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モンテーニュの『随想録』を理解する上に、先ず第一に知っていなければならないことは、彼がどのように相対主義者であったかということであろう。私は次に様々な場合をあげて、彼がいかなる場合にも常に相対主義者であったこと、それが彼の知恵にも通ずるし、またそれが『随想録』の愛すべきパラドクスともなっていることを、示そうと思う。
先ず第一に彼が個人主義を説いている場合について考えて見よう。まったくモンテーニュの「我」(moi)は最も有名であり、彼こそ自己について語った最初の著者であると従来一般にも信じられているし、また彼自らもその『随想録』のあちこちに、自分こそこの本の内容なのだとか、他にこれという主題もないからわたしは自己を唯一最大の主題としたので、唯この点でこそ自分の著作は天下に唯一つのものなのだとか、称している。だが文学史家の解説だとか選文集の中に抜萃された断片的文章だとかではなしに、『随想録』の全三巻を通読し熟読した上で気がついて見ると、果してモンテーニュは言われるように徹底した個人主義者であったろうか? 伝説化されているようなエゴイストであったろうか? 『随想録』の中には彼の「我」以外のものが案外色々と豊かに含まれていはしないか? その両方を、彼が得意とする天秤ばかりにかけて見たら、一体どっちがさがるだろうか?――こう考えて見ると、事は決して簡単に割りきれないのである。
もっとも、謎につつまれているのはモンテーニュとその著作ばかりではあるまい。およそ大思想家大芸術家と呼ばれる程の人ともなれば、誰でもそう簡単に割り切れるものではない。例えばラブレにしても久しいこと荒唐無稽な謎であったのだし、『メモワール』の著者サン・シモンにしても、唯宮中席次ばかりやかましく言いたてる封建貴族の末裔とばかりきめつけてしまうわけにはゆくまい。後世の学者たちの間に様々な異論をまきおこさずにはやまないということほど、その作者にとって光栄千万なことはないのだというようなことを、ヴァレリーもどこかで言っていた。性格学の専門家であるコルマン博士(Dr. L. Corman)なども、「一般に天才人は、明確に限定された何かの性格類型の枠内に(dans un type caractrologique nettement dfini)はめこむことが出来る場合の方がむしろ例外的である」と言っている。モンテーニュなどは特にそう思われる。自己の観察分析にあれ程綿密で熱心だったモンテーニュ自ら、おのれの性格を、気鬱性(humeur mlancolique)であると共に癇癪もち(cholrique)でもあると認めている。それにこれらの人々は、いずれもその感想その意見を、教科書や学術論文におけるように、明確に、理路整然とばかりは、述べていない。むしろさりげなく、様々な観察や経験の間に、ほのめかしたり洩らしたりしているのである。
まったくモンテーニュという人は、独自の思想体系を編み出して一学派の創始者になろうとか、新しい宗教を宣布してその開祖になろうとか、少しも考えたことがなかった。彼ははじめ、ただ自分自身のために、その日その日の観察なり感想なりを記しつけて、気ばらしとも楽しみともしたにすぎないのであるし、特に自分の moi をその研究思索の出発点としたのであるから、やがては一般読者をも意識するようになり、さらにはその moi を踏み越えてはるかに遠い所まで達したにせよ、後世の個人主義者たちが、彼を自分たちの開祖と仰ぎ先駆者と認めたことは、きわめて当然のことと言わねばなるまい。事実、彼の作品は、「その著者と質を同じくする書物」(livre consubstantiel son auteur)といわれる程に、そこにはきわめて豊かな感受性を持った著者が、世のあらゆる問題にふれてはそれに敏感に反応する時々刻々の姿をのぞかせているのであるから、すなわちそれは教科書でもなければ学術論文でもないのであるから、――むしろそれは日付こそなけれ彼の内観内省の日記(journal intime)とでも言うべきものなのであるから、――当然モンテーニュは、世の常の著者のように三段論法の枠にはまる必要はなかったので、そこには分類だの整頓だのが本来あろう筈はないのである。だがしかし、さればと言って、それは決して混沌でも撞着でもない。やっぱりそこには一本筋がとおっている。一体それはどういう筋であろうか? それは彼の相対主義(relativisme)とでも言うべきものである。それは中庸であり公平であり良識である。たとえば、彼はいつも真実の探求と実生活に対する勧告との間に、はっきりとけじめをつけている。真理の探求ということにかけては彼はいつも radical であってとことんまでゆかねば気がすまない。すこぶる大胆で奔放である。ところが、さて人に勧告をする段になると、彼は決して度をはずすことがない。常に慎重であり賢明である。このことはモンテーニュの思想を理解する上に、先ず第一に忘れられてはならない肝心なことの一つだと思う。よしんば彼のうちに個人主義者と社会主義者とが共存するにしても、革新家と保守家とが並存するにしても、それらは混沌として並存するのではなく、秩序を以て共に在るのである。絶対というものを絶対にもたず、絶対は本来人間には到底つかまえられないものだという彼の相対主義が首肯されるならば、いうところの「モンテーニュの矛盾」(contradiction de Montaigne)は、もはや彼の思想の欠陥ではなくて、かえってモンテーニュの知恵として理解されるのである。
それにもう一つ、『随想録』を理解する上に忘れられてならないことは、モンテーニュは逆説が大層お好きであり、『随想録』の基調をなすものはそのパラドクスであるということである。それは「読者に」と題する唯の一頁にも満たない彼の序文を見ただけでも、十二分に理解される。彼は先ず、この本はまったく嘘いつわりのない、正直一途の書物なのだと言明してから、自分はこれを唯自分のため、自分の親族朋友のためだけに書いたのだという。こんなつまらん本のために貴重な時間をつぶされるのはおやめになった方がよいと言って、最初から読者大衆に向って「では、さようなら」adieu donc!と言う。うそいつわりのない本だと言うからには、読者大衆を目ざして書かれた本ではないのだと言うこともうそではない筈である。この二つの真実は、一方を立てれば一方が立たない。まさしくそこには逆説の響きがあり、内部の矛盾を露呈している。だが、この逆説の意味を本当に理解し、又その面白さを味わい取るのでなければ、この『随想録』という本の読者たる資格はない。実際我々は本文を読みすすめてゆくと、彼が読者大衆に向って語りかけていることは明白であって、そこには一抹の疑いもありえない。だが同時に、著者は少しも一般大衆に媚びへつらってはいない。モンテーニュは独立独歩、自由気儘に言いたいことを言っているのであって、読者の気に入ろうが入るまいが少しもかまってはいないのだ。だから、彼が読者を無視していることも真実なのである。一見嘘を言っているようであって、真実以上のことを言っているのである。こういうのを本当のパラドクスと言うのだ。このことを一九六三年の第一回国際モンテーニュ学会で、オランダのライデン大学の学長たるセム・ドレスデン教授は「モンテーニュの逆説的正確(prcision paradoxale de Montaigne)」と題する講演の中で述べている。「『随想録』の雰囲気は逆説調である」le climat des Essais est paradoxalと言った教授の言葉は、確かにモンテーニュの思想を解明する上に、忘れられてはならぬ第二の鍵であると思う。
まったくこの逆説趣味はモンテーニュが持って生れた好みなのである。ちょうど碁や将棋が好きだというように、彼は逆説を言うのが、洒落や警句を吐くのと同様に、いかにも面白くて愉快でたまらない、といった風である。物事を正面きってアカデミックに論証することは、すべてのスコラ学がきらいな彼にとっては、むしろ野暮臭くてできないのである。あの有名な「レーモン・スボン弁護」という堂々たる長篇にしても、それはフランス王国第一級の貴婦人のために書き始められたのであり、しかも信仰という敬虔な重大な問題を論じたものであるが、やはりそこには逆説もあれば反語もある。いわんやその他の諸章となると、某の貴婦人に献呈されたものであっても、いつも気ばらしのために、楽しみ慰みとして書かれている。『随想録』という本はそんな不まじめな本なのかと言われるかも知れないが、まじめな内容を持っていればいるだけ、そこに逆説や冗談があることは少しも妨げとはならず、むしろ読者を疲労から救うことにも役立つ。とにかく、モンテーニュが本気で言っているのではなく冗談に言っていることまでくそまじめに取りあげるのは、畢竟洒落のわからぬ野暮な男ということになる。彼自らあるところでこんな告白をしている。
誰でもばかを言うことは免れない。困るのはそれを念入りにやられることである。……だがわたしはちがう。わたしのはいかにも愚論らしくうっかり唇をもれるのである。だからはなはだ始末がいい。少しでも困ればあっさり捨てる。つまりわたしは、愚論は愚論として買いもし売りもするのである。(第三巻第一章、以下三の一のように略述)
要するに、モンテーニュは年がら年じゅうふざけているわけではないが、どんな問題に対しても常に心のゆとりを失わないのである。問題が重大であればあるだけ、あわてて結論をつけたり、それを人におしつけたりしないのである。いつも四方八方から問題に照明を与えて、巧みに読者を自分の結論に向って歩ませようというのである。彼がいつも宙ぶらりんではっきりと割り切らないのは、彼に決断がないからではなく、物事をその表面の付帯的な事象によって速断しまいとするからであって、矛盾した様々な事柄を面白おかしく並べたてながら、物事の本質核心にふれさせようと思えばこそである。相対主義は彼の思想の深さであり、独断論や狂信に対抗する彼の信念であるし、逆説や冗談は、彼が最も抽象的な事柄をさえ常にイメージを通じて語ったことと共に、彼が単なるイデオロギーの遵奉者ではなくて、大きな芸術家詩人であったこと、思想の達人であったことの、最もいちじるしい証拠である。
第一巻第三十六章「着物を着る習慣について」という章の中で、モンテーニュはその頃新世界からつれてこられた野蛮人たちの裸姿を見てびっくりし、始めはいかにも哲学者らしく、いたくまじめに、次のように考えたり書いたりしている。
……この節は大分寒くなったので、わたしはふと考えてみた。あの近頃発見された諸民族の裸で歩きまわる習慣は、インド人やモール人の場合と同じく、気候が暑いために余儀なく生じたならわしなのか、それとも裸形こそ人間本来の姿なのであろうか、と。この天が下なるよろずの物は、聖書にあるとおり、ひとしく同じ掟に従うべきものなのであるから、分別ある人々はこのような問題を考察するに当っても(そこでは自然の法則と人間の法則とは区別せらるべきであると思うが)、やはり、絶対インチキのありえない宇宙全体の秩序に、訴えるのを常とした。ところで、我々を除くすべてのものは、その生命を保つために網だの針だのをちゃんと備えているのに、我々ばかりが不完全な貧弱な状態の下に産み出され、他物の助けなしには自己を保存してゆくことができない有様だということは、まったく信じられないことである。だからわたしはこう考える。「禽獣草木、その他生きとし生けるものが、みな生れながらに気候の暴威をふせぐに十分なる外皮を備えているように、……我々ももともとはそうであったのだが、人工の光をもって太陽の光を消すものがあるように、我々もまた借りた能力を以て我々固有の能力を無くしてしまったのである」と。いや、不可能でないことを不可能にしてくれたのも習慣だということは、わかりきったことだ。まったく着物というものを知らないあの諸民族の中にも、我々の気候と同じ気候の下におかれているものだってあるのである。それに我々の最もデリケートな部分は常にむき出しになっているではないか。(c)眼・口・鼻・耳はみなむき出しではないか。わが百姓たちは、わが祖先と同様、胸や腹までまる出しにしている。(a)我々はスカートやズボンをはくように生れついたにしても、自然が季節の暴威にさらされる部分をいくらか厚い皮で武装してくれていることも、疑ってはならない。現に我々の指の先や足の裏などはそんなふうになっているではないか。(一の三十六)