一
「親分、どうなすったんで?」
ガラッ八の八五郎は、いきなり銭形平次の寝ている枕許に膝行り寄りました。
「八か、――風邪を引いたんだよ。寝ているのも馬鹿馬鹿しいが、熱が高くて我慢にも起きちゃいられねえ」
平次は手拭で額を縛って、真っ赤な顔をしてフウフウ言っているのです。
「そいつはいけねえ、悪い風邪が流行るんですってね、気をつけなくちゃいけませんよ」
ガラッ八は世間並の事を言いながら、平次の額へそっと触ってみるのでした。
「寝込むほど患ったのは、六つの時麻疹をやってから、ツイぞ覚えのねえ事さ。鬼のかくらんだよ」
「岡っ引の風邪でしょう」
「ふざけちゃいけねえ、病人をからかったりなんかしやがって」
相当苦しそうな平次は、ツイ八五郎の軽口に応酬して、ポンポン言ってみたりするのです。
「からかっているわけじゃねえが、親分が患った日にゃ、御府内は闇だ」
「お世辞なんか言いやがって、馬鹿野郎ッ」
「へッ、お出でなすったね、その威勢のいい馬鹿野郎が聞きたかったんだ」
ガラッ八は掌で、自分の額を一つポンと叩くのでした。
「呆れた野郎だ、見舞に来たんだか、遊びに来たんだか、わかったものじゃねえ」
「見舞ですよ、正真正銘親分の見舞に違えねえ証拠は、この通り手土産を持って来たじゃありませんか」
「大層な口上だな、――塩煎餅の袋でも持って来たんだろう、どうせ」
平次は病人らしくもない元気で、続けざまに八五郎をからかっております。
「どうせ――は情けねえ、見て下さいよ、梅寿堂の上菓子が一と折、灘の生一本が五升」
「上菓子は解っているが、病気見舞に酒を持って来る奴もねえものだ」
「こいつを卵酒にして飲むと、大概の風邪は一ぺんにケシ飛びますよ。もっとも、親分がイヤなら、あっしが飲みながら、一と晩ぐらいは看病してやってもいい」
「呆れた野郎だ」
平次が精一杯呆れ返って、八五郎の馬鹿馬鹿しさも市が栄えたわけですが、何かしら、平次の見当では、割り切れないものがそこに残っているのです。
「変な顔をするじゃありませんか、親分」
ガラッ八は狭い袷の前を合せて、平次のけげんな視線の前にモジモジしました。
「上菓子一と折に、剣菱が五升――少し奢りが過ぎるようだぜ。八、どこからそんな工面をして来たんだ」
「工面なんかしませんよ」
「手前にしちゃ大した散財じゃないか。岡っ引が金を持っているなんざ、褒めたことじゃねえ、どこからそんな金を持って来たんだよ、八」
正直者の八五郎のために、平次はそんな事まで真剣に心配してやるのでした。
「どこだっていいじゃありませんか」
「よかアないよ、まさか筋の悪い金を身につける八とは思わねえが、あとで困るほどの工面をさしちゃ、菓子も酒も喉を通らねえ、白状してしまいな」
平次の調子がシンミリしてくると、ガラッ八はツイ涙ぐましい心持になるのです。
「そんな金じゃありませんよ、親分、向柳原の叔母が、――天霊様の御本山にお詣りをするついでに、西国を一と廻りして来るから、二度と江戸へ帰るか帰らないか判らない。長年溜めた少しばかりの金は、みんな天霊様に納めるが、これは、たった一人の甥への形見だから、心持よく取ってくれと、器用にくれたのが五両、親分の前だが、五両と纏まった金を持ったのは、生れて始めてで――」
「それは本当か、八」
話半分に聞いて、病人の平次はガバと床の上にハネ起きました。
「あれ、お前さん、そんな事をしちゃ、風邪が悪くなるじゃありませんか」
女房のお静は、お勝手から驚いて飛んで来ると、平次の身体を無理に床の中に押込むのでした。
「本当も嘘もありゃしません。費い残りがまだ四両と少し、こいつで何をしようかと、昨日から考えているところで」
「八、そいつは棄てておけないぜ」
「ヘエ――」
「手前のためにはたった一人の叔母さんだ、間違いがなきゃいいが――」
「ヘエ――」
八五郎の無関心さ。