二
道子はもと南千住の裏長屋に貧しい暮しをしてゐた大工の娘である。兄が一人あつたが戦地へ送られると間もなく病気で倒れ、父は空襲の時焼死して一家全滅した始末に、道子は松戸の田舎で農業をしてゐる母親の実家へ母と共につれられて行つたが、こゝも生活には困つてゐたので、母の食料をかせぐため、丁度十八になつてゐたのを幸ひ、周旋屋の世話で、その頃新にできた小岩の売笑窟へ身売りをしたのである。
男はまだ初めてと云ふ年頃であるが、気の持ちやう一ツで、女ならば誰にでも出来る商売のこと。道子は三月たゝぬ中立派な稼ぎ人となり、母への仕送りには何の滞りもなくやつて行つたが、程なく其母も急病で死んでしまひ、道子はそれから以後、店で稼ぐ金は、いかほど抱主に歩割を取られても、自分一人では使ひ切れないくらいで、三年の年季の明ける頃には鏡台や箪笥も持つてゐたし、郵便局の貯金も万以上になつてゐたが、帰るべき家がないので、その頃半年あまり足繁く通つてくるお客の中で、電話の周旋屋をしてゐる田中と云ふ男が、行末は表向き正妻にすると云ふはなしに、初めはその男のアパートに行き、やがて三ノ輪の電車通に家一軒借ると、男の国元から一度嫁に行つたことのある出戻りの妹に、人好きのよくない気むづかしい母親とが出て来たゝめ、針仕事も煮炊もよくは出来ない道子は手馴れない家庭の雑用に追はれる。初から気質の合はない家族との折合は日を追ふに従つて円滑には行かなくなり、何かにつけてお互に顔を赤らめ言葉を荒くするやうな事が毎日のやうになつて来たので、道子は客商売をしてゐた小岩の生活のむかしを思返してふて腐れる始末。それに加へて男の周旋業も一向うまくは行かないところから、一年後には夫婦別れと話がきまり、男は母と妹とを連れて関西へ行く。道子は其辺のアパートをさがして一人暮しをすることになつたが、郵便局の貯金はあらかた使はれてしまひ、着物まで満足には残つてゐない始末に、道子はアパートに出入する仕出屋の婆さんの勧めるがまゝ、戦後浅草上野辺の裏町に散在してゐる怪し気な旅館や料理屋へ出入りしてお客を取りはじめた。然し毎日毎晩といふわけには行かない。四五日目に一人か二人もあればいゝ方なので、道子はその頃頻と人の噂をする浅草公園の街娼にならうと決心したが、どの辺に出ていゝのか見当がつかないので、様子をさぐりに、或日あたりの暗くなるのを待ち、映画見物の帰りのやうな風をして、それらしく思はれる処をあちこちと歩き廻つてゐる中、いつか仮普請の観音堂の前に来かゝつたのに心づき、賽銭箱に十円札を投り込み手を合して拝んでゐた時である。「アラ、道ちやん」と呼びかけられ、驚いて振返つて見ると、小岩の私娼窟にゐた頃姉妹のやうに心安くしてゐた蝶子といふ女、もとは浅草の街娼をしてゐた事もあるといふ女なので、訳を話して、道子はその辺の蕎麦屋に誘ひ、委しくいろ/\の事情をきいた。
このあたりで女達の客引に出る場所は、目下足場の掛つてゐる観音堂の裏手から三社権現の前の空地、二天門の辺から鐘撞堂のある辨天山の下で、こゝは昼間から客引に出る女がゐる。次は瓢箪池を埋めた後の空地から花屋敷の囲ひ外で、こゝには男娼の姿も見られる。方角をかへて雷門の辺では神谷バーの曲角。広い道路を越して南千住行の電車停留場の辺。川沿の公園の真暗な入口あたりから吾妻橋の橋だもと。電車通でありながら早くから店の戸を閉める鼻緒屋の立ちつゞく軒下。松屋の建物の周囲、燈火の少い道端には四五人ヅヽ女の出てゐない晩はない。代金は誰がきめたものか、いづこも宿賃二三百円を除いて、女の収入は客一人につき普通は三百円から五百円、一泊は千円以上だと云ふ。
道子は唯何といふ訳もなく吾妻橋のたもとが好さゝうな気のするまゝ、こゝを出場所にしたのであるが、最初の晩から景気が好く、宵の中に二人客がつき、終電車の通り過る頃につかまへた客は宿屋へ行つてから翌朝まで泊りたいと言出す始末であつた。
道子は小岩の売笑窟にゐた時から男には何と云ふわけもなく好かれる性質の女で、少し此の道の加減がわかるやうになつてからは、いかに静な晩でも泊り客のないやうな夜はなかつたくらい。吾妻橋へ出るやうになつても客のつくことには変りがなく、其の月の末にはハンドバツグの中に入れた紙入には百円札や千円札がいくら押込まうとしても押込めない程であつた。
道子は再び近処の郵便局へ貯金をし初めた。