一
その村は、東京から三時間もかゝらぬ遠さであり、私が長い間住なれたところであつたが私は最早まる一年も帰らなかつた。恰度、一年前の今ごろ私はカバンを一つぶらさげて芝居見物に上京したまゝ――。
それ故、またカバンを一つぶらさげて戻つて来た私達の姿を見出したロータスといふ村の酒場の娘は、
「まあ、随分永い芝居見物でしたわね。」
とうらみと苦笑をふくんだ鼻声で、私の妻の胸に両腕をかけてつぶやいた。
「ね、奥さん、何んな芝居を御覧になつたの、話して下さいな。」
「……芝居なんか見たかしら?」
妻は私を振り返つてたづねた。
「…………」
「ぢや奥さん達が演つた芝居の話――」
娘は、私達の東京での生活を、そんな言葉でたづねたりした。
「御紹介するわ、キヨちやん――この方ね……」
妻は私達の間に立つてゐる緑色の瞳を持つたチル子を指して、
「是非あなた達に会ひたいと云つて、遊びに来たチル子さん――うちとは、とても昔から、それはもうチル子さんが生れぬ時分からの家同志のお友達で、チル子さんの姉さんのフロラさんと、この――」
と私を指して、
「この人とは婚約の話まで起つたことがある程の……」
などゝ云ひかけたので私は慌てゝ、
「おい/\、過去の話はやめておくれよ。」
と軽く妻の言葉をさへぎつた。
妻は、キヨに、チル子はこのごろ、私が書いたこの村での私達の原始生活に就ての幾つかの小説を読んだら、是非自ら村を訪れて見たいといふことになつたので、わざ/\さそつて来たのである。そして先づ、あれらの原始生活でのかゞやかしいヒロインであるロータスの姫君に紹介する所以である――などゝいふ意味のことを伝へた。
そしてチル子が好奇にみちた腕を差伸ばして、熱意のこもつた握手を求めると、キヨは真ツ赤になつて、
「まあ、あたしうれしいわ。」
といつた。窓下の野菜畑のふちに立ちならんでゐる梅が満開であつた。