Chapter 1 of 6

八五郎の顔の広さ、足まめに江戸中を駆け廻って、いたるところから、珍奇なニュースを仕入れて来るのでした。

江戸の新聞は落首と悪刷りであったように、江戸の諜報機関は斯う言った早耳と井戸端会議と、そして年中どこかで開かれている、寄合い事であったのです。

「お早うございます。良い陽気になりましたね、親分」

八五郎といえども、腹がいっぱいで、でっかい紙入に、二つ三つ小粒が入っていると、こんな尋常の挨拶をすることもあります。

「たいそう機嫌が良いじゃないか、――お前の大変が飛び込まないと、――今日は大きな夕立でも来やしないかと、ツイ空模様を見る気になるよ」

「ヘッ、天下は静謐ですよ、――親分におかせられても御機嫌麗わしいようで」

「馬鹿野郎、御直参見てえな挨拶をしやがって」

「親分の縄張り内はろくな夫婦喧嘩もねえが、三輪の万七親分の縄張りには、昨日ちょいとしたことがあったそうで」

「チョイとしたこと――というと」

平次に取っては、八五郎の『大変』よりは、この『チョイとした事』の方に興味を惹かれるのです。

「橋場の金持の息子が、土左衛門になったんで、いっこうにつまらない話で」

「まだ桜が散ったばかりだぜ、――泳ぎには早いし、金持の息子が、身投げするのも変じゃないか」

平次はこの短い報告の中から、幾つかの腑に落ちない点を見出して居るのです。

「あっしも、変だと思ったから、昼過ぎに覗いて見ました。死んだ息子の親許の、橋場の伊豆屋ものぞいて見ましたがね――」

「待ってくれ、橋場の伊豆屋の伜が水死したというのか、そいつはお前、大した金持の子じゃないか」

その頃は江戸八百八町と言っても、人口にして百万に充たず、有名な物持や大町人や、筋の通った家柄は、御用聞の平次ならずとも大方諳んじていたのです。

橋場というところは、いちおう江戸の場末のようですが、吉原という不夜城を控え、向島と相対して、今戸から橋場へかけて、なかなかの繁昌であったことは想像に難くありません。

その橋場の中ほど、銭座寄りに、伊豆屋は質両替の組頭として、古い暖簾を掛けておりました。

「大した金持なんですってね、こちとらには付き合いはねえが」

「当り前だ。――尤も、伊豆屋の名前は聴いているが、主人は何んと言うか、伜はどんな男か、お前の言い草じゃねえが、俺も付き合いはねえ」

「主人は、因業で禿げ頭で、恐ろしく達者で、釣が好きで、五十年輩の徳兵衛。伜は菊次郎と言って、芝居の色子見たいな二十一の好い男、青瓢箪で、鼻声で、小唄の一つもいけて、女の子には持てるが、飯の足しになることは一つも出来ない」

「たいそう悪く言うぜ、怨みでもあるのか」

「質を置きに行って断られたわけじゃないから、恩も怨みもありゃしません、――その色息子の菊次郎が、自分の家の潮入の池から笹舟のような小さな釣舟を漕ぎ出し、隅田川の真ん中で引っくり返して、舟は両国の中程の橋桁に引っ掛けて居たが、本人は土左衛門になって、百本杭で見付かった」

「それは気の毒な」

「死んで見れば気の毒見たいなもので、そのうえ菊次郎には許嫁の娘があったんですよ」

「フーム」

「伊豆屋に引取られて、あっしもちょいと逢って来ましたが、とんだ良い娘でした。近いうちに祝言させることになっていたが、息子の菊次郎はそれを嫌って、向島あたりの凄いのに通いつめ、父親の伊豆屋徳兵衛は腹を立てて、押し籠め同様にしているという噂でした」

「よくあることだな」

「向島の凄いのは、あっしも見ませんが、許嫁というのは、伊豆屋の主人が若い時世話になったとかの武家の娘で、孤児になったのを、五年も前から引取って育てたということでした」

「フーム」

「少し武家風かも知れないが、それはそれは良い娘でした。あの娘を嫌ったりして、罰の当った話じゃありませんか」

「若い男と女が、いっしょに育ったりすると、反って兄妹見たいな心持になってしまって、夫婦の情は湧かないものらしいな」

「いっこうつまらねえ話でしょう。伊豆屋の若旦那が土左衛門になったと聴いて、橋場まで行って見ましたが、三輪の親分が睨め廻しているから、諦めて返りましたよ。いちおう両国へ廻って、死骸も見ましたが、両国の水除けか橋桁でやられたようで、首のあたりにひどい打撲のあとがありましたが、たったそれだけでたいしたことはありませんよ」

八五郎の報告はたったそれだけ、何んの変哲もなく話を結びました。

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