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福沢諭吉 ペンは剣よりも強し
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福沢諭吉 ペンは剣よりも強し
高山毅
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 9 of 21

家老のむすこのわるぢえ

諭吉が長崎へきてから、一年あまりたったときでした。中津の藤本元岱という、医者をしているいとこから、とつぜん手紙がとどきました。

「お母上さまが、おもい病気になられました。すぐかえってこられるように。」

といういみの手紙でした。よんでいく諭吉の顔からは、みるみるうちに血のけがひいていきました。

兄さんの三之助は、なくなったお父さんとおなじように、大阪のくらやしきにつとめており、三人のおねえさんはみなよめ入りして、ふるさとの中津のうちには、年をとったお母さんのお順が一人いるだけなのです。

それにしても、あんなにじょうぶなお母さんが、いったいどうなさったのかと、うそのようにおもわれてなりません。けれども、どうじに、一人心ぼそくねておられるお母さんのすがたをおもうと、諭吉は、じっとしていられないほどでした。その手紙をくりかえしよんで、諭吉は男なきになきました。

ところが、ふと、いとこからは、もう一通の手紙がきていることに気がつきました。それをいそいでよんだ諭吉の顔には、血のけがよみがえってきました。

「お母上さまのご病気というのは、うそです。じつは、こういうわけがあって……。」

と、その手紙には、つぎのようなことがかかれていました。

それは、奥平壱岐のしくんだひきょうなはかりごとだったのです。諭吉が長崎へきたとき、壱岐はおなじ中津のものだというので、めんどうもみてくれたし、なつかしがりもしました。けれども、自分よりも身分のひくい諭吉が、勉強がどんどんすすんでいき、ひょうばんのよくなっていくのをみて、これでは、自分のねうちがさがってしまうとおもいこみました。

なんとかして、諭吉を長崎からおいだしてしまおうとかんがえて、そのことを中津の父親にしらせてやったのでした。父親というのは家老ですが、自分のむすこにたいしてはとてもあまい親ばかでしたから、諭吉のいとこ藤本元岱をよびつけて、

「諭吉が長崎にいては、せがれ壱岐の出世のじゃまになるから、中津へよびもどしてくれ。ただし、そのりゆうには、母が病気だといってやれ。」

と、きびしいめいれいです。家老じきじきのめいれいですから、ことわるわけにいきません。

「かしこまりました。」

とこたえて、諭吉のお母さんにも話をして、そうだんのけっか、おもてむきは、家老のめいれいどおりの手紙をかいて、もう一通には、このいきさつをかいて、

「ほんとうは、お母さんは元気ですから、けっして心配するな。」

とかいてやったのでした。

これをよんだ諭吉のむねは、いかりのために、ばくはつしそうになりました。

(なんというひきょうなわるぢえだ。よしっ、この手紙をみせて、壱岐をとっちめてやろう。)

と、いちじはかっとなりましたが、

(いやいや、まてよ。いま、ここでけんかをしたところで、身分がちがうから、こっちがまけるにきまっている。それに、壱岐だって、それほど悪人ではないのだ。)

と、ぐっとがまんをしました。

(けれども、こういうことをきいては、この長崎にもいたくない。お母さんがお元気なんだから、中津へかえることもない。どうすればよいか。)

と、さんざんにかんがえこんだすえ、

(そうだ、江戸へいこう。江戸にも、りっぱな先生がおられるはずだ。)

こう決心した諭吉は、なにもしらないふりをして、壱岐のところへ、おわかれのあいさつにいきました。

「じつは、中津のいとこから、母がきゅうに病気になったから、すぐかえってくるようにとしらせてまいりました。ふだんは、いたってじょうぶなほうでしたが、わからないものです。いまごろはどういうようすでしょうか。とおくはなれていますと、気になってなりません。」

と、心配そうに、いろいろのべたてますと、壱岐も、さもおどろいたような顔をして、

「それは、きのどくなことじゃ。さぞ心配であろう。とにかく、一日もはやくかえったほうがよかろう。しかし、母上の病気がなおったら、また、長崎へこられるようにしてやるから。」

と、なぐさめ顔にいうのでした。

「それでは、おさしずどおり、さっそく国へかえりますが、お父上さまにおことづてはございませんか。いずれかえりましたら、お目にかかります。また、なにかおとどけする品物がありましたら、もってまいります。」

と、一どわかれをつげて、つぎの朝、またいってみますと、壱岐は自分の家にやる手紙をだして、これをやしきへとどけてくれ、それからお父上にあったら、これこれつたえてくれといい、またべつに、諭吉のお母さんのいとこにあたる大橋六助という人にあてた手紙をとりだして、

「これを大橋のところへもっていけ。そうすると、きさまがまた長崎へでてくるのにつごうがよいだろう。」

といって、わざとその手紙にふうをせずに、あけてみよといわぬばかりにしてありますから、

「なにもかも、いさいしょうちいたしました。」

と、ていねいにわかれをつげました。うちにかえって、ふうなしの手紙をあけてみますと、

「諭吉は母の病気につき、どうしても国へかえるというから、しかたなしにかえらせるが、まだ勉強のとちゅうの身のうえだから、また長崎へでてくることができるように、そちが、よくとりはからってやれ。」

というもんくです。諭吉は、これをみて、ますます、しゃくにさわりました。

(いまごろは、けいりゃくがうまくいったと、とくいになっているにちがいない。このさるまつ壱岐のあだ名めっ、ばかやろう。)

と、はらの中で、さんざんののしりました。けれども山本先生にも、ほんとうのことはいえません。もし、この話がわかって、奥平というやつはひどいやつだというようなことにでもなれば、わざわいはかえって諭吉の身にふりかかって、どんなめにあうかしれません。それがこわいので、

「母が病気になりましたので、中津へかえらなければならなくなりました。」

といって、いとまごいをしました。

Chapter 9 of 21
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