一
「親分、お願いだ。ちょいとお御輿を上げて下さい」
八五郎のガラッ八は額際に平掌を泳がせながら入って来ました。
「何を拝んでいるんだ、お御輿は明神様のお祭りが来なきゃ上がらねえよ」
銭形の平次はおどろく色もありません。裏長屋の狭い庭越しに、梅から桜へ移り行く春の風物を眺めて、ただこうぼんやりと日を暮している、この頃の平次だったのです。
「三河町の殺しの現場へ行ってみましたがね、何しろ若い女が四人も五人もいて、銘々勝手なことを言うから、いつまでせせっていたって、眼鼻は明きませんよ」
ガラッ八は頸筋を掻いたり、顔中をブルンブルンと撫で廻したり、仕方たくさんに探索の容易ならぬことを呑込ませようとするのです。
「八は男っ振りが良すぎるからだよ。岡っ引は醜男に限るってね」
「そうでもありませんがね。何しろ右から左から、胸倉まで掴んであっしを物蔭へ引張って行って自分の都合のいいことばかり言うんでしょう」
「いい加減にしないかよ、馬鹿だなア」
「ヘエ――」
「惚気なんか聴いてるんじゃない。サア、案内しな」
「ヘエ――」
「せっかくお前の手柄にさせようと思ってやったのに、仕様のない奴じゃないか」
平次は小言を言いながらも、手早く身支度をして、ガラッ八と一緒に外へ出ました。
まだ三十前といっても、平次とあまり年の違わない八五郎に、一と廉筋の立った手柄をさせて、八丁堀の旦那方に顔をよくした上、手頃な女房でも持たせて、一本立ちの岡っ引にしてやろうという平次の望みが、いつもこういった愚にもつかぬ支障でフイになってしまうのです。
平次は途々八五郎の説明を聴きました。
「三河町の奈良屋三郎兵衛っていうと、親分も知っている通り、公儀の御用を勤めるたいそうな材木屋だが――金に不自由がなくなると、人間はどうしても放埒になるんだね。お蔭様でこちとらは――」
「無駄を言うな、奈良屋三郎兵衛の放埒がどうしたというのだ」
「放埒は倅の幾太郎の方ですよ。二十六にもなるが、遊びが好きで可愛らしい許嫁があるのに祝言もせずにまだ独り者だ。あんまり羽目を外して、親父の大事なものまで持出し、とうとう座敷牢のように拵えた厳重な囲いの中に打ち込まれていたが、ゆうべその囲いの中で脇差で突っ殺された者があるんで」
「フーム、変った殺しだな」
「ところが、変っているのはその先なんで、囲いの中で殺されていたのは、倅の幾太郎と思いきや」
「思いきやと来たね、お前いつからそんな学者になったんだ」
「へッ、学者はあっしの地ですよ」
「無筆は鍍金だったのか、そいつは知らなかった」
「からかっちゃいけません。とにかく、けさ囲いの中で、人間が殺されているのを見付けたのは下女のお仲、二十五六のこいつは良い年増ですよ」
「無駄が多いね、早く筋を通しな」
「下女のきりょうも筋のうちですよ。ともかく、大騒動になって、血だらけな死骸を引起してみるとそれが、倅の幾太郎と思いきや――てんで」
「また思いきやか。お前の学はよく解ったよ、先を申上げな」
「手代分で店の方をやっている従兄の梅吉という男が囲いの中で殺されて、倅の幾太郎は影も形もない」
「フーム」
「驚くでしょう、こいつは。あっしのところへ知らせて来たのは、まだ夜が明けたばかりの時だ。親分へ伝言をやって、叔母さんに朝のお菜を頼んで飛んで行ってみると――」
「合の手が多過ぎるよ、叔母さんなんか引っ込めて話を運びな」
平次も少しジレ込みました。ガラッ八の話術で展開する筋は、なかなか面白そうです。
「若い女が多勢いて、銘々自分だけ良い子になろうと弁じ立てるから、手の付けようがねえ。親分の前だが、女は苦手だね」
「何をつまらねエ、向うでもそう言っているよ、岡っ引は苦手だ――とね」
「へッ、違えねえ」
「ところで、倅の行方はそれっきり知れずか」
平次は少し真面目になりました。
「皆目解らねえ」
「囲いの戸は開いていたのか」
「大一番の海老錠がおりていたそうですよ」
「鍵は?」
「旦那の三郎兵衛が持っていたはずだが、それは表向きで、懲らしめのための窮命だから、鍵はツイ廊下の柱にブラ下げてあるそうですよ」
「その鍵はあるだろうな」
「ないから不思議で」
「なるほどそいつは面白そうだ」
「だから親分を誘い出しに来たんですよ」
「恩に着せる気なら俺は帰るぜ」
「あっ、あやまった。親分、せっかくここまで来たんだから、まずチョイト覗いてやって下さい。若い女が五六人いて銘々良い子になる気だから、そりゃ賑やかな殺しですよ」
「賑やかな殺し――てえ奴があるかい」
そんな事を言いながら、平次は八五郎の導くままに、奈良屋三郎兵衛の豪勢な店先に立っておりました。