Chapter 6 of 9
大津絵雑感
木村荘八先生は自ら三絃を取上げられ雨の夜ににつぽんちかくと……」云ふ異国情緒の大津絵を謳はれるが、私も好んで酒間、いろ/\の大津絵を謳ふことが寡くない、あの節調の中には江戸世紀末の悲哀が、深く美しく滲みだしてはゐるからである。
先日、故飯島花月翁の大津絵に関する小研究を読んだら、翁は「松の葉」にある大津絵踊りをその起原とされてゐる吃の又平かいたる大津絵、みな/\抜けたア」と謳ひだす梅坊主一座の俗曲を、子供のじぶん私は片面盤のレコードで持つてゐたが、その節は大津絵ではなく、むしろ「桃太郎」にちかいものであつたやうな記憶がする。また花月翁は昔の大津絵の歌詞は今日の節で謳ふと行数が足りなくて謳へないから、大昔は別の節だつたのだらうと云つてゐられるが、私もたしかにさうだとおもふ。吃又の大津絵を作旨としたものが大津絵節の元祖である以上、梅坊主のその変つた節の大津絵は、或は原始時代の節廻しにちかいものだつたのかも知れない。
また文句入りの大津絵の引例には大江戸の芝居風景に雪のゐつゞけの二つが挙げられてゐて、それは例へば「けさの雪」と諷ひだしたあと「もつとこつちへよんなましよウ」と云ふ風に一々登場人物の台詞をあしらつて行く方法なのであるが、私は此を読んで亡き柳家枝太郎の「両国」の大津絵をおもひださずにはゐられなかつた。枝太郎の「両国」にはたしかに唄と唄との間に楊弓場や水茶屋の男女の口吻が一々巧みに採入れられてあり、今日似て非なる両国を諷う音曲師はあつても、この複雑巧緻な文句入りの手法を踏襲し得るものは全くない。いまにしても枝太郎のは、やはり非凡であつたと称讃しないわけにはゆかない。
それには今日の音曲師の大半は殆んど大津絵の性能を弁へないで諷つてゐる。嘆かはしいと私は云ひ度い。