Chapter 1 of 4

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水曜日の名が由来した、

サクソン人の神ウォーデンに

誓って言う。

真理をこそ、わたしは常に守ろう、

おくつきに入るその日まで。

――カートライト

〔この物語は、ニューヨークの一老紳士、故ディードリッヒ・ニッカボッカー氏の記録のなかに発見されたものである。彼はこの地方のオランダ人の歴史や、その初期の移民の子孫たちの風習に、たいへん興味をもっていた。しかし、彼の歴史の研究は、文献をさぐるよりも、むしろ生きた人間についておこなわれた。彼の好んだ題目について記された書物はじつに悲しむべきほど少く、それにひきかえて、年とったオランダ市民たちはもちろんだが、ましてその細君たちが、真実の歴史にはなくてはならない貴重な口碑伝説をたくさん知っていることがわかったからである。だから、彼は、生粋のオランダ人一家が、ひろびろと枝をのばした鈴懸の木の下の、屋根の低い農家につつましく住んでいるのにたまたま出あうことがあれば、いつでも、その一家を、留めがねがついた、肉太文字で書かれた小さな一巻の書物に見たてて、本食い虫の熱心さでそれを研究した。

この研究全部の結果が、数年まえに出版されたオランダ総督の統治時代のニューヨーク州の歴史である。この著作の文学的な性質については、さまざまな意見が述べられてきたが、実をいえば、その出来ばえは、なみ以上にすぐれてはいないのである。その主なとりえはゆきとどいた正確さにある、それもはじめてこの書物が世に出たころには、じっさい、いくぶん問題になったのだが、その後まったく確かなものと認められ、今ではあらゆる史誌集に加えられて、疑う余地もない権威書とされている。

この老紳士は、その著作の出版ののち、ほどなく世を去った。もはや彼は亡くなってこの世にいないのだから、彼の時間をもっと大切な仕事に使ったほうがずっとよかっただろう、といっても、さほど故人の名声をきずつけることにはなるまい。しかし、彼はとかく勝手気ままに自分の好きな道を進みたがった。そして、そのために時には少々砂ぼこりを蹴たてて、まわりの人たちの眼をいため、自分では心から尊敬し愛情も寄せていた友人たちの心を悲しませることがあった。だが今となってみれば、彼の失策や愚行も「怒りよりも、むしろ悲しみの気もちで(訳註)」思い出されるのだ。そして、今では、彼が、決して人を傷つけたり怒らしたりするつもりはなかったのだ、と思われるようになってきている。しかし、彼の死後の名声が批評家たちからどう評価されようとも、その名は多くのひとびとに今もなお懐しがられている。そして、彼らの立派な意見には耳をかたむけるだけのことはあるのだ。あるビスケット製造者たちのは殊にそうだが、この人たちは、その老紳士の似顔を新年の菓子に刻みつけさえして、彼を永遠に伝える機会をつくった。これはウォータールー記念章や、アン女王朝の銅貨に印されるのとほとんど同じことなのである〕

船でハドソン河をさかのぼったことのある人なら、だれでも、きっとカーツキル山脈を憶えているにちがいない。それはアパラチヤ大山系から分離した一つの支脈で、はるかに河の西方に見え、気高く聳え立って、そのあたり一帯に君臨している。季節が移りかわるごとに、天候が変化するごとに、いやそれどころか、一日のうちでも時々刻々に、この山々のふしぎな色や形は変化を見せるので、どこの女たちも、この山脈をくるいのない晴雨計だと思っている。よい天気がつづくときには、山々は青と紫とにつつまれて、澄みとおった夕空にくっきりとその輪郭を描きだす。しかし、時には、ほかのところに一点の雲もないのに、この山々は、その頂きに灰色の霧の頭巾をつけることもあり、それが夕陽の最後の光をあびて、栄光の冠とまごうばかりにきらきらと光り輝くのだ。

ハドソン河の船客は、この霊妙な山なみのふもとの村から、かるく煙が立ちのぼってゆくのを、みとめるだろう。その村の板葺屋根が、木の間がくれにちらちら光っている、ちょうどそのあたりで、高地の紺青色が、近くの鮮かな緑色にとけこんでいる。それは小さな村だが、たいへん古く、この地方のひらけはじめた頃、ちょうどピーター・スタイヴァサント(安らかに眠りたまえ)の治世の初期に、数名のオランダ移住民が建設したもので、そこにはつい二、三年まえまで当初の移民の家がいく軒か残っていた。その家は、オランダから持ってきた黄色い小さな煉瓦で建てられ、格子窓があって、正面は破風造りで、棟には風見がのっていた。

まさにこの村の、まぎれもないこういう家の一軒に(ありのままの事実を言うと、それは年月を経て、いたましいほどに古び、雨風にさいなまれていたが)もうなん年も前のこと、この地方がまだ大英国の領地だったころに、素朴で人のよい男が住んでいて、その名をリップ・ヴァン・ウィンクルといった。彼はヴァン・ウィンクル家の末裔だったが、彼の祖先は、騎士道はなやかなりしピーター・スタイヴァサントの時代に武名をとどろかし、スタイヴァサントに従ってクリスティーナ要塞の包囲戦に加わったことがある。ところが、彼自身は祖先の尚武の気風をほとんど受けついでいなかった。わたしは、彼が素朴で人のよい男だと言ったが、そればかりではなく、彼は近所の人には親切で、また、女房の尻に敷かれた従順な亭主でもあった。じっさい、この女房に頭があがらないという事情のおかげで、あんなに気だてが優しくなり、だれにでも好かれるようになったのかもしれない。口うるさい女房に、家できびしくしつけられている男たちは、えてして外では人の言いなりになって折りあいがよいものなのだ。そういう男たちの性質は、たしかに、家庭の責苦という燃えさかる炉のなかで、自由自在に打ちのばしがきくようにされるのである。寝室でひとこと小言をきかされると云うことは、世界中のあらゆる説教を聞いたも同然で、忍耐と辛抱の美徳を教えこまれるものだ。だから、ある見かたからすれば、口やかましい女房はかなりの恩恵だとも考えられる。もしそうなら、リップ・ヴァン・ウィンクルはこのうえもない果報者だったのである。

たしかに、彼は村じゅうの女房連のあいだにたいへんな人気があった。女というものはつねにそうであるが、この女房たちも、夫婦喧嘩のときにはいつも彼の肩をもち、日ぐれどきの世間ばなしにこの話題が出ると、ヴァン・ウィンクルのおかみさんを、さんざんにこきおろしたものである。村の子供たちも、彼がやってくると、いつでも大喜びをして歓声をあげた。彼は子供たちといっしょに遊び、玩具をつくってやったり、凧のあげかたやおはじきの仕方を教えたり、幽霊や、魔法使のばあさんや、インディアンの話を長々と聞かせてやった。彼が村をぶらぶら歩いてゆくと、かならず大ぜいの子供たちが彼を取りまいて、上衣の裾にぶらさがるやら、背中によじのぼるやら、さまざまのいたずらをしかけたが、一向に叱られはしなかった。それにこの界隈では一匹の犬さえも彼にほえつこうとはしなかった。

リップの性質の大きな欠点は、何ごとによらず金になる仕事をするのが、いやでいやでたまらなかったことだ。それはなにも、一生懸命になってやる気がないからとか、根気が足りないからとかいうのではなかった。その証拠に、彼は濡れた岩の上に腰をおろし、韃靼人の槍ほどもある長くて重い釣竿をもって、日がな一日釣をして、ぶつりとも言わず、たとえ魚がいっぺんも食いつかなくても、まったく平気なのだ。彼は猟銃を肩にして、なん時間もぶっとおしに、重い足をひきずりながら、森をぬけ、沼地を渡り、丘を越え、谷をくだって、あげくのはてに、栗鼠や野鳩をほんの二つ三つ射ちとめたものである。彼は近所の人の手つだいならば決してことわらず、どんな荒仕事でもした。田舎の陽気な野良仕事には、真先きに立って働き、玉蜀黍の皮をむいたり、石垣をきずいたりした。村の女たちも、彼に使い走りに行ってもらったり、彼ほど親切ではない亭主たちがしてくれない半端な用事をいつも彼にたのんだりするのだった。一口にいうと、彼はだれの用事でも喜んで引きうけたが、自分の仕事は駄目で、一家のつとめや、自分の畠の手入れとなると、とてもする気になれなかったのである。

現に彼ははっきりと、うちの畠はいくら手を加えてみてもなんの甲斐もない、こいつときたら、この地方一帯でもいちばん厄介な地所で、何をしても、ひとつとしてうまく行ったためしはないし、またどんなに頑張ってもうまくゆくはずがないと言っていた。垣根はいつもばらばらにくずれ、牝牛はどこかへ迷っていってしまったり、キャベツ畑へ入りこんだりした。雑草はたしかに彼の畠では、ほかのところより早くのびた。彼が何か家のそとで仕事をしようとするときにかぎって雨が降りだす。そういうわけで、彼の父祖伝来の地所は、彼が管理するようになってからは少しずつ減ってゆき、今は玉蜀黍と馬鈴薯の畠がほんのわずか残っているだけだ。それでもまだ、それはこの界隈でいちばん手入れのゆきとどかない畠だった。

彼の子供たちもまた、ぼろぼろのなりをして、野育ちで、まるで親のない子のようだった。息子のリップは、いたずら小僧で父親に生きうつしで、やがては父親の古着といっしょに、その性癖まで受けつぐことはあきらかだった。彼が小馬のようにちょこちょこと、母親のあとについて歩いてゆくのがよく見受けられたが、父親の穿きすてただぶだぶのズボンをはいていて、えらく骨を折ってそのズボンを片手でたくしあげる様子は、ちょうど貴婦人が、天気の悪い日にスカートの裾をもちあげて歩くのに似ていた。

しかし、リップ・ヴァン・ウィンクルは、いわゆるおめでたい人間の一人で、間のぬけた、呑気な性質だった。のんびりとこの世をくらし、白パンであろうと、黒パンであろうと、なるべく頭をつかったり骨を折ったりしないで手に入るほうを食べ、働いて一ポンドの金をかせぐよりは、むしろ一ペンスしかなくても腹を空かせているほうがよかった。もし気の向くままにほっておいたら、口笛でも吹きながら、しごく満足して一生をすごしたことだろう。しかし、彼の女房は、彼の耳もとで、のべつまくなしにがなりたてて、やれぐうたらだ、やれのんきすぎる、いまに一家が路頭に迷うようなことになる、と言って責めたのである。

朝も、昼も、夜も、彼女の舌はやむことなく動き、彼の言うことやすることは何でも、彼女のとめどもなくものすごいおしゃべりのたねになってしまう。リップには、こういう説教に答えるのに、たった一つの策しかなかった。そして、それはたびたびやっているうちに癖になってしまっていた。彼は肩をすくめ、頭をふり、空を仰いで、ひとことも口をきかずにいるのだった。しかし、これはきまって女房から新たに一斉射撃を浴びせられる種になった。そこで、彼は旗を巻いて退却し、家のそとへ逃げてゆくより仕方がなかった。じっさい、女房に天下をとられた亭主の逃げ場所といえば、ただ家のそとがあるばかりである。

家のなかでリップの味方をするのは、犬のウルフだけだったが、この犬がまた主人に負けず劣らず、はなはだ細君に頭があがらなかった。ヴァン・ウィンクルのかみさんは、彼らをのらくら仲間と見て、意地の悪い目でウルフをにらみつけ、主人がむやみにふらつき歩いているのはこの犬のせいだ、と言わんばかりだった。じっさい、ウルフはどこから見ても立派な犬にふさわしい気性をそなえていて、どんな猟犬にも劣らず勇敢に、獲物を追って森の中を駈けまわった。だが、いかに勇気があったとしても、絶えまなく四方八方から攻めたてる恐ろしい女の舌には対抗できない。ウルフは家に入るなり、うなだれてしまい、尾は地面に垂れさげるか、股のあいだに捲きこんで、絞り首にでもされるような様子でおずおずと歩き、しきりにヴァン・ウィンクルのかみさんを横目でうかがうのだった。そして、ほんのちょっとでも箒の柄や柄杓をふりあげようものなら、悲鳴をあげて、戸口のほうへすっとんでゆくのだ。

連れそう年月がたつにつれて、リップ・ヴァン・ウィンクルの形勢はますます悪くなる一方だった。とげとげした性質は、年をへてもやわらぐものではなく、毒舌は使えば使うほど鋭くなる唯一の刃物である。もう久しいこと、彼は、家から追いだされると、村の賢人や、哲学者や、そのほかの怠けものがあつまる一種の常設クラブのようなところへ通っては、みずからを慰めることにしていた。そのクラブは、ジョージ三世陛下の赤ら顔の肖像を看板にかかげた、小さな宿屋のまえのベンチで会合をひらくのだ。ここで彼らは、長いものうい夏の日に、一日じゅう木かげに腰をすえて、大儀そうに村の噂話をしたり、いつ果てるともしれぬ、とりとめのない話をしたりするのだった。しかし、たまたま通りすがりの旅行者から、古新聞が手に入ったりすると、深遠な議論がおこることもあった。それはどんな政治家でも金をはらって聞くだけの価値のある議論であったろう。彼らはまったくもってまじめくさってその新聞の内容を傾聴したものだ。勿体ぶってゆっくりと新聞を読みあげるのは、デリック・ヴァン・バンメル校長先生だ。この人は、身なりのきちんとした、学問のある小男で、辞書にあるどんなむずかしい言葉にも決してひるむことはない。そして、彼らは実にえらそうな顔をして、国家問題を論じあったものだ。もっとも、問題が起ってから数カ月もたってはいたが。

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