くした頃であるが、名にし負う信濃路は二月の末から降つづく大雪で宿屋より外へは一歩も踏出されぬ位、日々炉を囲んで春の寒さに顫えていると、ある日の夕ぐれ、山の猟師が一匹、鹿の鮮血滴るのを担いで来て、
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父の怪談 岡本綺堂 今度はわたしの番になった。席順であるから致し方がない。しかし私には適当な材料の持ち合わせがないので、かつて父から聴かされた二、三種の怪談めいた小話をぽつぽつと弁じて、わずかに当夜の責任を逃がれることとした。 父は天保五年の生まれで、その二十一歳の夏、安政元年のことである。麻布竜土町にある某大名――九州の大名で、今は子爵になっている――の下
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停車場の少女 岡本綺堂 「こんなことを申しますと、なんだか嘘らしいように思召すかも知れませんが、これはほんとうの事で、わたくしが現在出会ったのでございますから、どうかその思召しでお聞きください。」 Mの奥さんはこういう前置きをして、次の話をはじめた。奥さんはもう三人の子持ちで、その話は奥さんがまだ女学校時代の若い頃の出来事だそうである。 まったくあの頃はまだ
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馬妖記 岡本綺堂 一 M君は語る。 僕の友人の神原君は作州津山の人である。その祖先は小早川隆景の家来で、主人と共に朝鮮にも出征して、かの碧蹄館の戦いに明の李如松の大軍を撃ち破った武功の家柄であると伝えられている。隆景は筑前の名島に住んでいて、世に名島殿と呼ばれて尊敬されていたが、彼は慶長二年に世を去って、養子の金吾中納言秀秋の代になると、間もなく慶長五年の関
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放し鰻 岡本綺堂 E君は語る。 本所相生町の裏店に住む平吉は、物に追われるように息を切って駈けて来た。かれは両国の橋番の小屋へ駈け込んで、かねて見識り越しの橋番のおやじを呼んで、水を一杯くれと言った。 「どうしなすった。喧嘩でもしなすったかね。」と、橋番の老爺はそこにある水桶の水を汲んでやりながら、少しく眉をひそめて訊いた。 平吉はそれにも答えないで、おやじ
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廿九日の牡丹餅 岡本綺堂 一 六月末の新聞にこんな記事が発見された。今年は暑気が強く、悪疫が流行する。これを予防するには、家ごとに赤飯を炊いて食えと言い出した者がある。それが相当に行われて、俄かに赤飯を炊いて疫病よけをする家が少くないという。今日でも東京のまん中で、こんな非科学的のお呪禁めいたことが流行するかと思うと、すこぶる不思議にも感じられるのであるが、
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火薬庫 岡本綺堂 例の青蛙堂主人から再度の案内状が来た。それは四月の末で、わたしの庭の遅桜も散りはじめた頃である。定刻の午後六時までに小石川の青蛙堂へ着到すると、今夜の顔ぶれはこの間の怪談会とはよほど変わっていた。例によって夜食の御馳走になって、それから下座敷の広間に案内されると、床の間には白い躑躅があっさりと生けてあるばかりで、かの三本足の蝦蟆将軍はどこへ
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恨みの蠑螺 岡本綺堂 一 文政四年の四月は相州江の島弁財天の開帳で、島は勿論、藤沢から片瀬にかよう路々もおびただしい繁昌を見せていた。 その藤沢の宿の南側、ここから街道を切れて、石亀川の渡しを越えて片瀬へ出るのが、その当時の江の島参詣の路順であるので、その途中には開帳を当て込みの休み茶屋が幾軒も店をならべていた。もとより臨時の掛茶屋であるから、葭簀がこいの粗
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有喜世新聞の話 岡本綺堂 一 S君は語る。 明治十五年――たしか五月ごろの事と記憶しているが、その当時発行の有喜世新聞にこういう雑報が掲載されていた。 京橋築地の土佐堀では小鯔が多く捕れるというので、ある大工が夜網に行くと、すばらしい大鯔が網にかかった。それを近所の料理屋の寿美屋の料理番が七十五銭で買い取って、あくる朝すぐに包丁を入れると、その鯔の腹のなかか
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穴 岡本綺堂 一 Y君は語る。 明治十年、西南戦争の頃には、わたしの家は芝の高輪にあった。わたしの家といったところで、わたしはまだ生まれたばかりの赤ん坊であったから何んにも知ろう筈はない。これは後日になって姉の話を聞いたのであるから、多少のすじみちは間違っているかも知れないが、大体の話はまずこうである――。 今日では高輪のあたりも開け切って、ほとんど昔のおも
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鼠 岡本綺堂 一 大田蜀山人の「壬戌紀行」に木曾街道の奈良井の宿のありさまを叙して「奈良井の駅舎を見わたせば梅、桜、彼岸ざくら、李の花、枝をまじえて、春のなかばの心地せらる。駅亭に小道具をひさぐもの多し。膳、椀、弁当箱、杯、曲物など皆この辺の細工なり。駅舎もまた賑えり。」云々とある。この以上にわたしのくだくだしい説明を加えないでも、江戸時代における木曾路のす
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虎 岡本綺堂 上 「去年は牛のお話をうかがいましたが、ことしの暮は虎のお話をうかがいに出ました。」と、青年は言う。 「そう、そう。去年の暮には牛の話をしたことがある。」と、老人はうなずく。「一年は早いものだ。そこで今年の暮は虎の話……。なるほど来年は寅年というわけで、相変らず干支にちなんだ話を聴かせろというのか。いつも言うようだが、若い人は案外に古いね。しか
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月の夜がたり 岡本綺堂 一 E君は語る。 僕は七月の二十六夜、八月の十五夜、九月の十三夜について、皆一つずつの怪談を知っている。長いものもあれば、短いものもあるが、月の順にだんだん話していくことにしよう。 そこで、第一は二十六夜――これは或る落語家から聞いた話だが、なんでも明治八、九年頃のことだそうだ。その落語家もその当時はまだ前座からすこし毛の生えたくらい
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牛 岡本綺堂 上 「来年は丑だそうですが、何か牛に因んだようなお話はありませんか。」と、青年は訊く。 「なに、丑年……。君たちなんぞも干支をいうのか。こうなるとどっちが若いか判らなくなるが、まあいい。干支にちなんだ丑ならば、絵はがき屋の店を捜してあるいた方が早手廻しだと言いたいところだが、折角のおたずねだから何か話しましょう。」 と、老人は答える。 「そこで
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兜 岡本綺堂 一 わたしはこれから邦原君の話を紹介したい。邦原君は東京の山の手に住んでいて、大正十二年の震災に居宅と家財全部を焼かれたのであるが、家に伝わっていた古い兜が不思議に唯ひとつ助かった。 それも邦原君自身や家族の者が取出したのではない。その一家はほとんど着のみ着のままで目白の方面へ避難したのであるが、なんでも九月なかばの雨の日に、ひとりの女がその避