5
奉「蟠龍軒が悪人ならば上(かみ)に於て成敗いたす、悪人だから切殺したと申すは言訳にはならぬぞ」
文「恐入ります、言訳にならぬは承知の上、如何様(いかよう)とも御処分を願います」
奉「其の夜(よ)如何(いかゞ)致して忍び込み、如何(いか)にして殺害いたしたか、詳しゅう申立てえ」
文「其の夜の丑刻(こゝのつ)頃庭口の塀(へい)に飛上(とびあが)り、内庭の様子を窺(うかゞ)いますると、夏の夜とてまだ寝もやらず、庭の縁台には村と婆(ばゞ)の両人、縁側には舎弟の蟠作と安兵衞の両人、蚊遣(かやり)の下(もと)に碁を打って居りました、よって私は突然(いきなり)女ども両人を切らば、二人の奴らが逃げるであろうと斯(こ)う思いまして、心中(しんちゅう)手順を定(さだ)め、塀より下り立ち、先ず庭に涼んで居りました村と婆を後(うしろ)へ引倒し、逃げられぬように手早く二人の足に一刀を切付け、それから縁側の両人を目がけて其の場に切伏せ、当の敵たる蟠龍軒は何処(いずく)にありやと間毎(まごと)々々を尋ねますと、目指す敵(かたき)の蟠龍軒は生憎(あいにく)不在と承知いたし、無念遣(や)る方(かた)なく手向う門人二三を打懲(うちこ)らし、庭に残して置きました村と婆を切殺して其の儘帰宅致しました、このお村という奴は顔に似合わぬ毒婦にて、二世(にせ)を契った夫友之助を振捨てゝ、蟠龍軒と情(じょう)を通じて、友之助を亡(な)き者にせんと企(たく)みたる女でございます、いつぞや私を取って押え、痰(たん)まで吐きかけた恩知らず、私の遺恨とは申しながら、今に残念に思うて居ります」
と、一点の澱(よど)みもなく滔々(とう/\)と申立てました。
十
時に石川土佐守殿、
「其の方の心底(しんてい)はよう相分ったが、左様の義侠心を持ちながら何故其の場を逃退(にげの)きしぞ」
文「恐れながら申上げます、逃げたとはお情ないお言葉でござります、たとい敵(かたき)の片割(かたわれ)数人を切殺すとも、目指す敵の蟠龍軒を討洩らし、其の儘相果て申すも残念至極でござります故、瓦をめくり草の根を分けても彼を尋ね出(いだ)し、遺恨を霽(はら)した其の上にて潔(いさぎよ)く切腹いたそうか、斯(か)くては卑怯(ひきょう)と云われようか、寧(いっ)そ此の場で切腹いたそうかと思案にくれて居りますところへ、何処(どこ)で聞付けましたか下男森松が駈付けまして、母の大病直ぐ帰るようにと急立(せきた)てられて、思わず帰宅仕(つかまつ)りました、ところが案外の大病、母の看護に心を奪われ、思わず今日(こんにち)まで日を送りましたる次第、心から女々しき仕打を致しました訳ではございませぬ、文治の心底、御推量下さらば有難き次第に存じ奉ります」
奉「ふうむ、確(しか)と左様か」
文「恐れながら一言半句(いちごんはんく)たりとも上(かみ)を偽るような文治ではございませぬ、御推察を願います」
奉「うむ、同心、源太郎を引け」
同心「はゝっ、業平橋三右衞門店(さんうえもんたな)源太郎、這入りませえ」
奉「源太郎、其の方儀、去る十四日御老中松平右京殿御下城の折、手続きも履(ふ)まずお駕籠訴申上げ候段不届であるぞ」
源「恐入ります、併(しか)し手前は町人の事にて何(なん)の弁(わきま)えもございませぬが、何の罪もない者に重罪を申付くるという御法(ごほう)がございましょうか」
奉「黙れ今日(こんにち)其の方に尋ぬるは余の儀ではない、友之助が北割下水にて重傷を負い、其の方宅へ持込まれたと云うは何月何日じゃ」
源「御意にございます、それは六月十四日の夕刻とおぼえて居ります」
奉「確(しか)と左様か」
源「はい」
奉「其の時浪島文治郎は其の方宅へまいったか」
源「はい、もう其の日の暮方(くれがた)でございましたが、急いで手前の宅へまいりまして、友之助は何処(どこ)に居(お)るかと申しますから、奥に寝たきり正体もございませんと申上げますと、誠に気の毒な事をしたと申しながら奥へまいって、何(ど)ういう訳で今日(こんにち)あのような目に遇(あ)ったか、事の概略(あらまし)は聞いて来たが、一通りお前の口から聞かしてくれと申しまして、あの悪党の蟠龍軒が無慈悲な為され方を聞いて居りました、そう云う訳では聞棄(きゝずて)にならぬ、これから蟠龍軒の処へ往って掛合(かけお)うて来ると申しますから、手前は彼(あ)のような悪人にお構いなさるなと強(た)って止めましたが、日頃の御気象、お肯入(きゝい)れもなく其の儘おいでになりました、其の時は何ういうお掛合をなすったか知りませんが、遇ったら聞こうと思って居りますと、其の翌晩、蟠龍軒の屋敷に四人の人殺しがあったという評判、只今承われば文治様の仕業だと申す事ですが、全く蟠龍軒の屋敷の者を斬殺(ざんさつ)しましたのは、諸人(しょにん)の為でございます、何卒(なにとぞ)お命だけはお助け下さいますよう願い奉ります」
と文治のあさましき姿を見ては水洟(みずっぱな)を啜(すゝ)って居ります。
奉「それに相違ないな」
源「御意にございます」
奉「文治郎、源太郎、追って呼出すゆえ神妙に控え居(お)ろうぞ」
同心「立ちませえ」
是にて吟味落着致しまして、諸役人評定の上、文治儀は死罪一等を減じて、改めて遠島を申付けるという事に決定いたしました。総じて罪人に仕置を申し渡しますのは朝に限ったものですが、尤(もっと)も牢名主へは其の前夜、明日(あす)は誰々が御年貢(ごねんぐ)ということを知らしたものでございます、そうすると牢名主の指図で、甲の者がお召(めし)になります時は、外(ほか)の罪人二人(ににん)と共に髪を結わせ湯を使わせますから、事実誰(たれ)がお召出しになるのか分りませぬ。銘々慾がありますから自分ではあるまいと思って居ります。さア其の日の朝になりますと、当人へ今日お年貢という事を申し聞けるや否や、すぐ切縄(きりなわ)と申しまして荒縄で縛って連れて行(ゆ)かれるのでございます。此の時は何様(どん)な悪人でも、是が此の世の見納めかと萎(しお)れ返らぬ者はありませぬ。其の昔罪人は日本橋を中央として、東国(とうごく)の者ならば小塚原(こづかっぱら)へ、西国(さいこく)の者ならば鈴ヶ森でお仕置になりますのが例でございます。で、鈴ヶ森へ往(ゆ)く罪人ならば南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)、また小塚原へ往く罪人ならば牢内の者が異口同音(いくどうおん)に南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を唱(とな)えて見送ったそうでございます。さて文治遠島の次第は重役は勿論、右京殿家来藤原喜代之助も其の前日聞知りましたが、当番の都合にて直ぐ様文治の留守宅へ知らせる事が出来ませぬ。漸(ようや)く其の日の夕方文治の宅へまいりまして、
喜「えゝ頼みます」
町「はい……おや藤原様でございますか、さア何(ど)うぞお上(あが)り下さいまし、まア暫(しばら)くでございました、何うぞ此方(こちら)へ」
喜「存外御無沙汰いたしました」
町「手前の方でも御存じの通り種々(いろ/\)心配がございますので、思いながら御無沙汰いたしました」
という声も涙声、母には死なれ、頼みに思う夫は揚屋入(あがりやい)り、後(あと)に残るのは其の身一人ですから、思えばお町の身の上は気の毒なものでございます。
十一
喜代之助は云い出しにくそうに、
喜「さて、今日(きょう)参りましたのは、えゝ……いや、どうも誠に御無沙汰いたした、就(つ)きましては……」
町「もし藤原様、あなたは文治の事でお出(い)で下すったのではございませんか」
喜「さゝ左様」
町「さア何(ど)うなりました藤原様え……藤原様、文治が命に別状でもありはしませぬか、ねえ藤原様」
喜「いえ、お命に別条はござらぬが、只(たゞ)……」
町「藤原様、何(ど)うぞお早く仰しゃって下さいまし、もし文治が遠島にでも……」
喜「左様、これが愈々(いよ/\)明日(みょうにち)になりました」
町「えッ、いよ/\……」
喜「はい」
と暫く二人は俯向(うつむ)いたまゝ思案に暮れて居りましたが、やがてお町は心を取直しまして、
町「藤原様え、明日(みょうにち)は何時頃(いつごろ)出帆(しゅっぱん)いたすのでございましょう、たしか万年橋(まんねんばし)から船が出るとか承わりましたが左様でございますか」
喜「左様、あなたも嘸(さぞ)御心配なすったでしょうが、明日こそはお目に懸れます、併(しか)し私(わたくし)はお役柄の御近習(ごきんじゅ)ゆえ、役目に対して残念ながらお目に懸ることが出来ませぬ、あなたはお名残(なごり)のためお出でなさいまし、御近所まで私が御案内いたしましょう」
町「はい、何(ど)うも致し方がございません、一目(ひとめ)……えゝ、もう止しましょうよ」
喜「そりゃまた何故(なぜ)ですか」
町「何故って貴方(あなた)、叱られますもの」
喜「あゝ成程日頃の御気性をよく御存じでございますな、併(しか)し是が一生の……」
町「左様でございますね、会って話は出来ませんでも、せめては……いや思い切りましょう、事に依(よ)ると生涯離縁するなどと……もう/\諦めましょう」
と云う声さえも涙でございます。
喜「それは御尤(ごもっとも)ですが、併し……はてな、何(ど)うしたら宜(よ)かろうか知らん」
と倶(とも)に涙に暮れて居りますと、表の方(ほう)に
「お頼み申します」
町「はい、何方(どなた)で……おや亥太郎さんでございますか、さアお上りなさいまし」
亥「えゝもう此処(こゝ)で宜(よろ)しゅうござります、御新造(ごしんぞ)様永々お世話になりましたが、明日(あした)私(わっち)やア遠方へまいります、また長(なげ)えことお目にかゝれません、へえ、ご、ご御機嫌よう、左様なら……」
町「あゝもし亥太郎さん、まアお待ちなさい」
亥「えゝ、もう」
町「まア/\少しお待ちなさい、お顔色もお悪い様子で、何か変事でもございますか」
亥「いゝえ別に」
また、表の方で、
「へえお頼み申します、國藏でございます」
亥「やア國藏か」
國「やア棟梁か、へえ御新造、御機嫌宜しゅうござんす、棟梁にも宜(い)い処でお目にかゝりました、まア当分お目にかゝれませんから、随分御機嫌よう、へえ左様なら、お暇(いとま)を……」
亥「おい/\國藏待て、変なことを云うじゃねえか、己(おれ)も実は此方(こちら)へお暇に来たんだ、お前(めえ)は何処(どこ)へ往(い)くのだ」
國「えゝ中々遠方でござんすまア当分お別れだ」
亥「手前(てめえ)は明日万年橋へ……」
と云いかけて暫(しばら)く四辺(あたり)を見廻し、
「國藏、貴様も遣付(やっつ)ける積りか」
國「棟梁、お前(めえ)も」
亥「ウム、己も決心した」
國「そんなら頼もしい」
と眼と眼で示し合わして、
両人「御新造様、御機嫌よう」
町「まア/\お二人ともお待ちなさい、今一言(いちごん)仰(おっし)ゃった万年橋というのは」
二人「実は命を棄てましても」
町「まアお二人とも」
喜「こら/\お二人ともお控えなさい」
二人「これは/\藤原様、お前(めえ)さんのお蔭様で旦那も命が助かりました、有難うござんした、さア直ぐお暇致しましょう」
喜「まアお二人とも少しお待ちなさい、えゝ只今お二人がお蔭で旦那の命が助かりましたと仰しゃったが、その次第柄(しだいがら)は御存じで仰しゃったか」
亥「そんな事を知らねえで済みますものか、ねえ、いろ/\お前(めえ)さんのお骨折(ほねおり)で助かったこたア蔭ながら……なア國藏、お礼を申さねえ日は無(ね)えなア」
喜「それほど文治殿の助かった事を喜びながら、その文治殿に恥を掻かせる積りかな、それとも殺す気かな」
亥「こりゃア妙な事を仰しゃいますねえ、旦那を殺すの恥を掻かせるのとは何(なん)のことでござんす、此方(こち)とらア自分の命を棄てゝも旦那を助ける覚悟だ、又一旦思い込んだ事(こた)ア一寸(いっすん)も後(あと)へ退(ひ)かねえ此の亥太郎でござんすぜ」