23 美しい紙と きれいなブルーのリボンで 愛しい プレゼントを包もう
〈プリティ・ペイパー〉
ロイ・オービスン
慶一の心づもりでは、この電話は一分もかからないはずだった。用件は、あすの帰宅はすこし遅くなる、というだけのことだから、長くなりようがない。
母親というのはそういうものなのだろうが、風邪をひいていないか、ケガをしていないか、ちゃんと宿題をやっているか、あしたの夕食はなにを食べたいか……などといっているうちに、売店で両替した十枚の十円玉は、すべて赤電話にのみこまれてしまった。
「ねえ、ここには二台しか電話がなくて、待ってる奴もいるの。もう、切るからね」
赤電話を増やすべきだ、という母親をなんとかなだめ、受話器をおき、十円玉が一枚も落ちてこないのをたしかめ、大きくため息をつく。
めずらしいことに、テレビもついていないし、ステレオのまえにもだれもいない。面白そうなことはなにもないので、慶一はまっすぐ自室に帰ることにし、サロンを出た。
階段に足をかけた慶一は、事務室から令子が出てきたのを見て、ヤッタとつぶやき、きびすを返した。
「うちから電話かなんか?」
「ええ。ちょうどよかった」
「ぼくに用? じゃ、テラスかな?」
令子とならんでサロンのまんなかを歩くのは、さすがに気がさし、慶一はひとりで足早にサロンを通り抜け、テラスの手すりに歩みよった。
まだ、令子はサロンのまんなかあたりを、ゆっくりと歩いている。
手すりを背にして、令子を見ていた視線をあげると、東棟が目に入った。二〇二のヴェランダが見える。ということは、高志が外に出てくれば、こっちが見えるということだ。
令子がスライドドアを通り抜けたのを一瞥し、慶一は空いているテーブルにむかって歩きながら、二〇二が視界からはずれるのをたしかめた。
「どうしたんですか」
と、令子は慶一の視線を追った。
「ううん、なんでもないよ。坐ったら?」
慶一はじぶんのまえのイスをひき、令子もサロンを背にしたイスに手をかけた。
「なにか、飲み物でも買ってこうようか?」
などというまえに、そもそも買っておけばよかったんだと、慶一はじぶんの不手際をくやんだ。
「いいえ。すぐに九時でしょう」
「そうだね。……それで、エーと、なんか……」
令子を見るかと思うと、すぐにサロンの入口に視線を走らせたりで、慶一は落ちつかない。
「それが、いま母と話していたんです」
「ワラの奴、入寮のときにお母さんを見てから、ファンになったんだってさ」
令子は小さく笑い、慶一はすこしだけ安心した。どうも、きょうの令子は屈託ありげだ。
「競争相手が多いから、たいへんだって、ワラさんにいっておいてください」
「へえ。そういっておくよ」
といってから、慶一はギョッとした。どういう意味だろう。
「それで、あさってのことなんですけど……」
じぶんが、サロンの出入りを見張るのに好都合なイスを選んだため、令子のほうは光を背にするかっこうになり、表情が観察できず、慶一はイライラした。
「どうかしたの?」
「ごめんなさい。あの、わたし、いかれそうもないんです。母が用があるって……」
「そんなあ」
じぶんの声が、失望を通りすぎて、非難の響きをもってしまったのに気づき、慶一はすこし後悔した。
「ほんとうにごめんなさい」
深く失望するいっぽうで、慶一はこうなるような予感があったのに思いあたった。ものごとというのは、そういうものだ。なにもかも、思いどおりに実現するわけがない。
「わかった。それで、どうすればいい。注文する? それとも……」
「もし、慶一さんがいってくれるなら……」
「いいよ。あの絵があれば、注文できるから、ひとりでいってくるよ」
「そうしてくれると、すごく助かります」
令子の声に明るさがもどっただけで、慶一は満足した。
「じゃあ、注文はそれでいいとして……」
「わたし、包装紙とリボンはもってます。だから、あとのことは大丈夫です」
「そう。じゃあさ、つぎのつぎの日曜の夕方までに、令子ちゃんにわたすよ」
高志にわたすまでには、まだいろいろと令子と接触しなければならないわけだ。それなら、百点満点ではないが、零点というわけでもない。
快晴のわりにはあまり気温もあがらず、池のまえにひろがるこの芝生の斜面は快適だ。
高志はさっきから、昼休みの歌声喫茶化を、あれこれ批判している。話ができない、すぐれた曲の悲惨なカヴァーは耐えがたい、こういう場面はガキのころ、最低の邦画でよく見かけた、などなど。
それにもめげず、逆PPMとでもいうべき構成の、郁子・知子&柾生は、〈サムタイム・ラヴィン〉を最後まで歌いきった。
郁子というのは、知子とおなじ部屋の子で、慶一の部屋の一年生、嶋野の双子の妹だ。いつも笑みをたたえているような目がかわいい。当然、二卵性双生児というわけだが、それにしても、ぜんぜん似ていない。
ワラが彼女にアプローチをかけているが、慶一の観察では、郁子は高志に気があるようだ。妙なことにならないといいが。まあ、高志は超然としているので、とうぶん心配はないだろう。
そろそろかな、とタイミングをはかって、慶一が目配せすると、高志のむこうに坐った令子が、微笑みで返事をする。じゃ、いってみるか。
「柾生、あの曲」
と、慶一が柾生に片目をつぶってみせ、高志をのぞく全員が、サインを見落としていないかどうかを確認した。世の中には、九回裏に同点のスクイズのサインを見落とす奴もいる。
「おれに、歌詞カードをわたすなよ。ロシア民謡なんか、ションベンひっかけてやる」
慶一のたくらみには気づかず、高志はまた、歌声喫茶批判をむしかえした。
「ざんねんでした。歌詞カードなんかなくたって、この曲はだれでも歌えるの」
と笑いながら、柾生がオープンGを押さえ、五弦から順にシレソと弾く。
ただコードを分解しただけの、なさけないヴォーカル・アレンジだが、いちおうコーラスの練習をしたので、各パート(といえるようなものではないが)の音をあたえたわけだ。
柾生は、もういちどシレソを弾いてから、ピックガードを二回叩き、タイミングを出した。
「ハピー・バースデイ・トゥー・ユー、ハピー・バースデイ・トゥー・ユー」
さすがにじぶんの名前を歌われるまえに気づき、高志は片ひじをついた態勢から起きなおり、
「つまらねえこと考えやがって、おまえだな」
と、慶一をにらみつけたが、慶一は笑いながら「トゥー・ユー」まで歌いきった。
一時五分まえの予鈴が鳴り響く。
拍手を終わった女の子たちが、さきに立ちあがり、スカートをはらった。芝生は青々としているので、葉っぱがつくわけではないが、とにかく、それが彼女たちの手続きだ。
「これで終わったと思ったら大まちがい、ヒットエンドランなんだぜ」
といいながら、慶一は令子を見る。
うなずいた令子は、これ以上はない笑みを高志に投げかける。ふと、嫉妬のようなものを感じて、慶一は令子の横顔を見つめた。
「お兄さん、お誕生日おめでとう」
令子は「お」を頭韻のように使いながら、無愛想な茶色の紙袋から、赤いリボンをかけた、あざやかな群青色の紙包みをとりだし、高志にさしだした。
「なんなんだよ、こんな大げさにしやがって。おまえも慶一の共犯か」
高志はぶっきらぼうにいって、令子と、そのブルーの包みを見くらべている。
慶一はニコニコしながら、めったに見られない、高志のマヌケな表情を楽しんでいた。
もう、校舎にむかって歩きだしていたワラと山崎が、どうしたんだ、という顔でふりかえる。
「ありがとう。なんだ、これは。あけていいか」
気をとりなおして、高志は包みを受けとり、ていねいにリボンをほどき、テープをはがした。
困惑した表情で中身を見るだけで、高志はプレゼントにさわろうとしない。
「かぶってみたら。帽子なんだから」
と、慶一が笑う。気に入ってくれるといいのだが、いまのところ、なんともいえない。
高志は慶一を一瞥し、包み紙を手わたし、濃紺の帽子をたたいてひろげた。ひたいの部分の刺繍をゆっくりながめ、それから頭にのせる。
「うしろのとこで調節して。いちおう、フリーサイズなんだけど」
慶一が心配そうにいった。
帽子をとり、サイズを調節し、またかぶりなおし、頭をゆっくりと左右にふって、慶一と令子にじぶんの姿を見せ、高志は照れくさそうに笑った。
ひたいのところに、金糸や、赤、青、白の糸で刺繍がしてある。円形の金色の縁どりのなかに、文字があるデザインだ。上半分には、円周の内側に沿って、大きく「KWTS」とあり、中心の金色の小さな円の左側には “Side A” 右側には “45 RPM” 下には、まず “TAKASHI” とあり、その下に “You Baby” と金糸で縫いとってある。
これは、いちおう、レコードのレーベルを図案化したつもりだ。KWTSがレーベル名、高志の名前がアーティスト名、〈ユー・ベイビー〉が曲名という趣向になっている。
高志はまた帽子をとって、「レーベル」をしげしげとながめ、小さく笑った。
「サンキュー。おまえらふたりのプレゼントだな」
令子と慶一がうなずいた。
「気に入った?」
「ああ、もちろんだ」
うれしそうに、令子がかたわらの慶一を見た。
とにかく、よかった。高志のお気に召さなかったら、面目丸つぶれのところだった。
三人のところから離れて見ていたワラが、ニコニコしながらよってきた。
「すごいじゃない。ぼくのぶんはないの?」