Chapter 1 of 9

花嫁の自動車が衝突した

「花嫁の自動車は?」

「まだ来ない、どうしたのだろう、急行の発車まで、五分しかないじゃないか」

「迎えに行って見ましょうか」

東京駅の待合室に集った人達は次第に募る不安に、入口からまっ暗な外を眺めたり、売店や三等待合室を覗いたりしました。

「歩廊に居るんじゃありませんか」

「もう乗り込んだのかも知れませんね」

そんな事を言いながら改札口へ行った人達は、急行はたってしまって、狐につままれたように、歩廊から降りて来る別の一隊と顔を合わせたのでした。

「新婚の夫婦は汽車へは乗りませんよ」

「新橋からたったんじゃありませんか」

「そんな筈はない。親許の関谷さんや、媒酌の方もこの駅に見えた位だから」

「それにしてはおかしいぜ」

こんな評議のまっ最中、乗車口に高級車を乗りつけて、その中から十三、四の可愛らしい少女が疾風のように飛んで来ました。

「あッ、勇美子さん、どうなすったの?」

花嫁の後見人で親許になって居る関谷文三郎夫人が訊きました。

「詩子姉さんが」

「詩子さんがどうした」

関谷文三郎は人波を掻きわけて来ました。中年者の勤人らしい堅実な男、巨万の富を遺された富める孤児の詩子を、四、五年この方自分の娘のように世話をして来た人物です。

「お兄様達の乗った自動車に、円タクが衝突したんです」

「えッ」

「怪我はないですか」

大勢の人が小さい勇美子を取囲んで、質問の雨を浴びせかけました。

「詩子お姉様が」

勇美子は漸く息をつぎます。

「それは大変ッ」

「大したことはないんです、けれど、運転手は大怪我で、助からないかも知れないんですって」

「すぐ引返そう」

関谷夫妻と親しい友人達は、すぐ渋谷の春藤家へ車を走らせました。道々、勇美子の説明するのを聴くと、――花婿春藤良一と花嫁の詩子を乗せた自動車が、渋谷の春藤家を出ると間もなく、暗い路地の中から、待ち構えて居たように一台のボロ円タクが飛出して、花嫁の詩子の乗って居る側へ、全速力で叩き付けたのでした。

「詩子お姉様は横っ倒しになって、ガラスのかけらを浴びましたが、お兄様が庇ったので、手と足へほんの少しの傷をうけただけで済みましたワ」

「それから」

「後から来た車で運転手を病院に運び、詩子お姉様はお母様と家へ引返して手当をするんですって、皆さんに宜しくって言いましたワ」

思い出したように、勇美子はピョコリとお辞儀をしました。新郎の春藤良一の妹で遅生まれの十四、小学校の最上級に居る学校第一の人気者です。

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