第一幕
宇治少佐の居間――夕刻
従卒太田(騎兵一等卒)が軍用鞄の整理をしてゐる。
鈴子夫人が現れる。
夫人 さ、此の毛糸のチヨツキをどこかへ入れといて頂戴。――あとから送つてもいゝけれど、どさくさ紛れに失くなされでもするとつまらないから……。それに、もう、あつちは、九月になると寒いつて云ふぢやないの。――何もかも、あんたのお世話になるのね。ほんとに、よろしく頼むわ。大変だらうけれど……。病気だけは気をつけてあげて頂戴ね。すぐおなかをこはすのよ。従卒 さうすると、入れるものは、これだけでありますか。夫人 さうね……。もう大概それくらゐのもんね。お護りはあすこへ入れたと……。従卒 ウイスキイは二本でよろしうありますか。夫人 沢山でせう。御自身でも一つ、図嚢へ入れてらつしやるのよ。従卒 太田も一つ持つて行きます。それから馬丁もゐますから……。夫人 そんなに……? 寒い晩にお酒なんかあがるのはいけないんださうだけれどね。よく凍死するんですつて、それで……。従卒 は?夫人 凍えて死ぬのよ。お酒に酔つてなんかゐると……。従卒 どうしてでありますか。夫人 どうしてだか知らないけれど……。婦人会の講話で、さう云ふお話をうかゞつたことがあるわ。あんたは飲まないのね。従卒 はあ駄目であります。夫人 駄目の方がいゝわ。
(此の時、宇治少佐、浴衣姿にて現る)
少佐 もう片づいたか。従卒 はあ、片づきました。夫人 ウイスキイばかりこんなにお持ちになつて、どうなさるんですの。少佐 お前の知つたことぢやない。(太田に)そいぢや、今日は帰つていゝ。家のものには、もう会つたのか。従卒 いゝえ、まだ会ひません。別に用もありません。夫人 でもねえ……。少佐 明日は来んでもいゝ。それから、副官に、今晩はもう用はないからつて、さう云へ。従卒 は。副官殿に、今晩はもう用はないつて、さう申します。(証明書を取り出し)御判をどうぞ……。少佐 出発前に、からだをこはさんやうにせい。従卒 はあ。(軍用鞄を担ぎ、出で去る)夫人 御苦労さま。
(少佐と夫人とは、対座したまゝ、暫く無言。――おもてを号外売りが通る)
夫人 号外、買はせませうか。少佐 うむ。夫人 (奥に向ひ)よしや、号外を買つて来て御覧。よしの声 はい。
(長い沈黙)
夫人 何を考へていらつしやるんですの。少佐 あいつ、また馬丁部屋へあそびに行つてゐるんじやないか。夫人 猛ですか。少佐 数つて云ふ女は、どうも子供によくない智恵をつけていかん。玩具の鉄砲を自分の喉に当てゝ、自殺をする真似なんかして見せたらしい。夫人 まあ。何時ですか。少佐 さつき、おれが帰つて来たら、門のところで、ほかの子供たちと一緒にそんなことをやつて遊んでるんだ。誰から習つたつて訊いたら、数からだつて、さう云つた。夫人 ほんとに困りますわね。少佐 馬丁の家内が、なまじつか、女学校なんか出てるからいけないんだ。言ふことは生意気だし、することが巫山戯てゐてどうも気に食はん。おれの留守中でも、あんまり子供なんか委せて置けないよ。夫人 気を付けますわ。世間を知りすぎてるんですわね。少佐 すれてるのさ、つまり……。夫人 そこへ行くと、よしつて云ふ女は……。
(よしが襖を開ける。夫人、口を噤む)
よし 号外屋さんはもうをりませんです。夫人 お前の呼び方が遅いからだらう。よし いゝえ、わたくしが御門の外へ出ました時は、もうどこかへ行つてしまつとりました。夫人 鈴は聞えなかつたの。よし 鈴で御座いますか。さあ、鈴は方々で聞えましたけれど――。少佐 もういゝ。友吉を呼べ。夫人 今のことをおつしやるんですの。少佐 いゝや。
(長い沈黙)
(馬丁友吉、恐る恐る現る)
友吉 何か御用で……。少佐 もつとこつちへはひれ……。寝藁は新しいのと取り更へたね。友吉 はあ。少佐 それではと、早速だが、お前の決心を聞きたいんだ。友吉 ……。少佐 どうだ、おれと一緒に戦地へ行くか。友吉 (黙つてうつむく)少佐 副馬の方はまあいゝとして、正馬の方は、あの通り手のかゝる馬で、お前にはやつと馴れたところでもあるし、お前がついて行つてくれゝば、おれは大変助かる。将校の馬を預つてゐれば、日頃こんな時の覚悟も、まあしてゐるだらうとは思ふが、念のために聞いて見るんだ。友吉 ……。少佐 それとも、戦争に行くのがこはいか。友吉 いゝえ、こはくはありません。少佐 そんなら、どうだ。行くか。友吉 (また、顔を伏せる)少佐 兵隊に取られたと思へばなんでもなからう。そのからだで、その若さで、意気地のないことは云ふまいな。友吉 ……。少佐 人間はどうせ一度は死ぬんだ。畳の上で死んでも一生は一生、汽車に轢かれて死んでも一生は一生だ。国家の為に、潔よく命を投げ出せば、それだけ死花を咲かせることになるんだぞ。男子の本懐ぢやないか。友吉 (黙つて頭をさげる)少佐 給料は倍にするし、お上からも、無論手当は出る。その上、無事に帰れば、従軍徽章も頂戴できるわけだ。夫人 それに戦争と云つても、普通の兵隊さん見たいに、そんなに危いところへ出ないでも済むんでせう。少佐 それもさうだ。なに命は大丈夫だよ。(間)こつちへ残して行くものゝ世話は勿論引き受ける。お前に万一のことがあつても、心配はいらん。友吉 (黙つて頭をさげる)少佐 無理に引張つて行くわけにも行かんから、お前のいゝやうにしろ。友吉 ぢや、一つ、嬶に相談して見ます。少佐 それがよからう。だが、お神さんは、お前、女だぜ。友吉 へえ。少佐 行く方がいゝか、行かない方がいゝかつて云へば、行かない方がいゝつて云ふに定つてやしないか。お前がかうと決心をして、おれは行くんだと云つてしまへば、それを行くなとは云ふまい。日本の女は、そんな事は云はんよ。友吉 へえ。でも……。少佐 でも、なんだ。友吉 実は、さつきも一寸話をしましたんですが、なにしろあの女も、身よりはありませず、わたくしに行かれつちまふと……。少佐 だから、あとはこつちが引き受けると云つてるぢやないか。友吉 どうか一つ、そこんところを旦那からよろしくおつしやつていただきたいんで……あの女は、一度云ひ出したことは後へ引かない女で……。どうも、困つてしまひます。少佐 すると、お神さんは、お前が行く事を不承知なのか。友吉 それと申しますのが、かう申しちやなんですが、ああいふいきさつも御座いましたくらゐで、わたくしと致しましてもあとで、どんな短気な真似をされるかもわからないつていふ心配もあるんで……。少佐 そんなこともあるまい。今日、男といふ男は、みんな、妻子なり、親姉妹なりを残して、敵地に向はうとしてゐるのだ。お前の女房一人が、あとへ残るんぢやあるまい。さう訳がわからんでも困るな。それぢや、おれからよく訊いて見てやらう。夫人 それや、あん時はね、二人が一緒になれるかなれないかつていふ場合だつたから、死ぬの生きるのつていふ騒ぎをしたのだけれど、今度のことは、また別だわね。あたしが、大事にあづかつて、あげるわ、そんなことがないやうに……。友吉 へえ、恐れ入ります。何しろ、どうもあの気性で……全く、わたくしの手には……。(頭をかく)少佐 (笑ひながら)弱音を吐くな。自業自得だ。しかし、なかなか、睦じさうで結構は結構だが……。友吉 なんですか、ちつとかう、息が詰りさうなんで……。夫人 (笑ひながら)おやおや、随分ね、この人は……。少佐 数を呼んで御覧。夫人 (去る)少佐 おれを見ろ、おれを……。おれは誰にも相談なんかしはせんぞ。友吉 へ……。少佐 お前は、少し、女房の云ふことを聞き過ぎやせんか。友吉 それが、さうしませんと、あとが五月蠅いもんですから……。少佐 どう五月蠅いんだ。友吉 嬶は何時も、あたしのからだはあんたのもの、そのかはりあんたのからだはあたしのものつて、かう申しますんです。少佐 さうすると、主人はどうなる?友吉 へえ、そりや、もう、わたくしは、なんですが、まあ、二人つきりの時だと、さういふわけなんで……。夜、こちらからお暇が出ますと、それきり、煙草を買ひに行くことも出来ません。少佐 果報者だよ、お前は……。(間)しつかりしろ、しつかり……。なんだ、その面は……。
(此の時、夫人が、友吉の妻、数代をともなつてはひつて来る)
(数代、丁寧に会釈をする)
少佐 そんなに改まらなくつてもいゝ。そこで、あらまし話は聞いてゐるだらうが、今度、戦争がはじまつて、師団にも動員が下つたわけなんだが、知つての通り、将校はみんな馬丁を一人連れて行くことになつてゐる。おれは、友吉を連れて行かうと思ふが、お前に異存はないか。数代 (黙つて友吉の顔を見る)友吉 (その視線を避けて、顔を伏せる)少佐 今、友吉に話したところだが、友吉は、お前さへ承知すれば、行つてもいゝと云ふのだ。これが、われわれ兵隊なら、家内に相談も糞もない。それだけまあ、馬丁などは自由なわけだが、日本の男と生れて、この千載一遇の好機会に少しでも国家の為に働きたいと云ふ望みは、これは、誰しも一様なわけだ。数代 さう致しますと、行つても行かなくても、それは本人の勝手なんで御座いますか。少佐 まあ、さうだ。数代 それなら、宿は、お伴を致し兼ねます。少佐 そりや、どうして……。数代 別れるのがいやで御座います。少佐 たゞ、それだけか。数代 たゞそれだけで御座います。少佐 もう考へ直してみる余地はないか。数代 さきほどから、よく考へてみました、実は陸軍の馬丁が戦争に行かなければならないものか、どうか、わたくしどもにはよくわからなかつたので御座います。行かなければならないのなら、またそれだけの覚悟も御座います。ですけれど、只今のお話では、行かなくてもすむといふことで御座いますから、わたくしは行つて貰ひたくは御座いません。少佐 お前が行つて貰ひたくないと思つても、亭主が行くと云へば仕方があるまい。数代 そんな筈は御座いません。行くと申す筈が御座いません。二人の間に、話はもうちやんとついてゐるので御座います。友吉 しかし、なあ、数代、旦那もあゝおつしやるんだしさ……。いろいろ御世話になつた義理から云つても、お伴をしないわけにや行くまいと思ふんだ。数代 いまさら、あなた、なんですか。お世話になつたことは、またほかの方法で御恩がへしができるぢやありませんか。――あんたが戦争になんか行けるもんですか、人一倍臆病なくせに……。鉄砲の音を聞いただけで腰をぬかすでせう。友吉 冗談云ふない。そんなこたないさ。それに、馬丁は、危いところへは行かないんだとさ。数代 あたしがいやだつたら、仕方がないぢやないの。
(長い沈黙)
夫人 そばから余計な口を利くやうだけれど、どうだらう、数や……ほかの場合と違つてあたしらは、自分たちだけのことを考へてはゐられない時なんだからね。お前も一つ決心をしたら……? 友吉だつて世間への顔があるだらうからね。友吉 それがありますんで……。今日なんかも、隊で、仲間の奴らから、お前行くかつて聞かれましたが、無論行くつて云つてやつたくらゐです。数代 まだそんなことを云つてるの。さつき、あんた、なんと云つた、あたしに……。友吉 (ぐつとつまり、妻の顔を見た儘、もぢ/\してゐる)数代 今まで、二人のことでは、いろいろ御心配をかけました上に、かういふ時お役に立たないなんて、まつたく、人でなしとお思ひになりませうが、こればかりは、どうか、御勘弁を願ひます。もつとなんとか、お断りの致しやうも御座いませうが、なまじ作り事を申して、動きの取れない羽目になりますよりもと存じまして、あからさまなところを申し上げます。この人に行かれてしまひましては、わたくしもう生きてゐる甲斐は御座いません……。(急に袖を眼に押しあてる)少佐 わかつた、もうなにも聞く必要はない。お前は、それで女学校まで行つたと云ふのに、国民の義務と云ふことがわからんと見えるな。しかたがない。いま、わしが、それを教へてるひまはない。友吉も、よくよく運のわるい奴だな。これから、何処へ行つても、肩身のせまい思ひをするんだ。数代 そのことなら、御心配下さいますな。此の人に肩身の狭い思ひをさせて、わたくしが黙つてはをりません。世間はもつと広い筈で御座います。夫人 数や。口が過ぎはしないか。少佐 もういゝから、二人とも、あつちへ行け、そんな奴等と口を利くのも汚らはしい。今日かぎり、主従の縁を切るからさう思へ。友吉 相済みません。数代 致し方ございません。その覚悟だけはいたしてをります。御差支へなければ、宿は何処かで仕事の口を見つけ、わたくしは、こちらで、奥様の御手伝ひでもいたしたいと存じてをりましたが、それも御迷惑とあれば、二人ともお暇をいたゞきます。(間)では旦那さま、奥さま、お機嫌よろしう……。さ、あんたも御挨拶をなさい。友吉 (頭を下げる)夫人 お前たちは、さういふ風にしてこの家を出て行く気かい。あしたから、お馬の世話は誰がするんだい。友吉 (妻の方を見ながら)さうだ。明日の朝、鞍は誰が置く……。少佐 おれが自分で置く。出陣の鞍を置くのに、そんな意気地なしの手を藉りたくない。(憤然と起つて、奥に去りかける)数代 (キツとなつてその後を見送る)友吉 (満身の勇をふるひ起すやうに)旦那……。少佐 (後をふり返る)友吉 意気地なしとはなんですか。(声をふるはせ)わたくしは、命なんか惜しくはありません。わたくしも男です。そんな侮辱を受けるわけはありません。少佐 (故らに微笑を泛べ)よし、意気地なしと云はれて腹が立つなら、お前の根性もまだ腐つてはゐない。もう一晩考へろ。(姿を消す)夫人 まあまあ、お前も、さう角を立てない方がいゝ。旦那さまにして見れば、お前の態度を歯がゆくお思ひになるのは当り前さ。それや、お前達の立場は、わかつてゐるよ。あたしは、だから、もつと穏便に、今度のことはお願ひするやうにしたいと思ふの。数代 なんとおつしやられても、致し方御座いません。たとへこの人が意気地なしでも、わたくしに取つては、かけがへのない大切な夫で御座います、御主人御一人の御機嫌を損じたゞけで、夫の命を拾ふことができれば、こんなうれしいことは御座いません。夫人 さういふことは、云はなくつてもいゝことだわね。数代 いゝえ、奥さま方と、わたくし共とは、物を見る眼が違ふので御座います。立派な御身分の方々は、その御身分だけの気高いお心掛けがあるんで御座いませうけれど、さういふ御心掛けは、わたくし共にはわかりません。通用いたしません。わたくし共に取つて、名誉は紙屑と同じで御座います。陸軍の馬丁が、死んで神様に祀られると申せば馬が嗤ひます。夫人 しかし、お前……。数代 (夢中で)いゝえ、それだからと申すのでは御座いません。たとへ何百万円といふお金を積んでいたゞきましても、この人を戦争などに出すことはいやで御座います。戦争はおろか、一日別れてゐることさへ、わたくしにはできません。かう申してもおわかりになりますまい。(思ひ出すやうに)一度、二度、三度……別れるといふ悲しみは、もう凝り凝りで御座います。この人と一緒になつた時、今度こそは、どんなことがあつてもそばを離れまいと決心いたしました。(間)一度目の夫は、急病で、あつといふまに失くなつてしまひました。――この人が病気で斃れたら、わたくしもその後を追ふ覚悟をいたして居ります。(間)二度目の夫は旅先で女をこしらへ、行衛を晦ましてしまひました。――この人が旅へ出る時は、わたくしもきつとついて行くつもりでをりました。一身同体とまで申します間柄に、どうして別れるなどといふ悲しいことがあるんで御座いませう。きつと、それは、間違つてゐることに相違ございません。死んでも離れないのがほんたうで御座います。――奥さま、わたくしどもが、こんなことを申すのを、きつと可笑しくお思ひになりませう。夫人 (しんみり)口で云ふだけでなく、それがほんたうに出来る身分だから羨ましいよ。
(この時、襖を開けて、女中のよしが半身を現す)
よし 奥さま、あの、旦那さまがお呼びでいらつしやいます。夫人 それぢや、まあ、今日は、これで引取るといゝ。御暇をいたゞくにしても、穏やかにね、あとあとのこともあるんだから……。(女中と共に退場)友吉 あつちへ行かうか。数代 あんたも、云ふ時には云ふのね。友吉 当り前さ。侮辱されて黙つてる奴があるかい。主人だと思つてへえへえしてれや好い気になりやがつて……。数代 いゝぢやないの、なんとでも云はしとけば……。どうせこれから世話になるんぢやなし……。友吉 おれや、戦争がこはいんぢやねえ。数代 わかつてるわ。友吉 だけど、いまいましいな。世間はうるさいからな。数代 東京にゐなけりやいゝぢやないの。友吉 馬も可愛いしな。数代 あたしとどつちが可愛いの。友吉 (妻の顔を見てにやにや笑ふ)数代 どつちが可愛いのよ。友吉 (数代の頬を指で突つつく)数代 (その手を取り)それ御覧なさい。もう心変りをしちやいやよ。ぢや、きめたわね。(間)さ、はやく何処かへ行きませう。(急に明るい顔になり)大阪へ行かない、大阪へ……。大阪ならあたしの叔父さんがゐるわ……。きつと、どうかしてくれるわ……。ね、そうしませう。さ、はやく……。
(起ち上つて友吉を引き立てようとする。友吉は、なかなか起ち上らない)
――幕――